2022/11/01 - 2022/12/05
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kawausoimokoさん
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この旅行記のスケジュール
2022/11/01
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電車での移動
Den Haag HS 9:03
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電車での移動
Amsterdam Centraal 10:25
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お気に入りのアップルパイを目指して、運河沿いを徒歩約10分
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Winkel43 アップルパイが美味しい
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徒歩での移動
アムステルダム中央駅まで徒歩15分
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その他での移動
トラム Amsterdam, Centraal Station 8駅 15分
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その他での移動
トラム Amsterdam, Museumplein
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その他での移動
トラム Museumplein 8駅15分
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その他での移動
Amsterdam, Centraal Station
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徒歩での移動
徒歩3分でA Train-Hotel
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この旅行記スケジュールを元に
人生の再生を目指して、「お気に入り」と再会し「初めまして」に出会うために、ロンドン、パリ、ヘント&ブルージュ、デン・ハーグ、アムステルダムを35日で巡りました。
旅の28日目は、デン・ハーグからアムステルダムへ移動し、ヴァン・ゴッホ美術館を訪れます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 100万円以上
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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アムステルダム中央駅
2022年11月28日(月):(Day28)
Den Haag HS 9:03のICに乗車し、アムステルダム中央駅に10:25に到着。
Den Haag HSで乗車した時に座れたので良かったですが、途中駅のHaarlem以降、日本の通勤電車同様に車内は混みあいました。 -
アムステルダムは5年ぶりです。
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駅から徒歩5分で、2泊するA-Train Hotelへ行き、荷物を預かっていただきました。
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ゴッホ美術館は午後1時の予約なので、お気に入りのアップルパイを目指して、運河沿いを西へ歩きます。♪♪
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いかにもオランダらしいオブジェ
廃品?もセンス良く装飾すれば、アートですね。 -
Winkle 43
Noordermarkt 43, 1015 NA Amsterdam
5年前に偶然立ち寄り、お気に入りになったお店で、後にアップルパイの有名店だと知りました。
アムステルダム中央駅からだと歩いて15分位です。 -
ショートクラストペストリー(ビスケット生地)で、アップルにシナモン、ナツメグ、ジンジャー等のスパイスが効いた甘めのフィリングです。
無糖のWhip Crema(別売)と一緒の方がバランスが良いと思います。
特別なものは何もない伝統的なアップルパイですが、"Tastes like home"で、また食べたくなるお味です。
一切れが大きいので、持ち帰り用の紙のボックスに入れて貰いました。 -
バウルス・ポッター通りのトラム停留所 Museumplein
アムステルダム中央駅まで戻り、トラムに乗って Museumpleinに到着。 -
バウルス・ポッター通りに面したゴッホ美術館外観
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ムセウーム広場
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ムセウーム広場側から見たゴッホ美術館
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ゴッホ美術館 Van Gogh Museum
1890年にフィンセント・ファン・ゴッホは亡くなり、彼の作品はフィンセントの弟であり後援者であったテオと、テオの妻ヨーが相続しましたが、テオは翌1891年に亡くなりました。
テオの死後、名家の出身で教養も高かった妻ヨーは、義兄フィンセントと夫テオの間で交わされた書簡を整理し、1914年にオランダ語で書簡集を発刊しました。
更に、フィンセントの回顧展を開催して作品を宣伝し、知名度の向上を図りました。
ヨーが亡くなった後、コレクションはテオとヨーの長男であり、フィンセントの甥であったフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホが相続しました。
彼はコレクションを散逸させずに保存したいと希望し、ゴッホ財団が創設されました。
この美術館は、1973年にゴッホ財団およびアムステルダム市によって国立美術館として開館し、財団からフィンセントの油絵約200点、素描約500点、書簡約700点、及び、フィンセントとテオが収集した浮世絵等約500点などが永久寄託されているそうです。 -
ロッカーに荷物を入れます。
「ロッカー番号の写真を取りなさい」とあるので、自分のロッカー番号を忘れる人が多いようですね。
他人事ではないので、しっかり写真を撮りました。
長旅をしていると、美術館のロッカー番号だけでなく、ホテルのルーム番号やトラム、バスの番号等々、何かと覚えるものが多いので、うっかりすると昨日の番号と勘違い!なんてことがあります。(*ノωノ) -
ニュネンの改革派教会を去る会衆 ニュネン , 1884年5月
フィンセントは、小さい時から癇癪持ちで、絵の才能を垣間見せることがあったにせよ、何かとトラブルを起こして家族の中で孤立していたそうです。
国立高等市民学校を中退した後、16歳で画商グーピル商会に就職し、ハーグで4年間を過ごしました。
この間に、彼は近くのマウリッツハイス美術館に足繁く通い、レンブラントやフェルメール等のオランダ黄金時代の絵画に接し、更に、ハーグ派の画家で親戚であるアントン・マウフェに絵画の基礎を学んだことから、当初は暗い色調の作風を持つようになったとされています。
23歳の時にグーピル商会を解雇され、以降、書店に就職するも直ぐに辞め、聖職者を目指して挫折、女性関係で揉めたりする等、何をやっても上手く行かないフィンセントと家族の関係は悪化の一途でしたが、彼は生活苦にあえぎながらも絵を描き続けました。
そんなフィンセントは1884年1月に実家に帰り、骨折した母の介抱をするうちに家族との関係は一時だけ好転しました。
この絵は、フィンセントが怪我をした母へのお見舞いとして描いたものだそうです。 -
農夫の人物画 ニュネン, 1883年末-1885年
フィンセントは、農民画などで有名なミレーを敬愛していたことから、この時期には農民たちを多く描きました。 -
ジャガイモを食べる人々 ニュネン , 1885年
フィンセントの自信作でしたが、テオを含め周囲からの理解は得られず、「到底、売れない!」とされたそうです。 -
ガラスと自画像 パリ , 1887年
フィンセントは弟テオを頼ってパリへ移り、多くの新しいものに触れて、これまでとは異なる試みをしました。
その一つが自画像で、彼は無頼派を気取り、パリのカフェで大酒を飲み、自身をアルコール中毒と称して描きました。 -
ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトリ パリ , 1887年
アゴスティーナは、著名な画家のモデルをしていましたが、1885年にクリシー大通りにカフェ・タンブランを開業しました。
フィンセントやロートレックは、この店をよく訪れ、自分の作品を店内に展示してもらったそうです。
パリのナイトスポットの風俗は、ルノワールやロートレックら印象派の画家たちが好んで描いた題材であり、この絵はそれらに影響を受けているとされています。
ちなみに、フィンセントはアゴスティーナに求婚しましたが、振られました。 -
マルメロ、レモン、ナシ、ブドウ パリ , 1887年
フィンセントはパリでルノワールやモネ、そして、ロートレック等の絵画を観て、それまでのハーグ派の暗い色調から明るい色の印象派風に作風を変えようとしました。
そのために毛糸を使って色の組み合わせを研究し、従来にはなかった黄色、緑、青、赤、ピンクでこの絵を描きました。 -
梅の開花(広重を模して) パリ , 1887年
1862年のロンドン万国博と1867年のパリ万国博で日本文化がヨーロッパに紹介され、フィンセントがパリに来た頃には、ジャポニスム(ジャポネズリー)ブームの真っ最中で、彼は日本美術の大ファンとなりました。 -
おいらん(渓斎英泉を模して) パリ , 1887年
1886年刊行の雑誌「パリイラストレ」の表紙に掲載されていた木版画を観て模写したそうです。
フィンセントだけでなくテオも浮世絵に取り憑かれてしまい、二人は貧しい生活の中で500枚もの浮世絵を収集したそうです。
フィンセント曰く、「芸術の未来は日本にある。私は日本へ行きたい」 -
フィンセント・ファン・ゴッホの肖像 パリ , 1886年
ジョン・ラッセル(1858年 - 1930年)
オーストラリアの画家ジョン・ラッセルは、フィンセントの数少ない友達の一人で、この絵には「フィンセント、友情」という言葉が赤く描かれており、フィンセントもこの絵に愛着を持っていたそうです。
この肖像画が実物のフィンセントに最も似ているそうです。 -
麦わら帽子を被った自画像 パリ, 1887年
モデルに払うお金がなかったので、彼は人物画を研究するために多くの自画像を描いたとされています。
自画像には多かれ少なかれ、その時の環境と精神状態が映し出されると思います。
鏡に映った自分自身と、他人にこう見えて欲しいと思う自分は、異なるものなのでしょうか? -
灰色のフェルトハットの自画像 パリ, 1887年
おおよそ年代順に展示されている作品を順に巡り、この作品に至ると、ようやくフィンセントらしい独自性と個性が感じられるような気がします。 -
画家としての自画像 パリ, 1888年
フィンセントがパリで描いた最後の自画像
疲れ果てて、行き詰まっているように見えます。
1887年11月、フィンセントはベルナール、ロートレック等と一緒にパリで展覧会を開きましたが、その頃、既に大家となっていたモネやルノワールらとは異なり、フィンセント等の作品はほとんど見向きもされなかったそうです。 -
収穫 アルル , 1888年
行き詰まったフィンセントはパリからアルルへ移り住み、光溢れるアルルの風景を空想する日本に見立てて、とても気に入っていました。
フィンセントは444日間アルルで暮らし、200点の油彩画、100点以上の水彩画やデッサンを描き、200通以上もの手紙を書きました。
もしも、憧れの理想郷である日本を本当に訪れていたならば、彼の人生は一体・・・? -
ザ ベッドルーム アルル、1888年
フィンセントがゴーギャンの到着を待つ間に過労で倒れてしまい、癒えた後に最初に描きたかったのが、休息と安らぎを与えてくれたこの寝室だったそうです。
この作品は浮世絵の影響が顕著な一枚と言われています。
・遠近法を無視した構図
・原色に近い強い色使い
・平面的な塗り
・はっきりとした輪郭線 -
ひまわりを描くファン・ゴッホ アルル , 1888年
ポール・ゴーギャン
1887年ポール・ゴーギャンはカリブ海からパリに帰国し、フィンセント&テオ兄弟と交流するようになりました。
フィンセントはゴーギャンにアルルで共に絵画創作しようと誘い、ゴーギャンはテオが金銭的援助をすることを条件にその誘いを受けました。
そして、ゴーギャンは1888年10月にようやくアルルに到着し、2か月間滞在し、11月にはこの肖像画を描きました。
フィンセントはこの絵を「自分が狂人のように見える」と気に入りませんでしたが、ゴーギャンの才能は認めていました。
二人は絵画に対する価値観の違いやゴーギャンの横柄な態度が元で仲たがいをし、12月にはフィンセントが自らの左耳を切り落とす事件が発生して、ゴーギャンはパリへ戻りました。
フィンセントは、この事件の後、追われるようにしてアルルからサン・レミ・ド・プロヴァンスの療養所へ移りました。 -
花咲くアーモンドの木の枝 サン・レミ・ド・プロヴァンス , 1890年
フィンセントがサン・レミ・ド・プロヴァンスで療養していた時、弟テオに長男(後にゴッホ美術館設立に尽力した)が生まれ、フィンセントはお祝いにこの作品をプレゼントしました。
テオとヨー夫妻は、長男の名前をフィンセントのフルネームと同じ、フィンセント・ウィレムと名付け、フィンセントはとても喜びました。 -
糸杉と二人の女 サン・レミ・ド・プロヴァンス、1890年
彼は糸杉が美しいと考え、その形とプロポーションをエジプトのオベリスクのようだと感じていたそうです。 -
カラスのいる麦畑 オーヴェール・シュル・オワーズ , 1890年
カーク・ダグラス主演の「炎の人ゴッホ」のラストシーンで、フィンセントはカラスのいる麦畑で絵を描き、そして、拳銃自殺をしました。
実際には、これが最後の作品ではないようですし、自殺ではなかったという説もあります。
しかし、「心を病んだ売れない画家」から「非業の死を遂げた天才芸術家」へと昇華し、伝説となるには、格好の作品だと思えます。 -
ノートとペン
フィンセントが実際に絵を描いたのは、わずか10年ですが、860点の油彩画を含む約2000点の作品を残したそうです。
そして、彼は沢山の手紙を書き、弟テオへ宛てた手紙だけでも658通が残っているそうです。
フィンセントが唯一無二なのは、残された「作品」に対する評価だけではなく、手紙によって読み解かれた「生き様と人となり」が、自分のような凡人が持っているステレオタイプな”芸術家”のイメージに、合致している故かも知れないと思いました。
回りくどい言い方ですが、今や、作品と彼の伝説は一体化して一つとなり、それがフィンセントの芸術だと思えてきます。 -
ミュージアムカフェ Cafe Le Tambourin
「ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトリ」から名付けられカフェだと思います。
ニュネン時代のフィンセントを追想して、ジャガイモスープと黒パンをチョイスしましたが、意外に超美味しい(^O^) -
A- Train Hotel
アムステルダム中央駅から徒歩5分で、周りには飲食店やスーパーなどがあるので、選びました。
シングルのお部屋は非常に狭く、フィンセントの時代にワープしたように感じます。
しかし、朝食付きでコスパは抜群、スタッフはとてもフレンドリーです。 -
バスルームも超コンパクトで、アメニティグッズ類は一切ありません。( ノД`)
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