2023/05/31 - 2023/05/31
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ぷーちゃんさん
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江戸時代、江戸の出入口として栄えた宿場町・千住は、松尾芭蕉の奥の細道の旅に出発した場所としても知られています。宿場通り商店街には手描きの絵馬屋として栄えた吉田家や、紙問屋を営んでいた横山家など、江戸時代の面影が感じられる建物が残っています。江戸時代から続く整形外科・名倉医院は現在も治療を行っています。そんな千住に建つ神社仏閣を巡ってきました。常磐線と日光街道、荒川に囲まれたエリアには多くの神社仏閣が点在していて、歴史を感じることができました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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金蔵寺に向かう際に通った、北千住駅西口の路地にある飲み屋横丁。狭い路地に小さな居酒屋やバー、パブ、麻雀店、床屋など歴史を感じる店が多く建ち並び、味のある飲み屋街を形成しています。朝訪れたので閉まっている店が多かったですが、陽が沈むとともに訪れたくなるエリアです。
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北千住駅西口から飲み屋横丁を通って4分ほどのところに建つ、閻魔大王を本尊とする金蔵寺。
金蔵寺 寺・神社・教会
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1335年創建という歴史ある寺で、山門を入った右手には1837年の大飢饉で餓死した人たちを供養した塔や、千住で亡くなった遊女たちの霊を慰めるために建てられた供養塔が建っています。ちなみに千住宿には55軒の旅籠があり、そのうち遊女屋が36軒あったそうです。
金蔵寺 寺・神社・教会
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大踏切通り沿いに建つ東京芸術センターの裏に位置する不動院。
寺内には千住から戊辰戦争に参加し亡くなった人を供養した塔や、関東大震災で亡くなった人を供養した塔、魚類の冥福を祈るために川魚料理人が建てた庖丁塚、千住で亡くなった遊女たちの無縁塔など、歴史に触れる塔が多く建っています。説明板によると千住の問屋場に近かったことから、宿場関係の人の墓が多いとのことです。不動院 (足立区) 寺・神社・教会
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関東大震災で亡くなった人を供養した塔。
不動院 (足立区) 寺・神社・教会
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遊女たちを供養した無縁塔。
不動院 (足立区) 寺・神社・教会
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戊辰戦争に参加し亡くなった人を供養した塔。
不動院 (足立区) 寺・神社・教会
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大踏切通り沿いに建つ慈眼寺。
通り沿いに建つ千葉銀行横の通りから向かったため裏門から入りましたが、木造の趣ある山門で参道にはアジサイがきれいに咲き、客殿には藤棚が造られていました。慈眼寺 寺・神社・教会
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説明板によると、1314年創建の寺で、徳川家光が祈願所にしたことから葵の紋の使用が許されたそうです。幕末には寛永寺の山主が日光に向かう際の本陣になったり、休憩所になったりした格式ある寺だったようです。境内には鳥獣塚も建っています。
慈眼寺 寺・神社・教会
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慈眼寺境内に建つ南北消防記念碑。
説明板によると、1719年に大岡越前により江戸町火消しが生まれ、鳶の人たちが中心になっていろは四十八組が組織されたそうです。千住でも1829年に戒坊更番所が建てられ、安政の時代に南北千住消防組が組織され、明治になってからは千住消防組として活躍したと記されています。碑は殉職物故者の霊を弔うために建てられたもので、隣には南北消防保存会と刻まれた碑と纏いの像も建っています。江戸時代以降の千住の消防の歴史を知ることができる碑です。南北消防記念碑 名所・史跡
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潤徳女子高校の隣に建つ、1260年に創建された勝専寺。
煉瓦塀と赤い山門が目をひく寺で、門や洋館のような本堂には葵の紋が刻まれています。江戸時代に徳川家の御殿が置かれ、秀忠や家光、家綱も利用し、本陣を務めたこともあった格式ある寺です。見ることはできませんでしたが、千住の歴史や文化に関わる文化財を多く所蔵しているとのことです。勝専寺 寺・神社・教会
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屋根に金色の葵の紋が施された本堂。
勝専寺 寺・神社・教会
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宿場町通り商店街に建つ観光案内所・千住街の駅から200mほどところに建つ、千寿七福神の大黒天が祀られている千住本氷川神社。
1307年に創建された神社で、昭和45年まで使用されていた木造の旧社殿も残っています。2つの破風を持つ落ち着きある旧社殿で彫刻も施されています。新しく造られたコンクリート製の社殿にも、色鮮やかな彫刻が彫られていました。多くのおみくじが巻き付けられていて、地元の人から篤く信仰されていることがわかる神社です。千住本氷川神社 寺・神社・教会
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破風と彫刻が印象的な旧社殿。
千住本氷川神社 寺・神社・教会
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色鮮やかな彫刻が施された新社殿。
千住本氷川神社 寺・神社・教会
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サンロード宿場通り商店街に残る横山家住宅から、100mほど常磐線の線路方向に行ったところに建つ長円寺。
1627年創建という千住では比較的新しい寺で、瓦屋根の黒塗りの落ち着きある山門が特徴です。長円寺 (足立区) 寺・神社・教会
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境内には魚籃観音が祀られ、1686年と記された庚申塔も残っています。現在は展示されていませんが、寺宝として母乳不足の婦人が服用すると、乳が出るようになると伝わる乳泉石も納められているとのことでした。
長円寺 (足立区) 寺・神社・教会
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山門の外には目の病に効くと伝わる目やみ地蔵も祀られていて、めめと書かれた絵馬がたくさん掛けられていました。珍しいものが多く所蔵されている寺です。
長円寺 (足立区) 寺・神社・教会
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長円寺のすぐ近くに建つ千住4丁目氷川神社。
神社内には、猿田彦大神と稲荷神社、合祀した高正天満宮が祀られたお堂と、高正天満宮縁起碑と正木櫟蔭事績碑、2基の碑が建っています。碑には、千住4丁目の名主で子どもたちに読み書きを教えていた高梨氏と、その後を継いだ正木氏の歴史と功績が記されています。千住4丁目の歴史を知ることができる2基の碑です。千住四丁目氷川神社 寺・神社・教会
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社殿横に建つ、猿田彦大神と稲荷神社、合祀した高正天満宮が祀られたお堂。
千住四丁目氷川神社 寺・神社・教会
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千住4丁目氷川神社に1864年に建立された碑です。碑には氷川神社に合祀された高正天満宮の縁起が書かれています。それによると、千住4丁目の名主で子どもたちに読み書きを教えていた高梨信平が、同じ屋敷内に住むことになった正木昌房に、信奉していた菅原道真の像を譲ったそうです。その孫にあたる正木建が個人で祀るよりも神社に祀る方がよいと考え、高梨と正木の文字をとって神社を高正天満宮と名付けたそうです。現在も氷川神社社殿隣に高正天満宮が祀られています。
高正天満宮縁起碑 名所・史跡
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千住4丁目氷川神社に1852年に建立された正木櫟蔭事績碑。
碑には1751年に開塾した寺子屋の塾主・正木大助について記されています。それによると、正木昌房の末子として生まれた大助が学問に秀でていたこと、多くの人に尊敬されていたこと、亡くなったのち妻に扶持米が支給されたことなどが記されています。寺子屋の様子や教育の大切さを知ることができる碑です。
7年ぶりに再訪しましたが、4トラベルのスポット名が相変わらず木櫟蔭事績碑のままでした。正確には正木櫟蔭事績碑です。スポットの口コミを書いていて改めて4トラベルらしさを感じました。正木櫟蔭事績碑 名所・史跡
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1770年開業の名倉医院に向かう途中で見つけた道標。
千住らしさが感じられました。 -
中央図書館や荒川ビジターセンターが入る学びピア21のそばに建つ安養院。
鎌倉時代創建で、北条氏政の祈願所でもあったと伝わる寺です。堂々とした朱色の山門、落ち着きある木造の本堂、破風が備わった客殿、樹齢500年と言われる黒松、観音堂などの他、1664年と1670年に建立された仲直し地蔵や、1699年建立のかんかん地蔵なども見ることができます。かんかん地蔵は小石で地蔵を叩きながらお祈りすると、ご利益があるとされているそうです。地蔵の顔や身体が叩かれ過ぎて、すり減っていたのが印象的でした。安養院 寺・神社・教会
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落ち着きある木造の本堂。
安養院 寺・神社・教会
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破風が備わった客殿。
安養院 寺・神社・教会
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樹齢500年と言われる黒松。
安養院 寺・神社・教会
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仲直し地蔵とかんかん地蔵。
北千住駅周辺は神社仏閣が点在し、歴史好きには面白いエリアです。
数ある商店街には宿場の面影が残る建物や道標を見ることもできます。
次回は千住大橋駅からお化け煙突があったエリアを歩いてみようと思います。安養院 寺・神社・教会
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