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明治を代表する詩人・正岡子規は大の野球好きとして知られています。よく「ベースボール」を「野球」に訳したのは正岡子規して紹介されますが、実際は中馬庚のようです。ただし、「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライ」といった野球用語をそれぞれ「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」と訳したのは正岡子規でした。日本に野球が導入されたのは1872年とされていますが、正岡子規は体調を崩した1889年まで野球創成期に捕手としてプレーしました。<br /><br />松山出身の正岡子規は上京し、当初は政治家志望でしたが、文学者志望に転じ、新聞記者を経て体調を壊しながらも文学に専念するようになります。日本初の野球小説と目される『山吹の一枝』を新海非風との連作で執筆し、その功績が認められ、2002年に野球殿堂入りを果たしました。<br /><br />松山出身の偉人と言えば、近年は「坂の上の雲」で有名になった秋山兄弟、映画監督の伊丹十三あたりがすぐに思い浮かびますが、松山と切っても切れない一番の偉人は正岡子規でしょう。ただし、この野球場に関しては、松山が舞台となった夏目漱石の小説「坊ちゃん」にちなみ、坊ちゃんスタジアムと呼ばれています。

松山観光は坊ちゃんスタジアムでスタート

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2021/12/29 - 2021/12/29

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旅行記グループ 四国観光

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Antonio

Antonioさん

明治を代表する詩人・正岡子規は大の野球好きとして知られています。よく「ベースボール」を「野球」に訳したのは正岡子規して紹介されますが、実際は中馬庚のようです。ただし、「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライ」といった野球用語をそれぞれ「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」と訳したのは正岡子規でした。日本に野球が導入されたのは1872年とされていますが、正岡子規は体調を崩した1889年まで野球創成期に捕手としてプレーしました。

松山出身の正岡子規は上京し、当初は政治家志望でしたが、文学者志望に転じ、新聞記者を経て体調を壊しながらも文学に専念するようになります。日本初の野球小説と目される『山吹の一枝』を新海非風との連作で執筆し、その功績が認められ、2002年に野球殿堂入りを果たしました。

松山出身の偉人と言えば、近年は「坂の上の雲」で有名になった秋山兄弟、映画監督の伊丹十三あたりがすぐに思い浮かびますが、松山と切っても切れない一番の偉人は正岡子規でしょう。ただし、この野球場に関しては、松山が舞台となった夏目漱石の小説「坊ちゃん」にちなみ、坊ちゃんスタジアムと呼ばれています。

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