2022/09/16 - 2022/09/20
10566位(同エリア11742件中)
れむさん
4日目9/19月曜日。台風は未明に長崎近辺を通過。午前中は台風の影響が残り、引き続きホテルに滞在となったが、午後から徐々に風雨もおさまり、市電なども動き出して活動が再開された。
観光施設などはこの日は終日休館となるところが多かったので、午後から散策しながら長崎市内をめぐる。
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朝9時、前日と同様ホテルで朝食。バイキング形式だが食べているものはほとんど前日と同じ。
台風は長崎付近を通過するも、東側を通ったからか、長崎での風雨はそこまでひどくはなく、被害もほぼなかったようだ。
飛行機はまだ欠航確定ではなかったが振替可能となり、福岡までの陸路の不安もあるので、早々に翌日への飛行機振替を行った。明日まで長崎に滞在である。 -
午前中はまだ台風の影響が残り動けなかったが、午後から雨風も弱まり市電も動き出した。それを受けて観光も開始する。
と言ってもこの日もほとんど全ての観光施設は終日休館となっており、従って街歩きが中心となる。
まずは昨日さらっと通った唐人屋敷跡へ向かってみた。 -
唐人屋敷跡は江戸時代の鎖国政策時に中国人居住区となっていた場所だという。
開国後に実質解体されたが、中国寺院などがいくつか残っているようで、それらを辿ることができるようになっている。
こちらは最初のスポット、土地や家を守る土神堂という建物。 -
天后堂は門が閉まっていた。天后は中国の航海を守る女神で、香港の天后宮やマカオの媽閣廟などでも祀られている。
長崎でもここまでの航海の無事を祈って祀られてきたのだろう。 -
唐人屋敷跡入口の地図にあったように数カ所の史跡があるが、唐人屋敷跡の地区自体が非常にコンパクトなので、ぶらっと10分くらいで回ることができる。
観音堂。ここは門が開いていて敷地内にまで入ることができた。 -
中は閉まっていて建物の外観のみ見学。菩薩様のほか、関羽も祀られているらしい。
脇にある看板によると、この観音堂や天后堂、土神堂は、長崎から北九州へ砂糖を運んだシュガーロードの遺産として、日本遺産の構成遺産ともなっているようだ。 -
唐人屋敷跡を巡っていた頃にはまだ時折雨が落ちてきたが、やがて雨もあがり天気も落ち着いてきた。
街中に差し掛かると、これまたレトロな建物が現れる。出島の神学校で、ちょうどここが出島との境の部分であるらしい。 -
出島はいまは埋め立てられて街中に溶け込んでいるようだが表側はこのように川で分け隔てられる形になっている。
先ほどの神学校を初め、出島地域は建物の復元なども行って歴史スポットとして整備され観光用に公開されているが、本日は台風のため終日休業。翌日に改めて訪れた。 -
そのまま歩いて長崎駅に至る。長崎新幹線の開業を目前にして、駅の整備が進んでいるようだ。
こちらは西側のいなさ口で、街の中心街とは反対側。大型のホテルなどの建物がならぶ。 -
長崎新幹線は9/23、あと4日で開業である。まだエリアは閉じられているが、新幹線発車の掲示板などは開業後を想定してかリアルタイムで表示されていた。
台風の影響でJRは在来線が全て終日運休となり、駅自体は閑散としていた。飛行機が飛んだとしても福岡への移動が厳しかったと思われ、滞在を1日延ばせてよかった。 -
東側のかもめ口。こちらも新幹線開業に合わせて再開発中らしく、広大な区域で工事が行われており、駅から通りまでも暫定通路となっている。
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かもめ口からは、山がせまり中腹まで住宅地が立ち並ぶ長崎の街並みが見渡せる。
初めて仕事で長崎に来た時、福岡から特急かもめに乗って夜の長崎駅に降り立ち、ここからの夜景を見て、山の上の家々の光を高層ビルのものと勘違いし、長崎はずいぶんと高い建物が並んでいる大きな町だと思ったものである。 -
長崎駅から20分ほど歩いて、坂本国際墓地を訪れる。長崎駅前の市電の走る大通りから少し上った丘の中腹にある、グラバーのお墓ほか、往時の異国の人たちのお墓が並ぶ墓地である。
手前はユダヤ人墓地で、長崎居留地に住んでいた人々のお墓。 -
こちらはフランス人墓地の地域で、中国の義和団事件で戦死したフランス人兵士が多く葬られているらしい。
このように国ごとに葬られていて、このほかベトナム人地域と、墓地の入り口付近には、この後訪れた如己堂を書斎とした、永井隆博士のお墓もある。 -
こちらがトーマス・グラバーのお墓で、奥が息子の倉場富三郎のお墓。
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坂本国際墓地からさらに5分ほど歩くと、山王神社に至る。
一本柱鳥居と言われる、山王神社二の鳥居。原爆の爆風で半分が倒壊し半分が立ったまま残されたという。倒壊した片側は、付近に崩れた状態で保存されている。
このあたりからは原爆の歴史を伝える地域にさしかかっていく。 -
山王神社の本殿。明智光秀などで有名な近江の坂本の地にこの地が似ているということで、この地が坂本という名前となり、島原の乱の頃に山王神社が建てられたとのこと。いろいろなところがつながっているものだ。
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でも山王神社の見どころは、本殿よりも、先ほどの一本柱鳥居と、楠の木なのだろう。
この木と、もう一本大きな楠の木が立つ。被爆で一時は枯れそうになりながらも生き延びた樹齢500年の大木。もう一本の方には大穴もあいている。 -
再び坂を降りて市電の通りに出る。
市電が建物の内部を貫通していく特徴的な場所。建物は長崎西洋館という名前で飲食店などが入っているようだった。
建物自体も歴史を感じさせるもので市電の構造もありユニークだと思ったが、残念ながら2023年5月で閉館となるらしい。 -
市電の通りから、浦上天主堂通りに入ると、一昨日夜景を拝んだ浦上天主堂が見えてきた。
小高い丘の上に堂々と建つ、ヨーロッパの修道院のようだ。夜に見るものとはまた趣きが違う。 -
建物自体は昭和の建築だが、それは原爆で破壊されたからだ。台風直後でも内部に入館でき、内部では原爆で焼けこげたマリア像、また建物周辺では崩れ落ちた旧教会の鐘楼などを見ることができた。
山王神社、浦上天主堂と原爆の傷跡を見てなんともいえない心持ちになりながら、一昨日夜道で歩いた道と同じ道を辿っていく。 -
一昨日にGoogleマップの指示で細い登り坂をいろいろと歩かされて何なんのだこの道はと思ったのだが、今日改めて歩いて、平和祈念像のすぐ後ろを歩いていたのだとわかった。その時は暗い夜道が続き全くわからなかった。
というわけで浦上天主堂からは裏側から回るような形になり、いきなり平和祈念像が大きな姿で現れる。 -
本当はこちら側から平和祈念像に向かって歩くのが想定されるのだろうが、公園入口方面へ逆に向かって歩を進める。
平和祈念像をバックに噴水と碑文が印象的な、平和の泉。このほかにも平和を祈っての多くのモニュメントなどが並ぶ。 -
公園手前に爆心地があり、その側には、移設された旧浦上天主堂の廃墟の一部が保存されている。このほかにも散乱した陶器などが見て取れる、被爆時の地層なども展示されている。
この日は台風で休館していたが、すぐ近くに長崎原爆資料館もある。悲惨さにあまりに心が沈んでしまうので、今回は訪問できなかった。 -
少し北に歩いて、坂本国際墓地に眠る永井隆博士の書斎であった如己堂。台風に備えて雨戸などがされていた。側には資料館もあるが本日は台風で休館。
原爆投下時に長崎大学の助教授で被爆者の手当を行い、長崎の鐘の随筆を書いたのが永井隆博士。以前放送された朝ドラのエールにも出てきた。なお長崎の鐘は、倒壊した浦上天主堂の鐘のひとつがほぼ無傷で出てきた希望から来ているが、その鐘はいまでも浦上天主堂の鐘として現役で鳴らされているというからすごい。 -
夕方の時刻となり、平和公園付近から市電で中心部に戻る。
昨日の昼も訪れた長崎港沿いの出島ワーフのテラス席で、ビールを一杯いただくことにした。
夕焼けとなり、空には晴れ間が広がって来た。明日は台風一過となりそうだ。 -
当初はここで一杯ビールを飲んだ後、中華街に行こうと思っていたのだが、のんびりとビールを飲んでいたら、移動するのが面倒くさくなってしまった。
何かないかとメニューを見ると、長崎名物トルコライスがあるではないか。早速注文。
エビフライ、ハンバーグ、ピラフ、ナポリタンと、お子様ランチみたいな盛り合わせである。なぜトルコなのかはよくわからないが、洋食ということなのだろう。ビールにはよく合う。 -
食後は海岸沿いを散策しながらホテルまで戻る。
午後には台風はおさまるも、ほとんどの施設は終日休館であったため、ほぼ散策オンリーとなってしまったが、逆に長崎市内の細かなスポットを見ることができたのが魅力的だった。
台風で1日延ばしたので、翌日午前中まで長崎に滞在し、その後、福岡経由で東京に戻る。
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2022年9月 長崎ひとり旅
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