
2023/08/13 - 2023/08/13
5位(同エリア38件中)
Licodさん
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タイ南部のマレー半島地域にある古都チャイヤーやナコーン・シー・タマラートには、7 ~13世紀頃にスマトラ島やマレー半島を中心に海上交易で栄えたシュリーヴィジャヤ帝国 (Srivijaya empire) の時代に建立された寺院や遺跡が残っているので観に行って来ました。
この旅行記は、★の部分です。
1日目 シンガポール→サムイ島
2日目 サムイ島→スラーターニー
3日目 チャイヤー観光 ★
4日目 スラーターニー →ナコーンシータマラート
5日目 ナコーンシータマラート観光
6日目 ナコーンシータマラート→サムイ島
7日目 サムイ島→シンガポール
(為替レート:1バーツ=約¥4.2円)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宿泊先のスラタニーのホテルからチャイヤーまでは約40キロ。取り敢えずGrabで、チャイヤー国立博物館まで車の手配をしました。(Grab料金462バーツ)
エバーグリーン スイート ホテル ホテル
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初めての町でGrabの車が走っているか不安でしたが、直ぐに捕まえられました。
Grabのドライバーは、普段はポリスマンとして白バイに乗っているとのことで、運転と交通ルール、道は間違いないなと思いました。
しばらくして彼から私の帰りの足を心配してか、「チャイヤーではGrabが走ってない」と言ってきました。
それは多分帰路もこの車に乗って欲しいと思って言ったのだろうと察し、チャイヤーでは回るところがたくさんあるけど、それでもいいか確認してから、残りの移動もお願いすることにしました。 -
◉チャイヤー国立博物館
スラーターニー から約50分で到着。
2つある展示室の建物の内、ひとつが改築工事中だったためか、入館料は徴収されませんでした。チチャヤ国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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シュリーヴィジャヤ様式を代表する菩薩像
一般的な純タイ期の仏像とはお顔立ちが明らかに違います。 -
ナーガ上の仏陀坐像
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7-8世紀の南インドの美術の影響を受けたビシュヌ3尊像
後ほど行くシュリーヴィジャヤの丘で出土 -
タイの仏教美術には、大きく先タイ期と純タイ期美術がありますが、チャイヤーには先タイ期美術のシュリーヴィジャヤ様式と並んでドヴァーラヴァティー様式の仏像も発見されています。
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チャイヤーにある考古学的に重要なサイト地図
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後ほど行く予定の遺跡、ワットケオの模型。
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◉ワット・プラ ボーロマタート チャイヤ
博物館の直ぐ目の前が寺院になっています。
ドライバーも仏教徒ですので、一緒に参拝しました。プラ ボロム タート チャイヤー 寺院・教会
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◉ワット・プラ ボーロマタート チャイヤー=ラーチャウォーラウィハーン
この有名な寺院の創建の時期は、シュリーヴィジャヤ時代に建てられたと言うこと以外、あまり詳しい事は分かっていない様です。博物館にも情報がありませんでした。
地元の言い伝えによると、その昔インド人の2人の兄弟がチャイヤーにボートで流れ着き、そのうちの兄がこの美しい仏塔を建設した。完成後、地主の命で兄は手足を切り落とされ、それ以来このような美しい仏塔を作れる職人はいなくなった、との伝承が残っています。 -
イチオシ
荘厳な黄金のレリーフを施したパゴダ
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寺院回廊
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回廊の外にあったこちらで御守り(プラクルアン)をお借りしました。
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博物館と寺院の参拝後、市内に残る遺跡の見学へ行きました。寺院から数キロの距離です。
この移動からは、Grab経由でなくて直接ドライバーと交渉。 -
◉ワット ケオ
シュリーヴィジャヤ帝国時代の9-10世紀頃の聖堂とされています。チャイヤー 旧市街・古い町並み
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聖堂の断面図パネル(先程の博物館で撮影)
類似の断面をした聖堂がジャワ島にもあり、同一の文化圏を示唆しています。 -
聖堂内部への入口
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◉ワット ロン
シュリーヴィジャヤ帝国時代の9-10世紀頃に建てられた仏教修道院とされています。 -
◉ワット ウィアン
併設されているチャイヤー フォーク博物館は閉まっていました。 -
ワット ヴィアンの境内
ナーガ上の仏陀坐像がガラスの祠の中の安置されていました。 -
ナーガ上の仏陀坐像は、元々この寺院で安置されていました。
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ドライバーに勧められて海辺にも出てみました。
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◉フォー岬
チャイヤーの中心部より10kmぐらい距離でした。フォー岬 海岸・海
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潮の引いた遠浅の海
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岬にある海鮮料理店でドライバーと一緒に昼食をとりました。
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海鮮料理を食べながらドライバーに明日の予定を聞かれました。もし非番ならば一緒に行動したかったみたいです。
明日はナコーンシタマラートへ移動の予定を伝えたら、バスターミナル等について教えてもらえました。この時点ではバスは簡単に乗れるだろうと思って軽く考えていましたが、後から調べるとポリスマンとして何がアドバイスしたかったかよく分かりました。(この時もっとよく聞いとけばよかったと後から後悔) -
昼食後、チャイヤーからスラーターニーへ戻る途中にあるシュリーヴィジャヤ時代の遺跡群の発掘サイトへ向かいました。
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◉シュリーヴィジャヤの丘
別名にビシュヌ神の丘とも言われてます。 -
◉インフォメーションセンター
タイ語と英語による遺跡の説明パネルがあります。
遺跡サイトへの入場は自由で、係の人もいませんでした。
見学者も我々のみ。ひとりだと少し不安になる場所ですが、今回はドライバーの方も一緒に丘の上まで来てくれたので助かりました。 -
長さ650mの細長い丘の中心線に沿って一直線にモニュメントを配置(赤の点)しています。
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◉シュリーヴィジャヤの丘のジオラマ
全部で22のモニュメントが発掘されていて、全て合わせるとかなりの規模の遺跡になります。
これ程の規模のものを造れるのには、それなりの経済的、宗教的なバックグランドがあったものと思われます。 -
修復中の遺跡
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イチオシ
祭壇に並ぶヒンドゥー教の神々
いずれも8-9世紀頃のビシュヌ神像ですが、仏教の守護神でもあり、また宗派によっては仏陀の化身でもある。それともシュリーヴィジャヤ時代に信仰の対象になっていたのは、仏教なのかヒンドゥー教だったなのか?或いは両方だったのか、まだ謎が多い国です。
地元に云い伝えによると、時代が下ってアユタヤ時代、ここまで攻めてきたビルマ軍から地元住民を守ったのがこちらのビシュヌ神で、その時神像の手がビルマ兵によって斬られたとの伝承があります。 -
この丘で一番の神聖な場所。
祭壇の前に大きなスペースがあり、何かの儀式を行う場所だったのでしょうか。
シュリーヴィジャヤの王都は、スマトラ島のパレンバンだとされていますが、そこにその時代の遺跡が少ないことから疑問視する説もあり、中国の僧 義浄がナーランダへ行く前に修行したのも、パレンバンではなくここチャイヤーだったのではないかという説もあります。
実際に丘全体に広がる大規模な遺跡を目の前にして、もしかしたら、ここが一大宗教センターだったのかもしれないと思いました。
早く遺跡の全容が明らかになるのが楽しみです。 -
◉スラーターニー タピ川
チャイヤーの観光を終え、スラーターニー に戻ってきました。良いドライバーに当たり効率良くスポットを回れました。
明日は、スラーターニー からナコーンシタマラートへ移動します。
ご覧いただきましてありがとうございました。
次の旅行記に続きます。
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タイ南部旧シュリーヴィジャヤ王国の史跡
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エバーグリーン スイート ホテル
3.21
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