2022/03/28 - 2022/03/31
952位(同エリア1112件中)
ヒビーさん
東北海道一周の旅その6です
網走監獄見学の後編です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
10時35分頃です。
味噌醤油蔵に来ました。
ぷー 「ここにはぐでたま君の大好きなお醤油が造られるんだって」
ぐでたま「それは興味あるんだわ」 -
中に入って左側には醤油の歴史と醤油の出来るまでの工程が書かれていました。
また、醤油を作る道具や醤油樽もありました。
醤油の歴史は室町時代まで遡るそうです。
ぐでたま「ここではしょうゆは作れんの?」
ぷー 「ここは展示物だけだからね、また関東に行く機会があったらね」
ぐでたま「それは楽しみなんだわ」
ぷー 「う~ん、少なくともブログの更新が終わらない限りは次の計画は立てられないみたいだね」 -
右側には味噌の歴史と味噌の出来るまでの工程が書かれていました。
また、味噌を作る道具や味噌樽もありました。
味噌の歴史は醤油より古く、日本では平安時代に朝鮮半島経由で伝来されたそうです。
ぷー 「これだけあったら家で使うとなると何年もつんだろうね」
ぐでたま「ここで作っても、刑務所で使うんだから、あっという間になくなるんだわ」 -
農園刑務所として自給自足を目指していた網走刑務所は、1892年に30坪の味噌醤油工場を建てて味噌や醤油等の調味料を製造していたそうです。
1983年に再現され、面積は43平方メートルだそうです。
大豆は麦についで耕作面積が広く、仕込みの手加減で微妙な味となるそうで、製造は経験の長い受刑者が専属にあたったそうです。
この蔵に展示してある大きな樽は、五十石という樽で約9000リットル(1升ビン約5000本)もの醤油が入る巨大なものだそうです。
ここに保存されている醤油桶は民間で使用されていた物だそうですが、当時刑務所で使用されていた物と全く同型だったそうで、篤志家から寄贈を受けた物だそうです。かき混ぜる為の櫂棒と呼ばれている棒も展示されていました。
ぷー 「これだけあったらぐでたま君満足だね」
ぐでたま「毎日飲み放題なんだわ」 -
10時40分頃です。
休泊所に来ました。
受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業をする場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊まりをしていたそうです。
1891年の網走から札幌へと続く中央道路開削工事では、延べ1200人の受刑者が投入され、工事の進行に伴い休泊所を解体しては移動して行ったそうです。
別名「動く監獄」と呼ばれ、その建て方は丸太が材料で、壁は60~90センチ位掘って割り板を縦に打ち込み、部屋の中央は土間で突きあたりがトイレだったようで、囲いはなく四六時中監視されていたのです。
寝床は板張りで、枕の代用として丸太棒が床に釘づけになっていて、夜具は薄い柏布団1枚だったそうです。
出入口も1か所で、逃亡を防ぐ作りになっています。
後の厳しい監視と強制労働で知られる一般労務者の飯場(たこ部屋)の作りは、これを模したと言われているそうです。
1983年に再現されたそうで、全長は12平方メートルだそうです。
ぷー 「解体して移動してまた建ててを繰り返すんだって」
ぐでたま「過酷なんだわ~」 -
中に入ると囚人が毛布を被って寝ている様子が再現されていました。
ぷー 「寝床が固くて寝られるのかな?」
ぐでたま「特に冬は寒くて大変そうなんだわ」 -
入り口には看守が見張っていました。
ぐでたま「囚人も大変だけど、看守も大変なんだわ」
ぷー 「常に目を光らせないといけないから、神経がすり減りそうだね」 -
こちらは起きたばかりの囚人のようです。
ぷー 「囚人に触らなければいいんだよね」
ぐでたま「木の枕の上で、撮影するんだわ」 -
こちらも休泊所で、先程の物とは形が異なっています。
丸太で組まれ、屋根は茅葺きのようです。
ただ、この時期は雪対策で茅葺きの部分は撤去されていたようです。
ぷー 「この中にも何かあるのかな?」
ぐでたま「入って見るんだわ」 -
中に入ると看守と眠そうな囚人とまだ寝ている囚人の様子が再現されていました。
ぐでたま「眠そうなんだわ」
ぷー 「そりゃそうだよ、重労働でこんな環境で寝泊まりするんだから疲れだって取れないよ~」 -
ぐでたま「こっちも眠そうなんだわ」
ぷー 「でも早く起きないと怒られるよ」 -
奥へ進むと看守が指を差していました。
ぷー 「ほら、ぐでたま君が眠そうにしてるから怒られちゃったよ」
ぐでたま「ごめんちゃ~い」 -
ぐでたま「って何でぐでたまが謝る必要あるん?」
ぷー 「こっちの囚人が怒られてるみたいだね」 -
休泊所の中央部分にはテーブルが置かれており、囚人が立ったままで食事をしている様子が再現されていました。
ぷー 「梅干し入りのご飯とテーブルにある沢庵だけみたいだね」
ぐでたま「朝ご飯ってこれだけなん?」
ぷー 「ぐでたま君、そこにいるとおかずだと思われて食べられちゃうよ」
ぐでたま「食べられる前に撤収するんだわ」 -
10時50分頃です。
耕転庫に来ました。
農園刑務所として全国的に有名な網走刑務所は、アメリカの近代的農業制度を取り入れていたそうで、その技術は非常に進歩していたものだそうです。
1896年に開墾された農地は21800アールにもなり、農機具や肥料を入れておく倉庫や、収穫された作物を入れる小屋が、このような板葺きや草葺きで10棟あったそうです。
刑務所内の敷地だけでなく、網走市郊外の二見ヶ岡、湖畔、住吉といった各農場の拡張が進められ、日本で唯一水田を持つ刑務所となり、その実績が認められ、1922年に司法省より「農園設備特設刑務所」に指定されたそうです。
こちらの耕転庫は1891年に建築されたそうで、2002年に再現されたそうです。
面積は約77平方メートル程だそうです。
ぷー 「こっちは農作業に関連するものが展示されているみたいだね」
ぐでたま「手前から順番に見るんだわ」 -
中に入ると季節ごとに使用する道具の説明が書かれており、道具そのものも多数展示されていました。
ぐでたま「たくさん道具が、あるんだわ」
ぷー 「季節に応じて色んな道具が使われていたんだね」 -
耕転庫の奥には囚人が鍛冶作業を行っている様子が再現されていました。
ぷー 「農機具もこうして囚人達で作られていたんだね」
ぐでたま「ここにいると上から叩かれるんじゃね?」
ぷー 「ぐでたま君に至ってはそのままかまどに入れられそうにも見えるね」
ぐでたま「ぷー君、ひどくね?」 -
耕転庫の隣にはつけもの庫がありました。
網走地方で野菜の自給耕作が始まったのは1882年で網走農業の始まりと言われているそうです。網走分監でも創設時にまず野菜が栽培され、やがて二見ヶ岡や湖畔農場の開墾によって穀類も生産され自給体制が整ったそうです。
野菜は季節の食膳に供され、秋になると収穫した大根を乾かして、桶(3000本)にたくあん漬けとして大量に貯蔵し、その味は天下一の評判だったそうです。
ぷー 「こっちは漬物を保管しておく建物みたいだね」
ぐでたま「中はどうなってるん?」 -
中に入ると醤油樽並みの大きさの桶が複数置かれていました。
桶は二十五石桶と言われ、桶の大きさは高さ168センチ、直径166センチのようです。
当時はこの中に3000本の大根と約90キロの塩と同僚の糠で漬け込まれ、十数個の石で200キロ程の重しがかけられたそうで、3ヶ月程経つとちょうど食べごろになったそうです。
現在は「一押し」と言う荒漬けで水分を抜いたのち、本漬けする方法が取られているそうです。
また、大根の葉も乾燥させて、煮物や味噌汁の実として蓄えられたそうです。
刑務所では収穫した蔬菜の他、フキ・ワラビ等で漬物が造られていたそうで、その量はたくあんで約9トン(大根で約9000本)必要とされていたそうです。
沢庵は2月から6月頃まで、それ以外の期間はタイナ・キュウリ・キャベツ・白菜等の「新漬け」が供されたが、その量は一回約25グラム(沢庵3切れ程)程だったそうです。
現在では刑務所内で漬物製造は行われていないそうです。
ぷー 「1人たった3切れ?」
ぐでたま「少なくね?」 -
監獄歴史観の前には道路建設現場の囚人の像がありました。
ぐでたま「重そうな棒なんだわ」
ぷー 「それだけでなく、足に重りのついた鎖がつながれてるよ」 -
こちらは重そうな石を持ち上げる囚人の像です。
こちらにも足に重りのついた鎖がつながれていました。
ぷー 「重そうだけどこの上で記念撮影しよう」
ぐでたま「そう思うんなら、石の下で撮影するんだわ」
この格好から見て実際の石の重さは相当重いと思われます。 -
こちらは休憩スペースとなっていました。
八華亭と書かれているようです。
ぷー 「見る所はまだまだあるからね」
ぐでたま「これだけ広いと、休憩スペースは必要なんだわ」 -
イチオシ
11時5分頃です。
監獄歴史館に来ました。
こちらには網走監獄に関する歴史的資料や網走に監獄が設置された理由を「赫い囚徒の森」体感シアターを中心に紹介されています。
歴史館メイン展示は、中央道路の開削をテーマにした映像展示となっており、左右前方の3面に映し出される映像が120年前の過酷な道路現場にタイムスリップしたような感じになるようです。
また、新法に基づく現在の網走刑務所居室も忠実に再現されているそうです。
網走刑務所に関する映画についても展示されているようです。
ぷー 「映画に出てくる人って幾寅駅のポスターに貼ってあった人と同じみたいだね」
ぐでたま「そうなん?」
なお、この建物の内部は撮影が禁止されているので写真は1枚もありません・・・
ぷー 「お金はかかるけど記念撮影が出来る機械があったよ」
ぐでたま「どれどれ、ってヒビーがまるで囚人みたいなんだわ」
ぷー 「ヒビーが悪い事して捕まったらこんな顔写真がテレビや新聞に載るんだね」
ぐでたま「まあ~それ以前に、悪い事する度胸もない気もするんだわ」
300円を入れると刑務官が命令口調で背筋を伸ばせだのムスッとした顔をしろだのと言って撮影が進み、撮り直しが1回だけでき、写真が出来上がると「もう戻って来るんじゃないぞ」等と言うのでした。
その機械の近くの壁には撮影した写真を貼るスペースがあり、見て見ると本当にムスッとした顔で撮らなくても良さそうでした。
後日母親・姉・妹にLINEで見せたら爆笑したそうです・・・ -
11時45分頃です。
二見登り窯に来ました。
日本の監獄では、明治時代、西欧にならい近代的な獄舎を建築する為に、刑務作業として受刑者による煉瓦製造が積極的に行われていたそうで、監獄用地内の粘土を使用し大量の煉瓦を焼いたそうです。
網走監獄においても明治から大正にかけて、所内の建物、特に正門・懲罰房・サイロ・倉庫等は煉瓦で建築されたそうです。
網走監獄三眺山の傾斜を利用し効率よく大量に焼ける登り窯を活用したそうです。
しかし、時代とともに電気窯へと替わり、登り窯はその役目を終えたそうです。
博物館では網走刑務所のシンボルになっている赤煉瓦を体験講座ワークショップ等で利用する為、また展示物として往時を偲び三連登り窯を復原したそうです。
ぷー 「赤煉瓦も網走刑務所の歴史の一つみたいだね」
ぐでたま「写真は反射して、良く見えないんだわ」 -
網走監獄二見湖畔神社に来ました。
この神社は網走刑務所二見ヶ岡農場の受刑者が、1913年に二見ヶ岡を見下ろす位置に桜を植え、社を建てたそうです。
神明造りの小さな社ですが、受刑者にとっては春の種まきから秋の収穫を祈願し、安全を祈る大事なもので、11月3日には収穫祭が行われていたそうですが、その後受刑者も減り、宗教的な事もあって収穫祭は行われなくなったそうです。
2001年5月に博物館網走監獄二見ヶ岡農場を見渡す位置に設置されたそうです。
ぷー 「農作業を行うのに欠かせない存在なんだね」
ぐでたま「ちゃんとお祈り、するんだわ」 -
イチオシ
旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所に来ました。
こちらは重要文化財に指定されているそうです。
この建物は網走刑務所の農園作業の先導的施設として1896年に網走の西方丘陵地に「屈斜路外役所」として設置されたそうです。
網走湖、能取湖の二つの湖を願望できる位置に建設され、その後「二見ケ岡刑務支所」として改名されたそうです。
1世紀を超えた今日も、網走刑務所収容者の食糧を担う場所として、また広い農場で収容者が作物の管理から収穫まで自立的に行う開放的処遇施設として重要な役割を果たしているそうです。現存する木造刑務所として最古で1999年に博物館に移築したそうで、面積は1933平方メートルだそうです。
各建物の建築年代は、庁舎、舎房、炊場が創建当時の1896年、教誨堂及び食堂が1926年、鍵鎖附着所が1930年だそうです。
1896年当時は各建物が独立して建っていたそうですが、大正以降施設の重要性が高まるとともに必要な建物を整え、渡り廊下で接続し、庁舎も改築され、ほぼ現状の586坪の農場施設になっている。
ぐでたま「これまた見応えのある建物なんだわ」
ぷー 「写真の撮りごたえはあるけど、載せる写真はある程度絞らないとね」 -
まずは庁舎部分(47坪)から見て行きます。
小規模な洋風建築で外壁は下見板張、屋根は寄棟造鉄板葺きだそうです。
小屋組はキングポストトラスで、突出部は和小屋となっているようです。
南面中央に玄関を付し、南北に廊下を通し、東に事務室、西に宿直室、休憩室という配置となっているようです。
床中央部は煉瓦敷き、他はコンクリートの土間で、天井は鏡天井で廻縁に繰形を施されているようです。
全体的に簡素ですが、玄関の妻飾りや窓上部の蛇腹、扉枠に装飾が施されているようです。
ここは二見ヶ岡農場の責任者である場長及び刑務官、技官等が事務を執る部屋で、受刑者に効率よく作物を収穫させるように、作付面積・肥料・人員配置等、綿密に計画を立てていたそうです、天候に左右される作業なので、農繁期は一般の農家と同様、時間外労働で収穫作業に追われていたそうで、刑務官も夜遅くまでこの部屋で仕事を行っていたそうです。
ぐでたま「これ以上入れないように、仕切ってるんだわ」
ぷー 「仕切りぎりぎりの所から撮影だね」 -
刑務所の中撮影場と書かれた札の部屋に入りました。
刑務作業の様子を再現されていたり、昔の刑務所の写真等も展示されていました。
ぐでたま「何作ってるん?」
ぷー 「多分ティッシュを入れる木の箱だね」
ぐでたま「壁にも写真やポスターが、貼ってるんだわ」
ぷー 「あのピンクの紙にぐでぐでするなって書いてない?」
ぐでたま「んあ?そんな事、書いてないっしょ」
ぷー 「う~ん、ぐでぐでじゃなくてくよくよみたいだね」 -
こちらには本日の洗濯の当番を示す板がありました。
ぷー 「じゃあ~今日の洗濯当番はボク達だね」
ぐでたま「めんどくさいから、ぷー君に任せるんだわ」 -
食堂に来ました。
食堂は一室の土間で天井は棹縁天井で、大きな角形の菱形格子換気窓を2ケ所設けているようです。窓は欄間付引違窓で外部に木製竪格子が付いているようです。
ぷー 「みんな前を向いて食べてるね」
ぐでたま「これってコロナ対策なん?」
ぷー 「違うと思うよ、お喋りや喧嘩をしないようにする為じゃない?」
ぐでたま「そっか~、そういやアクリル板もないんだわ」 -
ぷー 「それよりボク達もご馳走になる?」
ぐでたま「休泊所と比べて、お味噌汁とお茶もついてるんだわ」 -
鍵鎖附着所に来ました。
農作業に出入りする際に戒具である鎖の着脱を行う場所で、2階建寄棟造、鉄板葺のようです。 作業場は、平屋建て切妻造鉄板葺きのようです。
外壁は下見板張。北を足洗場とし、細長い足洗槽を設け、南は洗濯場となっているようです。
ぐでたま「ここで何してるん?」
ぷー 「ここで鎖の脱着をするみたいだね」
ぐでたま「自由になりたい」
ぷー 「自由になりたいならしっかりお勤めをしないとね」
規則の変化とともに戒具を装着させないようになってからは、受刑者が農場から帰り、泥で汚れた足や長靴の汚れを洗い、衣類を洗濯する場所へと使われ方も変わっていったそうです。 -
こちらの窓を覗くと・・・
ぷー 「うわああ!!出たあ!!」
ぐでたま「おっ、お化け!?」
説明書きを見逃しましたが、足洗い場か洗濯場かと思われます。 -
ぷー 「頭上注意だって」
ぐでたま「ここの部分、段差があるんだわ」
天井部分に気をつけながら2階に行きます。 -
2階は雑品庫、衣服庫、図書庫となっているようで、床は全面板張で頂部に明り取り窓を廻し、天井は棹縁天井を張る外は、キングポストトラスが現れているようです。
ぷー 「さすがに全部は撮りきれないね」
ぐでたま「それもあるかも知んないし、撮り忘れたのかも知んないし」
ブログ更新時に公式ホームページを見返すと、炊場等の写真を撮っていないようでした・・・ -
そうして見学を続けていると・・・
ぐでたま「今度はぷー君が怒られてるんだわ」
ぷー 「ひいい~、ごめんなさ~い、って違うから・・・」
看守が指を差しているのは刑務作業をしている囚人に対してでした。 -
講堂と書かれている部屋(教誨堂)に来ました。
講堂の入り口付近には昔の受刑者の生活の様子の模型が展示されていました。
ぷー 「細かい所までよく出来てるよね」
ぐでたま「当時の様子が、良くわかるんだわ」 -
教誨堂は板敷きの一室で、床を高めて舞台を設け内部の壁は漆喰風仕上げ上下ガラス窓を並べ、竪板張の腰壁を巡らしている。天井は丸形の中心飾りや角型の換気口が付けられているようです。小屋組はクイーンポストトラスのようです。
ここは受刑者の犯罪ですさんだ心を宗教の力で更生させようとする教誨事業が行われた講堂だそうです。
僧侶、牧師さん、民間有志の方々が訪れ受刑者を慰問したそうです。
建築当時は正面に祭壇が設けられていたそうですが、戦後は宗教色をなくし舞台として使用されていたそうです。
照明器具の天井飾りや押上窓など洋風建築が取り入れられ、本所の教誨堂と同じ建築様式になっているようです。
受刑者の心のよりどころとして教誨堂は特別な場所だったそうです。
ぷー 「ぐでたま君はいつもぐでぐでしていてごめんなさいって懺悔しようね」
ぐでたま「ぷー君も、いろんな人からはちみつをもらって返さないでごめんなさいって、懺悔するんだわ」 -
舎房に来ました。
舎房外壁は下見板張で屋根は切妻造鉄板葺きで中央に中央見張所が置かれていたそうです。
東に第1舎、西に2舎の直列配置ですが、創建当時は北にも舎房を延ばしT字形の配置だったそうです。
中央見張所は床を板張、天井は鏡天井で二重に蛇腹を巡らして折り上げ、壁は漆喰塗りで竪板張の腰壁を巡らしているようです。
内部は中央を通路とする向かい房で、六畳の広さの雑居房が各20房となっているようです。
通路と房の間の壁は中央を木製扉、両脇断面を平行四辺形とし竪格子で上部に木製竪格子付きの窓が付いているようです。
小屋組は中央見張所がキングポストトラスで第1舎はトラスと和小屋を組み合わせた小屋組、第2舎は下弦材を連結しないクイーンポストトラスに似た形の小屋組のようです。
木造獄舎としては現存する最古の舎房で、左回りに第1舎・第2舎・第3舎と十字型で構成されており、1950年の収容者減少にあわせて、第2舎房を取り壊し2つの舎房が使用されていたそうです。
部屋の特徴は鎧(斜め格子)椅子・向かい合い房・視察孔・食器口・天井観察窓・本所の舎房と同じように造られているようです。
廊下は煉瓦敷き、トイレは置き便器が置かれていたようです。
時代とともに収容者の人権に配慮し、壁を取り除き独居房を確保する為アコーディオンで間仕切り、個室に整える工夫もなされていたようです。
廊下にはストーブが2台しか置かれていなかった為、真冬の寒さを凌ぐように壁にコンパネを打ちつけ、天井にビニールを張り、熱が逃げないように防寒対策をとりながら100年以上風雪に耐え使用されてきたそうです。
ぷー 「ここから先が俗に言う牢屋だね」
ぐでたま「長い通路なんだわ」 -
こちらには受刑者の動きを封じる鎮静衣や防声具等が展示されていました。
ぷー 「こういうのがないと看守が危険に晒されるからね」
ぐでたま「身を守る為の、道具なんだわ」 -
ぷー 「さあ~ここが牢屋だよ」
ぐでたま「悪い事をしていると、入れられるんだわ」 -
すると看守が指を差し・・・
ぷー 「え!?ボクが入るの」
ぐでたま「しっかりと、お勤め果たして来るんだわ」 -
ぷー 「わ~ん、早く出してよ~」
ぐでたま「ぐでたまも一緒に、入れられたんだわ~」
禁固1分程に相当したようです・・・
なお、入ってはいけませんとは書いてなかったので、恐らく人が入って記念撮影してもいいのかもしれません・・・ -
イチオシ
12時5分頃です。
舎房及び中央見張り所に来ました。こちらは重要文化財に指定されているそうです。1912年に建築され、1985年に移築されたそうです。
面積は約3333平方メートルで見学できる建物の中では一番大きな建物だそうです。
この建物は木造平家建、中央見張所を中心に側面から後方に放射状に建つ五つの舎房からなり、間を渡り廊下で接続しているため五翼放射状房と呼ばれているそうです。
舎房外壁は下見板張で、屋根は桟瓦葺でしたが、現在は鉄板葺となっているようです。
舎房は北から順に第一舎から第五舎とし桁行きは第1・3・5舎が558.2メートル、第2・4舎が72.7メートルだそうです。
内部は中央を通る向かい房、第4舎80房と第5舎奥の20房を1.5坪の独居房とする以外は、各棟3坪の雑居房で226房の構成だそうです。
厚さ7ミリの明り取り窓が第1・3・5舎は2ヶ所、第2・4舎は各3ヶ所付いてるそうです。
壁を破られないよう壁内の柱は雑居房で約30センチ間隔、独居房は約21センチ間隔で密に立てられているそうです。
小屋組は下弦材を鉄筋でつないだクイーンポストトラスの小屋組、中央部分は逆Yの字の鉄筋の開き止めを露出させているそうです。
床は煉瓦敷の土間、房は板敷きで各房の隅に便所用の枠を設け、房内の壁は木摺漆喰塗りで房天井は厚さ15ミリの板を張った鏡天井だそうです。
通路と房を隔てる壁は中央を木製扉、両脇を竪格子、上部に鉄格子付きの窓が付いているそうです。
竪格子は平行四辺形断面もしくは「く」の字形断面の格子となっており、換気や暖房に配慮しつつ向かい房同士が見通せない工夫がなされているそうです。
木製の扉は片開きの框戸で上部に鉄格子付きの視察孔、下部に食器口を設け、大型の鉄錠がつけられているそうです。
房内の壁側は床から1.5メートルの高さに欄間付き引違ガラス窓で外に鉄格子がつけられているそうです。
中央見張所は、中央八角形の哨舎を置き各舎房の渡り廊下を見通すようになっているそうです。
ぐでたま「さっきの所とは違う牢屋なん?」
ぷー 「さっきのが二見ヶ岡支所でこっちは本所になるみたいだね」 -
こちらが中央見張り所の見張り台です。
ぐでたま「ここから5方向を見張るん?」
ぷー 「効率良く見張れそうだね」
ぐでたま「横には傷つける行為は、絶対におやめくださいって書いてあるんだわ」
ぷー 「ボク達は置いて写真を撮るだけだから大丈夫だね」 -
こちらには五寸釘寅吉超人伝説について書かれており、踏み抜いた大きさの釘の模型が展示されていました。
本名は西川寅吉で、日本において過去に脱獄を最も多く行った事で知られた人物だそうです。
西川の体力には並外れたものがあり、秋田刑務所から脱獄する際、五寸釘の刺さった板を足で踏んだが、そのままついに捕まるまで約十二キロを逃げきったという伝説が生まれ、それが五寸釘寅吉の名の元となったそうです。
網走刑務所に来た頃には模範囚になっていたそうです。
ぷー 「こんなの足に刺さったら痛くてその場から動けないよ~」
ぐでたま「想像しただけで、恐ろしいんだわ」
他にも受刑者の脱獄防止の為に、サーベルと刀・猟銃等も展示されていました。 -
ぐでたま「あんなの足に刺さって逃げるくらいなら、ここにいた方が良くね?」
ぷー 「良くはないけど痛い思いはしなくて済むかも?」 -
舎房の通路を撮影しました。
ぷー 「中央見張り所で見張るだけじゃなく、歩いても見張るんだよね?」
ぐでたま「そうだとしたら、いい運動になるんだわ」 -
第1舎は雑居房総数32房あり、1房辺りの広さは9.9平方メートルで収容定員は3~5人だそうです。
この房は壁の格子に特徴があるそうで、鎧格子(斜め格子)となっているそうです。
菱形の柱を斜めに組んでいて、等間隔に隙間をおきながら作られている為、廊下側からは部屋の中が見えるが、部屋の中から廊下を挟んで向かい側の部屋の中は見えないように作られているそうです。
ぐでたま「この電話っていったい何に使うん?」
ぷー 「1・看守がお腹が空いたときに出前をとるのに使う、2・受刑者が用事がある時に使う、3・受刑者が・・・」
ぐでたま「もうええわ~まともな答えじゃないし」
ぷー 「え~、受刑者同士が揉めた時に応援を呼ぶとか、火事になった時に知らせる時に使うと思ったのに~」 -
第一舎から第三舎までは雑居房で、部屋の作りはこのようになっていました。
ぷー 「すりガラスの所は何だろうね」
ぐでたま「便所じゃね?」 -
こちらが網走監獄舎房内部の平面図です。
ぐでたま「こうしてみると、第四・第五舎房には独居房があるみたいなんだわ」
ぷー 「そうみたいだね」 -
第四舎に来ました。
こちらは独居房で約3畳で収容定員は1名です。
規則違反をしたものや他の受刑者と一緒に生活できない者を独居房に入れるそうです。独居房は他の者との接触を絶つのが目的なので、格子も矢筈格子で部屋の中から廊下が見えないようになっているが、わずかな隙間からは暖房の温もりが伝わるようになっていて、扉も鉄になったいるようです。
ぐでたま「懲罰執行中って書いてあるんだわ」
ぷー 「何の懲罰だろうね」
写真からは何の懲罰かはわかりませんでした。 -
ぷー 「こっちは房内作業だって」
ぐでたま「見る限り内職っぽい?」 -
監獄の中で規律違反の行為を繰り返し行う者には懲罰が与えられ、些細な事であれば典獄の判断により職員の訓戒で済ませられる事もあるが、違反行為が他の者の秩序を乱す時は「屏禁罰」という罰が与えられるそうです。
「屏禁罰」とは独居房の中に昼夜一定の期間入れ、部屋から出さないで減食させ反省させるという罰で、さらに重屏禁となると闇室に移り臥具も与えられないという厳しい罰もあるそうです。
ぷー 「この人が罰を受けているかどうかはわからないけどね」
ぐでたま「観念して模範囚を目指すんだわ」 -
こちらが受刑者が使用していた布団一式だそうです。
網走の真冬は零下30度に下がる事も珍しくなかったそうで、暖房の入った監房の中でも零下8~9度だったそうです。
吐いた息が壁に当たると見る間に凍りついて無数の金平糖が出来たそうです。
うっかりすると眉毛の先や鼻の頭にも出来るので、気をつけて鼻をもんでいないと火傷のようにどろどろになって腐ってしまうそうです。
ぷー 「ひいい~暖房が入っていてもそうなるの?」
ぐでたま「恐ろしい・・・」 -
こちらは第五舎の雑居房の様子です。
ぐでたま「みんなでご飯を食べてるんだわ」
ぷー 「雑居房は相性のいい受刑者同士だったら少しは気が楽かもね」 -
網走監獄では開設当初は薪ストーブを使用していたそうですが、時代と共に石炭ストーブ・石油ストーブ・スチーム暖房と近代的に整備されていったそうです。
第五舎58メートルの廊下にはストーブ2台設置されていたそうで、設置については均等に温かさが伝わるように非常に神経を使い位置が決められたそうです。
こちらの薪ストーブと煙突は当時使用されていた物と同じ物の制作を依頼して、受刑者が仕上げた物だそうです。
ぷー 「昔は薪ストーブだったんだね」
ぐでたま「薪を集めるのも、しんどいんだわ」 -
ぐでたま「あっ、あの看守さん、もしかして拳骨しようとしてるん?」
ぷー 「違うと思うよ・・・」 -
こちらには居房備品員数表が貼られていました。
ぷー 「時々数を確認するのかな?」
ぐでたま「便器とかはなくならんしょ」 -
薪ストーブから煙突がこれだけ長く伸びていました。
ぷー 「これだけ長いと途中で外れないように気をつけないとね」
ぐでたま「煙突掃除も大変なんだわ」 -
12時25分頃です。
舎房および中央見張り所の見学が終わって外に出ました。
こちらの煉瓦は現在の網走刑務所の外塀に使われていた煉瓦の一部で、最近工事用出入り口を作る為に取り壊されたものだそうです。
屏の構造は地下1.8メートルを掘り下げて丸太を打ち込み、布コンクリートの上に軟石の基礎石を敷き、その上に煉瓦を3丁3段積みから最上部は1丁半積んで、更にその上に30センチの笠石を置いたつくりになったいるそうです。
ぷー 「この中では比較的歴史が浅い物なんだね」
ぐでたま「歴史が浅くても、趣があるんだわ」 -
イチオシ
浴場に来ました。
網走刑務所では「差湯方式」の浴場が1909年の大火で焼失後、こちらの浴場が1912年から1979年まで使用されていたものを再現したものだそうです。
コンクリートの浴槽に蒸気で湯を沸かす方式で、当時としては近代的な浴場だったそうです。
1983年に再現されたそうで、面積は約208平方メートルだそうです。
1872年監獄則には毎日作業終了後に入浴するように定められていたそうですが、実際には6~9月は月5回・他の月は1回だったそうです・・・
現在では一日おきに入浴できるようです。
ぷー 「夏場で月5回で他の月は1回!?」
ぐでたま「くちゃいくちゃい~」
ぷー 「今は割と普通になっているみたいだね」
ぐでたま「下手すると受刑者の方が、清潔かもしんないんだわ」 -
こちらは脱衣場のようです。
「脱衣場」では15人ずつが担当の看守に引率されて脱衣棚の前に整列し、「番号」「脱衣」の号令で衣服を脱いで棚に入れるそうです。
脱衣棚上の金網は反対側の者と、物のやり取りができないように取りつけてあるそうです。
看守2名以上が立会し、1名は脱衣場の台の上から看視し、1名は浴槽前の「看守所」から入浴の指示をするそうです。
入浴の時間は脱衣から着衣まで15分間で、一層入浴3分、洗身3分、二層入浴3分、洗顔し体を拭いて脱衣所に戻るそうです。
その間、引率の看守は看守所の反対側で看視をしているそうです。
ぷー 「全部でたった15分!?」
ぐでたま「時間が足りないんだわ」 -
こちらが先程説明した「看守所」のようです。
ぐでたま「ずっと見られてたら、落ち着かないんだわ」
ぷー 「もっとも時間がないから落ち着く暇もないんだけどね」 -
ここは大勢が一緒に入浴する「雑居浴場」で、別に独居拘禁されている者が入浴する「独居浴場」があるそうです。
刑務所では受刑者の罪質や性格・成績によって作業班を編成しているそうで、他の班との接触を避けるようにしているそうなので、入浴の場合も綿密に時間を決めているそうです。
入浴に必要な備品として、受刑者には白色のタオルと石鹸が官給品として支給されたそうです。
成績優秀者は官給品の他に、所内で指定された物の中から選んで購入する事が出来たそうで、これを「自弁品」と言うそうです。
石鹸は盗んだり無駄遣いをさせないように穴をあけて吊るしたり、袋に入れて使わせていたそうです。
ぷー 「今でもボディーソープじゃなくて石鹸なのかな?」
ぐでたま「多分そうじゃね?」
ぷー 「あれだけ体に絵が描いてあったら洗うの大変そうだね」
ぐでたま「あれって入れ墨じゃね?」 -
イチオシ
12時30分頃です。
煉瓦造り独居房に来ました。
明治時代、監獄内の規則を守らない者には食事の量を減らし、一定の期間生活させる罰があったそうです。
窓のない真っ暗なこの独居房での生活は受刑者にとって大変つら生活だったそうです。
この独居房には窓がなく、扉は二重、しかも煉瓦の壁の厚さは40センチ以上もあるそうです。
この煉瓦造り独居房は1912年に造られ、1991年3月に移設されたそうです。面積は10平方メートルだそうです。
こちらは重要文化財に指定されているそうです。
なお、刑務所の規則の移り変わりにあわせ「懲罰房」「鎮房」「保護房」と呼び名も変わっていったそうです。
ぷー 「頑丈そうな建物だね」
ぐでたま「ここでしっかり、反省するんだわ」 -
ぐでたま「って重要文化財なのに入って大丈夫なん?」
ぷー 「手を入れて撮影してはいけませんって書かれていないから大丈夫じゃない?」 -
懲罰房に来ました。
こちらは樺戸集治監の懲罰房だそうです。
この房の立ち並ぶ周囲は木屏で覆い、その中を闇堂といい、房は外から光が入らないように造られ「闇室」と呼ばれていたそうです。
獄内規則を犯した受刑者が7昼夜重湯のみが与えられて入居させられたそうです。
1912年に建築され、1983年に再現されたそうで、面積は4.86平方メートルだそうです。
ぷー 「さっきより簡単な造りだね」
ぐでたま「ここでもしっかり、反省するんだわ」 -
ぷー 「ここには既に先客がいるね」
ぐでたま「ぐでたま達が入ったら、独居房じゃないんだわ」 -
独居房は、1囚1房を理想とする監獄法に基づいて、網走分監創設時には16棟あり、1912年の再建時には34棟あったそうですが、社会復帰が行刑の目的となるにつれて、「社会性が養われる雑居が重視されるようになったことと、管理の手間がかかること」から次第に使われなくなったそうです。
当時の資料をもとに再現した独居房は、板張りの小屋で、屋根は瓦葺き、内部は土間と居室に分かれ居室は畳2枚分の板張りになっていて、入口と欄間から明かりが入るだけのようです。
ぷー 「確かに管理の手間がかかりそうだね」
ぐでたま「廃止をすれば、税金の無駄遣いが減るんだわ」 -
ぷー 「ここは中に入れないみたいだね」
ぐでたま「ぷー君、まだ反省したりないん?」
ぷー 「反省する為に入るんじゃなくて記念の為に入るの」
ぐでたま「いずれにしても、開かないから写真撮るだけなんだわ」 -
イチオシ
教誨堂に来ました。こちらは重要文化財に指定されているそうです。
1912年に建築され、1981年に移築されたそうで、約405平方メートル近くあるようです。
この建物は教誨事業の行われた講堂で、教誨とは収容者対して行う精神的、倫理的、宗教的な強化指導のことだそうです。
僧侶や牧師さんが受刑者に人の道を説き、更生へと導くように尽くした場所でもああったようです。
建築にあたり、受刑者は精魂こめて作ったと語り継がれているそうです。
屋根は桟瓦葺入母屋造りのようです。
小屋組みは二重梁より上にキングポストトラスを組み込んだ大スパンのクイーンポストトラスで、柱と陸梁を方杖で固め、無柱の大空間を実現しているようです。
内部は板張の一室で、正面舞台と左右に脇室を供えるようです。
内部の壁は漆喰風仕上げで腰板は竪板張り、天井は蛇腹を二重に廻し折り上げた天井で、丸形の中心飾りが三箇所付けられているようです。
外壁は隅のみ柱形を付けた下見張で、腰を竪板張り、櫛形ペディメント付きの上下窓が設けられているようです。
軒は垂木で隅を扇に配り、軒反りを付け、妻飾りの破風には植物の葉をあしらった独特の鰭付懸魚を吊っているようです。
和洋折衷の意匠や技法を組み合わせた建築であり、細やかな細部意匠に司法省の設計水準の高さや施工技術が示されているそうです。
戦後は教誨堂で軽スポーツや舞台が造られて演芸会や映画会が催され、受刑者達の唯一の憩いの場となったようです。
ぷー 「ここは建物そのものが教誨堂みたいだね」
ぐでたま「中に入って見るんだわ」 -
教誨堂の中に入りました。
写真左側には教誨堂の歴史や受刑者の作品等が展示されていました。
ぷー 「罪は消えないけど、しっかり反省して償おうとする姿勢は大事だね」
ぐでたま「その通りなんだわ」 -
こちらは鎮魂のお堂と書かれていました。
ぐでたま「ここで撮影するのは不謹慎じゃね?」
ぷー 「撮影禁止じゃないから問題ないと思うよ」
ここにしろ檻の中にしろ、撮影禁止ではないので気にせず撮影しました。 -
イチオシ
12時40分頃です。
釧路集治監網走囚徒外役所正門に来ました。
塀の造りは1872年監獄則で石造りか煉瓦造りにする事が定められていたそうですが、監獄設置の永久性や仮設性、資材の調達の関係等、地域の事情により造られていたそうです。
網走の場合、創設当時の塀は木造で造られていたそうです。
ぷー 「これはこれで歴史が感じられるよね」
ぐでたま「木製だから、維持するのが大変そうなんだわ」 -
博物館網走監獄の中には哨舎が4ヶ所あり、こちらがそのうちの1つです。
1880年に内務省が制定した図式に基づいて、全国各地の刑務所では、出入り口や作業場などに哨舎という見張所を設けて、外部からの進入や受刑者達の行動を監視していたそうです。
各刑務所で形は様々のようでしたが、この哨舎は所内に8ヶ所設置されていたそうです。
こちらの哨舎は1994年まで実際に網走刑務所で使用されていたものを移築したものだそうです。
ぷー 「ドアは開かないみたいだね」
ぐでたま「関係者だけが入れるんだわ」 -
ようやく見学が終わったので外に出る事にしました。
ぷー 「全部見るのに3時間半近くかかったね」
ぐでたま「この後の予定、大丈夫なん?」
見所がたくさんあったので、思った以上に時間を費やしました。 -
イチオシ
入り口近くの監獄食堂に来ました。
ぷー 「お腹が空いたからここでお昼ご飯にしよう」
ぐでたま「監獄食堂って、俗に言う臭い飯なん?」
ぷー 「臭いかどうかはともかく、これもいい体験だね」
ぐでたま「臭いのも不味いのもやだ~」 -
入り口のメニュー版の前です。
ぷー 「看板メニューはこの4つみたいだね」
ぐでたま「下にもメニューがあるんだわ」
他にはラーメン・そば・うどん・カレーがあるようです。 -
ぷー 「網走監獄に来たならやっぱり監獄食でしょ」
ぐでたま「本当にそれにするん?」
ぷー 「嫌ならぐでたま君はお昼ご飯抜きになるよ」
ぐでたま「そんなんやだ~」
昼食は監獄食A(さんま)(900円)にしました。
食券を持ってカウンターに行って食券を渡そうとしたのですが・・・
ぷー 「そのまま席に座って待つみたいだね」
ぐでたま「今までにないシステムなんだわ」
どうやら食券が発券された時点で調理場にオーダーが送信されるようで、食券の番号が呼ばれたら取りに行くシステムでした。 -
イチオシ
こちらが監獄食A(さんま)です。
ぷー 「うん!臭くも不味くもないよ」
ぐでたま「安心したんだわ」
ぷー 「美味しく完食だね」
ぐでたま「お醤油もあって、良かったんだわ」 -
昼食後、出口のすぐそばには網走監獄産業物産館に行きました。
この中の吉村みやげ店監獄店でお土産に4650円使いました。
ぐでたま「鞄に入らないんじゃね?」
ぷー 「こればかりは仕方がないよ」
こうして博物館網走監獄の見学が終わりました。
その7に続きます。
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