2023/09/14 - 2023/09/14
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現在、順次公開していっている「運賃300円!アメリカン航空で行くサンフランシスコの旅」ですが、アメリカへ旅立つ前日、六本木にあった外交史料館 吉田茂記念資料展示場へ行ってきました。
本編で訪れる予定の戦争記念オペラハウスにおいて行われたサンフランシスコ平和条約の署名文章や、平和条約受諾に当たって吉田茂総理(首席全権)が演説に用いた原稿。その直後に郊外の陸軍士官施設で調印した旧日米安全保障条約の署名文章が展示してありました。
なお、外交史料館は2023年9月をもって閉館となりました。
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地下鉄南北線の六本木一丁目駅から歩いて10分ほど、やってきたのは外交史料館です。
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ところが入口が分かりません....隣の外務省飯倉公館の守衛さんに聞いたら、入口はここらしいです。
確かに入口って書いてあるけど....
えっ、こんなところ入っていいの...鍵かかってんじゃないの?
なんて思いながら扉を押したら...普通に開きました。 -
なんて感じでビビりながら中へと入りました。
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外交史料館と吉田茂記念資料展示場です。
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入ってすぐに吉田茂元総理の胸像です。
戦前は外交官として中国やヨーロッパに勤務し、戦中・戦後は外務大臣や総理大臣を務めた人物ですね。 -
2階にあがり、少し涼んでから見学します。
左側はアメリカンのリンカーン大統領が第14代徳川家茂将軍へ宛てた親書で、帰任したハリス初代駐日公使の処遇に対し感謝が述べられているそうです。
文久10年と言う事で時は江戸時代ですね。
以来、国交断絶による中断もありましたが、現在は31代目のラーム・エマニュエル駐日大使です。 -
ナポレオン3世※が第14代徳川家茂将軍へ宛てた親書で、駐日フランス大使の交代を伝える物です。
※一般的にナポレオンと言ったら1世の事を指し、このナポレオン3世は、その甥“とされている“人物です。と言うのも、母親には愛人が... -
明治7年に千島・樺太交換条約です。
それまで千島列島と樺太は国境が確定していない雑居地で、日本人とロシア人、アイヌ民族で小競り合いが続いており、国境を確定させるのは江戸時代末期からの懸案事項でした。
この条約により、千島列島が日本領となり、樺太はロシア領となりました。 -
明治28年(1895年)に結ばれた日清戦争の講和条約、いわゆる下関条約です。時は第2次伊藤内閣であったので、日本(大日本帝国ですが)からは伊藤博文内閣総理大臣、陸奥外務大臣が署名しています。
この条約により遼東半島や台湾などの割譲と賠償金を受ける内容でしたが... -
遼東半島が日本領となると不凍港を求めた南下政策の障害となると見たロシアが、フランスとドイツも巻き込んで遼東半島を清国へ返還するように圧力をかけてきます。これを三国干渉と言います。
日本の国力では抗いきれずに遼東半島の返還を余儀なくされます。それが遼東半島還付条約です。
しかし返還直後、こんどはロシアが清国に圧力をかけ、遼東半島の租借権を得て旅順に要塞を築きます。
いやいや、遼東半島を清国に返還するように迫ったのは誰だよ...
この不凍港を求めたロシアの南下政策は2023年現在も継続しています。
ロシア黒海艦隊がウクライナに使用料を払って使用していたセヴァストポリ海軍基地があるクリミア半島で、ロシア軍と同じ装備を持ち、ロシア語を話す国籍不明の武装勢力(通称:リトル・グリーンメン)により引き起こされた2014年クリミア危機と、それに続くクリミア半島のロシアによる実効支配。そして現在も続く2022年ウクライナ侵攻の直接的な要因となっています。 -
そんなロシアの南下政策に対して、清国における権益を守りたいイギリスと利害が一致して結ばれたのが、こちらの日英同盟です。
特に日露戦争の日本海海戦では、日英同盟によるイギリスの後ろ盾とともに、イギリスが持つグローバルな情報ネットワークに助けられ、日本は勝利を掴む事ができたのです。 -
日本海海戦の勝利に湧き立つ日本でしたが、既に国力は払底していました。そこでアメリカのルーズベルト大統領の仲介を依頼し、アメリカのポーツマスで講話会議が開かれたのです。
その首席全権全権に指名されたのが小村寿太郎だったのです。 -
戦争継続も辞さないロシアに対し交渉は難航します。
しかし、この交渉の裏にも日英同盟がチラついていて、当初は賠償金も領土割譲も応じられないとしていたロシア皇帝ニコライ2世が、南樺太割譲に応じる意向を示したとの情報はイギリスからだったと言われています。
そんな苦労の末に締結された日露講話条約、いわゆるポーツマス条約です。 -
こちらは日露講話条約の批准書です。
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双頭の鷲がロマノフ王朝の紋章なんだそうです。
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これは満州国の独立国としての正当性を調査する為に派遣されたリットン調査団が、南満州鉄道の線路を調査しているシーンです。教科書なんかにも載ってる有名なシーンですね。
日本側はここで起きた爆発(柳条湖事件)を中国側の仕業と認定し軍事介入したのです。しかし、実際には日本側(関東軍)による自作自演だった事が戦後になって判明します。
このリットン調査団ですが、近年になって機密指定解除された外交機密費の領収書から、シャンパンやカクテルなど各種の酒やタバコ、果ては芸妓付き高級料亭など、日本側の猛烈な接待攻勢を受けていた事が明らかになります。こうして調査団を足止めしている間に、関東軍主導の下で愛新覚羅溥儀を執政とした満州国建国の宣言が行われたのです。 -
こちらも有名な写真で、日本に不利なリットン調査団の報告書を不服として決議しないように求めていましたが、圧倒的賛成多数で決議されました。
議長から発言を求められた松岡全権の演説は、原稿無しで1時間以上に渡ったと言われています。
この演説後、松岡全権を含む日本代表団は退場していきます。そして、常任理事国まで務めた日本は国際連盟からの脱退するのです。 -
1941年に調印された日ソ中立条約の調印書です。
しかし、第二次世界大戦の末期の1945年4月にソ連側から1年の通告期限を待たずに破棄の通告を受け、その年の8月8日にソ連からの宣戦布告を受けます。そして翌9日には日本領の南樺太、千島列島、そして中立条約の範囲内である満州国において、民間人おも巻き込んだ戦闘へと繋がっていきます。 -
対米交渉に当たった野村駐米大使と来栖特命大使に充てられた甲と乙の両案です。
日本側としては妥協案として提示した乙案もアメリカ側に拒絶され、逆にコーデル・ハル国務長官からいわゆるハルノートを突き付けられ交渉は決裂します。
そして1941年12月8日の真珠湾攻撃へと歴史は繋がっていくのです。 -
終戦の玉音放送から半月後の1945年9月2日、東京湾に停泊していた戦艦ミズーリの艦上にて、日本と連合国の間で取り交わされた降伏文書です。
戦艦ミズーリは、ハワイの真珠湾で博物館として展示されています。 -
式典の途中、カナダ代表が署名する場所を間違ってしまい手書きで訂正が行われています。
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1951年9月、アメリカのサンフランシスコにある戦争記念オペラハウスで連合国側と平和条約が署名されました。
しかし依然、アメリカの施政下にあった小笠原や沖縄の返還は、次の世代へ託される事になったのです。 -
署名しているのは上から順に
吉田茂(全権団代表 内閣総理大臣兼外務大臣)
池田勇人(大蔵大臣)
苫米地義三(民主党最高委員長)
星島二郎(自由党常任総務)
徳川宗敬(緑風会議員総会議長)
一万田尚登(日本銀行総裁) -
平和条約署名後の演説は日本語で行う事となり、サンフランシスコで急遽、筆や墨汁を調達して原稿が作成されました。
この形状から、アメリカではトイレットペーパーと呼ばれたそうです。 -
サンフランシスコ平和条約に署名後、吉田総理大臣は郊外にある陸軍士官施設へ向かいました。そこでいわゆる日米安全保障条約の署名が行われました。
この時に署名したのは旧日米安全保障条約と言われており、現在効力を有するのは、1960年に岸内閣で改定した新日米安全保障条約です。 -
旧日米安全保障条約は、日本側は吉田総理が単独で署名し、米国側はアチソン 国務長官、ダレス特使、ワイリー上院議員、ブリッジス上院議員が署名しています。
後に総理大臣となる池田勇人大蔵大臣もタクシーで追いかけて来ましたが、吉田総理は会場へ入るのを拒んだとされたいます。 -
こちらは吉田茂元総理が、サンフランシスコ講和会議へ赴く際に使用したパスポートと、パンアメリカン航空の機内食のメニュー表への寄せ書きです。
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吉田茂元総理の公用パスポートです。
吉田茂外務大臣が、吉田茂内閣総理大臣兼外務大臣に発給した不思議な公用パスポートです。
右の者は日本国民であって政府の命により米国へ赴くから...と記載されているのが私たちが使うパスポートとの違いですね。 -
サンフランシスコへの往復には、今は亡きパンアメリカン航空を利用しました。パンナムやクリッパークラスの文字もあり、現代史ファンだけでなく航空ファンとしても胸熱です。
全権団の寄せ書きとの事ですが、よく見ると全権団だけでなく、西村熊雄外務省条約局長や、白洲次郎外務省顧問の名前もありますね。
上から順に
吉田茂、星島二郎、徳川宗敬、一万田尚登、池田勇人、苫米地義三、西村熊雄、白洲次郎 -
そして現在も効力を有する新・日米安全保障条約です。この改定は、昭和の怪物と言われた岸信介総理大臣が「政治生命をかけた大事業」と言われています。
成立後、強行採決など混乱の責任を取った総辞職に際し「安保改定が国民にきちんと理解されるには50年はかかるだろう」との言葉を残しています。
一時よりは陰りを見せたとは言え、未だ、そしてこれからも当面は世界の覇権国家であるアメリカの後ろ盾がある生活も悪く無いですよ。 -
吉田茂元総理が天皇陛下から授かった鳩杖です。
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外交史料館の前にあったシンガポール料理のお店に入ります。
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チキンライスを食べながら、またシンガポールに行きたくなってきました。
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この外交史料館ですが、2023年9月29日に閉館しました。
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