2022/04/11 - 2022/04/11
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bunbunさん
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高遠城址公園南側にある高遠さくらホテルを出て、途中三峰川と天竜川沿いの桜並木を見学し、今回の主目的である春日公園(春日城址公園)の桜を見学してきました。春日公園は、天竜川の河岸段丘突端に位置する春日城址を含む面積約14.3 haの公園で、園内にはソメイヨシノ150本、ヒガンザクラ50本の2種類計200本のサクラが植えられています。この公園は高遠城址公園(https://4travel.jp/travelogue/11748521、https://4travel.jp/travelogue/11814482)、伊那公園(https://4travel.jp/travelogue/11759541)とともに、伊那市の桜の3大名所として知られています。
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8:00、高遠さくらホテルの部屋から見た朝の高遠湖と高遠城址公園。
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ホテルの外に出て高遠湖畔から見た高遠湖と高遠城址公園。
左に見えるアーチ状の橋は白山橋、その下は高遠ダムです。高遠湖は南アルプスを源流として北に流れてきた三峰川が、このダムによってせき止められたダム湖で、三峰川はダムの下流で西に方向を変え、天竜川に合流します。 -
9:20、チェックアウトして見たホテルの庭のサクラ。
これから春日公園に向かいます。 -
高遠さくらホテルから国道152号線、長野県道209号沢渡高頭線、ナイスロード/環状南線と、三峰川沿いの道路を約7 km走りました。ここから三峰川北側のサイクリングジョギングロードが走る堤防上に、約3 kmに渡ってサクラの木が植えられています。樹齢は若いですが壮大な眺めです。
右側遠くに見える山は中央アルプスです。 -
桜並木の説明板。
この堤防上には1856年から17年かかって植えられた桜並木がありましたが、1953年から始まった三峰川総合開発にともなって切り倒され、1961年(昭和36年)の三六災害で大きな水害が起きました。これを教訓に美篶小学校の生徒たちが桜並木を復活させようと1991年からサクラの木を植え始め、2002年には56本なったと記されています。
しかしざっと数えてみますと、現在の本数は200本程度はあるようです。
樹齢は20年程度以下ですので、これからが楽しみな桜並木です。 -
堤防上から西に見た桜並木。
右下には私たちが車をとめた駐車場も見えます。
左下の茶色に道路は三峰川サイクリングジョギングロードです。 -
堤防上から西に見た桜並木。
長い桜並木で終わりが見えませんね。 -
桜並木を離れ、三峰川沿いを5 km程西に走って伊那市役所西側駐車場の天竜川沿いにやって来ました。
ここにも桜並木があります。
南方向。 -
南に移動して見た北方向。
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さらに南に移動して見た南方向。
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北西方向ズームイン。
この後行く春日公園です。
サクラが満開だ。 -
伊那市役所駐車場を出て春日公園へ行く途中で北東方向に見た、春日公園南東端のサクラ。
右側が河岸段丘の南東端段丘涯です。
ピンク、薄いピンク、白、緑、なかなかカラフルです。 -
春日公園の駐車場に着きました。
ここで春日公園(春日城址公園)のマップを示します。
適当なマップが見つからなかったので、Googleマップ、宮坂武雄著「信濃の山城と館5上伊那編」戎光祥出版 2013年 ISBN 978-86403-088-5、およびこの後歩いて見た地形を参考に、本旅行記の著者が自作したものです。
この公園は春日城址を含み、面積は約14.3 haです。園内にはソメイヨシノ150本、ヒガンザクラ50本の2種類計200本のサクラが植えられていますが、色の種類はもっと多いようです。
公園の北側には420台収容可能な無料駐車場があります。
春日城は天竜川の浸食によって形成された河岸段丘の、上部段丘面の南東突端に築かれた比高約30 mの平山城(平山式館城)です。その歴史については後述しますが、現在城は残っておりません。敷地は空堀で隔てられた3つの曲輪から成り、この時代(戦国時代以前)の呼び名は本曲輪(主郭)、二の曲輪、三の曲輪となりますが、ここでは園内の表示・説明用語に合わせて、江戸時代以降の呼び名である本丸、二の丸、三の丸を用います。緑で示した部分は平坦部で、茶色は斜面です。三の丸の西にも空堀がありましたが、NHK伊那ラジオ中継放送所建設の際に埋められたようです。三の丸と二の丸の間には三の丸橋が、二の丸と本丸の間に二の丸橋と本丸橋があります。Googleマップでは、二の丸橋と三の丸橋の名称が入れ代わっていますのご注意を。 -
駐車場から車道を南に横断して公園に入りました。
まず出迎えてくれたのはピンクのヒガンザクラです。
太陽が当たってないので色がくすんでますか。
帰りは天気になったので、その時撮った写真を最後の方で示します。 -
南東方向に進んだ北西方向。
太陽が当たっていればピンクも鮮やかですねえ。
左後ろの大きな建物は伊那文化会館です。 -
さらに南東進んだ北西方向。
ソメイヨシノとヒガンザクラ。 -
さらに南東に進みました。
堀跡付近です。
西方向。 -
さらに南東に進みました。
三の丸に入った付近です。
北西方向。 -
三の丸。
北方向。 -
三の丸。
少し北東に移動して見た北東方向。 -
三の丸。
さらに北東に移動して見た北西方向。 -
三の丸。
少し南に移動して見た南南東方向。 -
三の丸。
また少し南に移動して見た南南東方向。
東屋の後ろは生垣でその向こうは空堀、左の赤い橋は三の丸橋です。 -
三の丸。
少し東北東に移動して見た南東方向。
三の丸橋の前です。 -
少し西南西に移動して見た西方。
三の丸は広場になっており、そこにある滑り台です。 -
三の丸。
三の丸橋の渡り口にやって来ました。 -
二の丸。
三の丸橋を渡って南南東方向に見た二の丸。
中央下に見える橋は二の丸橋です。 -
二の丸。
少し南に移動して見た東方。 -
二の丸。
南東方向。
中央したに見える橋は二の丸橋です。 -
二の丸。
南西方向。
碑がいくつか見えますね。 -
二の丸。
二の丸からみた三の丸橋。 -
二の丸。
南に移動して北北東方向に見た二の丸のサクラ。 -
二の丸。
北北西方向に見た二の丸のサクラ。
下やや右に見える赤い橋は三の丸橋です。 -
二の丸。
東に移動して二の丸橋渡り口にやって来ました。
橋の向こうが本丸です。
逆光です。 -
二の丸橋を渡り本丸に来ました。
振り返って北西方向に見た二の丸橋。
やはり順光の方が綺麗ですね。 -
東方に見た本丸。
ピンクのヒガンザクラ、薄いピンクのソメイヨシノと緑のマツの競演ってとこですか。 -
本丸。
少し東に移動して見た南方。
東屋がありますね。その向こうは段丘涯、さらにその向こうには伊那市街地があります。 -
本丸。
少し南東に移動しました。
春日城本丸址の碑です。 -
本丸。
少し北東方向に移動しました。
本丸と二の丸を結ぶもう一本の橋:本丸橋です。 -
本丸橋の上から東北東に見た二の丸。
丸く刈り込まれた低木はツツジ、右側は本丸から続く段丘涯です。 -
本丸橋の上から見た南方。
本丸の段丘涯です。 -
本丸橋を二の丸に渡り、振り返って見た本丸橋
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二の丸。
南方の段丘涯。
堀を挟んで右側が本丸、左側が二の丸です。 -
二の丸。
北西方向に見た二の丸。 -
二の丸。
北方に見た二の丸。 -
二の丸。
北東方に見た二の丸。 -
二の丸。
東に見た「春日城の変革」の碑。
大分汚れていて読みにくいので、碑文を写し取りました。
「天文(1532~1555)の昔平氏の遠孫栗田口民部重吉の16代の後裔がこの地に来て城を築く。この城を春日城と言う。城主は在名を氏とし伊那部大和守重慶と言い、始め300貫文を領して10騎の將であったが次第に増大す。本姓は春日氏であって伊那地方の重鎮であった。其の子但馬守重成が継ぎ、更にその長子左江門尉重親が継いだ。此の時次子重国を殿島につかわし殿島城を経営させた。弘治2年(1556年)武田信玄の為に斬られた郷士の中に春日河内守があるがこれは重親の子であろう。後の城主春日河内守昌吉は高遠城主仁科盛信の麾下の將となる。天正10年(1582年)織田信忠の大軍の来攻に遭い、城は悉く兵火に罹り炎上した。昌吉は部下を引きつれ高遠城に参じ、虎口の門を死守し討死し、盛信と運命を共にした。以来この城は復興の主がなく、廃城となる。
城原は天然の丘岬を利用して築城したもので、規模は宏大で本丸、二の丸、三の丸は空
堀によって分かれている。急囲の北、東、南は渓にのぞんでおり西は大手の位置で磯野に接している。城の東方に?丸があるが之を?花が埼と言い古来櫻の名所として知られている。」
漢数字はアラビア数字に返還してあります。( )内は著者が追加した西暦年代です。誤植があるかもしれませんし、全く判読不明の部分は「?」としました。ご了承ください。
春日城の概略の歴史についてはこれでご理解頂けると思います。 -
二の丸。
少し東に移動して見た東方。 -
二の丸。
少し南東に移動して見た北方。 -
二の丸。
東方。
前方は段丘涯です。 -
二の丸。
少し北に移動して見た北北東方向。
伊那の勘太郎碑です。 -
二の丸。
「伊那の勘太郎碑事跡」説明板。
「文化」は1804年~1818年です。
「元治元年」は1864年です。
伊那の勘太郎は実在の人物ではなく、任侠映画「伊那の勘太郎」の主人公です。
1943年に東宝から公開されて大ヒットしたことを記念し、ここに碑が建てられました。
若い人が読むと史実と思うかもしれませんが、これは映画のストーリーです。 -
二の丸。
「勘太郎月夜唄」歌碑。
「 影か柳か 勘太郎さんか
伊那は七谷 糸ひく煙り
捨てて別れた 故郷の月に
しのぶ今宵の ほととぎす」
作詞:佐伯孝夫、作曲:清水保雄、映画「伊那の勘太郎」の主題歌の1番です。 -
二の丸。
南に少し移動して、段丘涯の上から見た南南東方向。 -
二の丸。
北に少し移動して、段丘涯の上から見た南南東方向。
伊那の街がよく見えますねえ。 -
二の丸。
南南西方向に見た段丘涯。 -
二の丸。
南南東方向に見た伊那市街。 -
二の丸。
南東方向。 -
二の丸。
だんだん天気が良くなって来たので、今来たコースをまた写真を撮りながら公園の出口へと戻ります。
南に少し移動して見た南方、段丘涯のサクラ。 -
二の丸。
西南西方向。
本丸橋です。 -
二の丸。
少し北西に移動して見た本丸橋。 -
二の丸。
さらに少し北西に移動して見た本丸橋。 -
二の丸。
北西方向に見た二の丸。
左端は空堀です。 -
二の丸側から見た本丸橋をもう1枚。
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また本丸橋を本丸方向に渡ります。
北東方向。 -
本丸。
本丸橋を渡って本丸に戻って来ました。
南東方向。 -
本丸。
南南西方向。 -
本丸。
西方向。
右下は二の丸橋です。 -
本丸。
少し南に移動した南東方向。 -
本丸。
南南東方向の段丘涯。 -
本丸。
南東方向、段丘涯の下方。 -
本丸。
東北東方向に見た段丘涯。 -
本丸。
南東方向。雪を被った山は南アルプスです。 -
本丸。
少し北西方向に移動しました。
北北西方向。 -
本丸。
西北西方向。
右下は二の丸橋です。 -
本丸。
少し南に移動して見た西方向。 -
本丸。
南西方向。 -
本丸。
南方。 -
本丸。
少し南西に移動して、さっき渡った二の丸橋前に来ました。 -
二の丸橋を渡って二の丸に戻ってきました。
北西方向。 -
二の丸。
北東方向。 -
二の丸。
三の丸橋手前まで戻って来ました。 -
二の丸。
少し横に移動して見た三の丸橋。 -
三の丸橋を渡って北西方向に見た三の丸。
左の建物と塔はNHK伊那ラジオ中継放送所です。
塔が傾いて見えますが、これはレンズの歪みで実際は鉛直です。 -
三の丸。
西方向。 -
三の丸。
少し北西方向に移動して見た北北西方向。 -
三の丸。
少し西に移動して見た西方向。 -
三の丸。
東北東方向。 -
西に移動して三の丸から出ました。
南西方向。 -
少し西に移動して見た西方向。
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少し北西に移動して見た北西方向。
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少し南西に移動して見た南方向。
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少し南南西に移動して見た西方向。
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少し西に移動して見た西方向。
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少し北に移動して見た北方向。
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少し北東に移動して見た北方向。
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少し北東に移動して見た北方向。
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少し北に移動して見た南西方向。
もう殆ど公園の出口です。
この後駐車場で車を拾って次の目的地に向かいます。
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