2023/06/07 - 2023/06/07
71位(同エリア482件中)
愛吉さん
室町時代、西国一の繁栄を誇った大内文化、西の京と呼ばれた所。
その大内文化に触れながら歩く香山公園、残念ながら五重塔は三日前から屋根の葺き替え工事に伴う足場へのシート張りが始まり見えません、残念。
再興なったら再度訪ねましょう、完成は令和8年3月の予定です。
表紙は工事中の五重塔。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- JALグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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西ノ京・やまぐちに到着しました。
瑠璃光寺の見学からスタートします。
瑠璃光寺は大内家の筆頭家老を努めた陶弘房の菩提寺。
当初この地には大内家25代当主大内義弘の菩提を弔う香積寺がありましたが、1604年に毛利氏が萩に移転、その後1690年に現在の瑠璃光寺が移転して来て、五重塔を管理下に置きます。 -
瑠璃光寺山門。
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本堂。
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本尊は薬師如来。
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山門を振返ります。
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鐘楼。
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境内に洒落た水鉢が。バックは回廊。
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案内板が有ります。
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回廊です。
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魚板が。
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吾唯足知の蹲踞。
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仏足石。
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正面本堂への階段下、左側に身代わり地蔵。
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右側に閻魔大王と後生車。
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参道脇に石の五重塔。
石板を読むと、国宝五重塔を長年に渡り維持管理して来た多くの人達に感謝し、その人達の繁栄と子孫長久を祈念して建てたそうです。 -
わらべ地蔵の見送りを受け、瑠璃光寺の山門を潜ります。
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香山公園。
国宝五重塔は寺とは、少し離れて公園の中に有ります。
現在屋根の檜皮交換の為、足場のシート張りが始まり塔が見えません。 -
微かに見える水煙を写します。
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(パンフの写真転載)
この五重塔は、1442年に大内氏25代大内義弘の菩提を弔う為に建てられた香積寺のものでしたが、香績寺が1604年萩に移転し取残されました。
その後1690年に市内から現瑠璃光寺が移転し管理下に置きます。
奈良法隆寺、京都醍醐寺の塔と共に日本三大五重塔と称えられます。 -
池には蓮の花が。
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公園内には雪舟の像もあります。
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案内板。
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灯篭と紫陽花。
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園内に大内家24代大内弘世像(1352~1380)があります。
周防、長門2ヶ国の守護、大内氏繁栄の基礎を築いた人です。
又京の街に模しての街造りを始めました。
尚大内家は1551年31代義隆の時、重臣陶氏の謀反で滅亡します。 -
銅像と紫陽花。
銅像にピントを合わせるべきでした。 -
毛利家墓地、灯篭が並びます。
幕末長州毛利家は政庁を萩より山口に移します。
従いそれ以降の藩主(13代)は、この墓地に葬られました。 -
大名墓地の風格があります。
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13代敬親と正室妙子墓。
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隣は洞春寺。
藩祖毛利元就の菩提寺。
寺としての起源は,1404年に大内氏が建てた国清寺、毛利氏が藩庁を山口に移した時、元就の菩提寺に改められ、寺名も洞春寺となります。 -
寺門をアップで。
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本堂内陣。
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鐘楼。
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観音堂。
元大内氏が1430年に建立した観音寺の仏殿、大正4年ここに移築。
禅宗様式を残した室町建築として国の重文に指定されています。 -
境内の池。
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池の畔に露山堂。
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案内板。
山口観光はこれで終了、岩国錦帯橋に向います。
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岩国錦帯橋。
岩国は長州毛利家の支藩吉川家が治めた処。
錦帯橋は街の中央を流れる錦川に掛かる橋で、しばしば洪水で流失、研究の結果現在の橋型となりました、1674年の事です。
日本三名橋の一つです。 -
見た目にも美しい橋です。
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角度を変えます。
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錦帯橋に別れを告げ、今夜の宿泊地広島に向います。
終
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