2023/04/03 - 2023/04/03
190位(同エリア201件中)
関連タグ
gianiさん
- gianiさんTOP
- 旅行記181冊
- クチコミ320件
- Q&A回答0件
- 702,023アクセス
- フォロワー11人
佐賀駅から祐徳バスで、鹿島市を訪れました。
佐賀藩支藩の鹿島藩ゆかりの地です。
かしましい雰囲気はなく、味わい深い3エリアを訪れました。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
まずは鹿島城を目指します。
鹿島藩
1610年に佐賀藩の初代藩主鍋島勝茂が、弟の忠茂に2万石を分与したのが鹿島藩。1576年築の常広城(現在は市立北鹿島小学校)を政庁にする。参勤交代や長崎警護などの公役が課された。レストラン家族亭 グルメ・レストラン
-
鹿島城(1807-)
常広城は水害に弱く、幕府から高津原に城を移す許可を得、2年後の1807年に鹿島城が完成します。鹿島城址 名所・史跡
-
大手門
鹿島城の正面入り口。1807年築。写真は、城の内側から撮ったもの。 -
防衛上の配慮で、メインロードは曲がりくねっています。石垣は低めです。
-
武家屋敷
城内には、重臣が住んだ武家屋敷がありました。現在も石垣や土地割に、名残があります。写真は、藍田塾跡。 -
表札が出ている家が多く、江崎・江越・江頭といった佐賀的苗字も。
-
本丸に面したしっとりとした武家屋敷街。
-
本丸跡は、県立鹿島高校になっています。
-
赤門
1807年築。本丸御殿の入り口です。門内に鹿島高校の校舎が見えます。鹿島城赤門および大手門 名所・史跡
-
残りの部分は、公園として開放されています。
旭ケ岡公園 公園・植物園
-
お祭りがあるのか、屋台が並んでいます。弓道の道着姿の鹿高生が焼きそば買っていたりと、独特の雰囲気でした。
-
松陰神社
歴代藩主を祀る神社。初代二代目こそ、勝茂の弟の家系でしたが、三代目は勝茂の実子が養子入りし、そのまま幕末に至ります。 -
戦後の旭ヶ丘公園。
象が来たりと、楽しいスポットでした。
鹿島城は佐賀の乱で戦火に巻き込まれ、大手門赤門以外は焼失しました。 -
屋敷門
家老を務めた原家の屋敷門。 -
鬼塚
GTOのことではありません。古墳です。 -
直径30m高さ5m、県下最大の円形古墳。
6世紀のもので、地元の有力氏族のもの。 -
中は、こんな感じ。
発見された時点では、既に盗掘されていました。 -
古墳近くの寺院
真言宗中興の祖とされる覚鑁(かくばん 1095-1144)の生誕地です。誕生院 寺・神社・教会
-
レトロな駅があります。
構内に日本酒のバーがあり、昼間から営業しています。ななつぼしが停車する駅です。肥前浜駅 駅
-
駅前食堂
後世に残したい店(佐賀県産業政策課↓)に選ばれた店。
https://saga-nokositaimise.com/
美味しいけど、昼過ぎに完売。駆け込みセーフでした。金時食堂 グルメ・レストラン
-
浜宿
多良海道(多良往還)の宿場町。隣接する鹿島宿までは1里、太良宿までは2里1町。
多良千軒と呼ばれ、大いに栄えた。鹿島市浜中町八本木宿伝統的建造物群保存地区 名所・史跡
-
多良海道
江戸から長崎を結ぶ東海道・西国街道・長崎街道の脇道。
佐賀藩は長崎警護のために佐賀と長崎を往復したが、武雄温泉を経由する長崎街道は混雑する上に、他藩の領地(大村藩)を通過する必要があった。そこで、嬉野から諫早まで有明海沿いに街道を整備し、自国の領内だけを通ってスムーズに長崎へ向かえるようにした。これが多良往還。JR長崎本線も、このルートを選択している。 -
まずは、宿場の外にある在りふれた神社。
でも、実は教会跡。
日本での布教はイエズス会の歴史が長いですが、秀吉の時代にはスペインのドミニコ修道会も参入。ドメニコ会が肥前国で最初に開設した教会跡です。
江戸幕府は、後に痕跡をもみ消しました。若宮神社 (古枝) 寺・神社・教会
-
堂内は、こんな感じ。
-
乗田家
街道の裏手にある武家屋敷。屋根がL字型に曲がっているように見えますが、裏から見るとコの字型。佐賀平野独特のクド造りといいます。19世紀初頭の建築。旧乗田家住宅 名所・史跡
-
内部も公開されています。
持送りと呼ばれる庇を支える構造。
武家なのに農家風なのは、鹿島藩では半農半武の貧しい武士が多かったからです。 -
のどかな光景。
-
子供の落書き
-
街道筋には、レアな看板。捕鯨で繁栄したニッスイ(日本水産)は、鯨の肝油から始まる薬事(日水製薬株)も手掛けていました。昨秋に島津製作所傘下に移籍し、上場も廃止されています。
-
継場
宿場機能の中枢。荷物を運ぶ人馬の中継点。佐賀平野最南端に位置し、山道あるいは海路へ荷物を積み替える交通の要所として機能しました。 -
摺り上げ戸
継場の軒は取り外し可能な機能的な造り。 -
荷賃
幕府の公定価格に沿って請求しました。駄(馬)賃は本馬(max150kg)と軽尻(20㎏未満+人)、人足に分かれます。 -
継場の隣の洋風建築は、明治18年築の郵便局。昭和50年まで使用され、その後は公民館として使用。
-
酒蔵
藩の認可を得て、酒造りが17世紀から続いています。
多良岳の水は、清酒造りに適しています。最近は、焼酎も。 -
醤油
酒造りの副業として、味噌醤油づくりが。明治以降は部門として独立。 -
八本木地区の多良往還
通称酒蔵通りです。現在も4つの酒蔵が醸造中。他は、リノベされています。
浜川に沿って、広がります。 -
お酒に仕込む水が、開放されています。
-
魚市場跡
1964年に移転。こて絵で表記されていますね。 -
市内には6つの酒蔵が営業しています。
こちらは、観光も兼ねた面白いスペース。観光酒蔵肥前屋 名所・史跡
-
郷ひろみのデビュー曲。
半世紀前の話です。 -
アグネスチャンは、八重歯がナチュラルでキュート。
歯列矯正も考え物です。典型的香港美形。 -
トシちゃんも、たのきんトリオから独立。
-
レトロな空間。
-
街道が有明海にぶつかり、L字に折れ曲がって、浜金屋町地区。
いわゆる港湾地区。
現在線路が走っているあたりが、江戸時代の海岸線でした。
茅葺屋根の痕跡が。鹿島市浜庄津町浜金屋町伝統的建造物群保存地区 名所・史跡
-
こちらはズバリ3軒。
-
屋根が反っているのがキュート。
-
宿泊スペースとして再生中。
-
旧橋本家
元々は菓子屋。表の戸は、跳ね上げ大戸と摺り上げ戸の組み合わせ。 -
対岸には不思議な階段
-
登ると、
-
事比羅神社
いわゆる金毘羅神社の末社。というわけで、航海の安全を祈願。浜金屋地区の守り神だと、わかりますね。事比羅神社 (鹿島市) 寺・神社・教会
-
鹿島藩鍋島家の菩提寺です。
泰智寺 寺・神社・教会
-
前述のクド造り。こちらはコの字型の屋根。佐賀平野独特(一部筑紫平野)の屋根の形。降雨時の排水を重視しています。
-
三大稲荷の一つ。
佐賀駅から祐徳バスが、鹿島、浜を経由して運行されます。祐徳稲荷神社 寺・神社・教会
-
鹿島藩第3代藩主鍋島直朝の継室(後妻)の諡名にちなみます。
後陽成天皇の孫娘にして左大臣の娘でもある萬子媛が直朝に嫁ぐ際に、伏見稲荷から勧請した。子宝に恵まれるも、いずれも早世し、61歳の時にここで出家する。 -
門は、東照宮を模したもの。鎮西日光ともいわれます。
-
本社は崖の上。有料のエレベータもあります。
-
ここが本殿。
明治の神仏分離に伴い、寺の部分は廃寺。 -
石壁神社
萬子が仏尼僧として断食入定した室。
明治期に神社に改編。 -
嫁入り道具として持参した伏見稲荷の分霊が、明治政府の宗教政策を反映してピックアップされ、三大稲荷の一つに。なので、本人が出家した際は、寺院の片隅にある慎ましい稲荷祠にすぎませんでした。
-
境内の頂上から、有明海、浜宿を望みます。
鹿島藩の遺産は、結構見ごたえありました。 -
おまけ
浜金屋地区には、珠玉の鮮魚店が。
浜川沿いのカウンターでウナギを焼いています。
この煙にノックアウト。 -
焼きたてと、150円でレトルトご飯をチンしてもらいました。
絶品です!しかも魚屋価格で、お茶まで頂きました。
継ぎ足しのタレも国宝です。 -
このお店の主人がウナギを焼く姿は、佐賀県産業政策課が制作した「後世に残したい店」という冊子の表紙を飾っています。1918年創業。
※ウナギは地元の天然ものにこだわってきましたが、今は獲れなくなったので、鹿児島・宮崎産です。
次の旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11819638
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
太良・鹿島(佐賀) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
64