2023/08/12 - 2023/08/14
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tokyopigletさん
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西国33観音のうち、あまりに不便で残していた滋賀と岐阜の3寺を車で巡り、無事満願。ついでに一乗谷、関ヶ原、小谷城など戦国時代の史跡と、北國街道の街並みを探訪。
当初3泊の予定が、台風7号を避けて一日早く切り上げたのと、あまりの暑さで、お城の探訪などは消化不良も。またぜひ来ます!
そして今回一番良かったのは・・・明智神社!!詳しくは本文で♪
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大津で集合、レンタカーを借りて最初に行った逢坂の関、と言えば蝉丸。これやこの。
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名にしおはば、夜をこめて、これやこの。
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逢坂の関には有名な鰻屋の店舗がずらり、開店前から順番待ちの人がいっぱい!でこんな標識も。私も東海道を西に歩いてまたここを通るので、その時は鰻食べます!
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第十二番札所、岩間山正法寺
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本堂
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蓮が咲いてた
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近江富士、三上山
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お昼は天もりそば
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JR琵琶湖線安土駅前の、安土城閣資料館。何もない駅前広場にポツンと。入場料200円、城の御朱印はここに入らないともらえません。
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城の内部を示した模型。石垣や礎石、数少ない資料から想像・再現したもので、信憑性はいまいち、ロマンはたっぷり。
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駅前には、信長が好きだったと言う相撲の像
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安土城跡。天守閣はあの山の上。さぞや壮麗だった事でしょう
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安土城跡は信長が建立した摠見寺が管理。ゲートでお金を払って、背後の長い石段を登って行きますが、今回はパス。近くに安土城考古学博物館、安土城天守・信長の館(城の大きな再現模型や映像が見れる)もありました
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博物館隣に移築されていた、明治9年建築の柳原学校。和洋折衷の素晴らしい小学校建築
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西国観音32番札所、観音正寺は、安土城のすぐ隣、繖山433mの山頂近く。表参道1200段車、我々は途中まで林道を車で上がりましたが、駐車場からでも450段!巡礼最大の難所の一つとのこと。キツイ登りでしたが、日陰で風も気持ち良く、なんとか登りきりました
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お寺からの風景は最高!正面に近江富士、右手に琵琶湖
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ここは六角氏の築いた観音寺城の跡でもある
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青空に本堂が映える
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御朱印を頂いたらなんと!今年、西国三十三所はサンチャゴ巡礼でスペインのガリシア市と友好提携を調印したそうで、この記念の朱印をいただきました!次はサンチャゴ巡礼を目指している私、ヤコブさまが私を呼んでいる!!
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今夜の宿泊地、福井県の玉川温泉に向かいます。雄大な伊吹山
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今日のお宿は越前海岸玉川温泉玉島荘。小さな小さな漁港に面した、古めかしい宿。お風呂は小さいけど気持ちいい。
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部屋の窓から日本海!
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そしてご飯はアワビのステーキに刺身、サザエ壷焼きに刺身…海の幸づくし!釜飯はトビウオのあご出汁でめちゃ美味でございました。お腹いっぱいで酔っ払って、久々に朝まで爆睡!
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そして朝ごはん。イカのお刺身と、イカの陶板焼きが激ウマでございました
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越前マンホールはカニと水仙
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今日の最初の目的地、一乗谷朝倉氏遺跡を目指す。その少し手前で、明智神社、との表記を発見。
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車を停めると、案内所の人が色々教えてくれた。
明智光秀は美濃から来て朝倉家に仕えていた頃ここに住んでいた。のちに細川に嫁ぐガラシャもここで生まれた。その後光秀は越前を離れ、信長に仕えた。信長の越前責めで朝倉氏は滅亡、一帯は焼き払われ数万の住民が犠牲になった。ところがこの地区だけは被害を受けなかった。と言うのはこの地区の古刹西蓮寺には、柴田勝家と弟の柴田勝定の安堵状が残っており、これら光秀が依頼した安堵状のおかげでこの地は守られた。その後光秀は逆賊とされたが、光秀の邸跡に住む三件の農家は、「生きているのはあけっつぁま(明智さま)のおかげ」と、光秀の小像を密かに三軒回り持ちで祀り続けてきた。明治になってようやく、小さな祠を建ててその像をおまつりしたが、その後も非難中傷は絶えなかった。近年になって、光秀の歴史的評価も変わり、三軒で守ってきた神社の管理を町に移管され、全町民からなる福井市明智神社奉賛会を組織し、毎年命日の6月13日に法要を行うようになった、ということだ。休みの日にはこうして案内所を出し、お守りや朱印、水羊羹などを売っているそうな。
ええ話や!!天下の逆賊を、恩義を忘れず何百年も祀り続けて!!ええ話や!! -
そしてこれが明智神社。本当に小さい、でもとても綺麗に祀られている。明智の紋、桔梗の花も植えられてる。うるうる…
私たちはとてもしみじみしてしまい、旦那はお土産の水羊羹も2セットも買ってました。皆さん、一乗谷朝倉氏遺跡に行くときは、ぜひこちらにお参りいただきたい! -
一乗谷に向かう、途中、旧朝倉街道と交わる。うーん、歩いてみたい~
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一乗谷の南側を守る上城戸の土塁。
一乗谷は谷の南北に城戸を設け、その間の長さ約1.7キロメートルの「城戸ノ内」に、朝倉館(武家屋敷)をはじめ、侍屋敷、寺院、職人や商人の町屋が計画的に整備された道路の両面に立ち並び、周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群。
遺跡全体(面積278ヘクタール)が国の特別史跡[1]で、そのうち4つの日本庭園は一乗谷朝倉氏庭園の名称で国の特別名勝の指定[2]を受けている。中世の山城と城下町が丸々史跡で残っており、発掘されたのはまだ全体の1割くらいだとか。
ここまでまるっと残っているのは、信長の越前攻めで焼き尽くされた後、柴田勝家が越前統治の中心を今の福井市内、北ノ庄に移し、城も戦国の山城から天守閣に変化してきたため、この辺りは再建されることなく、ほとんどが水田になっていたため。1970年代に農地の区画整理の工事を始めたらたくさん遺跡が出てきて大論争となり、農家の大反対の中、行政が土地を取得して遺跡調査を進めたのだとか。当時は、本当に大したものが出るのか?と相当批判されたらしい。
いやーよかったよかった。壮大な遺跡で見どころ満載、素晴らしい博物館もあり、歴史好き城好きはもとより、誰もが楽しめる一大観光スポット、永平寺、東尋坊、恐竜博物館に次ぐ福井県の誇りとなるのではないか?? -
街並みを一部復元。
以降に忠実に再建しつつ、職業のわからない町屋はいろいろな設定で楽しく見せてくれる。染物屋だけは、大量の甕で職業が特定できたそうな -
中級武士の家には、茶室の原型ともいえる小さな離れが
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街並み再現
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唐門。江戸中期の建築。この向こう一帯が朝倉屋敷
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福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館の建設のために発掘調査したら、壮大な石敷きが。足羽川の荷揚げ施設か、道路敷か、よくわからないが、立派な構造。で、これを保存しつつ上部が博物館になってます
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博物館のすぐ脇を越美北線が。一両編成、かわいい!
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谷の北側の下城戸。すばらしい土塁ですが・・・
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裏側はさらに素晴らしい巨石の石垣!!
一乗谷朝倉氏遺跡、屋敷跡や庭園遺構、まちなみ再現など、見どころ満載。歴史好きなら一日遊べます。本当は本丸まで行きたいところですが、今回は暑いし見送り。行く価値あり!で、いかれるときはぜひぜひ明智神社へも!(しつこい) -
お昼は福井名物、ソースカツ丼と越前そば。どちらもハーフサイズでしたが、食べ応え十分。甘めのソースカツと、さっぱりおろしそばがベストマッチ!
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西国33観音霊場のラスト満願の寺、谷汲山華厳寺。桜と紅葉が有名な古刹ですが、人手は少なく、参道の店もほとんどしまっていた。名物はウナギらしいです。
山門。立派。 -
長い参道の奥、石段の上に立派な本堂。ここでは、本堂・摺(おいずる)堂・満願堂の三つを参拝することになっていて、本堂で3つの御朱印をいただく。
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摺(おいずる)堂。満願した巡礼者が、巡礼衣装であるおいづるを奉納している。すごいなぁ
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さらに石段を登って、満願堂。
周りには狸の石像がいっぱい。満願した人は、他に抜きんでる=他を抜く=タヌキ、だそうです(笑) -
本堂に戻って、満願してこれからを占おうと、おみくじを。まさかの、凶。がびーん。でもよく読むと、最初はうまくいかないけど努力していれば何とかなる、時間はかかるけど願いはかなう、みたいなポジティブな内容。焦らず頑張ろう!
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本堂の柱には金属製の鯉が。満願したらこれに触って精進落としするそうです。完了!
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最後の御朱印
33観音霊場を満願したら、高野山にお礼参りに行くようです。四国88か所のご報告にもいかなきゃいけないしな~この秋かな~ -
次は関ケ原の古戦場。ここは決戦地らしい!石田三成の旗!
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石田三成の右腕、名将島左近の陣。少し小高いあたりで、素人目にもよさそうな場所。左隣が三成の陣
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こちらは徳川家康。もっと後方にいたのが、西軍がなかなか崩れないので、前線に出張ってきたらしい
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勝敗が決したのち、家康が西軍の首実検をしたところ。
関ケ原、意外に狭く感じた。各陣営が何千人といたことをかんがえると、狭いところにたくさんの軍勢がひしめいていたのか??。互いににらみ合いながら、いつ攻めるか、いつ寝返るか、どう味方に引き込むか、思惑が飛び交っていたのだろう。石田三成、戦いに負けたというより、政略に負けた感じですかねぇ。 -
今夜の宿、長浜市内JR高月駅そばの、住吉屋旅館。戦前からの営業で、古~い宿屋の雰囲気。トイレ風呂共同、施設は立派とは言えないけど、ご飯も豪華とはいえないけどおいしいし、激安だし、なにより宿のおかみさんが、郷里のおばあちゃんみたいで、すごくいい感じ。
戦時中この辺りは、満州や挑戦半島への航路を有する敦賀へ向かう人で大変にぎわっていたらしい。今はもう維持するのも大変だけど、毎年来てくれるお客さんもいるから・・・と。頑張ってほしい~!! -
宿のそばを北國街道が通っていて、立派なおうちがたくさん。でも、宿のおかみさんいわく、最近住んでいた人がなくなって、無人の家が増えているとか・・・
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北國街道。いい感じのおうちが並んでいます。この景観、いつまで守れるんだろう・・・
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北國街道の木之本宿。地蔵院の門前町であり、北國街道と北國脇往還が交わる宿場町として栄えた。こちらは木之本地蔵院。日本三大地蔵の一つで、賤ケ岳合戦の際には秀吉の本陣だったとか。眼の病に聞くそうで、最近目が悪いので、お賽銭は多め。
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露座のお地蔵さんも立派
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阿弥陀堂。趣あり。
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北國街道の街並み。素敵な建物がたくさん
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こっちも
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うろうろしていたら、二階から親切にいろいろ教えてくださった。なんと県議会議員さんでした。すごく親切な方でした♪
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漢方の本陣薬局。先祖は賤ケ岳合戦で没した加賀大聖寺城主・拝郷家嘉で、その奥方が菩提を弔うためこの地に移り住んだとか。江戸時代は本陣を勤め、明治以降「本陣薬局」として薬を専業とし、現当主(第25代)の曽祖父は明治政府から薬剤師第一号の免状を受けたとか。
いやー、滋賀県は奥が深い!!! -
旧・滋賀銀行木之本支店。昭和10年。現在はきのもと交遊館としてまちづくりの拠点。
これだけの銀行が立つ、反映した街だったのね・・・ -
次は、小谷城。浅井氏の城、浅井長政とお市の方の悲劇の舞台。お城は背後の山の上。兜のオブジェは、浅井三姉妹を主人公とするドラマの記念。戦国ロマン~。
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ここからお城に上れますが、今回は見送り。
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最後に、小堀遠州の菩提寺・近江孤蓬庵を目指す。
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近江孤蓬庵。この近くの小室城主で、日本産大茶人としても名高い小堀遠州の菩提を弔うため、二代目城主が建立。遠州が自ら京都大徳寺に建立した孤蓬庵にちなんで名付けた。小堀家の菩提寺で、一度は無住となって荒れたが、昭和になって再興。大変品のいい老婦人がいろいろ教えてくださいました。
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本堂前のお盆のしつらえ
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庭。琵琶湖を模した池など、秋はたいそう美しいとのこと
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創建当初からといわれる、タラヨウの木
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本堂前庭のイブキリンドウ、今年は暑くて元気がないそう
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茶室
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長浜ともお別れ。道の駅の、お市と三姉妹
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本当はもう一泊の予定だったが、台風7号を避けて、予定変更。最後に大津駅で近江牛。冷たいコーンスープとローストビーフサラダ。
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奥が肩ロースのステーキ、手前がロースのビーフカツ。超絶美味しい!!!!
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デザートまで。さらば滋賀県
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新幹線で名残の抹茶アイス
滋賀と福井の旅。見どころ満載で満喫。
暑さに負けて、城跡など十分探訪できていないので、今度は秋の紅葉の季節に来たい!
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