
2022/11/01 - 2022/12/05
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kawausoimokoさん
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人生の再生を目指して、「お気に入り」と再会し「初めまして」に出会うために、ロンドン、パリ、ヘント&ブルージュ、デン・ハーグ、アムステルダムを35日で巡りました。
旅の32目は、またもやルーヴル美術館を訪れました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 100万円以上
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2022年12月2日(金)(Day32)
今回の旅で6度目となるルーヴル美術館を訪れました。
パリで未だ訪れたことがない美術館は沢山ありますが、美術館巡りの締めくくりは、やはりルーヴル美術館です
Sully翼の古代エジプトエリアを回ってから、お気に入りの作品の見納めをしました。
ルーヴルのエジプト部門を創設したのは、ロゼッタストーンのヒエログリフを解読した、あのシャンポリオンで、ルーブルのエジプトコレクションは、カイロ、ロンドン、ベルリン、トリノに並ぶ世界最高の充実度だそうです。
これまでトリノ以外の4つのエジプトコレクションを見てきましたが、ルーヴルのコレクションは、ファラオの像や浮き彫り、多数のミイラ群もさることながら、古代エジプトの人々の生活が感じられる精巧な彫刻や、美しい装飾美術品がお気に入りです。
人気の「書記坐像」は、ルーブル・レンヌへご出張でした。 -
石の花瓶 , 紀元前3500-3100年
ナカダ文化(Nagada Culture)は、現在のルクソールとキナ県の間で栄えた文化で、紀元前4000年頃から紀元前3100年頃まで続いたとされています。
ナカダ文化では、石器を工芸品のような洗練された形状に加工し、装飾品や生活に使用する道具として使っていました。
この時代には、既にナイル川流域の肥沃な土地を活用して農業を行い、集落が形成されており、後の古代エジプト文明の礎となったそうです。
エジプト先王朝時代以前に、既にこのように高度に洗練されたものが造られていたなんて、驚愕です。 -
像 , 紀元前2500-2365年頃
サッカラ・ネクロポリスのセラペウムの北の井戸で発見された像 -
イタセネベトと言う名の少女
サッカラ・ネクロポリスで発見された -
アンクデスと彼の妻テペムネフレット , 紀元前2450-2325年
-
イチオシ
夫婦の像 紀元前2430年-2195年頃
男性の堅定な表情と少し控えめな妻の表情が、4000年にわたる時を越えて、遠い昔の人々の感情や関係性、物語性を強く感じさせます。
古代エジプトの彫刻は、主に神々やファラオなどの支配者、そして死者のために作られた「Ka(カァ)」像のようなステレオタイプな表現が多いと考えられています。
しかし、アカシアの木で作られたこの彫刻は、他と一線を画していると思います。 -
書記ラヘルカと妻メルセアンク 紀元前2350年頃
古代エジプト彫刻のカップル像でこのポーズは良く見ますが、夫の腕に添えた妻の手から夫婦間の親密さが伝わってきます。 -
座る女性 紀元前2350-2200年
サッカラから出土 -
ナクティの「Ka(カァ)」像 紀元前1963-1862年頃
アシュート・リュコポリスのナクティの墓から出土
エジプトの宗教観では、人間や動物が生まれる際に、その人や動物の一部として霊的なエネルギーや魂「Ka(カァ)」が生まれ、死後も存在し続けると考えられていました。
死者の「Ka(カァ)」を象った像に供物や祈りを捧げることによって、死者のKaは永遠の命を保ち、死後の世界で幸福な生活を送ることができると考えられていたそうです。 -
供物を運ぶ女性 紀元前1963年-1862年
理想化された素晴らしいプロポーションです。 -
イアフメス王子の像 紀元前1580-1570年頃(第17王朝末期)
新王国時代のアフメス王の兄で、その名前が「テーベの王リスト」と呼ばれる歴史文書にあることから、早死にしたことが分かっているそうです。 -
イアフメス王子に心惹かれます。
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アメンホテプ4世(アクエンアテン王), 紀元前1350年頃
(カルナック神殿の柱の破片から採取)
アメンホテプ4世(アクエンアテン)は、アメン神官団に対抗して王の権力を強化することを目的とし、太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を行い、新都市アマルナを築きました。
アマルナ時代は、シリアの文化の影響を受けて、よりリアルで自然主義的な表現が出現しました。
このアマルナ様式は、アクエンアテン王の統治期間中(紀元前1353-1336年頃)に発展し、アクエンアテン王の像における尖った顎は、神格化された王の存在を象徴する表現とされています。
しかし、アクエンアテン王の死後、後継のファラオであるツタンカーメンによって宗教改革は廃止され、元の多神教が復活し、首都も元のテーベに戻されました。
アマルナ時代は短期間であったにもかかわらず、アマルナ様式は以降のエジプト文化に大きな影響を与え、特にツタンカーメンの副葬品にはアマルナ芸術の要素が大きく取り入れられているそうです。 -
アクエンアテンとネフェルティティ , 紀元前1345年以降
(ル・エル・アマルナから発掘)
この彫刻のネフェルティティは、あの有名なベルリンの「ネフェルティティの胸像」とは全く異なっていますが、さて・・・実際は? -
フィギュア像 , 紀元前1352 -1295年頃
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アヒルスイマー , 紀元前1400-1300年
これは、なんと!、スプーンだそうです (*_*; -
こんなにも自由でPOP、そして、可愛いのが魅力です。
これもアマルナ文化の影響でしょうか? -
ツタンカーメンを守護するアメン神 , 紀元前1336-1327年
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セティ1世のウシャブティ , 第19王朝(紀元前1294-1279年)
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セティ1世の葬送参列者, 第19王朝(紀元前1294-1279年)
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式典に参加する女性達(テーベの墓から発掘)紀元前1250-1200頃
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オソルコン2世の名前を冠したオシリス神の一族 , 紀元前874-850年
カルナックの東テーベより出土
黄金のオシリス神、妻イシス、息子ホルスと、オシリス神の台座のラピスラズリが美しいです。 -
オソルコン4世の名を冠したメスライオンの頭を持つ胸当て , 紀元前730-715年
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装飾品
古代エジプトでは金が豊富に産出したことにより、金を使用した優れたデザインの美しい宝飾品が魅力です。 -
女神バステトの像 , 紀元前664-660年
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女性の肖像 , 西暦3世紀ころ
テーベから出土したミイラと共に埋葬された肖像画
古代エジプトの最後の王朝であるプトレマイオス朝(紀元前305年-紀元30年)は、アレクサンダー大王の将軍であったプトレマイオス1世によって開かれました。
プトレマイオス朝の君主たちは、ギリシャ系であったことから、既にこの時代にはギリシャ・ヘレニズム文化とエジプト文化の融合があったとされています。
最後の女王クレオパトラ7世の死後、エジプトはローマ帝国の属州となり、以降、エジプトはローマ文化の影響を更に強く受けるようになったそうです。 -
アンモニオスと言う男の肖像 , 西暦3世紀ころ
アンティノエから出土したミイラと共に埋葬された肖像画 -
ヨーロッパ人の肖像 紀元100 - 150年 (ローマ時代)
アンティノエから出土したミイラと共に埋葬された肖像画 -
TIPSINESS (Richelieu翼地下1F)
ルーブル美術館での最後の晩餐は、TIPSINESSで摂りました。
テーブルで隣り合わせたご高齢Madameの杖がこちらのテーブルに倒れてきたのを機に、Madameが「Sociéte des Amis Du Louvre」(ルーブル友の会)の冊子を持っておられたので、お話を伺いました。
Madameは若いころからご主人と共にルーブル友の会のメンバーだそうで、ご主人が亡くなった今も、月に1度はお一人でルーブル美術館に足を運ばれているそうです。
Madameはラファエロがお気に入りとのことで、ルーブル美術館で行われる講演会にも良く参加されているとのこと。
私もルーブル友の会のメンバーになって、ルーブル美術館を飽きるまで観てみたいものです。
この次、来られるのはいつかな~?
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