2023/01/30 - 2023/01/30
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Reiseさん
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伊丹市を散歩しました。
寒い一日、途中、霰も降ってきます。
駅から有岡城跡を見学し、今日の目的の東リインテリア歴史館へ行きました。
事前の予約が必要です。企業博物館です。とても丁寧に説明をしていただきました。1919年の創業の翌年に管理棟として建てられた建物、改修はされているものの、とても100年以上の建物とは思えないくらい、斬新な建築の建物でした。会社の歴史もわかりやすい展示も面白かったです。
猪名寺廃寺は法隆寺式伽藍配置のお寺だったそうで、大きな規模のお寺だったことが想像できます。
このあたりは、古来より風景の美しい場所 、万葉集などにも歌われています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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駅から歩きます。
すぐそばに、有岡城跡。 -
表示があるのでわかりやすい。
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石垣は城郭としては最古のものと聞きました。
お城は伊丹の大地を利用した惣構えといわれる造りでした。
お城だけではなく、家臣団の住む侍町・一般の人の住む町屋も堀と土塁で囲んだ造りです。 -
城主だった荒木村重の説明。
のちに、利休七哲と呼ばれた人物ですが、戦国の世とはいえ、家族も家臣も犠牲になったなか、生き残ったということが、どうも、私には複雑な感情がこみ上げてきます。。。私の個人的な感情です。 -
石段を上っていくと、そこには広場が広がって。
兵どもが夢の跡、、、です。 -
お城の説明が書いてありました。
鎌倉幕府の御家人、伊丹氏は荒木村重に攻められ落城、その後有岡城と名前を変えて
荒木村重が摂津の中心として、お城を治めることになります。
もとは伊丹市が南北朝から戦国時代にかけて伊丹城として築いていたところです。 -
荒木村重のうたが刻まれていました。
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井戸跡や礎石?のようなものも残っています。
有岡城跡史跡公園になっています。 -
井戸あと。
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石垣の表示。
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城郭のお城の石垣としては最古のものといわれているそうですが、
石垣も当時はお墓の石や他の石などを利用していたようです。
こちらにも長方形のお墓の石?らしいものがみえます。 -
土塁も。
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古い石碑がありました。
良く読めませんが、明治34年のもののようです。 -
説明板がお隣にありました。
1578年に荒木村重の有岡城も落城し、その後、武内氏が所有することになり、風光明媚なこの土地を残すように努力されたようです。
村重が去り、330年を経て、石碑を残しています。 -
宣教師のルイス・フロイスも絶賛していたというお城です。
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歩道橋を経て反対側にも史跡公園は広がります。
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こちらにも説明板があります。
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左の石は沓脱ぎ石。
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伊丹氏の居城であったときのもだそうです。
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500年近くも石は残っているのですね。
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伊丹氏の歌碑もあります。
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そして、こちらは藤棚。
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こんな説明板がありました。
有岡城に幽閉された黒田官兵衛が藤を見て勇気をもらったという話。
黒田官兵衛ゆかりの姫路城からの子孫樹の藤だそうです。 -
そして、すぐそばに、現在は修復中?の建物。
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伊丹氏の国際姉妹都市、ベルギーのハッセルト市から1990年に寄贈された鐘、カリヨンです。記念塔の上部の演奏室には青銅製の43個の鐘があるそうです。年に数回演奏が聴けると聞きました。
どんな音色でしょう~聴いてみたい。 -
駅のそばの地図版。
伊丹市の探検、面白そうです。 -
伊丹のお酒も有名です。
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可愛いマンホールの蓋です。
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伊丹酒は有名ですが、その中で、「泉川」というお酒を造った大塚鳩斎が亡くなったとき、養子の信行から墓碑銘を書いてほしいと依頼されたのが、「日本外史」で有名な頼山陽です。
頼山陽はこの「泉川」というお酒がとても好きだったとのこと。
何度か伊丹を訪れています。 -
杜若寺。
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ちょっと読みにくいのですが、1660年の創建のお寺です。
梶曲阜という、俳諧の人のお墓もあります。
そして、もう一人、頼山が墓碑銘を書いたという大塚鳩斎のお墓。 -
墓碑銘の説明板がありました。
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頼山陽による墓碑銘。
このようなところにも頼山陽とのつながり、、、。おもしろいです。
ふらりと歩いていると、思いもがけないところに史跡を発見します。
それが、とても楽しいです。 -
そして、そこからさらに歩き、本日のメインの目的地に到着しました。
東リ株式会社にある東リインテリア歴史館。。
数日前に見学の予約していました。 -
パステル調のシックな建物です。
とても新しく感じますが、100年前の建物です。
1919年の創業の翌年に管理棟として建設されます。
半切り妻屋根、木組みが露出したハーフティンバー式が特徴です。 -
1920年の建築とあります。
設計は渡辺節氏。 -
館内に入ります。
ガイドをしてくださるスタッフの方。
とても丁寧に説明をしてくれました。 -
館内。
とても素敵なレイアウトでした。 -
東り株式会社の歩み、歴史、製品の変遷や発展など、詳しく説明展示されています。
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創業者は寺西豊太郎氏。
もともと金沢藩士だった寺西家の長男。
明治時代のことです。
1887年に平織織物「由多加織」を完成、床の敷物は海外に輸出するようになりますが、輸送が不便のために、1891年に神戸に近い、伊丹で会社を設立します。
それが、現在の東リ株式会社の原点。 -
とても綺麗な織物でした。
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当時の様子。
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実質的な創業者は豊太郎氏の三男福吉氏です。
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渡辺節氏。
日本近代建築の先駆者。
近畿を中心として活躍した建築家。
商業ビルなどの多くの建築を残しました。
先日見学した神戸の旧乾邸も彼の建築です。 -
説明にありますが、この東リの管理棟の建物は30代半ばころに設計されたものだそうです。
アメリカ流の合理性が特徴とパンフレットにありました。 -
設計図も残されています。
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50分の一の模型。
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1981年には建物の向きを変える移転工事も行っています。
玄関などの向きも変わっています。
柱なども老朽化によって、建物の高さも20㎝低くなったそう。 -
平成10年には渡辺節氏の名前もある棟札も発見されたそうです。
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東リ株式会社の歴史をわかりやすく、年表や生産品などとともに展示してあります。
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日本初の床材、国産のリノリウムを製造販売します。
これは第一号のもの。
天然素材を材料とした建材。 -
材料となったもの。
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戦前は海軍などにも多く製品が使われ、また列車や船舶、住宅などにも幅広く使われていましたが、戦後はビニールタイルに代わっていき、カーペット、カーテンなどの家庭用のインテリアが中心となっていきます。
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東リといえば、クイズ番組でもおなじみでした。
東リパネルクイズアタック25。なつかしいです。 -
昭和の家でも良く見かけた、懐かしいレトロなタイルの柄。
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時代とともに、製品もどんどん変化していきます。
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インテリアもどんどん変化していき、供給も変化していきます。
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工場の説明。
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資料も大切に保管されています。
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万博などでも床材などが利用されてきました。
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建築の様子も気になります。
白い壁と茶色の木々が、なんともスマートで現代的。
綺麗な建物です。 -
ランプシェイドも可憐で美しいです。
とても上品です。 -
各地にある工場の説明。
ちらりと見えるカーテンがなんとも豪華で。 -
裏のドア。
近年にまた改修された際に新しくなったところもそうですが、当時のものをそのまま利用した部分も多いとか。
100年以上も経って、やはり、良い材料はすたれないのですね。 -
昔使っていた材料を入れるもの。
特殊な材料を入れるために、頑丈な様子でした。 -
大正期の運搬用具も残っています。
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会社のロゴも時代とともに変遷。
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会社名の入ったはっぴ。
仕事の際に使われたものでしょうか。
こちらもかっこよいデザインでした。 -
二階へ。
平成の時代からもまた会社はどんどん進化していきます。 -
二階にも資料がずらり。
雰囲気が違う~と思っていましたら、カーテンがまた豪華な違うものに。 -
床材もどんどん新しいものが。
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1階もそうですが、カーテンがとにかく豪華です。
こちらの棟の建物のカーテン、何百万という費用がかかっているそうです。 -
カーテン生地のサンプルですが、溜息がでるほど、細かくて美しい刺繍。
ふと、我が家の安物のカーテンを思い出します。(-_-;)
あたりまえですが、カーテンで雰囲気が全く違います。 -
それもそのはずで、フランスのリヨンにある織物美術館に収蔵されているデザインを東リが復刻してカーテンに製作。
製作費も膨大なもののようです。
ちなみに、マリーアントワネットの寝室で使われていたカーテンやルイ16世の寝室で使われていたカーテンなどの復刻のものです。 -
阪神・淡路大震災もあり、1995年には大規模な調査も行われ、耐震機能にもなり、また、当時のままの様子に手直しをされています。
100年もの間、手も加えられ、ガラスなども新しく替えたものもあったそうですが、建築された1920年の当時に使われていたガラスなどにも戻り、当時の様子を再現しています。
2007年には景観重要建造物に指定されています。 -
二階には新しい技術や製品の説明があります。
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とても斬新なデザイン。
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壁もどんどん進化していくのですね。
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カーペットも様々なデザインや機能、時代によっての変化がよくわかります。
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快適な生活の中で、床の機能は大切です。
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現代の建物にとっても、カーペットはとても大切な役割です。
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あべのハルカスや伊丹空港など。。。
今まであまり気をつけてみていませんでしたが、このような大きな設備の中でも製品が使われていたのですね。
建物の雰囲気にとって、カーペットはとても重要な役割です。 -
こちらの建物のカーペットも建物の雰囲気に合っていると思いました。
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材料の説明など。
こちらも進化しています。 -
こんな日本的な絨毯の部屋もありました。
墨汁を垂らしたような、不思議で、日本的な雰囲気。 -
二階の窓も素敵です。
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二階の小さな奥の部屋。
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GOOD デザイン賞も沢山受賞されています。
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歴代の社長さんのお写真がずらり。
三代目の社長さん、山口半兵衛氏は海軍とも深いつながりを持つ人でした。
リノリュームの製品を海軍省や海軍で多く使用されることになりました。
世襲制ではない社長さんたち。 -
タイムカプセルもありました。
鍵もガラスの中に。
楽しみですねー。 -
階段を降りて一階へ。
このあたりもお洒落な雰囲気。 -
あとになりますが、このような配置です。
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外に出て、建物の周りをぐるり。
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イチオシ
玄関も特徴があると聞きました。
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端正な建物です。
見応えのある、企業博物館でした。 -
建物周りも回ってみます。
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広い敷地。
桜の木々が並んでいて、今年は桜祭りもある予定があるとのことでした。 -
お隣に神社があります。
笹原稲荷や黄金塚といわれる旧蹟がある場所でしょうか。
古来より、このあたりは美しい景色の場所だったそうです。 -
日本風の庭園のようです。
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竹林もあり。
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乃木希典大将の像と碑がありました。
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秋季大演習の際に、伊丹の武内氏宅に宿泊し、由加多織りの伊丹の工場を見学したそうです。そのゆかりから、乃木希典に揮毫を依頼したそうで、
この碑には二百三高地についての文が書かれていました。
創業者寺西家と乃木希典との関わりがあったのですね。 -
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このあたりは以前は笹原があったようで、風光明媚な場所であったようです。
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そこより、少し歩いて、猪名寺廃寺跡へ来ました。
創建者は諸説あるそうです。 -
いまは、公園のようになっています。
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猪名寺廃寺の説明や、付近の説明板がありました。
この奥は森のようになっています。
お隣もお寺。
このあたりも全て猪名寺廃寺の領域だったようです。 -
大きな礎石が残っています。
高さ30mほどの三重の塔があったと推測されるそうです。 -
白鳳時代から室町時代にわたり、存在したお寺。
法隆寺式伽藍ということがわかっています。
大きなお寺だったのでしょう~。
織田信長と荒木村重の戦いのときに焼失しています。 -
レトロな遊具がありました。
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すぐそばには小さな神社。
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説明があります。
由緒ある古い神社のようです。 -
猪名寺駅まで歩きました。
霰と小雨が降ってきました。
寒い、1月最後の日。 -
地図で見る文化財。
こんなにいろいろあるのですね~。
また、機会があったら歩いてみたいです。 -
東リインテリア歴史館でいただいた絵葉書です。
長い旅行記を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。(^-^)
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