1986/11/15 - 1986/11/16
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SUR SHANGHAIさん
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今は昔。
台北に最初の長期滞在していた1986年~1987年のお話の一つになります。
台湾は、日本同様、火山もあって地震が多い島。
このお話の始まりとなったのは、1986年11月15日早朝5時20分に東岸の花蓮近くで発生したマグニチュード6.8の地震。
台北でも大きな揺れを感じたり、市場が倒壊するなどの被害も出ました。
土曜日の早朝のことで、まだ寝ていたベッドの中で感じた台北での個人的体感震度は5に近かったような。
身の回りの無事を確かめた後、次に気になったのはその日の予定。
旦那(当時はまだ結婚はしていなかった)と一緒に、バイクで太魯閣渓谷方面に行く計画を立てていたんですよ。
この頃はネットもスマホもまだまだ無い時期だったので、道筋の情報もなかなか入って来ず、旦那と協議の結果、「様子を見ながら、行けるところまで行ってみよう!」と決定。
当初の計画通り、台北⇒東岸の宜蘭の町⇒蘇花公路を通って太魯閣を目指してみますが、どうなる事やら。^^;
●注:蘇花公路と言うのは、台湾東部の宜蘭県と花蓮県間を結ぶ省道の愛称で、台北市から屏東県に至る台湾省道の台9線(東部幹線)の一部。
今ではすっかり整備された道になっていますが、当時は狭い旧道。
岩壁が連続してオーバーハングしているような箇所もあったため、時間を区切っての一方通行の措置をとっている区間もありました。
表紙の画像は、清水断崖を通る部分の蘇花公路。
この画像では、上記の地震によって崩れた崖の岩石が手前に見えています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
1986年11月15日早朝5時20分に東岸の花蓮近くで発生したマグニチュード6.8の地震の後、表紙にも書いたように、予定通り太魯閣を目指してバイクで台北を出発!
SUR SHANGHAIは旦那の後ろに座っての二人乗り。
その道筋で見たのは、地震のせいなのかどうか崩れ落ちた石橋。
どうにか別の道を探して一路台湾の東海岸へ。
●注:この当時使っていたのは、安いハーフサイズのカメラ。
画質はよくないのでお許しを。
写真もネガも度重なる引っ越し騒ぎの中でバラバラになっているんですが、この旅行記がとりあえず書けるくらいの数が出て来たので一旦アップします。 -
東岸の宜蘭に出た後は、一路蘇花公路を南下。
清水断崖が近づくにつれて落石もあちこちで見られましたが、すでにショベルカーが動員されていて、岩石撤去の作業をしてる所もありました。
今思うと不思議なのは、蘇花公路途中の花蓮県秀林郷和平村(だったかな?)には時間を区切っての一方通行が行われていたゲートがあって管理人さんもいたし、この落石撤去現場には作業員さんたちもいたのに、「危ないから通っちゃダメ!」の制止が無かったこと。
よって、SUR SHANGHAIたちはさらに前進を続けることに。 -
1986年当時の蘇花公路から見た花蓮県秀林郷の清水断崖。
この日は地震があった後、天候まで崩れてしまいましたが、その景観は大迫力!
高さ1,000mの大絶壁が22.7㎞に渡って太平洋に落ち込む姿は台湾八景の一つと言われていますが、その台湾八景も時代によって変遷しているようです。
次のウィキペディアのページで見てみるといいですよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%85%AB%E6%99%AF -
崖にへばりつくがごとくの蘇花公路で出遭った落石。
路面全体を埋め尽くしているし、ここにはまだ落石処理のためのショベルカーも来ていない。
だったらここで引き返そう!となるのが普通でしょうが…、 -
…その落石を乗り越えて行ってみよう!と決めたSUR SHANGHAIとその旦那。( ̄▽ ̄;)
旦那がバイクを押して、落石部分を乗り越えて行く。
今なら、「渡っている途中で余震の落石に遭ったらどうするんだ!」と絶対に思って引き返したでしょうが、この時は若気の至りと言うか何と言うか、怖いもの知らずの無鉄砲だったんです。(@_@;)
結局は余震も新たな落石も無かったからよかったんですが、今から思うとゾッ!((((;゚Д゚))))ガクガク -
イチオシ
最初の落石部分を乗り越えた先の蘇花公路。
旦那が、オーバーハングした崖下にバイクを止め、その後ろから歩いて落石部分を乗り越えたSUR SHANGHAIを迎えにやって来る。 -
しばらく進んだところで、また落石で道がふさがった箇所に出遭った。
その時、後ろから追いついて来た地元のおにいちゃん。
このおにいちゃんは、太魯閣手前まで行こうとしているらしい。
旦那とそのおにいちゃんが、助け合ってここを通り抜けようと協議中。
SUR SHANGHAIは、無謀にも道の状態をチェック中。
新たな落石が無くてホントよかった~。 -
地元おにいちゃんと旦那が、まずおにいちゃんのバイクを押して突破を図る。
ただ、この後も延々と落石部分が続いていたり、車体前後を落石で阻まれていたトラックに出会ったりで、結局は諦めて全員引き返した。
あのトラックの運転手さん、トラックが落石に潰されなかったのは不幸中の幸いだったよね。
SUR SHANGHAIたちは、あとは花蓮県秀林郷和平村まで戻って宿探し。
一方通行の交通規制用ゲートそばにあった古びた民家の一室のような宿に泊まった気がするなあ。
どうだっただろう。
この一連の出来事のネガや写真は行方不明なのが惜しい。
今後出て来ることは有るや無しや?
翌日は、和平村の北にある漢本から、バイクも乗せて列車で宜蘭まで戻り、そこからまたバイクで台北に帰ったんじゃなかったかなあ。
二人もバイクも無事だったのが何より!
ただ、台北に帰った後、日本の実家から「今までどこにいた!何回電話しても出ないし、心配したぞ!」の電話が。(・。・;
日本では、地震で倒壊した市場の写真(華陽市場だったかな)が報道されたようで、ずいぶん心配をかけていたらしい。
「いや~、すみませんでした~!」と平謝りした思い出のおまけ付き。
その後、バイクでの太魯閣行きリベンジ旅は、1987年春へと続きます。 -
ちょっと話は脇道にそれますが、台北に帰って来た後で行ってみた陽明山。
陽明山は、大屯山や七星山など複数の火山で出来ている標高1,120 mの山塊。
この画像のように噴煙を吹いている景観が見られたり、周辺には北投などの温泉もあって国家公園になっています。
今回の地震の震源地ではなかったんですが…、 -
…陽明山を通る車道が、こんなに大きく崩落していてびっくり!
これも、この時の地震の影響だったのかも?
これで、1986年11月15日に発生した地震後のお話はひとまずおしまいです。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- がまだす@熊本さん 2023/10/01 06:17:34
- 凄い取材ですね~
- こちらではお久しぶりです(^0^)
若さゆえでしょうか
道路の寸断、崖と大岩の崩落、巨大地震だったのですね
写真を拝見して驚きです!余震が無くて幸い
マスコミ関係者が喉から手が出るスクープ写真だと思います
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2023/10/02 21:07:32
- Re: 凄い取材ですね~
- ありがとうございます。
もうしばらく前の記録ですが、写真がポツポツと出て来たのでアップしてみました。
また出土してくれるといいんですが。
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