2022/08/23 - 2022/08/23
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kimi shinさん
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御母衣白山神社を後にして荘川方向に15分程南下します。
国道156号線尾神橋を渡り、湖岸を少し走る、やがて左手に大きな待避所が現れます。
待避所から国道を挟んだ山の斜面に湖底に沈んだ村を見下ろすように鎮座する
御母衣 電源神社は鎮座します。
こちらを参拝の後は荘川町の一色白山神社を訪れ今回のキャンプ泊の白川郷を訪れる予定は全てコンプリートとなります。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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御母衣電源神社は待避所から国道を挟んだ山の斜面に鎮座します。
ダムと云うとコンクリートをイメージするけれど、白川郷から庄川を遡ってくると、岩を積み上げた壁が立ち塞がるように聳えている、現代のピラミッドと云っても良いかもしれない。
岐阜県高山市荘川町一色。
御母衣 電源神社から南へ15分程走った荘川地内に白山神社が鎮座する。
周囲を山に囲まれ、庄川と一色川などの支流が作った扇状地に稲田が広がり隠れ里の趣がある。
川に沿って走る国道158号線は、高速が出来る以前は高山に通じる唯一の道、今ほど整備も進んでおらず、冬季の峠越えは気の抜けない道だった。荘川桜 花見
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上は昭和22年米軍が撮影した御母衣ダム建設前の当地の航空写真。
星印の左の沢が尾神郷川、御母衣電源神社の鎮座地は☆のあたりと思われます。
社名からして御母衣ダム建設に伴い創建された神社なのは間違いない。
御母衣ダムは昭和32年(1957)に着工され、昭和36年(1961)に運転開始した岩を積み上げたロックフィルダム。
このダムが発電した電気は関西圏へ送電され使用されています。
米軍の航空写真に湖底に沈む前の集落の姿が残っていた、関西の発展に寄与できたのも、遠く離れた場所で故郷を失う村々の協力なくして成立しなかっただろう。 -
ダムと云うとコンクリートをイメージするけれど、白川郷から庄川を遡ってくると、岩を積み上げた壁が立ち塞がるように聳えている、現代のピラミッドと云っても良いかもしれない。
御母衣電力館 美術館・博物館
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この神社の由来は建設に伴う犠牲者を鎮めるためのものか、このダムと湖の鎮守として祀られたものかは定かではない。
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社頭の右に社標が立ち、斜面に沿って石段が続き、鳥居と社殿に繋がる。
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社標の寄進年は昭和38年(1963)とある。
後に出てくる狛犬も同一寄進年、つまり運転開始後に建立されたものと思われます。 -
苔むした石段上ると石の明神鳥居、その先に一対の狛犬と覆殿がある。
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覆殿と狛犬全景。
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覆殿前を守護する狛犬。
昭和に入って寄進されたものながら、立地もあってか体は赤茶け、苔生し始めている。 -
境内全景。
右の阿形の狛犬の先に石標が立てられていた。 -
角の取れた丸い石には水神と彫られていた。
同時期に祀られたものか、湖底に沈んだ村からここに移されたものか定かではない。 -
水神から境内の眺め。
周囲を取り囲む薄暗い森の中にあって、境内には陽光が良く届く。
伽藍は眼下の御母衣湖を向いて建てられ、狛犬達の見つめる先は湖底に沈んだ村を見つめている様に見えてくる。 -
鳥居の先の眼下には御母衣湖が見通せる。
御母衣 電源神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / 岐阜県高山市荘川町海上
参拝日 / 2022/08/23
御母衣白山神社から御母衣電源神社 / 国道156号線を南下15分前後 -
鎮座地は国道158号線の一色口バス停前の庄川に架かる橋を渡り、惣則公民館を過ぎた右側に写真の社頭が現れます。
社頭は左に「村社 白山神社」の社号標が立ち、細い参道の先に明神鳥居があり、その先に高山市指定史跡の茅葺拝殿が佇んでいます。 -
緑豊かな山々に包まれ、稲田の広がる長閑な山村の景観…だった。
スキーや登山、釣りなど地内の民宿にはお世話になっていた。
鶏ちゃんの美味しさに目覚めたのもここ、山菜の知識を教えてもらったのもここ、色々と教えてもらった。
東海北陸自動車道の開通により白川郷や高山へ容易に訪れる事が出来る様になった反面、山や渓流の様相は変わり、町内には無機質な橋脚が聳え随分と表情を変えていた。 -
鳥居(1972年寄進)の前方にこんもりとした白山神社の杜。
車の乗り入れは、社号標から先の細い脇道(畦道?)から境内に入れます、この参道から進むのはお勧めしません。 -
鳥居扁額は「白山神社」。
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一色白山神社について調べて見ると、一色の地名の由来を知る事になった。
明治6年に完成した飛騨の各群の産物や土地の概要が纏められた斐太後風土記、その中の大野郡白川郷一色村の頁で以下の記述が見られた。
「文明年中(1469~1487年)一色左京大夫義直の一族たる、一色式部義当、浪人と成り、当村に来り、住居して農家となれり。
一色義当住居の村ゆえ、後に一色村と称せしとなり」
と記されていた、室町時代から戦国時代の守護大名一色義直の末裔が住み着いた事から一色になったと云う。
面白いのは水産物、川が育む魚の中でも岩魚は当時から漁獲量が突出していた。
思えば、奇異な視線で見られていたフライ、初めて岩魚を手にしたのもここだった。
懐かしいけれど、訛った体に川を釣り遡る脚力もない、今はこうして寺社を回るのが分相応だろう。 -
拝殿前の狛犬。
随分と黒ずんでいるが、それが逞しい筋肉を強調するようにも見える。 -
手水鉢(寄進年不明)
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茅葺屋根の拝殿は四方が吹き抜けのもの。
周囲の景観に茅葺の屋根の拝殿が溶け込んでいる。 -
以前はこうした茅葺が普通だったのだろう、現在の一色では貴重な存在だ。
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拝殿内には奉納額が多数架けられている。
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明和や安永、文政などの古い奉納年のものから、起源2600年記念(1940)で奉納されたものなどがあり、 絵柄も多様で、この白山神社が古くから産土神として崇敬されている事を物語っている。
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幣殿、本殿の全景。
小高く盛られた高みに石垣が積まれ社殿が建てられている。
佇まいから古墳の上に建てられた様に見えなくもない。
岐阜県神社庁の一色白山神社解説は以下。
「創立不詳。
往古より社地を字神田、御手洗と称し、古墳形岩石山口に鎮座して御母衣、森茂、白山と共に白川白山三社の一なりと称せられ、黒谷、三尾河白山と共に分祀創立せりとも里伝に云へり。
中古元久二年(1205)七月十七日再建。
以来造営屡々にして歴代国主代官郡代等越前支配に赴く途中当村三島家に宿泊して、必ず社参を例とし、社殿の造替神宝什器の寄進あり。
天正二年(1574)安永四年(1857)九月等の再営記録あり。
現拝殿は安永四年(1857)の改築にして当國では久津八幡山王一宮の拝殿に次ぐ可き古建築様式を表せり。
明治維新村社に列し、同三十三年飛騨東照宮の本殿を模して改築せり。
様式は入母屋造千鳥唐破風造にして東照宮及上枝の新宮と共に飛騨の三本殿の一なり。祭礼9月3日」
とあった。
黒谷、三尾河の白山社は158号線を庄川上流に少し遡れば国道沿いに鎮座しているだけに、これは参拝しておくべきだったか。
祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、菊理姫命、大己貴命。
今回感じた事ですが、岐阜県神社庁は主要な神社の概説がWEB上で公開されていて有難く感じた。
それに対してどこぞは・・・もう少しなんとかならんかなぁ。 -
境内左に境内社が祀られています。
後方は宝物庫だろうか。
境内のこれは一対の狛犬?
苔を纏い、風雪で風化したこの姿からは全く想像できないがここでは狛犬としておこう。 -
この境内社は社名札はなく、詳細は不明。
荘川村史を探しに古本屋巡りでもしてみるか。
今回、一泊二日のキャンプ泊で白川郷から荘川まで巡ってきて、世界遺産となった白川郷と高速以外は昔の静かな山間集落の面影が残っており、再び訪れて見たいと思う。
一色白山神社
創建 / 不明
祭神 / 伊邪那岐命、伊邪那美命、菊理姫命、大己貴命
境内社 / 不明社2社
所在地 / 岐阜県高山市荘川町一色26
参拝日 / 2022/08/23
御母衣電源神社から一色白山神社 / 国道156号線を南下15分前後三島酒店 専門店
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