2017/09/09 - 2017/09/16
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ともっそさん
2017年に旅したイタリアを、まとめたものです。
この時はデジカメを主に使用していたのですが、データカードが壊れてしまったため、もしかしてスマホのデータも壊れるんじゃないかと、今になってあわてて、スマホ内にある写真で旅行記を作成しています。
イタリアが大好きで、その中でもローマが一番好きです。イタリアを旅行する時は、「ちょっと帰ってくる」と言ってみたりします。
2017年の旅は、6度目の訪問です。
□①09.Sep.2017 : 関空 → ローマ・フィウミチーノ空港 (トラステヴェレ泊)
□①10.Sep.2017 : ローマ → ヴィテルボ (ヴィテルボ泊)
□②11.Sep.2017 : ヴィテルボ → アッシジ (アッシジ泊)
□②12.Sep.2017 : アッシジ、スポレート (アッシジ泊)
■③13.Sep.2017 : アッシジ → ローマ (ローマ泊)
■③14.Sep.2017 : ローマ (ローマ泊)
□④15.Sep.2017 : ローマ (ローマ泊)
□④16.Sep.2017 : ローマ ・フィウミチーノ空港 → 関空
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
テルミニ駅のバスターミナルのすぐ向かいにある、ローマ国立博物館。の入り口(だったような)。
きれいな庭を通り過ぎて建物に入ります。 -
「ディオクレティアヌスの浴場跡」
博物館の一部なのですが、私は博物館より、こちらが目的です。駅に近いこともあって、ローマに来る度に訪れます。
ローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスが306年に建設した公衆浴場の跡です。
カラカラ浴場の方が有名ですが、当時はこちらの方が豪華で規模が大きかったのだとか。当時の姿を見てみたかった! -
収容人数約3000人という規模。
帝国の滅亡とともに廃墟になり、戦火でさらに破壊されました。
展示会場で彫像やモザイク画が見られるのですが、イタリア語の解説しかなくてさっぱりわかりませんでした。無念。
今日はこの後、アッピア街道をめぐる現地ツアーに参加します。
参加者は私を含めて3人でした。 -
「チェチーリア・メテッラの墓」
マルクス・リキニウス・クラッススの妻であったチェチーラ・メテッラのお墓。
でも彼は特に傑出した実績のない人物だったらしく、その妻のお墓がこれだけ立派な理由はわかっていないらしい。 -
そのクラッススはカエサルの最大の債権者であり、ローマでは大富豪だったのです。
息子のマルクスはカエサルから可愛がられたとか。
チェチーラは同名の息子のほうの妻、とも言われていてはっきりしていません。
言わんこっちゃない。やはり、父親とは別の名前をつけたほうがいいと思う。 -
街道の女王、と呼ばれるアッピア街道。
-
ユリウス・カエサルも歩いたこの道を、私も歩きます。
アッピア街道はいつか・・・と思ってきたものの不便な場所にあるため、なんとなく避けてきました。
ああ、もっと早く来ればよかった。 -
石が摩耗してボコボコして歩きづらくて時々かかとが埋まったりよろめいたりするけれど、もはや、それがよいのです。
ベタベタと触ってみたりもします。 -
「クラウディア水道橋」
ローマ人が開発したといわれるコンクリートは有名ですね。いえ、私が知ったのはこの時のガイドさんの説明のおかげですが。 -
ちょっと離れたところかも撮ってみる。
私自身は、昔の面影を残した廃墟的なものの方が、今も現役バリバリで使用されてます!といった歴史建造物よりも好みです。 -
水が通っていたパイプの部分がよく見えます。
2000年前の人が作ったなんて、一体どうして素晴らしい技術と発想。 -
のどか~な風景の中にあるので郊外のように見えますが、まだまだ市内中心部です。
アッピア街道の代名詞にもなっている松の木ですが、実はこれはローマ時代にはなく、むしろローマ帝国が滅亡してから植えられました。 -
最後に水道橋を振り返ります。
ローマは偉大だったのねと、改めて何度目かのため息。 -
「カラカラ浴場」
アッピア街道をまっすぐチルコマッシモの方に向かう左手にあります。
カラカラ帝によって造られた公衆の大浴場で、当時は1600人収容できたそうです。こう聞くと、テルミニ駅前のディオクレティアヌスの浴場がいかに大きかったか、ということもわかりますね。
テルマエ・ロマエのテルマエとは、ラテン語の「温泉」の複数形なんですって。 -
今も残る浴場のモザイクの床。
時代がたつにつれこうした浴場では売春や賭け事などが行われ、非難の的にもなったそうです。そして6世紀に、異民族に水道を破壊され、閉鎖に至りました。 -
当時は床だけでなく壁も天井も美しく彩られていたそうです。そんな姿を空想して楽しみます。
今はもう当時を偲ばせる外観が残るばかりですが、この遺跡では年に一度、コンサートが開かれ、浴場としてではありませんが使用されています。
この後、ツアー一行はテルミニ駅前に戻り、そこで解散となりました。 -
「サンタマリアマッジョーレ教会」
テルミニ駅からそう遠くない場所にある、ローマの4大バジリカの1つで、聖母マリア教会の中で最も由緒正しい、とされている教会。
教会の名前でもある「マッジョーレ」は英語でいうところの「メジャー」だとか。
なるほど! -
ある日、法王リベリウスは夢でマリアからのお告げを受けます。
「雪の降るところに私のための教会を建てなさい」
それは8月の真夏のことでした。
にもかかわらず翌日の8月5日、エスクイリーノの丘の上に雪が降ったのです。その奇跡の場所に、法王リベリウスは教会を建てました。 -
「ローマ国立博物館マッシモ宮」
このモザイクの中心にある顔がコミカルで惹かれました。
頭から、羽がはえているような気がする。髪の毛は蛇ように見えます。メデューサ? -
「リウィアの家のフレスコ」
これが見たくてこの博物館にやってきました。
この壁画は、初代ローマ帝国皇帝となるアウグストゥスの妃・リウィアの別荘にあったもので、紀元前のものだそうです。
フレスコ画というのは非常に劣化しやすく、このように美しく残っているのは稀なのだそうです。
彼女は非常に賢明で貞淑な妻で、ローマ市民から人気が高かったそうです。その反面、権力欲が強かったらしく、あのカリグラにして「女オデュッセウス」と言わしめたのだとか。 -
この壁画のあった室内は洞窟、もしくは草葺き屋根の四阿として想定されているらしい。ここは冷んやりとした洞窟の中で、そこから見とおした庭園風景が広がっている、という設定だとか。
-
部屋の中にいて庭のようだったことでしょう。
果実も緑もまだきれいに色が残っています。
庭園画がローマ壁画において一つの独立したジャンルを確立するのは紀元前1世紀末頃。となると、それはリウィアの夫オクタウィアヌスが共和政末期の内乱を平定し、アウグストゥスと改名して帝政を布こうという時期に当たっており、流行の時期にピッタリ合います。
流行の壁画にしたのか、それともここから流行したのか。 -
acrobata negro、と表示されています。
黒人の曲芸師、といったところでしょうか? -
翌日は、Ostia Antica(オスティア・アンティカ)へ。
テルミニ駅から地下鉄と、途中でリド線に乗り換えて約1時間の距離という近さが嬉しい。 -
Ostia Anticaの駅。
外国の駅の看板も大好き。 -
駅からちょっと迷いました。ポンペイのようにひっきりなしに観光客が訪れる遺跡という感じではなく、そのため、道案内も少なく、後をついていくにも観光客が通らないので、しばらくウロウロしてしまいました。が、汗だくになってなんとか入り口に到着。
-
町の起源ははっきりと残っておらず、神話によると紀元前7世紀頃だそうです。
ローマが地中海の覇権を握ると、オスティアはローマ初の植民地として軍事から物流・商業の拠点へ移り変わりました。ハドリアヌス帝の時代には、都市機能のすべてを備えた大都市に発展。 -
遺跡の端のほう。
浸りながら、隅々を歩きます。 -
ローマ劇場跡。
もともと円形劇場はギリシャ発祥ですが、ギリシャ人は地形の斜面を利用し、ローマ人は平坦な地に造ったそうです。 -
消えかかった飛行機雲が1本。
普段はあまり見上げることのない空も、日常を離れると見上げます。心に余裕が生まれるのでしょうか。 -
今度は4本も!
オルヴィエートとアッシジでは雨に降られましたが、残りはこんな快晴で、本当にうれしい旅です。 -
見返り猫。
廃墟には猫が多数いました。 -
住宅跡。
オスティアは人口増加に伴い、墓地を門の外に造ったそうです。衛生目的ですね。
「Via delle TOMBE」という通りの表示も残っていました。 -
ネプチューン浴場の床のモザイク。
戦車に乗るネプチューンの絵です。
港湾都市だったからでしょうか、海にちなんだモザイク画が多かったです。 -
モザイク画の大きさが私の足でお分かりいただけるでしょうか。
もちろん、上を歩くことが許可されているモザイクです。 -
ネプチューンの妻アンフィトリテ。
彼女をキューピッドが導いているような姿です。
飲食店跡も多数見られましたが、ローマは国際都市だったためラテン語を話さない人たちも多く、飲食店のメニューなどは絵で描かれていたそうです。 -
どこを見ても広大な土地には遺跡、遺跡。
どんな家だったのか、なんの建物だったのか、ということを記した表示がたくさんありました。
それがわかるだけで、想像の余地があるというものです。 -
公衆トイレ。なんと、水洗式。
ベンチ状になった大理石の便座の下を、水が流れていたのだそうです。その水はそのまま下水へと流れていきます。近くに浴場があるため、水には困らなかっただろうとのこと。
ところで、隣の人との仕切りって、なかったのね。 -
うーん、なんだったかな。うーん。
-
今はもう、天井の抜けた住宅跡。基本は二階建てだったそうです。
-
轍の跡が今も残っています。
河川の堆積土で港が機能しなくなりまた、テヴェレ川の流れも変わって、オスティアは徐々にさびれていきます。
活気を失っても地元の富裕層は留まったそうですが、人口減少は進み、やがて9世紀頃、サラセン人が襲撃してきたため人々は町を放棄し、廃墟となりました。
ポンペイとは異なり、人間の意志で放棄されたという、一時は栄華を極めた町だけに、その最後はとても寂しいですね。 -
「サン・プラセーデ教会」
サンタ・マリアマッジョーレ教会の近くにあり、ローマでビザンチン様式のモザイクを見ることができます。
入り口はひっそりとしていて、こんな大きな教会があることを知らずに通り過ぎてしまいそうですが、ローマで最も美しいモザイク画が見られることで有名です。
お昼休みが平日4時間、日曜日は5時間設けられているので、訪れる時間に注意が必要な教会でもあります。 -
このひっそりとした入り口に厳かな気持ちになります。
ネロ皇帝時代、キリスト教をかくまった元老院議員プデンテの二人のプラセーデとプデンツィアーナ姉妹が、2000人の信徒と共に殉教し、井戸に葬られました。
9世紀になって、法王パスカリウス1世は葬られた井戸の周りに教会を建て、娘の一人プラセーデに捧げました。 -
金色の壁に囲まれたエルサレムの都の中に、キリストとマリア様、
弟子達や聖プラセーデがいます。左右は選ばれた者達が
天使や使徒に導かれてエルサレムの都に向かっている画なのだそうです。 -
中央のメダリオンは「神を象徴する小羊」と両脇に赤や青の雲の上に天使と
福音記者、その下の白い衣の人は神様に花を差し出しているそうです。
こちらもお金を入れると点灯しますが、明かりが黄色いので、個人的には自然採光で見られる午前中がお勧めです。 -
祭壇に向かう通路の大理石床に描かれたいくつもの円ですが、このもっと手前には、二人が埋葬された井戸の場所を示すよう描かれています。
-
円蓋の美しい祭壇。光の入り方も美しい。
使徒たちがローマ時代の衣装であるトーガを身にまとった形で描かれています。 -
上の写真の正面上部を大きく撮影。
なんだったか忘れました。いろいろネットで探してみたけど見つからず。
ということで、モザイク画。 -
祭壇に向かって右手には、サン・ゼノ小礼拝堂があります。
入ると正面には、聖母子像画。マリア様の両脇に聖ブラセーデと聖プデンツイアーナが。 -
見上げると、この眩しいばかりの黄金のモザイク画「天国の園」が。
1ユーロ入れるとモザイク画を照らすように点灯します。15秒くらいで明かりは消えるので、写真撮影は勝負です。
なので、こちらも午前中訪問を絶対にお勧めします。 -
夜空のようです。
祭壇の地下礼拝堂には聖女プラッセーデと聖女プデンツィアーノの遺体を納めた石棺が安置されているそうです。 -
「カステルサンタンジェロ(聖天使城)」
そもそもはハドリアヌス帝の霊廟として建てられました。
その後は時代と共に要塞、牢屋、ローマ法王の住居、として使われました。
こことバチカンをつなぐ地下道があります。
オルシーニ家がカスタルサンタンジェロを所有していた時代に、いざという時の逃げ道として作ったとか。オルシーニ家から選出されたニコロ三世の存在があったからですね。 -
サンタンジェロ橋からサンピエトロ寺院を撮影。
-
聖天使の像がくっきり浮かび上がります。
霊廟時代は、ハドリアヌス帝が馬車を駆る姿の像が置かれていたそうな。
その後、ペストが蔓延していた時代、当時の法王グレゴリウス1世はこの城の上に燃え盛る剣を鞘に納める大天使の姿を見ます。ペスト終焉の啓示と見た法王は感謝し、白の上に礼拝堂を建てました。
そこから、サンタンジェロ(SANT'ANGELO)と呼ばれるようになったらしい。 -
夕闇に包まれていくカスタルサンタンジェロを眺めます。
-
カスタルサンタンジェロの前を流れるテヴェレ河を渡す、ベルニーニ設計のサンタンジェロ橋の両側には、計10体の天使像があります。
全て、キリストの受難にまつわる物を持っています。
たとえばこれは、キリストが磔になった十字架。
中世、サンピエトロ大聖堂を訪れるためには、この橋を渡らねばいけないような地理になっていたそうです。 -
逆光のサンピエトロ大聖堂。
神々しい黄金の空。 -
サンピエトロ広場のオベリスク。
紀元前1世紀にエジプトのアレクサンドリアでローマ人が建てたものだそうですが、諸説あるそうです。
夜が迫ってきました。
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旅行記グループ 2017年 イタリアに帰る
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