2022/12/11 - 2022/12/11
134位(同エリア267件中)
あおしさん
「18きっぷ」で東海道線袋井市にやってきました。
ホテルに1泊して、ローカル線の廃線跡、旧東海道宿場町・袋井宿、紅葉の油山寺とサイクリングでまわってきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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昨夜「18きっぷ」で東海道線の袋井駅に到着。
1泊5000円の駅前ホテルに宿泊、4割引き、クーポンもあって、実質2000円でした。ホテル観世 宿・ホテル
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駅前の観光案内所に聞いたら、レンタサイクルをやっていないとのこと。
もっともホテルで無料のレンタサイクルを借りられました。
袋井駅からはかつて昭和40年代まで静岡鉄道・駿遠線という軽便鉄道が出ていました。
まずはそのローカル線の廃線跡巡りに出発します。袋井市観光協会 名所・史跡
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袋井駅から南へ約4キロ。
平成の大合併で袋井市に吸収合併された浅羽町の中心にある浅羽記念公園。
旧軽便鉄道の機関車や小さな車両が展示されていました。 -
浅羽記念公園には、袋井市の郷土資料館と近藤記念館があります。
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ここでは、旧東海道の袋井宿や駿遠線の軽便鉄道についての史料が展示されていて、ここで今日まわるところの「予習」を。
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袋井宿本陣からの出土品と復元された料理の展示です
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有名な浮世絵の模型も展示されていました。
掛川宿~袋井宿~見付宿の3つの宿場町です。 -
袋井市周辺から出土した弥生式土器。
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当時の食事の説明もありました。
なかなかの御馳走です。 -
旧軽便鉄道の写真も展示されていました。
これは明治35年ごろの様子。
馬車鉄道だったようです。 -
昭和20年の軽便鉄道の袋井駅。
小さな機関車です。 -
軽便鉄道の廃線跡は遊歩道として整備されています。
途中には休憩所もあり、サイクリングやウオーキングには最適 -
五十岡駅跡。
この駅跡には軽便鉄道時代のホームが残っていました。 -
新岡崎駅跡。
現在は袋井市の最南端の場所ですが、かつては笠原村という村の中心地にあった駅です。
駅には当時の笠原村長が鉄道開通に尽力したことを伝える記念碑もありました。 -
上の写真と同じ角度で撮影された当時の軽便鉄道。
小さな車両に多くの人が乗り降りしていたようです。 -
新岡崎駅跡から袋井駅に向けて遊歩道をUターン。
かつての川を渡る鉄橋も遊歩道になっていました。 -
先ほどの浅名記念公園近くにあった旧浅名駅跡。
駅名標のオブジェがありました。
現在は住宅街になっています。 -
旧浅羽町の中心にあった芝駅跡。
浅羽地域の駅の中では一番利用者が多かったそうです。 -
ここには鎌倉時代、浅羽氏の館があったとされます。
浅羽氏は浅羽宗信という武士が源頼朝の挙兵に参加したと「吾妻鑑」にあります。
その後頼朝からこの地に領地を安堵され、館もここにあったようです。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場し、権力争いを繰り広げた有力御家人とは異なり、領地は一か所だけ、その領地に命を懸けた「一所懸命」の普通の御家人だったのでしょう。 -
諸井駅跡。
遊歩道はここまででした。
ここから袋井駅までの廃線跡は県道の拡張などに使われて、廃線跡が無くなっていました。 -
JR袋井駅に戻り、今度は旧袋井宿方面へ。
旧袋井宿はJR袋井駅から原野谷川を渡り1キロほど北上したところにありました。
原野谷川の橋の上にある照姫と露姫の像。
都の貴族の娘であった照姫は目を患い、油山寺に来たところ目が快癒しました。
そこで油山寺の尼になったそうですが、妹の露姫が姉を訪ねてきたとされる場面です。 -
橋を渡ったところにある旧東海道。
整備されていますが、旧街道らしい雰囲気は残っています。 -
袋井宿の中心にある本陣跡。
現在は公園として整備されています。東海道袋井宿 名所・史跡
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まず旧東海道を西・京方面へ行ってみます。
澤野医院記念館。
江戸時代から昭和58年まで代々医師の家だった澤野医院を保存しています。
この建物は大正末期から昭和初めに建てられた建物。
当時の医療器具や手術道具、病室なども展示されています。
昭和時代まで現役だったのは少し驚きです。澤野医院記念館 名所・史跡
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さらに西に向かうと木原畷古戦場跡。
元亀3年(1572年)、戦国時代最強とうたわれた武田信玄が京を目指して北上、徳川家康生涯最大の危機がはじまりました。
まず先鋒隊として内藤信成と本多平八郎忠勝がここに至った武田信玄の軍勢とぶつかりましたが、あっさり蹴散らされてしまいます(木原畷の戦い)。
この2か月後、徳川家康の本隊と武田信玄は浜松三方ヶ原で衝突しましたが、家康は生涯最大の惨敗となりました。
現在はここに神社が建てられ、徳川家康は関ケ原の合戦に向かう途中この神社で戦勝祈願をしたそうで、「家康の腰掛石」もありました。
何かゲンでも担いだのでしょうか。木原畷の古戦場 名所・史跡
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木原畷の古戦場でUターンして、今度は江戸方面・東に向かいます。
東海道ど真ん中茶屋。
無料の休憩所&観光案内所です。
広重の「東海道53次・袋井宿」ではお茶屋で休息する旅人が描かれていますが(袋井 出茶屋ノ図)そのお茶屋の場所に建てられています。東海道どまん中茶屋 名所・史跡
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このあたりの旧東海道には松並木が残っていました。
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JR浜松駅から東へ5キロほど、遠州三山の1つ、油山寺に到着しました。
油山寺の山門は旧掛川城の城門が移設されています。医王山油山寺 寺・神社・教会
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境内は紅葉まっさかり。
たくさんの人が紅葉を楽しんでいました。 -
油山寺は境内は自由ですが、本堂内は拝観料500円です。
中に入ると庭園などが見られました。
ただ、庭園は今一つ。 -
元は横須賀城の書院を移設したとされる書院です。
この書院には幕末三舟と呼ばれる勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟や西郷隆盛の書が展示されていました。 -
油山寺の奥院。
こちらも紅葉の木々が美しかったです。 -
油山寺の一番の見どころ、三重塔。
紅葉の木々に赤い三重塔が映えてとても美しい。 -
油山寺から少し離れた場所にある可睡齊。
「可睡齊」という名前はお寺の名前としては珍しいのですが、その由来は徳川家康がまだ竹千代と呼ばれていた少年のころ、この寺の和尚がお世話をしていたことがありました。
その後家康が浜松城主になったときに、恩人であるその和尚を招いたのですが、その和尚が家康の目の前でうたたねを始めてしまい、家康は笑いながらその和尚に「可睡和尚」の名を与え、やがてこの寺も「可睡齋」と呼ばれるようになったそうです。秋葉総本殿可睡齋 寺・神社・教会
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可睡齋も境内は自由に入れますが、本堂などには拝観料500円です。
さすがに家康由来の寺院であり、内部はとても広かったです。
「日本一広いトイレ」である大東司。
広いだけではなく、装飾も美しいトイレでした。 -
この寺は人形供養のお寺としても有名のようです。
瑞龍閣という美しい建物では、1200体のひな人形が並び、とても壮観。 -
可睡齋から袋井駅に向かう途中に、「久野城跡」の標識があったので、寄ってみました。
戦国時代、今川氏が遠江征服のための拠点としてつくられた城ですが、松下之綱の居城だったところです。
戦国時代、今川家家臣の松下之綱は日吉丸という農民の放浪少年を拾いました。
之綱は日吉丸をかわいがり、刀や槍、弓、乗馬などを教えていたそうです。
しかし、日吉丸の同僚たちは農民上がりのくせに之綱がかわいがることに不満(嫉妬)して日吉丸をいじめたため、日吉丸はここから出ていくことになりました。
その後日吉丸は織田信長の草履とりになります。
後年天下を取った日吉丸こと豊臣秀吉は、当時は没落していた松下之綱にこの久野城を与えて恩返ししたのでした。久野城址 名所・史跡
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久野城本丸跡から見た袋井の市街。
右下には二の丸跡が見えます。
豊臣秀吉もここから見た景色かもしれません。
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