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自由都市というと中世ヨーロッパの都市を連想しますが、実は日本にもありました!<br />なぜ小林綾子さんがPR?<br />時代順に並んだ地図情報も、要チェックです。

酒田紀行

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2023/03/03 - 2023/03/03

339位(同エリア437件中)

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gianiさん

この旅行記スケジュールを元に

自由都市というと中世ヨーロッパの都市を連想しますが、実は日本にもありました!
なぜ小林綾子さんがPR?
時代順に並んだ地図情報も、要チェックです。

旅行の満足度
5.0
  • 酒田の歴史は、歴史資料館で学べます。<br />展示はワンフロアですが、歴史略年表という配布物は役立ちました。過去のメディアライブラリーもあり、20代の高田万由子さんが三十六人衆の足跡を追う20分ほどの映像は、おすすめの内容です。<br />712年:4年前に越後国に新設された出羽郡が「出羽国」に昇格。<br />城輪柵跡は、奈良時代の出羽国府跡とされます。<br />昭和29年に酒田市域に編入されました。出羽国の産物を都へ届けることが使命でした。<br />9世紀以降荘園開発が進み、皇室領が多かった。

    酒田の歴史は、歴史資料館で学べます。
    展示はワンフロアですが、歴史略年表という配布物は役立ちました。過去のメディアライブラリーもあり、20代の高田万由子さんが三十六人衆の足跡を追う20分ほどの映像は、おすすめの内容です。
    712年:4年前に越後国に新設された出羽郡が「出羽国」に昇格。
    城輪柵跡は、奈良時代の出羽国府跡とされます。
    昭和29年に酒田市域に編入されました。出羽国の産物を都へ届けることが使命でした。
    9世紀以降荘園開発が進み、皇室領が多かった。

    城輪柵跡 名所・史跡

  • 酒田は商人が造った街。<br />諸国から集まった商人が地侍を兼ねて、最上川左岸に1000軒ほどの町を築いていたが、1521年に現在の対岸に移動。町を整備し、自治を行う。<br />写真は最上川。左岸が原始の地(向う酒田)。現在ゴルフ場のある中州を挟んで右岸へ移動した。<br />最上川沿岸には、米沢・山形・新庄・酒田の町がある。置賜村山最上庄内4地域の主都があり、日本海に面した河口の酒田は、南出羽(山形県)の物流の集積地として栄えた。

    酒田は商人が造った街。
    諸国から集まった商人が地侍を兼ねて、最上川左岸に1000軒ほどの町を築いていたが、1521年に現在の対岸に移動。町を整備し、自治を行う。
    写真は最上川。左岸が原始の地(向う酒田)。現在ゴルフ場のある中州を挟んで右岸へ移動した。
    最上川沿岸には、米沢・山形・新庄・酒田の町がある。置賜村山最上庄内4地域の主都があり、日本海に面した河口の酒田は、南出羽(山形県)の物流の集積地として栄えた。

    最上川カントリークラブ ゴルフ場

  • 新しい街は、旧暦4月の申の日に日本海に夕日が沈む正中線を都市軸として、整然とした区画割がされた。他人の手を借りずに町を築き、自由都市として大名から自治を許された。

    新しい街は、旧暦4月の申の日に日本海に夕日が沈む正中線を都市軸として、整然とした区画割がされた。他人の手を借りずに町を築き、自由都市として大名から自治を許された。

  • 秀吉の統一政権下では、酒田湊(写真)から庄内米を堺へ送り、代わりに(東北では育たない)茶や木綿を受け取った。1592年には過所状(関所通行許可証)を支給され、諸国で自由に商売する特権を得た。

    秀吉の統一政権下では、酒田湊(写真)から庄内米を堺へ送り、代わりに(東北では育たない)茶や木綿を受け取った。1592年には過所状(関所通行許可証)を支給され、諸国で自由に商売する特権を得た。

  • 関ヶ原後に最上家の山形藩57万石が誕生して、酒田の亀ヶ崎城には城代が駐在するも、町人街の自治は続く。最上家は幕府に危険視されて1622年に改易。徳川四天王嫡流の酒井忠勝が鶴岡に入府して、鶴岡藩が誕生。亀ヶ崎には一族を城代として配置する。一国一城令の例外として、城も存続する。<br />※現在は酒田東高校。忠勝は酒田入府を考えていたが、商人の力が強すぎて鶴岡にしたともいわれる。

    関ヶ原後に最上家の山形藩57万石が誕生して、酒田の亀ヶ崎城には城代が駐在するも、町人街の自治は続く。最上家は幕府に危険視されて1622年に改易。徳川四天王嫡流の酒井忠勝が鶴岡に入府して、鶴岡藩が誕生。亀ヶ崎には一族を城代として配置する。一国一城令の例外として、城も存続する。
    ※現在は酒田東高校。忠勝は酒田入府を考えていたが、商人の力が強すぎて鶴岡にしたともいわれる。

    亀ヶ崎城跡 名所・史跡

  • この頃、酒田商人の中でも鐙(あぶみ)屋と加賀屋が躍進する。建物は、現在修復中の鐙屋(写真)。井原西鶴の「日本永代蔵」第2巻でも、鐙屋の繁栄ぶりが描写されている。<br />

    この頃、酒田商人の中でも鐙(あぶみ)屋と加賀屋が躍進する。建物は、現在修復中の鐙屋(写真)。井原西鶴の「日本永代蔵」第2巻でも、鐙屋の繁栄ぶりが描写されている。

  • 加賀屋は、ドラマおしんの奉公先として登場し、原作者は鐙屋を見学してイメージを練りました。跡地は、市役所・市民会館になっています。<br />酒井忠勝は入府時に酒田商人を家臣として雇う提案をするも、あっさり断られます。地侍兼商人として、自由都市酒田と共に歩む道を、明治維新まで歩みました。<br />

    加賀屋は、ドラマおしんの奉公先として登場し、原作者は鐙屋を見学してイメージを練りました。跡地は、市役所・市民会館になっています。
    酒井忠勝は入府時に酒田商人を家臣として雇う提案をするも、あっさり断られます。地侍兼商人として、自由都市酒田と共に歩む道を、明治維新まで歩みました。

  • とはいえ、1668年の幕府布告もあって、町人は亀ヶ崎城代配下の酒田町奉行所の管轄になります。完全自治を失ったとはいえ、大きな自由を享受します。

    とはいえ、1668年の幕府布告もあって、町人は亀ヶ崎城代配下の酒田町奉行所の管轄になります。完全自治を失ったとはいえ、大きな自由を享受します。

    酒田町奉行所跡 名所・史跡

  • 三十六人衆の形成<br />山王くらぶには、酒田商人についての興味深い展示があります。<br />16世紀から武力経済力を併せ持つ酒田商人は「長人」と呼ばれていましたが、江戸時代には三十六人衆と呼ばれる自治組織を作りました。1か月に3名ずつが輪番(3×12=36)で運営されました。三十六人衆御用帳という記録を残して、代々引き継ぎました。実情に合わせて、構成員は入れ替わりました。江戸時代を通して存続したのは10家、96家が入れ替わりました。

    三十六人衆の形成
    山王くらぶには、酒田商人についての興味深い展示があります。
    16世紀から武力経済力を併せ持つ酒田商人は「長人」と呼ばれていましたが、江戸時代には三十六人衆と呼ばれる自治組織を作りました。1か月に3名ずつが輪番(3×12=36)で運営されました。三十六人衆御用帳という記録を残して、代々引き継ぎました。実情に合わせて、構成員は入れ替わりました。江戸時代を通して存続したのは10家、96家が入れ替わりました。

    山王くらぶ 名所・史跡

  • 徳尼公伝説<br />金に飽きると、格式と歴史を欲するもの。三十六人衆は、自らのルーツを奥州藤原氏と結びつけました。<br />1187年に源頼朝に平泉を滅ぼされた際、当主秀衡の妹徳の前は36人の遺臣に守られて酒田に逃れ、尼になって泉流庵を結び余生を送ったという内容。泉流とは平泉から流れて来たことを表し、元々は向う酒田に所在。現在は泉流寺の廟内に祀られています。<br />※酒井忠勝に仕官を断った際も「武士は二君に仕えず」と返答して、主君は亡き奥州藤原氏だけだと主張しました。三十六人衆で実際に平泉をルーツとするのは、粕谷家だけでした。<br /><br />

    徳尼公伝説
    金に飽きると、格式と歴史を欲するもの。三十六人衆は、自らのルーツを奥州藤原氏と結びつけました。
    1187年に源頼朝に平泉を滅ぼされた際、当主秀衡の妹徳の前は36人の遺臣に守られて酒田に逃れ、尼になって泉流庵を結び余生を送ったという内容。泉流とは平泉から流れて来たことを表し、元々は向う酒田に所在。現在は泉流寺の廟内に祀られています。
    ※酒井忠勝に仕官を断った際も「武士は二君に仕えず」と返答して、主君は亡き奥州藤原氏だけだと主張しました。三十六人衆で実際に平泉をルーツとするのは、粕谷家だけでした。

    泉流寺 寺・神社・教会

  • 西廻航路の開発(1672)<br />日本海側の北前船文化とセットで登場する言葉ですが、西廻航路が開発された直接の動機は、ズバリ酒田でした。<br />酒田に集まった最上川流域およそ15万石の天領で産出する米を、大坂や江戸の蔵屋敷に安全かつ大量に輸送できるルート開拓が目的です。天下泰平に伴って人口が激増したことが背景にあります。食糧・経済政策の要として、幕府が主導しました。

    西廻航路の開発(1672)
    日本海側の北前船文化とセットで登場する言葉ですが、西廻航路が開発された直接の動機は、ズバリ酒田でした。
    酒田に集まった最上川流域およそ15万石の天領で産出する米を、大坂や江戸の蔵屋敷に安全かつ大量に輸送できるルート開拓が目的です。天下泰平に伴って人口が激増したことが背景にあります。食糧・経済政策の要として、幕府が主導しました。

  • このプロジェクトを成功させたのが、江戸商人の川村瑞賢(写真)。酒田を起点に日本海を経て関門海峡、瀬戸内海、太平洋を経て、江戸に到達する航路です。<br />幕府御用船以外もこの航海技術を活用して、酒田三十六人衆も大いに潤いました。酒田港を見下ろす日和山公園に、河村瑞賢像が立っています。<br />※当初は酒田が起点でしたが、後に秋田・青森・蝦夷地まで拡大しました。

    このプロジェクトを成功させたのが、江戸商人の川村瑞賢(写真)。酒田を起点に日本海を経て関門海峡、瀬戸内海、太平洋を経て、江戸に到達する航路です。
    幕府御用船以外もこの航海技術を活用して、酒田三十六人衆も大いに潤いました。酒田港を見下ろす日和山公園に、河村瑞賢像が立っています。
    ※当初は酒田が起点でしたが、後に秋田・青森・蝦夷地まで拡大しました。

  • 寺町<br />町の北側には寺院が配置され、寺町を形成しました。酒井家は徳川寄りの譜代大名で、会津松平家とともに外様大名を監視します。酒田は、北側に佐竹藩25万石という一大外様大名の領地と隣接していました。

    寺町
    町の北側には寺院が配置され、寺町を形成しました。酒井家は徳川寄りの譜代大名で、会津松平家とともに外様大名を監視します。酒田は、北側に佐竹藩25万石という一大外様大名の領地と隣接していました。

  • 河村瑞賢による西廻航路が開発されたとはいえ、航海は毎回命懸け。商人は航海の安全を神仏に祈り、毎回無事に帰港(ときには寄港)すると感謝の意味を込めて寄進を欠かしませんでした。写真は、三十六人衆の一つ本間家の菩提寺。京都から一流の大工を呼んで、豪華な唐門を寄進。

    河村瑞賢による西廻航路が開発されたとはいえ、航海は毎回命懸け。商人は航海の安全を神仏に祈り、毎回無事に帰港(ときには寄港)すると感謝の意味を込めて寄進を欠かしませんでした。写真は、三十六人衆の一つ本間家の菩提寺。京都から一流の大工を呼んで、豪華な唐門を寄進。

    浄福寺 (唐門) 寺・神社・教会

  • 西廻航路はモノだけでなく、文化も運びます。酒田には、京文化がもたらされます。庄内弁と京ことばの共通性は、その一つ。

    西廻航路はモノだけでなく、文化も運びます。酒田には、京文化がもたらされます。庄内弁と京ことばの共通性は、その一つ。

  • 京人形、ひな人形も多く伝わり、17世紀作のものも多く含まれます。本場京都に次ぐコレクションを誇ります。

    京人形、ひな人形も多く伝わり、17世紀作のものも多く含まれます。本場京都に次ぐコレクションを誇ります。

  • 本間家の台頭<br />後に日本一の大地主として名を馳せる本間家は、1686年に本間原光が酒田で新潟屋を開業し、米などを扱います。1707年には三十六人衆に加えられます。<br />1736年に2代目光寿が田地を買い取り、地主デビューします。1751年には、金融業にも着手し、流通・不動産・金融の三本柱が揃います。<br />※ルーツは神奈川県愛甲郡。現在も愛甲郡や旧津久井郡では本間姓が多い。<br /><br />

    本間家の台頭
    後に日本一の大地主として名を馳せる本間家は、1686年に本間原光が酒田で新潟屋を開業し、米などを扱います。1707年には三十六人衆に加えられます。
    1736年に2代目光寿が田地を買い取り、地主デビューします。1751年には、金融業にも着手し、流通・不動産・金融の三本柱が揃います。
    ※ルーツは神奈川県愛甲郡。現在も愛甲郡や旧津久井郡では本間姓が多い。

  • 本間宗久<br />光寿の弟で、第3代就任までリリーフ登板。伝説の米相場師。酒田罫線法と呼ばれるテクニカル分析を18世紀に確立。第3代の光丘の怒りを買った時期があって大坂江戸で活動するが、結果的には本間家の庄内米販売に有用な働きをします。

    本間宗久
    光寿の弟で、第3代就任までリリーフ登板。伝説の米相場師。酒田罫線法と呼ばれるテクニカル分析を18世紀に確立。第3代の光丘の怒りを買った時期があって大坂江戸で活動するが、結果的には本間家の庄内米販売に有用な働きをします。

  • 中興の祖;第3代:本間光丘<br />豪商として全国に名を馳せます。「公益精神」を体現し、利益の三分の二は地域に還元することを旨とし、代々の家訓となります。本間庄五郎名義で商業を営む傍ら、藩に対しては本間四郎三郎光丘の名義で、藩政改革を主導します。東北諸藩に大名貸を行うも、低利で対応。米沢藩主上杉鷹山の改革も補佐します。

    中興の祖;第3代:本間光丘
    豪商として全国に名を馳せます。「公益精神」を体現し、利益の三分の二は地域に還元することを旨とし、代々の家訓となります。本間庄五郎名義で商業を営む傍ら、藩に対しては本間四郎三郎光丘の名義で、藩政改革を主導します。東北諸藩に大名貸を行うも、低利で対応。米沢藩主上杉鷹山の改革も補佐します。

  • 植林事業(1758-)<br />庄内海岸の季節風は半端なく、海からの強風で砂が内陸部まで運ばれ、絶えず砂漠化と闘っていました。厳しい自然条件ゆえに、羽州街道は人家もまばらで治安上の問題も深刻でした。光丘は藩の許可を得て、自腹(宗久が米相場で儲けた金)で34kmに渉る暴風防砂林を整備しました。ただ造るだけでなく、旅人相手の休憩所等をつくり、植林・維持のための基金を確保しました。現役の松原です。<br />※河川改修等の公共事業を多く行い、農閑期の雇用創出という救民措置の一面も。<br />

    植林事業(1758-)
    庄内海岸の季節風は半端なく、海からの強風で砂が内陸部まで運ばれ、絶えず砂漠化と闘っていました。厳しい自然条件ゆえに、羽州街道は人家もまばらで治安上の問題も深刻でした。光丘は藩の許可を得て、自腹(宗久が米相場で儲けた金)で34kmに渉る暴風防砂林を整備しました。ただ造るだけでなく、旅人相手の休憩所等をつくり、植林・維持のための基金を確保しました。現役の松原です。
    ※河川改修等の公共事業を多く行い、農閑期の雇用創出という救民措置の一面も。

  • 防火<br />庄内地方における秋冬の強風は、積雪を吹き飛ばすほどの威力があります。1976年10月28日に中心地を焼き尽くした酒田の大火を始め、火災のリスクも。<br />光丘は、類焼を防ぐための空地をつくる、消防団の組織しポンプ車を導入、夕方以降は本間家では火を使わない等、様々な方策を取りました。

    防火
    庄内地方における秋冬の強風は、積雪を吹き飛ばすほどの威力があります。1976年10月28日に中心地を焼き尽くした酒田の大火を始め、火災のリスクも。
    光丘は、類焼を防ぐための空地をつくる、消防団の組織しポンプ車を導入、夕方以降は本間家では火を使わない等、様々な方策を取りました。

  • 幕府巡検使の宿舎として旗本2000石相当の屋敷を献上(1768)。<br />その後下賜され、現在は本間家旧本宅として公開されています。<br />

    幕府巡検使の宿舎として旗本2000石相当の屋敷を献上(1768)。
    その後下賜され、現在は本間家旧本宅として公開されています。

  • 第4代光道は、江戸長崎で書籍を集め始め、公共図書館設立を目指します(1809)。最終的には、1922年の光丘文庫に結実。

    第4代光道は、江戸長崎で書籍を集め始め、公共図書館設立を目指します(1809)。最終的には、1922年の光丘文庫に結実。

  • 1812年には、丁持ちの冬季失業対策として、別宅を建設。現在の鶴舞園。<br />現在は11代目だが、戊辰戦争時も藩と領民を支え、明治維新後も多角化へ進まず、灌漑事業、防風防砂林の伸張、農産物の品種改良、小作民の保護など、庄内米を基盤に地域に根差した公益活動に邁進します。有名企業は、傍系の本間ゴルフくらい。

    1812年には、丁持ちの冬季失業対策として、別宅を建設。現在の鶴舞園。
    現在は11代目だが、戊辰戦争時も藩と領民を支え、明治維新後も多角化へ進まず、灌漑事業、防風防砂林の伸張、農産物の品種改良、小作民の保護など、庄内米を基盤に地域に根差した公益活動に邁進します。有名企業は、傍系の本間ゴルフくらい。

  • 続いては、清亀園へ。<br />本間家に次ぐ大地主、伊藤家の別邸です。現在は市の施設ですが、見学も大歓迎です。

    続いては、清亀園へ。
    本間家に次ぐ大地主、伊藤家の別邸です。現在は市の施設ですが、見学も大歓迎です。

    清亀園 公園・植物園

  • 伊藤四郎衛門家の別邸は、広大な庭を有しましたが、現在は小ぶりです。

    伊藤四郎衛門家の別邸は、広大な庭を有しましたが、現在は小ぶりです。

  • さりげなく、林羅山直筆の書が。凄いです。

    さりげなく、林羅山直筆の書が。凄いです。

  • 北前船で栄えただけあって、庭石は佐渡の赤石など、各地の銘品揃い。<br />面白いのが、18世紀の李王朝の石仏がある事。<br /><br />鉄道網と通信網の発達で、昭和に入って北前船は急速に衰退します。<br />酒田商人は地主として米を掌握したので、終戦まで繁栄しました。

    北前船で栄えただけあって、庭石は佐渡の赤石など、各地の銘品揃い。
    面白いのが、18世紀の李王朝の石仏がある事。

    鉄道網と通信網の発達で、昭和に入って北前船は急速に衰退します。
    酒田商人は地主として米を掌握したので、終戦まで繁栄しました。

  • 酒田湊には、料亭も多く存在しました。<br />その一つの相馬楼。

    酒田湊には、料亭も多く存在しました。
    その一つの相馬楼。

  • 往時は、芸妓が行き交う路地だったそうです。

    往時は、芸妓が行き交う路地だったそうです。

  • こちらは、旧宇八楼。<br />現在山王くらぶとして公開。

    こちらは、旧宇八楼。
    現在山王くらぶとして公開。

  • 料亭文化が展示されています。<br />天井が高いユニークな部屋。

    料亭文化が展示されています。
    天井が高いユニークな部屋。

  • この部屋、実は、蔵を改装しています。

    この部屋、実は、蔵を改装しています。

  • 部屋ごとに、デザインも違います。

    部屋ごとに、デザインも違います。

  • こちらは、本間家を紹介する部屋。霞が素敵です。

    こちらは、本間家を紹介する部屋。霞が素敵です。

  • 竹久夢二が好んだ部屋。<br />3回酒田を訪れていますが、この部屋を指定。理由は、窓から女中の支度する様子が観察できるから。渡欧の際は、酒田の旦那衆が彼の作品を買い取って費用をねん出しました。

    竹久夢二が好んだ部屋。
    3回酒田を訪れていますが、この部屋を指定。理由は、窓から女中の支度する様子が観察できるから。渡欧の際は、酒田の旦那衆が彼の作品を買い取って費用をねん出しました。

  • 2階には、100畳を越す大広間も。舞台で芸が行われました。

    2階には、100畳を越す大広間も。舞台で芸が行われました。

  • 料亭の向かいには、カタカナが似合うお店。<br />ナイトレストラン、グランドスナック、不思議な英語炸裂。

    料亭の向かいには、カタカナが似合うお店。
    ナイトレストラン、グランドスナック、不思議な英語炸裂。

  • 山居倉庫<br />庄内米の保管庫として建設。火災を免れるために最上川の中州に造られました。地盤を3mほど底上げしています。現在はJA管理です。<br />庄内米はこの蔵を通して出荷することで低品質品を排除し(ブランド保護)、低温貯蔵することで鮮度を維持しました。

    山居倉庫
    庄内米の保管庫として建設。火災を免れるために最上川の中州に造られました。地盤を3mほど底上げしています。現在はJA管理です。
    庄内米はこの蔵を通して出荷することで低品質品を排除し(ブランド保護)、低温貯蔵することで鮮度を維持しました。

  • 山居倉庫内のギャラリー。<br />酒田は、テレビドラマおしんの舞台。<br />おしんといえば姑のいびりをはじめ、行く処行く処で酷い目にあったイメージですが、、、

    山居倉庫内のギャラリー。
    酒田は、テレビドラマおしんの舞台。
    おしんといえば姑のいびりをはじめ、行く処行く処で酷い目にあったイメージですが、、、

  • 実家を出て、酒田の加賀屋へ奉公へ出る有名シーン。<br />酒田の奉公先では、手習いを教えて貰ったり、主人の娘と生涯の友人になったりと、実はとても良くしてもらった土地でした。

    実家を出て、酒田の加賀屋へ奉公へ出る有名シーン。
    酒田の奉公先では、手習いを教えて貰ったり、主人の娘と生涯の友人になったりと、実はとても良くしてもらった土地でした。

  • 作者直筆の色紙も。<br />酒田の人間は、おすんと発音していました。<br />

    作者直筆の色紙も。
    酒田の人間は、おすんと発音していました。

  • 作者が、山形県へ学童疎開した体験が縁です。<br />そんなわけで、山形には好印象を抱いているみたいです。

    作者が、山形県へ学童疎開した体験が縁です。
    そんなわけで、山形には好印象を抱いているみたいです。

  • 庄内人形。<br />おしん:小林綾子、船頭:光石研(意外な事実)、父親:伊東四朗。

    庄内人形。
    おしん:小林綾子、船頭:光石研(意外な事実)、父親:伊東四朗。

  • おまけ<br />魚市場の横で見つけたお店。<br />かなりクオリティの高い酒田ラーメンでした。

    おまけ
    魚市場の横で見つけたお店。
    かなりクオリティの高い酒田ラーメンでした。

  • 魚出汁の醤油は良い塩梅。<br />ガッツリ行きたい人は、背脂を加える。選択制なのがうれしいです。<br />いざ、本間美術館へ↓<br />https://4travel.jp/travelogue/11815969

    魚出汁の醤油は良い塩梅。
    ガッツリ行きたい人は、背脂を加える。選択制なのがうれしいです。
    いざ、本間美術館へ↓
    https://4travel.jp/travelogue/11815969

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