2023/07/15 - 2023/07/26
30位(同エリア1179件中)
ウェンディさん
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この旅行記のスケジュール
2023/07/15
-
タメル地区で必要物資の買い出し
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この旅行記スケジュールを元に
2023年7月にネパールのヒマラヤの麓;ランタン谷をトレッキングしてきました。
7月、ネパール、トレッキングの3単語。
この組み合わせを聞いただけで、海外トレッキングをする方ならば、”無謀なの?”と絶句するかもしれません。
だって、ネパールの7月は雨季のまっただ中。
ネパールの山では6月後半から8月終盤までが雨季。
雨が降り続き、更にそこにはDancing Evilとも言われる吸血軟体生物の蛭(ヒル)がトレッカーを待ち受けています。
ヒルは葉先や木の枝の上で、人間を含む生暖かい血液を持つ動物が通りかかるのを腰をくねらせながら待ち構え、体温のある生命体に飛び移ると、目の粗い衣類の繊維の隙間をかいくぐり皮膚へと到達し、溶血成分を注入しながら静かに血を吸い続けます。
そんなヤツラがいる森の中を歩くのが、7月のランタン谷トレッキングである、というのが一般的な情報です。
でもね・・・。
この情報はトレッキングルートの中の限られたエリアでの話で、ランタン谷トレッキングの全エリアを対象とはしていないと云うのが、あまり知られていない真実。
ヒルがいるのは9日間のトレッキングの中でも一部の熱帯性気候の低標高エリアのみで、高標高エリアに到達すれば、もうヒルはいません。
雨だって歩く時間を降雨のパターンに合わせてコントロールすれば、それほど濡れることもありませんでした。
それどころか雨季のランタン谷のトレッキングには、夏のこの時期にしか見る事のできない景色や体験がたくさんありました。
私達が雨季に敢えて歩くのは、その絶景に出逢うため。
その絶景の一つが標高5000mエリアまで歩いて辿り着かないと逢うことのできない、幻の芥子:Blue Poppy。
Blue Poppyは高山植物で生息域は世界でただ一つ;ヒマラヤの山域のみで、その開花の時期は7月-8月下旬であり、Blue Poppyの花の時期に合わせトレッキング期間を決めました。
(日本でも園芸種の同花を見ることは可能ですが、低地でも咲くように若干人の手が加わっているみたいです)
森林限界を超えた標高4900mの岩の隙間に花開く、霧に濡れるBlue Poppyを見つけた時の感動と言ったら!
私達のガイドやポーターさんも実物を見るのは初めて!と大興奮するほどの美しさでした。
更に、雨季のランタン谷は“お花畑トレッキング”といわれるほどの一面の花の草原が広がるエリアで、この景色は草木の枯れたオン・シーズンの乾期に歩いても決して見ることのできない絶景。
そして、運が良ければ最奥の村の夏祭りに飛び入り参加することだってできちゃいます。
雨季のネパール・トレッキングがオフ・シーズンだなんて、嘘っぱち。
雨季のランタン谷こそが、ヒマラヤの高地の夏の青々とした姿と山に生きる人々の生活風景を垣間見ることのできるベストシーズンではないでしょうか。
ヒルのいる森から歩き始め、7000mを超える神々の座を見上げるTsergoRI(チェルゴ・リ)へと登ったランタン谷トレッキング旅の旅行記。
第一部は、これからネパール・トレッキングを計画する方のために役立ちそうな雨季のランタン谷トレッキングについてがメイン・テーマ。
After コロナ時代のネパール入国やトレッキングのお役立ち最新情報、タメルの今など現地で見聞きしたことなどをたっぷり交えて綴っていきたいと思います。
☆旅の必要経費☆
国際線:タイ航空 32万円/2人
トレッキング+カトマンズ2泊:2100USドル/2人(現地現金支払い)
チップ(ガイド、ポーター、運転手):280USドル/2人
現地入手ネパール・ルピー:3万円分/2人
☆2023.7月雨季のランタン谷(ランタン国立公園)トレッキング日程☆
7/16 カトマンズ-シャブルベシ(車移動7時間)
7/17 シャブルベシ―マホテル(トレッキング:7時間)
7/18 ラマホテル-ランタン村(トレッキング:7時間)
7/19 ランタン村-キャンジン・ゴンパ
キャンジンリ登頂(トレッキング:6時間半)
7/20 チェルゴ・リ登頂(トレッキング:8時間)
7/21 氷河ポイントへハイキング後、
キャンジン・ゴンパ・-ムンドゥ村(トレッキング:3.5時間)
7/22 ムンドゥ村-リムチェ(トレッキング:6時間)
7/23 リムチェ-シャブルベシ(トレッキング:6時間半)
7/24 シャブルベシ-カトマンズ(車移動5.5時間)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
-
さてさて、7月は雨シーズンのネパール。
何も雨季を選んで、わざわざ歩きに行かなくては良いのでは?
そんな風に思っている方も多いはず。
ザアザア雨でびしょ濡れになりながら歩くのは、何が面白いの?
と、考えるのも至極当然。
でもね、山岳エリアは雨季といっても日本の梅雨の様に丸1日雨がザアザアふるって訳ではないのだな。
運が悪いと朝から晩まで1日中降る日もあるらしいけど、基本は熱帯地方の夏をイメージしてみて。
夕方にスコールみたいな雨が降るでしょ。
私たちが歩いている間の雨の降り方はそんな感じ。
ネパールの3000m以下(Ghora Tabera:ゴラタベラより下の標高域)の低山地帯は熱帯地方の夏の雨の降り方に似ていて、歩く時間帯にさえ工夫をすれば毎日、大雨で頭のてっぺんから足の先まで濡れるような事態にはならずに快適に歩くこともできたりもする。
ただ、そのために必要なのは乾期よりも歩く時間に余裕を持たせたスケジューリング。
大雨で行動不能となる日があるかもしれないことも考慮し、乾季のルート+予備日1日のプランで旅程を組むと安心だ。
(写真:雨の中を歩く 7/18ゴラタベラ付近) -
イチオシ
標高が3000mより高くなる(Langtang:ランタン村より高標高域)と、大雨の心配は少なくなり、天気は1日中、雪を除く全ての天気が目まぐるしく変わる感じ。
宇宙が近くなるぶん上空の風の流れが速く、さっきまで青空が見えていたと思ったら、30秒後には一面が霧で覆われて視界10m先はもう真っ白・・・なんてコトも多かった。
(写真:7/20 チェルゴ・リ(4984m)に挑む) -
私達のプランニングは、最奥の村であるKyangjin Gompa:キャンジン・ゴンパエリアでの宿泊を3泊とした2023/7/15-7/26(日本往復含)。
仕事の夏期休暇5日に有給2日を追加し、海の日を絡めての計12日間とした。 -
日本からネパールまでの足には様々な航空会社があり、直行便ならば唯一のネパール国営航空があるが、いくら直行便でもネパール航空はお勧めしない。
ネパール航空は毎日飛ばない上に保有機体数が少ないので、何処かの空港で遅延が生じると玉突き的に飛行機のやりくりに支障が生じその結果、欠航も多く次の便が3日後になってしまう・・・というリスクがあり、更に最悪の事故率も低くはない。
羽田出発便ならばお勧めはタイ航空で、日本出発は深夜の0時台。
往復ともBKKでのトランジット時間は5時間程度と長すぎず、カトマンズには日本を発った当日のお昼過ぎに到着できる。
帰路も朝7時前に羽田に到着するので、元気ならば時間休暇取得でその日にそのまま出勤することって可能だ。
(写真:BKKで見つけたお掃除ロボット 障害物を器用に避けて上手にクリーンアップ)スワンナプーム国際空港 (BKK) 空港
-
で、私達が使ったのもタイ航空。
正確に書くならば、羽田-バンコク間がタイ航空で、バンコク-カトマンズ間がタイ・スマイル航空(タイ航空のLCC)だ。
タイ航空はLCCも含め預け入れ荷物も30kgまでOKなので、トレッキングのように装備が重い旅の時にはありがたい。 -
乗り継ぎのBKKは6年前のネパールABCトレッキングでも使っていたので、トランジット時のゆったりできる待機場所は頭に入っていて、人の少ないターミナルの端でソファーを贅沢に1人1列使っての仮眠タイム(といっても、1人は必ず起きていたけど)。
ネパールでは標高の高いエリアをトレッキングするので、寝不足は高山病の大敵。
とにかく、移動中も身体を休めてベストコンディションでネパール入りをするのが必須となる。 -
バンコクからネパールのカトマンズまでは遠くはなく、日本での国内線感覚の3時間半。
前回は乾期の冬だったせいか上空からも見るカトマンズ盆地は盆地全体に茶色の靄がかかり砂色だったが、湿度のある7月は舞い上がる砂塵も少なく、カトマンズの町が妙に色鮮やかに見えた。カトマンズの谷 寺院・教会
-
飛行機は定刻よりも早く、12時前に空港に到着した。
空港でまず最初にしなければならないのが、Arrival Visaの取得。
ネパールは観光で入国する際もビザが必要な国だが、ビザは日本の大使館(領事館)でも現地の空港でもどちらでも取得可能。
日本でビザを申請する場合には申請料金4000円+パスポートの送料(往復)+顔写真2枚が必要で、ネパールの到着空港で取得するArrival Visaはあらかじめ日本でオンライン申請をしておけば必要なのは申請時にダウンロードした受付票と申請料金30USドルのみ。
個人旅ならば、迷わずArrival Visaの一択となるだろう。
空港ではまず銀行の窓口でビザの受付票と30ドルを提出すると入金済の証書が渡され、それをもってビザ申請窓口へと向かいビザを受け取ったら終了。
アライバルビザ申請の所要時間は15分も必要なく、そのまま入国審査のブースへ。
日本人は信用度が高いのか入国審査も簡単で、入国目的でトレッキングと答えただけ。
顔写真を撮られて、ビザと入国のスタンプをポンとおされて、入国OK。
隣のブースのスリランカ人のおじちゃんは私の審査前からいろいろ聞かれていて、相棒の入国審査終了時にも未だブース前で、かなり時間を要していた。トリブバン国際空港 (KTM) 空港
-
今回のトレッキング旅ではトレッキングやカトマンズでのホテルなどのネパールでの諸々のことは、前回のABCトレッキング同様に現地手配会社のヒマラヤンアクティビティーズに一括して依頼した。
ヒマラヤンアクティビティーズはネパールの現地手配会社の中では格安・・・というほど安くはないが、旅人の安全を第一に考えていてくれるし、ガイドの質、ポーターの質も良く、安心して手配を任せられる。
言葉に不安がある国を旅するときは、現地で安心して頼れる人がいるのが一番の心強さとだと思う。
また、旅の計画段階での私のしつこいくらい多数の質問メールにも丁寧に回答していただいた。
ヒマラヤンアクティビティーズの代表の春日山さんは日本人なので、メールの問い合わせなどは全て日本語でOKなのも嬉しい部分だ。
ヒマラヤンアクティビティーズHP:https://www.himalayanactivities.com/
(写真:2017年に歩いたABCトレッキング/アンナプルナ・ベース・キャンプ) -
この日は、ラグさんという事務所スタッフの方が私達の名字が漢字で書かれた案内板を持って空港出口で待っていてくれるはずだったのだが、出迎えの人達が並ぶ列の中の何処にも漢字で書かれたネームプレートを持っている人なんていなかった。
その代わり相棒が見つけたのは、懐かしい顔。
6年前のABCトレッキングの時に私達のガイドをしてくれたディネシュが空港まで私達を出迎えに来てくれていた。
久しぶりに会ううれしさで、ディネシュに飛びつくように握手。
あの時はまだ20代後半だったのに、もうすっかり2人の子供を持つお父さんの顔。
コロナ禍でガイドの仕事がない時は地元の村で農業をしているそうだが、今回は私達のリクエスト指名でガイドとして出てきてくれたとのこと。
久しぶり!今回もヨロシクネ・・・と挨拶を交わす。
(写真:2017年 ABCトレッキングの時のガイドのディネシュ) -
まずはカトマンズのタメル地区にある宿;Hotel Jampaへ。
私達のホテルのリクエストはホットシャワーがでる宿で、手配会社のお勧めがこちらのHotel Jampaで朝食付き1泊ツインルームで100USドルだった。
Hotel Jampaの立地はタメル・チョークの少し北寄り。
時間の限られる到着日の午後に、トレッキングに必要な物を買い出しするには便利な場所だった。ホテル ジャムパ ホテル
-
手配会社はどうやらこのホテルのお得意様らしく、案内された部屋はホテル最上階の一番広いと思われる部屋。
トレッキングの前後は疲れているので、広くて快適な部屋を使わせていただけるのはありがたい。
部屋にはポットとミネラル水がおいてあり、インスタント珈琲、紅茶などがセットされていた。
(写真;部屋の窓から見えたお隣の建物の屋上
ヤクを駒にしたネパール版チェスがかわいい!) -
部屋に荷物を置いたら、まずは様々な用事を済ませにガイドのディネシュと共にタメルの町中へ。
タメルとは地区の名前で、日本でいうと浅草みたいな感じ。
6年前に来たときには、タメルの商店街のアーケードは5色のタルチョが空一面に渡され、風でなびくタルチョの下を歩くタメルはいかにもチベット仏教の国!という雰囲気だったのだが、この3年間の新型コロナによる謹慎期間を経て、商店街の様子が少しだけ変わったかな。
観光客が来なくなったことによりタルチョが撤去され、商店街の雰囲気も以前よりも活気が少なくなった様に感じられた。 -
タメルでの最初の行き先は両替所。
2万円をネパール・ルピーに両替をする。
昨今の強烈な円安でネパール・ルピーに対しても円は弱くなっているのかと思いきや、2023年7月のレートは1円=0.932ルピーから0.908ルピー。
6年前は1円=0.880ルピーだったので、大きくは変わっていなかった。
でも、ネパールの物価はレストラン価格から推察すると6年前の1.3から1.5倍は高くなっているので、両替レートがあまり変わらないと言うことは実質の支出は増えていることを意味し、懐の痛み具合は6年前よりは大きい。 -
現地通貨を手にした後に向かったのだが、SIM屋さん。
今回は相棒の仕事の関係でどうしてもトレッキングで歩いている期間も職場との業務連絡が必要だったため、ネパールのDOCOMO的なNcellのSIMショップへ行き、30日間5Gのデータ通信量のあるプラン(950ルピー)を申し込んだ。
申し込みには証明写真が必要なのだが、写真もお店で撮ってくれるのでわざわざ日本から持参しなくても大丈夫。
SIM購入の手続きは所要15分ほどで、これで緊急時の通信手段の確保は万全!・・・と安心したのだが実は落とし穴があり、私のスマホだけ7日目からデータ通信速度が激遅になり、電話も自分からはかけることができなくなってしまった。
同じように設定したはずの相棒のスマホは通信速度も通話も問題なし。
多分、コレは対応したショップ店員が有効期間の設定を間違えたらしいが、通信速度が遅いことに気がついたのはトレッキングまっただ中の山の中。
もうどう対処することもできずに諦めることに。
ネパールあるある・・・みたいなことなのだろうか。 -
イチオシ
次に購入したのが、トレッキング地図とタルチョ。
大きめのお土産屋さんではトレッキング地図の取り扱いがあり、いくつかの出版社の地図を広げて比較し、見やすい物を選んだ(550ルピー)。
タルチョも同じくお土産屋さんでの購入(5本;300ルピー)。
タルチョは最奥の村から更に歩いてたどり着く5000mのエリアにあるチェルゴ・リの頂に奉納するために購入。
5色のタルチョはチベット仏教の5つの自然の神を意味し、山の頂に奉納することで風にたなびくタルチョが神に私達の願いを届けてくれる。
(写真:7/20 チェルゴ・リ山頂で奉納したタルチョがはためく) -
タメル地区は旅行者に必要な物を扱うお店が寄せ集まっているので、ホテルから徒歩5分以内のエリアで、これらの用事を全てまかなうことができた。
ガイドのディネシュとは、ホテルのロビーで雨季のトレッキングの用具についてなどの打ち合わせをして、この日は解散。
私達は、ホテル近くにある美味しい天然物のネパール蜂蜜を扱うお店(Himalayam honey )へ行き、天然の蜂蜜を入手。
6年前にネパールを訪れたときに自宅用に買った蜂蜜がお気に入りで、今回はリピート購入。
トレッキング後の最終日もカトマンズには帰ってくるが、何時に到着するか分からないし、万一、店休日だったら泣くに泣けないので、欲しいものは先に入手しておくのが私の旅の鉄則だ。 -
蜂蜜はこのショップ以外にもスーパーでも売っていて、私達は全部で6本を購入。
我が家は皆が蜂蜜好きなので、美味しい蜂蜜が一番のお土産だ。 -
夕食場所探しは、タメル地区や旧市街地の中をフラフラ散歩しながら。
カトマンズ名物の絡まり電線は以前よりは数は減ったようだが、未だに健在。
どう見ても使われていない電線の何本もがこんがらがって電柱からぶら下がっている。
万が一、あの中に通電しているのが1本でも混ざっていたら雨の日は感電事故が多発しそうだ。 -
カトマンズはそこそこスリ被害の報告もあるので、貴重品の扱いは慎重に。
小さな斜めがけ鞄を更にお買い物バッグで覆って肩にかけての旧市街散歩をする。
慎重に・・・を心がけていたのだが、被害に遭ってしまった。
被害とはクレジットカードのスキミング。
今回のネパール旅ではクレカを使用する機会はなかったのだが、保険の為にクレカはいつも鞄の中に入れておいた。
スキミング被害に気がついたのは帰国日の朝。
羽田空港で荷物を待つ間に受診したSMSの差出人はクレジットカード会社で“以下の電話番号に至急連絡されたし”というメッセージが残っていた。
その時は、SMS=詐欺メールを疑っていて、あまり真剣には捉えていなかったのだが、帰宅後に落ち着いてからクレカ会社のサポートに問い合わせ電話をして、どうやら至急連絡が欲しかったのは真面目な話と判明した。
クレカ会社の担当によると、私達がトレッキングをしている最中に何者かが私のクレカを使って30万円ほどの買い物をしている・・・という話だった。
クレカ会社からは私本人は使用していないことを確認され、即刻カードは使用停止。
30万円の被害はクレカ会社が支払いを止めてくれたので私には及ばなかったが、クレカ会社のセキュリティー対策が私を救ってくれた形となった。
カードをスキミングされたのはもしかしたらカトマンズではなくBKKの可能性もあるが、空港のエリア内では存在する人の身元は全て政府に把握されているので、あまり犯罪の危険を冒す輩は少ない気がする。
そう考えると、カトマンズでスキミングされた・・・と考えるのが妥当かな。
なので、カトマンズの市内を歩くときにはスキミングの被害者にならないように注意が必要だ。 -
この夜、夕食をいただいたのは、La Thamel Brasseria Restaurant。
宿泊したHotel Jampaよりも少し北にあるタメルのレストランだ。
6年ぶりのネパールだったので、ローカル食豊かな物を食べたかったが、明日からのトレッキングに備えて、衛生的なレストランをチョイス。
山に入ると新鮮な肉が食べられなくなるので、とりあえずプロテインの補給ということでお肉のメニューをオーダーした。
ネパールの山沿いはチベット仏教の方達が多く基本彼らはほぼベジ食であり、都市部に多いヒンドゥー教の方達にとって牛は神聖な生き物なのでビーフを食べるなんてあり得ない。
だから、普通のレストランで肉・・・を選ぶとなると、その大抵がチキンとなる。
オーダーしたお品は美味しかったのだが味がちょっと単調で、最後まで食べるのに一苦労。
昔は海外に行ったら何でもバクバク食べられたが、最近はちょっと油が違うだけで胃が重くなったりするので、オトナになったなあ・・・と感じることが多い。 -
そして翌朝は6時過ぎに目覚めて、身支度とパッキングの開始。
ネパールと日本の時差は、カトマンズが東京よりも3時間15分遅れ。
時差に15分という単位が入るのは、かなり珍しい。
日本との時差が少ないので、いわゆる時差ぼけのような症状は起こさずに朝までぐっすり眠れた。
この日はランタン谷トレッキングの出発点となるシャブルベシまで陸路移動の日。
トレッキングに使わない物(帰路の洋服や昨日購入した蜂蜜)はこのホテルに預けていくので、きっちりと荷物のパッキングをする。 -
朝食は7時から。
車での移動時間は7時間と聞いているので、あまり胃にたくさん食べ物を詰め込まない方が賢明。
向かうのは、カトマンズから一番近いヒマラヤといわれるランタン谷。
雨季のランタン谷への道は運が悪いと道路の冠水も予想されて、予定以上に時間がかかる場合もあり、トイレ休憩の場所も多くあるわけではないので水分も控えめを心がけた。 -
朝7:30にガイドのディネシュ、ポーターのネトラ、シャブルベシの往復ドライバーを担当してくれたカミーハレとロビーで待ち合わせ。
最終の荷物の確認を行う。
更に、今回の手配会社;ヒマラヤナクティビティーズの代表の春日山さんとラグさんもお見送りに来てくれての出発だ。
車はカトマンズ市内で給油。
ネパールは内陸国なのでガソリンは高いだろうと予想していたが、1L=150ルピー(約165円)で、33.33Lで5000ルピー(約5500円)。
ガソリン単価は今の日本とは大きくは変わらない。
しかし、ネパールでの平均月収が日本円で2万円-3万円であることから、月収と比較したらガソリンは非常に高級品ということになるのだろう。 -
車は渋滞の激しいカトマンズ市内を走る。
カトマンズ市内はともかくバイクが多く、車とバイクが入り乱れていて見ていてドキドキする場面も多い。
日本で運転には慣れている相棒も、カトマンズは走れないと言っていた。 -
カトマンズ市内を抜けると次の町に入るのだが、大きな町に入る前にあるのが、検問。
検問といっても所轄官庁が1つではないらしく、POLICEのロゴ制服を着用の検問、迷彩服の検問、きっちっとした制服組の検問の3種類があり、一番緊張するのが軍隊関連の迷彩色検問で、機関銃を肩から提げた軍人係官が車まで来て、窓を開けさせられ、半強制的に会話をさせられる。
多分、言葉を交わすことで発音の癖などから国境を接する中国からの密入国者をチェックしていると思われるのだが、荷物カバンを開けて中身を確認したりとかなり真面目に検問された。 -
車の中で緊張したのは検問のみで、あとはひたすらのんびりと車窓を眺めるだけ。
朝の時間帯だったので、子供達の通学姿が多く見られた。 -
ネパールはプライベートスクールも多いとのこと。
学校へ通う子供達の多くはおそろいの制服姿。
小さな子供はお母さんと一緒に。 -
小学校高学年程度になるとお友達と登校するようだ。
-
朝8時半頃に車は小さな町外れに止まり、トイレ休憩+ドライバーさんやガイドさん達の朝食休憩。
-
相棒と私はホテルで朝食は食べてきたので、道ばたの石に腰をかけてのんびり休憩。
そんな私達の前を学校へと向かうお母さんと子供達の姿。
歩きながらも親と話をしていて、楽しそう。
こんな処で生活をしていたら、親子間で会話がない・・・なんて悩むこともなさそうだ。 -
私がそんな風景を写真に撮っていたら、近所のおばちゃんが私の一眼カメラを指さして、撮って!とアピール。
おばちゃん、額のティカがかわいいネ! -
食事が終わったガイドさんは、次の大きな町;Bidurでちょっとお買い物。
何を買ってきたかというと、ガイドさんとポーターさん用の折りたたみ傘とトイレット・ロールとビニル製のポンチョ。
折りたたみ傘は多分中古品だと思うのだが、此処の町で買うのが安いのだって。 -
舗装された幹線道路はBetrawatiまでで、そこから先は未舗装の山岳道路。
道は山道となり、勾配を増し、雲の中を走る車の周囲は霧で真っ白。
道路の脇は切り立つ崖なのに、道幅は四駆1台分+α。
更に対面交通で、トラックも路線バスも、この道を行き交う。
路面は穴ぼこだらけで、そこら中に落石の痕跡が多数。
かなりアクロバティックな道を2時間かけて進んだ。
この道は運転手さんの技量が試されるコンディションだったが、私達の運転手さんはさすがのプロ。
バウンドの少ない場所を選んでタイヤを乗せ、ギリギリの車間幅で対向車と交差していった。 -
山岳道路が切れるとそこはランタン国立公園の入口で、ゲートがある。
-
国立公園の入場料は外国人料金、SAARC、ネパール人に区別されているのだが、SAARCがこの時は何かわからなかった。
帰国後に調べてSAARCとは南アジア地域協力連合で、加盟国はインド、パキスタン、スリランカ、アフガニスタン、モルディブ、ネパールであり、その国からの観光客が該当するらしい。
因みに日本人は外国人枠で3000ルピーとなる。 -
ゲートには国立公園の地図があった。
ランタン国立公園の詳細が絵で示してあり(かなり大雑把だが)、中国との国境付近にはRed PandaやBlack Pandaがいるとあった。
Red Pandaはレッサーパンダのコトだが、では Blackは?
どうやら普通の白黒パンダのコトらしい。
更に奥地へと入ればユキヒョウなども見られるとあった。 -
ゲートでは少々時間が必要で、ガイドさんが私達のトレッキング許可証(TIMS)を作成。
TIMSはネパールの山岳部トレッキングには欠かせない許可証で、山の中のチェックポイントでこの許可証を提示しないとその先には行けなくなる大事な書類だ。
コロナ禍だったつい1ヶ月前くらい迄は観光客も少なくTIMSを取得しないフリーパスだったらしいが、7月に入ってコロナ以前と同じように取得が義務付けられる様になったとのこと。
2023年6月以前の情報だとトレッキングにTIMSは不要と書かれている情報もあるが、今はもう必要!
書類を準備せずに現地へと入ってしまうとゲートで一揉めする可能性もあるので、TIMSの必要書類はお忘れ無く。 -
ゲートを過ぎて5分も走ると、そこはこの山の中で一番大きなバザールであるDhunche(ドゥンチェ)の町。
トレッキングの必需品で何か買い忘れた物があった場合でも、このバザールでならば買いそろえるコトも可能だ。 -
12時半だったので、ドゥンチェ・バザールでランチ・タイム。
メニューを見せられて、何でも食べて良いよとのこと。
メニューの価格はカトマンズの町のレストランよりも若干高めの1.5倍掛けくらいだったが、この価格はトレッキングをしていると標高が上がるにつれてどんどん高くなり、紅茶一杯の価格が平地では50ルピーが200ルピーまで高騰する山小屋価格となる。
この先も山道が続くとのことだったので車酔いの危険を考え、あまりお腹いっぱいにするのは得策ではないと考えて、スープヌードル1個とトゥクパ1個とマサラ・ティー2杯をお願いする。 -
スープヌードルは辛ラーメンをベースに作られているようで日本人には比較的食べやすい味だった。
トゥクパはネパール・フードの1つで基本はヌードルスープと同じだが、野菜炒めがたくさん入ったタンメンのような雰囲気のお料理だ。 -
イチオシ
トレッキングのシーズンオフなのでレストランの厨房にいるのはおばさん1人だけで、料理を作るのも彼女1人。
だから、ランチに要する所要時間も1.5時間と長い。
私達がヌードルを注文したので店のコンロが埋まってしまい、ガイドさん達のダルバートのお米が炊けなかったらしく、彼らのランチが到着したのは私達が食べ終わった30分以上が過ぎてから。
ネパールの山でのお料理事情どこもこんな感じで、ランチ休憩!は1時間から1.5時間のんびりと休む時間と考える方が良い。
私達は食事が終わったあとは、ドゥンチェ・バザールの中を散策。
この日の天気は曇りで雨がポツポツ降り始めていたが、濡れてもすぐに乾くのでそんなには気にならない。
バザールを歩いていたら、中学生か高校生くらいの女の子達が、私を見て盛大にアピール。
カメラを見せたら恥ずかしがりながらもポーズをしてくれてパチリ。
みんな無邪気でカワイイ! -
食後もでこぼこのオフロードの道を進むのだが、この日の終点のシャブルベシまでは思いのほか近く、15時にはシャブルベシに到着した。
写真は車窓から見えたドゥンチェ・バザールの家々。
ネパールの山岳部では、斜面に張り付く段々畑のように家が連なっていることが多い。 -
シャブルベシの宿はガイドの定宿であるSky Hotel(スカイホテル)。
-
スカイホテルはホットシャワーの温度も熱く、水圧も強く、お勧め。
特にトレッキング後の熱いホットシャワーは何よりの身体へのご褒美。
この日は私達がホテルに入ってすぐに雨が本降りとなったので、シャブルベシの村散策は諦めて、ダイニングでガイドのディネシュとポーターのネトラとのおしゃべりタイム。
ディネシュとトレッキングをするのは今回が2回目だが、ネトラとは初めて。
身体は大きいがまだ20代かな(?)のネトラはシャイなのかあまり自発的には会話には入ってこないが、無理矢理会話に巻き込んで、ちょっとだけ仲良くなれた。
シャブルベシでは、NCellの電波は入るが室内での受信は弱く、宿のWi-Fiが必要となる。
スカイホテルではWi-Fiは無料なので、私達も室内にいる間は宿のWi-Fiを活用させて貰った。 -
この日の夕食はスカイホテルの食堂にて。
トマトスープとオニオンスープに、ピザ1皿、それとサラダの代わりにフルーツプレートをつけた豪華夕食だ。 -
2023/7/17
朝は5時過ぎに起床し、トレッキングの準備を整えたら、シャブルベシの村散策。
村の朝は早く、5時半には人々はもう活気づいていた。 -
宿のおばさんは、朝から草刈りの時間。
刈った草をまとめていたので、干して冬に使うのかな? -
村のマーケットも充実の品揃え。
ガスボンベからコーラまで置いてある。 -
朝6時になると朝一のバスの出発の時間。
朝一のバスは何処まで行くのだろう?
もしかして最終目的地はカトマンズなのかもしれない。 -
村にたった一つの八百屋さんも開いていたので、覗いてみた。
トマト、インゲン、ナス、ジャガイモ、ゴーヤ・・・と日本人にも馴染みのある野菜が多数。 -
オクラは丁寧に萼の部分をナイフで落としてあり、日持ちがするようになっていた。
カトマンズに比べると野菜の品数は少ないが、食生活に必要な野菜はこの村でも十分に調達できるようだ。 -
朝6時半を過ぎると衣料品店も店開き。
-
たばこ屋さん的な何でも屋さんも店開きだ。
-
宿に戻ると女将が香炉を炊き、ソレを手に室内のあちらこちらに香りを移していているところ。
カトマンズは圧倒的にヒンドゥーの人達の姿が多いが、山間に来るとその様子はがらりと変わり、チベット仏教のエリアに来たことをあらためて実感した。 -
朝ご飯は、パンとオムレツとミルク珈琲の筈だったのだが、ミルクが品切れ中。
たまたま品切れかと思ったが、帰路に同ホテルでミルクティを頼んだ時にもミルクはないといわれたので、夏場はミルクは買い置きしていないらしい。 -
朝8時。ガイドのディネッシュ、相棒、私、そして新たにポーターのネトラが加わって、6年ぶりの“Team Jam Jam”の再結成。
Jam Jamとはネパール語のLet‘s Go!の意味で、“Team Jam Jam”の意味は日本語に易約すると”頑張って歩き隊“かな。
トレッキングの身支度を整え歩き始める。
まず最初に立ち寄るのが、シャブルベシ(標高1460m)の村はずれにあるツーリスト・ポリス。
事務所でTIMSを見せて、トレイルへと入る許可を貰ってからが本当の歩き始めとなる。
今回のトレイルでは稀にソロ・トレッカーの姿を見かけたが、ガイドレス・トレッキングの場合には、このような諸手続も全て自分で理解した上で行う必要があり、最低限のネパール語の知識とトレイルに関する詳細な情報収集と事前準備が必要であり、なかなかネパール人以外には難しそうだ。 -
シャブルベシの村はずれからランタン・コーラ(コーラ:川の意味するネパール語)へと向かう石段を降りる。
私と相棒の背中のバックパックの中の荷物は、歩くために必要な最低限の物のみ。
具体的には以下の物を入れていた。
・雨具の上下
・傘
・水筒(ナルゲンの高温対応水筒)
・行動食(ナッツ+柿の種)
・日焼け止め+最低限の薬類
・カメラ
上記以外のトレッキング中に必要な着替えやモバイルバッテリーなど重さがある物、かさばる物は、ポーターのネトラが全部担いくれた。 -
橋を渡ったら、その先はもう車は入れない、徒歩でしかアクセスできないエリア。
この先へと進むと、物価は平地の何倍にも高くなる。 -
橋の先にあるのはいきなり森かと思っていたのだが、橋を渡った処にあったのはシャブルベシの村の続きで、トレッカー向けのホテルがたくさん。
オフ・シーズンの7月は宿泊客もいなさそうだが、オン・シーズンになると橋を渡ったここのホテルもトレッカーで埋まるそうだ。 -
そしてまた、橋。
歩き始めの7/17は何本も橋を渡ったので、橋の数を途中で数えるのを諦めた。 -
橋を渡ったら次の村が現れるのかと期待したのだが、出てきたのは巨大な採石場とW字型の建築途中の構造物。
こんなところで作る物と言ったら、考えられるのはただ1つ。
川の水量を利用した水力発電の施設で、多分、このW字は川の水を引き込むための水路だと思う。 -
この発電所建築エリアを超えると、お待ちかねの山道トレッキングだ。
山道トレキングが始まるということが意味するのは、Evilなヤツラの生息域に足を踏み込むということ。
その予想通り、歩き始めて5分もたたないうちにポーターのネトラが私の靴に取り憑きウネウネと身をくねらすヒルを発見し、早々に木の枝で取り除いてくれた。 -
イチオシ
山道の先は、また橋がいくつか続く。
このエリアはランタン・コーラが入り組んでいるため、村と村を橋が結んでいて、どこかの橋が1本でも流れたら、物資の流れが滞り、人々も移動できなくなってしまう -
歩き始めて1時間後の午前9時。
Domin(ドミン)村に到着し、宿先のベンチで15分休憩。
ドミン村の看板にはWi-Fiのマーク。
私のスマホをチェックすると、NCellのアンテナは2本と弱くはなっているがまだ使える範囲内だ。
また、ドミン村の宿のWi-Fiを使えばカトマンズにいるときと同じようにPCやスマホがサクサク使えるそうだ。
更に電気もシャブルベシ村から架線で引いているので、自家発電も必要ないとのこと。
トレッキング前の事前情報収集では、トレイルに入ったら基本は電気はなく、電気を使えても自家発電なので使用は有料で持参したモバイルバッテリーが頼り・・・となっていたのだが、トレイルの途中にある村の生活も、年々どんどん便利になっているようだ。
因みにWi-Fiの利用は何処も有料で、250-500ルピー(約250円から500円)で、今回宿泊した宿ではラマホテル以外は、何処の宿でもWi-Fiを有料で提供していた。 -
台所を見せて貰ったら、台所は薪で火をおこしていた。
多分、こちらの宿はホテル営業と言うよりも、休憩場所や食事提供を主としている雰囲気で、窓辺にはコーラの空き瓶などが並べてあった
(因みにコーラは250mLで300ルピー程度。人力で運ぶので、この先はもっと高くなる) -
この宿には小さな子供がいて、シーズンオフのお客さんの顔に興味津々。
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休憩後の歩き始めを、相棒がパチリ。
青いザックカバーを掛けているのが私で、その前を歩く大きなダッフルバックを持っているのがポーターのネトラ。 -
イチオシ
ネトラは、頭と首を使って私達の17kgにもなる荷物を7日間、運んでくれた。
ガイドのディネシュもガイドになる前はポーターとして何年かトレッキングの修行を積んだそうだ。 -
シャブルベシを出発した頃は空は曇りがちだったが、どんどん青空が広がり、気温も急上昇。
汗がぽたり・ぽたりと地面に垂れ落ち、薄茶色のシミを作る。
暑くて汗だくで喉も渇くのだが、此処は立ち止まっては行けないエリア。 -
川沿いのこのエリアこそが恐怖の危険地帯。
EVILな吸血野郎の本拠地となる。 -
吸血ヒルの数が一番多いと感じのが、このLandslide Lodge(ランドスライドロッジ)と次の休憩所であるBanboo(バンブー 標高1960m)のあたり。
暑さで疲れていたのでこのロッジで一休みとしたかったのだが、立ち止まった途端に休憩所の屋根の上から飛び乗ってくるあいつら。
ガイドのディネスが「Tea Timeをいかが?」と聞いてくれたが、次々と襲来するヒルの数に恐怖しかなく、「お茶はいらないから、ともかくヒル・エリアを早く抜けたい」とお願いした。 -
トレイルで見かけたヒルの種類は3種類。
黒くて太くて短いヤツラ
ベージュで胴体が長くて細いヤツラ
赤くて細長いヤツラ。 -
そいつらがともかく次から次へとくっついてくる。
山肌には滝が流れ落ちる風光明媚な景色が広がる道なのだが、ソレを堪能している余裕など何処にもなかった。 -
ガイドのディネシュが、川向かいの壁を指さして「ほら、あそこにWild Honeyの巣がある。
村の男達は年に一度、命がけであそこまで蜂蜜を取りに行くんだ」と教えてくれた -
確かに川向こうの壁には袋型の蜂の巣がたくさん。
私がカトマンズで購入したワイルドハニーの蜜も此処でとれたのだろうか・・・なんて足を止め、写真を撮り、ふと左手の甲を見ると、私の黒いグローブの上で、2匹のヒルが今まさに何処に食らいつこうか思案中と言った感じで、身をくねらせダンスを踊っていた。
それは悲鳴を上げる余裕もないほど気持ち悪い光景で、私の息をのむ音を聞いたポーターとガイドが慌てて手の上のヤツラを払い落としてくれたが、本当に怖いときって悲鳴なんて出てこない。 -
ヒル達がどのようにして私達の気配を察して飛びかかって来るのか。
その秘密は哺乳類が吐き出す二酸化炭素にある。
ヒルは木々の葉先や枝の上で獲物が通りかかるのを息を潜めて待ち動物が排出する二酸化炭素を関知するや否や、躰をくねらせ、まるで腰と胸をクネクネと揺するかのように踊り、捕食対象物がすぐ側を通りかかるタイミングで飛びうつる。 -
そして衣類の繊維の編み目をかいくぐるように自らの躰を糸のように細くし、対象物の皮膚に喰らいつき、静かに吸血し、満足するとポロリと自らに地面に落下。
取り憑いたヒルを無理矢理引き剥がすと、その吸い口の血液は彼らの出す凝固防止剤の為になかなか流血が止らず、ダラダラと流れ続けるスプラッタな状態となり、私よりも手袋をするタイミングが遅かった相棒は気がついたら、指の間にヤツラが潜んでいて、引き剥がしたらかなりの大量出血。
ヒルの生息エリアにはカワイイ野草も多かったが、その写真を撮るために立ち止まるのも決死の覚悟が必要だった。 -
11:45にバンブーに到着。
此処でランチ・タイムらしいが、私達はヒルが降ってくるかもしれないところでランチを食べるくらいならば、食べない方がまし。 -
言葉にはしていないが、私の表情から私の心を察したガイドのディネシュが「宿の建物の中だったら、ヒルは入ってこないから大丈夫」と言ってくれたので、中でランチをすることに。
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とにかく早くこのエリアを抜けたかったので、手早く作れるヌードルスープをお願いした。
味は美味しかった・・・筈なのだが、ヒルの恐怖で覚えていない。 -
食後は壊れた橋を踏み外さないように注意して渡り、
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ランタン・コーラの濁流の脇道を進む。
ともかく、このエリアは立ち止まらずに歩く・・・
その一択しかない。
(帰路はアップダウンのある山側ルートを通るので、過度なヒルの心配をするのは、この日1日だけだ) -
ヒルに噛まれるとどうなるのか。
この日の夜に撮影した相棒の写真で解説してみる。
とにかく吸血された直後は血液が噛み口から流れ出しスプラッタな状態となり、その日のうちに傷口は瘡蓋となる。
噛まれても痒さや痛みはないのだが、ヒルが吸血をするのは産卵のため。
体重の約10倍の血液を吸ったヒルは産卵可能状態となり、最大80個近い卵を産むらしい。
だから、吸血されたらそのヒルはすぐに抹殺しないと次の80人の被害者を生むことになる。
ナメクジに似たヒルの身体は靴の底ですりつぶしたくらいでちぎれない。
一番良いのは、ライターの火で焼き殺すことだそうだ。
相棒のヒルに噛まれた場所はその日の夕方は茶色く瘡蓋が膨らんでいたが、1週間後には色が薄くなり、2週間後にはよく見ないとその痕跡も分からないほど痕跡は薄くなっいた。 -
ヒルは3000mを超えるエリアには生息しないといわれているが、私の感覚では標高2500mを超えた辺りから見かける頻度が激減した気がする。
この日の最後の橋は、Rimch(リムチェ 標高2440m)の手前。 -
リムチェまでくると、川からも離れヒルはもうほとんどいなかった。
だから、ここで荷物を置いて小休憩。 -
リムチェから今晩の宿のあるLama Hotel(ラマホテル 標高2420m)までは20分もかからず近いのだが、運の悪いことにラマホテルエリアが見えてきた当たりから、ポツポツと空から水の粒が落ちてきた。
ラマホテルとは地域名で、その昔にラマ僧侶がこの地域で宿泊施設を開いていたことに由来しているそうだ。 -
そして宿泊するLAMA GUEST HOUSEに到着した時点で、本降りの一歩手前。
休憩時間があと5分伸びていたら、びしょ濡れになっていたであろう危機一髪のタイミングだった。 -
とりあえず、宿泊する部屋に案内してもらい、霧と雨でしっとりと濡れた雨具や衣類を干す。
トイレは部屋付きではなく同じフロアの端っこで、夜間のトイレ利用はヘッドランプが必要だ。
ラマホテルエリアは谷間の村なので宿泊するLAMA GUEST HOUSE ではNCellの電波は入らず、部屋に電源のコンセントもない。
もちろんWi-Fiの有料提供もない。 -
私はそんな不自由さがネパール・トレッキングでは普通かと思っていたのだが、この翌日以降に宿泊するランタン村やキャンジン・ゴンパで、その思い込みは覆された。
ランタン谷トレッキングの核心部とされるこれらのエリアでの宿泊施設では部屋の電気が点灯するのは当たり前で、部屋には充電用のコンセントがあり有料だがWI-Fiだって使えその通信の安定性は抜群。
宿泊施設にもよるが、トイレは各部屋についていて夜中にヘッドランプをつけてトイレに行く必要も無い。
更に室内にシャワー設備つき部屋もあり、水シャワーが気にならないならばシャワーだって浴びれる充実さ。
ともかく予想外に快適に過ごせる宿が多く、びっくり連続だった。
(写真:7/21 Mundu村のロッジにて) -
この日は標高1460mのシャブルベシを朝8時に出発し、標高2420mのラマホテルへの到着は15:15。
途中休憩は全部あわせると2時間程度だったので、歩行時間としては5時間15分。
蒸し暑いヒルのいる森の中、1000mの標高差を5時間程度で歩けたのだから、まあまあ頑張った方だろう。
休憩があと15分短ければ全く濡れることなくロッジに到着できたのだが、まあソレは致し勝たないところ。
この日の15時過ぎに降り出した雨はこの後も一晩中降り止むこともなく土砂降りだった。
宿のご主人によると、毎年7月の夕方以降はBig Rainになるのはいつものとことのことで、雨季のトレッキングは15時までにはロッジに入るのが大雨に遭わないためのキモと言えるのかもしれない。 -
イチオシ
この日の夜は、ネパール餃子のモモと野菜スープ。
私もロッジでのローカルフード楽しみにしていたのだが、夕食の2時間くらい前から体調が急変。
激しい頭痛に、こみ上げる吐き気で、とても夕食を食べることはできなかった。
症状の心当たりは2つあり、1つは熱中症。
湿度があり太陽がカンカン照りの森の中をヒルが怖くて2時間以上水も飲まずに歩き通したのだから、私の身体がオーバーヒートしたのかもしれない。
もう1つの可能性は高山病。
今回のトレッキングでは5月のキナバルトレッキング(マレーシア)時に入手した高山病予防薬のダイアモックスをあらかじめ飲み始めていたので、まさか2000m台のこの標高で起こすか?との疑問もあったが、こみ上げる吐き気と激しい頭痛、息苦しさは高山病の症状そのもの。
念のために血中酸素濃度と心拍数を図ってみたが、96と104で心拍数が若干早いかなという感じ。
多分、この日の蒸し暑さで熱中症になり、ソレが引き金となり低標高エリアで高山病症状が現れたのではないかというのが、私の見立てだ。
この日の夜の私の心境はNHKの大河ドラマ・タイトルではないが「どうする?私?」という感じ。
まさかヒルの恐怖が終わったと思ったら、次は頭痛に、吐き気に襲われるとは!!
そして、寝る前には胃の中の物を全てぶちまけ、Bomiting!
波瀾万丈のトレッキング初日だった。 -
この旅行記で紹介するランタン谷・トレッキングポイントは、
【雨季のヒル対策】
ヒル危険地域:バンブーの周辺エリア(2500m以下)
お勧めの服装:
長袖+グローブ、長ズボン+スパッツ(ゲーター)
山ガール風にスカートにタイツでは、襲われても文句は言えない
お洒落よりも身体のガードが最優先
繊維の隙間、帽子と頭の隙間、靴の開口部からヒルは内側へと入り込む
日本製のヒルよけスプレー(ヤマビルファイター)を持参し使用したが、効果は見られなかった。
物理的に肌を露出しないように目の細かい衣類で身体を覆うのが一番の防御対策!
(写真:ランタン谷トレッキングで出逢った風景)
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ホテル ジャムパ
3.29
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カトマンズ(ネパール) の旅行記
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