2023/03/03 - 2023/03/03
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gianiさん
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日本一の大地主、本間家のコレクションを中心に地域の至宝を管理する財団が運営。
近年の入場者減少と膨大なコレクション維持管理のための運営資金に苦労し、サポーターを募っています。長年撮影禁止を貫きましたが、近年はSNS等で入場者に発信してもらうことで、来館と文化的価値(サポーター)を促しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
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蘭亭曲水
永和9年3月3日に晋の王義之が、蘭亭に文士41名を集めて禊を行った故事。日本の「ひいなあそび」と一緒になり、江戸時代に雛祭りになった。本間美術館 美術館・博物館
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立ち雛
ひな人形の原形となったもの
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神像型内裏雛
内裏は天皇の住居、したがって内裏雛は天皇・皇后夫婦を模したもの。
正保年間(1644-48)作
崇敬対象としての神の姿を繁栄した作風。顔は丸く、高雅な雰囲気を醸し出す。 -
男雛は、平安時代以降の朝廷の正装「束帯」を着用。
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女雛は、平安時代の女房(女官)装束である「十二単」を着用。
男女ともに手足が無い。 -
寛永雛
内裏雛の京風様式が確立されたものを、その時の年号(1624-44)にちなんで寛永雛と呼びます。写真は、慶安年間(1648-52)に制作されたもの。袖は木の年輪のように重なるのが特徴。 -
元禄雛
享保雛(の前期)と一括されることもある。 -
享保雛
享保年間(1716-36)に確立された様式。顔立ちや体つきがシャープで絞られている。写真は、享保年間の作品。 -
男雛
右手の手つきからわかるように、享保雛では笏を手にしていた、頭髪が別パーツで構成されるようも進化。 -
女雛
はじめて天冠を被るようになったのが、享保雛です。 -
享保雛
同じく、享保年間の作品。
享保雛では年輪のようなのっぺりした重ね着ではなく、各重の違いを楽しめる。紅花染なども用いられている。 -
享保雛
江戸後期の作品。御伽(おとぎ)犬とも呼ばれる、雄雌一対の犬が配置されています。 -
男雛
享保雛では、能面のような顔と、切れ長の目、少し開いた口が特徴です。 -
女雛
享保雛では、細い華奢な手はと金襴(きんらん)を用いた華美な衣装が特徴です。 -
犬筥(いぬばこ)
犬の形をした張子製の箱。元文・宝暦年間(1736-64)作。御祓いのために平安時代の清涼殿の御帳台に置かれた狛犬像に由来。犬のお産が軽いことから、室町時代には産室のお守りとされる。江戸時代には大名家の姫君の嫁入り道具として用いられ、雛祭りでは魔性を払う番犬として雛壇に飾られた。 -
古今(こきん)雛
江戸発祥の雛。宮中スタイルに囚われず、自由で庶民的。外見では、目にガラス玉がはめられている。写真は江戸末期、舟栄(原舟月門下)作。 -
古今雛
地元庄内の長次郎作。文化文政(1804-30)頃の作品。顔などは、庄内の風土を反映。 -
次郎左衛門雛(1660s-)
主流からは外れる。名称は、江戸中期の人形師に由来する。団子のような丸顔に釣り目・鉤鼻という、源氏物語絵巻に描かれるような面貌が特徴で、代々公家や大名家に好まれたことから品格の高い人形とされる。元々は冠は付いていなかった。写真は宝暦年間(1751-64)のもの。 -
立ち雛(次郎左衛門雛風)
次郎左衛門雛は庶民にとっては、高根の花。でも気分だけは味わいたいという思いで、安価な立ち雛を制作。写真は天保年間(1830-44)のもの。 -
嵯峨人形
仏師の余技として誕生し、木彫りに模様を盛り上げる技法が特徴。
写真は、正徳年間(1711-16)作の豊太閤。政権に配慮して、顔は家康に似せている。 -
浦島太郎
延宝年間(1673-81)の作品。嵯峨人形は、金箔五彩の彩色も特徴。 -
這子
宝永年間(1704-11)の作。嵯峨人形は、後に幼童を題材とする御所人形を生み出す。 -
御所人形
江戸中期、参勤交代の折に御所へ立ち寄って贈り物をした諸大名への返礼品として下賜したことが由来。裸体の愛らしい童子が題材になった。 -
三番叟
元文年間(1736-41)の作。美しい肌が魅力。 -
でんでん太鼓
延享(1744-48)年間作。内部が空洞な張抜き製の人形。背後の糸を引くと、両腕で上下する。 -
三番叟
明和年間(1764-72)の作。能楽「翁」の後半の舞。右から千歳、翁、三番叟の順に舞う。 -
這子
天明年間(1781-89)の作品、女児の愛玩用に製作。 -
稚児姿(三つ折)
天明年間(1781-89)の作。江戸後期には関節に仕掛けをして、立座自由な三つ折人形が多く制作された。 -
宝曳き
寛政年間(1789-1801)の作。時世を反映した華美な姿。 -
亀乗童子
寛政年間(1789-1801)の作。頭の比率が大きく、御所人形の原型に近い。 -
見立能舞
寛政年間(1789-1801)の作。演目は不明だが、衣装の橘文様からめでたい役であることがわかる。 -
鯛曳き童子
寛政年間(1789-1801)の作。鯛を曳く童子は、吉祥天を表します。 -
神功皇后
寛政年間(1789-1801)の作。神功皇后(170-269)は懐妊中に新羅へ遠征し、帰国後応神天皇を出産したとされる。安産・子宝の御利益が篤い。 -
大黒童子
享和年間(1801-04)の作。大黒天らしい和やかな表情。御所人形なので、老人も全て童子の姿です。 -
児童遊戯
文化・文政年間(1804-30)のもので、型抜きで制作する量産品。 -
菊慈童
文政年間(1818-30)作。信仰心の篤い慈童が、経文を書いた菊の葉から零れた滴を飲み、不老不死になったという中国の話。右手にあった筆は焼失。 -
手遊び人形 三つ折
観賞用の御所人形から、手遊び用の着せ替え可能な三つ折人形が派生した。天保年間(1830-44)の作。 -
立童子
文化文政年間(1804-30)の作。江戸中期から衣装を着せ、直立する立ち人形が各種作られた。観賞用ではなく、婦女子の愛玩用。 -
三つ折人形 立子
天保年間(1830-44)の作。御所人形の三つ折が進化して、婦女子の愛玩用に。目はガラス玉。 -
衣装人形
染物の裂地で仕立てた衣装を着せた。大人の鑑賞用で、高い技術と芸術性、当時の風俗を反映する。
金冠童子
元和年間(1681-84)作。17世紀の引きこもり男子。 -
犬追物
正徳年間(1711-16)作。女性の伸びやかさ優雅さを表現。 -
猩々(しょうじょう)
宝暦年間(1751-64)作。舟形の舞台で、謡曲「猩々」を舞う。 -
関羽
宝暦年間(1751-64)作。江戸中期の三国志ブームを反映。青龍刀と赤兎馬と思いきや、普通の馬。 -
歌謡人
宝暦年間(1751-64)作。手が動く仕掛け。 -
筍堀
宝暦年間(1751-64)作。「二十四孝」の孟宗。年老いた母が冬に筍を食べたいと言う。竹藪で祈ると筍が芽を出し、母は天寿を全うした。孟宗竹の由来。 -
狐拳
安永年間(1772-81)作。狐拳(庄屋・狐・鉄砲)に興じる少年。年上が庄屋、年少が狐を演じる。 -
紅葉狩
寛政年間(1789-1801)。平維盛が鬼を退治する内容の能の演目。 -
武者と従者
寛政年間(1789-1801)作の竹田人形。竹田人形は衣装人形の一種で、大坂竹田の人形芝居をモデルに制作。人形劇独特の大げさな動きが特徴。 -
二十四孝 唐夫人
文化・文政年間(1804-30)作。歯がない姑のために、毎日乳を与えた。庄内の人形師の作。 -
鯉抱(見立人形)
文政年間(1818-30)作。見立人形は、衣装人形のジャンルの一つ。童子を琴高仙人に見立てている。本体は木彫りで、鯉は張子。 -
趣向人形
衣装人形の中でも、注文主の趣向を反映した特注品。
朝顔日記
寛政年間(1789-1801)。朝顔日記の宿屋の段の場面。上方では、芝居がかった誇張表現が好まれた。 -
和歌三神
寛政年間(1789-1801)。左より山部赤人、衣通姫、柿本人麻呂。江戸では、写実的で時代考証に囚われない自由な表現が好まれた。 -
御殿玩具 福良雀
武家や公家の子供たちに遊ばれた玩具。雀は最も身近な動物の一つ。 -
能楽 船弁慶
神具の余材で作ったのが始まりとされる加茂人形。 -
続いて清遠閣(本間家別邸)へ。
江戸時代に建設した迎賓館で、冬季の失業対策を兼ねた公共事業でした。本間美術館 (清遠閣) 美術館・博物館
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こちらにも、展示物が。
江戸~終戦まで、迎賓館は貴賓の来客時のみ使用され、間違っても当主の別荘(私的)使用などは行いませんでした。身分社会・階級社会とは、そういうものでした。 -
丁度も意匠に富みます。現在の建物は、明治41年の東宮(皇太子)巡啓のために増築されました。
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雛祭りのルーツ。
古来日本では、身の穢れを人形(ひとがた)に移して(託して)海や川に流す慣行があった。人形は呪い(まじない)と深く関わっていた。
平安時代以降、貴族の子女が行った人形遊び(ひいな遊び)と結びつき、人形には禊のほかに玩具としての一面も加わり、それが雛祭りに繋がる。
写真は庄内地区の慣行。右は八皿人形で、身の穢れや災いを藁人形に移し、神主でお祓いした後、川に流した。中央は流し雛で、毎年6,12月に紙製の人形が各家庭に配られ、家族全員の息を吹きかけて穢れや災いを移し、神主がお祓いして川に流す。
※環境問題の観点で、最近は行われていない。昔は子供の死亡率が高かったので、子供の成長を願う端午の節句と結びついたと思われる。 -
白崎家の雛壇飾り
酒田三十六人衆の一員。江戸末期~大正にかけてのコレクション。江戸末期になると、内裏雛だけでなく、多くの人形を飾り、雛壇が形成されるようになる。一度に揃えるというよりかは、足していく要領で増えた。写真は8段で、能や狂言の場面、道具類も充実している。 -
内裏は紫宸殿(正殿・公式行事を行う建物)を模しています。
紫宸殿の向かって左下では、3月3日の宮中行事だった闘鶏が行われています。 -
ほかにも、白崎家伝来の人形が展示されています。
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1階には眺めの良いカフェも。実際に昭和天皇夫妻が東宮時代(T.14)に使用しました。
本間美術館 喫茶室 グルメ・レストラン
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1813年築のオリジナル部分には、林昌寺の檀家が寄贈した雛壇が。
※余談ですが、昨年の大雪で雪の重みで老木の枝が落下し、屋根に大穴を開けました。年明けに修理が終わるまで、ビニールシートで対応していたとのこと。文化財故に、適当に修理できない大変さを痛感。 -
2代目原舟月作の五人囃子など、希少なコレクションが。
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別邸は、回遊式庭園に面しています。
藩主が、借景の鳥海山が、まるで鶴が舞っているようだと形容して命名。
燈籠の隙間から眺める鳥海山が乙だという、意匠に富んだ仕掛けも。本間美術館庭園(鶴舞園) 美術館・博物館
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悪天候のため、蓬莱島の松しか見えませんでした。
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おまけ
先述の三番叟。余すことなく観察するためのカタログショット。 -
親しさを表現するアップ。
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自撮り風のショット。
人形なのに、生き生きとします。
追及すると、結構楽しいです。 -
不動産屋さんではありません。定食屋です。
不毛とされる酒田駅前の新進店。ハンバーグ、餃子がお薦め。イチオシは、つみれ等の焼き鳥。確実にゲットするには事前予約ベスト。飛び入りだと、仕込み状況次第。テイクアウト可能。あと隣の区画の、やきとり居酒屋ゆめ家も地鶏と海鮮のレベルが高いです。参考までに。
次の旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11817792定食屋 おおた グルメ・レストラン
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