2021/12/30 - 2021/12/30
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Antonioさん
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小説「坂の上の雲」は「竜馬がゆく」と共にたくさんの著作を残した司馬遼太郎さんの2大作品の一つとして挙げられることが多いです。「坂の上の雲」では、明治維新を経た日本が極東地域に領土拡大的野心を露わにしていた帝政ロシアと日露戦争で一戦を交え、勝利するまでの明治日本を松山出身の秋山兄弟と正岡子規を主人公として物語を展開していきます。
「竜馬がゆく」等、多くの司馬作品が大河ドラマ等で映像化されているものの.「坂の上の雲」に関しては司馬さんが生前映像化に反対していたので、2009年にNHKでドラマ化されるのを知った際は少しびっくりしました。映像化された小説が軍国主義に利用され、戦争賛美されるのを危惧して司馬さんは映像化に反対していましたが、司馬さんが亡くなった3年後の1999年に司馬遼太郎記念財団が映像化を許諾した経緯があったようです。「坂の上の雲ミュージアム」は、テレビドラマが放映された3年前の2007年に3人の主人公の故郷である松山市に開館しました。
今回松山を観光して感じたことの一つは、以前訪問した1990年代後半時は存在感が薄かった「坂の上の雲」のプレゼンスが色々なところで感じられることでした。生前の司馬さんの意向に反して、作品がドラマ化されたことについては複雑な心境ですが、以前はあまり注目を浴びていなかった秋山兄弟や当時の日本の世界の中での立ち位置等についてより多くの人が知るようになったことはこのドラマのポジティブな側面だったのではと思います。
「坂の上の雲ミュージアム」の鑑賞時間を十分とりたかったため、松山城天守閣の中を見学することは今回見送りすることにし、ミュージアムの見学をしてきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
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松山城ロープウェイを利用することにしました。
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松山城の案内図です。
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エスカレーターを利用し、ロープウェイ・リフト乗り場に向かいます。
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「子規の子守歌」は、子規が幼いころに聞いた里歌を思い出して詩にしたものです。
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「よしあきくん」は松山城築城400年を記念して誕生した松山城のマスコットキャラクターです。
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愛媛と言えば、ポンジュースが有名です。
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リフトに乗ります。
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リフトからの眺めです。
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リフトからは色々な俳句を読めます。
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松山は、街の活性化を目的として、ことばのちからを大事にする取り組みを行っています。
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リフトからはことばのバナーを確認できるようになっていました。
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示唆に富む、俳句をたくさん読めます。
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バナーになっているのは、入選作品です。
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頂上に近づいてきました。
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5,6分程で長者ヶ平に到着します。
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天守閣まで向かいます。
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迫力のある石垣です。
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天守閣が見えてきました。
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太鼓門です。
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本丸広場です。
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大天守、小天守、櫓をつなぐ、連立式天守が特徴となっています。
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天守の入口まで来ましたが、今回はスルーしました。
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本丸広場からの眺めです。
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松山市を見渡すことが出来ます。
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下山することにしました。
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県庁裏登城道を歩きました。
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途中で遭遇した猫です。
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城山公園が見えてきました。
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愛媛県庁です。
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大街道にある三越です。
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「坂の上の雲ミュージアム」に向かいます。
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「坂の上の雲」の登場人物のメッセージがポスターになっていました。
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ミュージアムの建物を建築したのは、安藤忠雄です。
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作者と作品に関する紹介です。
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ミュージアム内に入りました。
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秋山好古です。陸軍で騎兵の創設に貢献しました。
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秋山真之です。日本海軍の参謀として日露戦争で活躍しました。
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正岡子規は秋山真之と親しい友人でした。
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空中階段です。
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「坂の上の雲」の最初の書き出しです。
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ミュージアムからは、萬翠荘が見えます。
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小説の冒頭における世界情勢の背景に関する解説です。
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ヨーロッパと日本の関係に関する解説が続きます。
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日本海海戦に派遣されたバルチック艦隊が太平洋艦隊と合流するまでの航海図が示されています。
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小説は松山出身の3人を中心に展開していきます。
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明治における国家予算に占める軍事費のわりあいは現代では信じられないレベルでした。
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明治30年に秋山真之は、海軍大尉として米国へ留学しました。留学中に米国とスペインの戦争に関するレポートを書きました。
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戦争が当時の日本の財政に及ぼした影響は想像以上だったと思われます。
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秋山真之が亡くなったのはまだ51歳の時でした。
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兄の秋山好古は72歳で亡くなりました。
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幕末の松山藩は、幕府を補佐する「佐幕派」でした。
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幕末に「倒幕派」だった土佐藩は、松山、高松、川之江に兵隊を送りました。
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明治維新後の新政府から朝敵とされた松山藩は、松山城の接収や賠償金の支払いを経て、許されました。
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今では「日本」という国家の概念は誰もが疑わないですが、明治ではそうではなかったことが書かれています。
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松山には戦争捕虜の収容所がありましたが、捕虜の取り扱いは国際法に基づき模範的でした。
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NHKドラマで秋山真之を演じた本木雅弘さんです。
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香川照之はドラマで正岡子規を演じました。
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ミュージアム内の通路です。
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「坂の上の雲」は産経新聞に1969年から1972年まで連載されました。
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4階の展示コーナーに向かいます。
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3階では主に明治日本について扱っていましたが、4階では小説に登場する人物にフォーカスしています。
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4階の展示のテーマについて説明しています。
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正岡子規と陸羯南です。政治家・ジャーナリストだった陸羯南は正岡子規を育て、支えました。
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秋山兄弟です。松山出身の秋山兄弟は、「坂の上の雲」により多くの人に知られるようになりました。
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東郷平八郎と児玉源太郎です。日露戦争で活躍した軍人です。
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児玉源太郎は、日露戦争時に満州国総参謀長として貢献しました。
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ロシアの旅順要塞の攻略を任されたのは、陸軍大将の乃木希典でした。
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小説には陸海軍の他の軍人も登場します。
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児玉源太郎の活躍は語りつくされているように感じます。
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小村寿太郎と金子堅太郎は外交で活躍しました。
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文部省留学生として米国に留学した小村寿太郎は、関税自主権の完全回復や日露戦争後のポーツマス条約締結等で活躍しました。
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金子賢太郎は、明治期に官僚・政治家として活躍しました。
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金子賢太郎は、米国のハーバード大学で法学を学びましたが、日露戦争時に米国の大統領だったセオドア・ルーズベルトも同校で学んでいました。
ここではクラスメートと書かれていますが、どうも二人が知り合うようになったのは卒業後に共通の知人を通してであり、このつながりが日露戦争講和に活かされることになりました。 -
空中の階段を下ります。
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テレビドラマを見た、あるいは、小説を読んだことがある人ならば、訪問する価値があるミュージアムだと思います。
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売店で売られているNHKドラマのDVDです。
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ミュージアムを設計した安藤忠雄に関する書籍です。
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「坂の上の雲」の単行本と文庫本です。
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駆け足での見学となりましたが、充実した内容でした。
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ミュージアムの外観です。
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