2022/10/21 - 2022/10/23
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薔薇の咲く庭さん
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この旅行記のスケジュール
2022/10/23
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電車での移動
越後湯沢→高崎→上州富岡
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富岡製糸場
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徒歩での移動
富岡製糸場→上州富岡
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電車での移動
上州富岡→高崎
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この旅行記スケジュールを元に
息子の案内で新潟県の長岡を訪ねた翌日、春日山城に登りました。三日目は高崎まで戻って、富岡の製糸場へ行くことにしました。世界遺産に登録された時から一度は訪ねてみたいと思っていましたので、チャンスが到来した感じです。
2014年に世界遺産に登録された当初は年間133万人の人が訪れたそうですが、ブームが去り、コロナの影響もあって昨年は年間22万人とかなり減少しています。
貴重な文化遺産を維持管理するためには財源が必要で、多くの人に来場してほしいという記事が新聞に載っていました。
日本史の教科書に写真がありますが、本物を見ることは価値があります。観光地化する必要はないように思いますが、興味を持つ人は少なくて来場者が増えないのかもしれません。一度は訪れる価値があると思いました。
急遽決まった富岡製糸場の見学でしたが、旅の最終日に貴重な見学ができました。
10月21日(金) 長岡 長岡市馬高縄文館・新潟県立博物館
河井継之助記念館・山本五十六記念館
10月22日(土) 春日山城
10月23日(日) 富岡製糸場
温泉巡りの旅26 越後湯沢 湯沢グランドホテル 季里の湯
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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越後湯沢に宿泊して2日目の朝。今日も快晴です。新幹線の向こうに越後湯沢の街が見えます。
越後湯沢温泉 湯沢グランドホテル 宿・ホテル
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ホテルをチェックアウトして高崎へと向かう新幹線に乗りました。新幹線は早いと思います。あっという間に高崎に着きました。
越後湯沢駅 駅
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上信電鉄に乗り換えます。上州富岡駅へ向かう電車の中です。新幹線はとても混んでいましたが、この電車にはあまり乗客はいません。拍子抜けした感じがしました。
上信線 乗り物
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この地方ではまだ稲刈りが始まっていませんでした。黄金色の稲が実っています。新潟と気候がまるで違うことがわかります。
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上州富岡駅につきました。「ぐんまちゃん列車」と言う名前の電車です。ここが終点でした。
上州富岡駅 駅
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改札を出ると、ゆるキャラがお出迎えをしてくれました。記念撮影をしていきます。確かにきました。
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驚いたことに駅のロータリーでは演奏会が行われていました。よく見ると皆さん,
かなりご高齢です。しかし、音楽に年齢は関係ありません。素敵な演奏していました。 -
富岡製糸場まで歩いて行きます。途中はこんな感じのお店が続いていました。観光地化されていないので安心します。
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このお店を見て、タイムスリップしたようなそんな感じになります。かってはこのようなお店がありました。今でも存在しているんですね。
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珍しい花を見つけました。サボテンが咲いています。季節は11月なのですがこんな季節にサボテンの花が咲くんですね。ほっこりします。
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徒歩10分くらいで旧富岡製糸場に到着。あまり観光する人はいないようです。混んでいません。新聞記事の通りです。
明治5年に建てられた建物がそのまま残っています by 薔薇の咲く庭さん富岡製糸場 名所・史跡
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歩いて行くと正面に見えた建物がありました。レンガで作られた倉庫です。
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入り口のところを見てびっくり。明治5年と書いてあります。明治5年に作られたんでしょう。そのまま残っています。
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建物の中に入ると富岡製糸場の解説がたくさんありました。ラッキーなことに11時40分からのツアーだけが空いていて予約をとることができました。
富岡製糸場はフランス人が設計していますが施工は日本の大工さんで日本風の建築様式も多く見られる和洋折衷の建造物だそうです。
急遽、行くことが決まり、全く予備調査なしで来ているので、すべてが新しい知識です。 -
創設時はかなり広い敷地でしたが史跡指定の範囲は狭くなっているようです。
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全部で14の文化財があります。この展示室では順番に説明がされていました。
1番の場所にあるのは製糸所。1872年(明治5年)建設で国宝です。繭から糸を繰り出す作業をしていました。なんとここでは115年間も操糸が継続されていたのです。
驚きました。 -
2番のレンガ造りの建物は東置繭所です。先ほど見た明治5年の要石がある建物です。
そして、今、その中にある展示室にいます。 -
西置繭所です。この倉庫の中には入ることができました。明治5年に書いた落書きがそのまま残されていて驚きました。
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蒸気釜所。ここで繭を煮たようです。
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鉄水溜。「留」といいう漢字に「さんずい」がついています。繭を煮るためにはどうしても水が必要です。ここに水を貯めたそうです。
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富岡製糸場のすぐ横には鏑川という川が流れています。その川に汚水や屋根の雨水を流したそうです。安居暗渠になっているので外から見ることができません。
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首長館です。フランスから来たブリュナ一家の住居だったところです。明治8年にブリュナとの契約が切れた後は工女の宿舎や学園(花嫁修行)に利用されています。
ブリュナはフランスの貿易会社の繭検査人として来日していて、富岡製糸場の建設、操業、管理など多岐にわたり指導にあたったそうです。 -
女工館です。製糸場ができたときに4人の女性技術者がフランスから来ましたが、その方たちの宿舎です。
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検査人館です。生糸検査人のフランス人男性技術者用として建てられたそうです。
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この2つの建物は見学することができませんでした。
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この説明を読んで驚きます。木造の骨組みにレンガの壁を並べた構造であることがわかります。柱は見えません。レンガの幅に合わせて柱を作り、囲んでいるからです。ガラスや鉄製の窓枠は輸入したそうです。レンガは日本の深谷でレンガ職人が焼きました。
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レンガの積み方の説明がありました。フランス積みという名称の積み方です。レンガの長い面と短い面を交差に並べていくのでかなり厚い壁面になります。
屋根を支える骨組はトラス構造と言うそうです。操糸所と置繭所の建物の幅は15メートルありました。 -
明治5年は照明施設がないので自然採光を最大限に利用したそうです。確かに明治5年には電気はありませんね。鉄製の窓枠にパテでガラスを固定して設置したそうです。
アイデアですね。 -
開国した頃の日本には世界に売るものが何もありませんでした。生糸は自国で生産できる数少ない輸出品の一つです。フランスのリヨンやアメリカのニューヨークに輸出して、明治末には生産量・輸出量ともに世界一になり、世界の絹の大衆化に貢献しています。
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開業期に関わった人々の4人が紹介されていました。渋沢栄一がいます。渋沢栄一は明治維新に大きな役割をここでも果たしているんですね。
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富岡製糸場のお雇い外国人の集合写真です。皆さん、ほんとに若い方が多いですね。ブリュナは32歳、渋沢栄一も32歳だそうです。若者が日本の新しい産業を作ったのですね。
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この写真の様子は北海道開拓村で見たことがある作業です。明治初期は座繰製糸で大量生産が出来ませんでした。政府資本による模範器械製糸場の設立が必要だったことが分かります。
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なぜ富岡が選ばれたのか?
5つの条件が満たされていたからだそうです。
①富岡周辺は養蚕が盛んでたくさんの生糸が確保できる。
②工場建設に必要な広い土地が確保できる。
③製糸に必要な良質の水がある。
④燃料の石炭が近くの高崎から取れる。
⑤地元住民の同意が得られた。 -
工場全体の模型がありました。今、いるところは、東置繭所です。手前の茶色の長いレンガの建物です。かなり広い敷地です。
東置繭所の長さが104m、操糸場が140mあります。 -
富岡製糸場の近くから資材の調達ができたことがわかります。レンガは深谷市でした。深谷は渋沢栄一の生家があるところです。
訪ねたのは10月23日でした。この後、11月12日に渋沢栄一記念館を訪ねることになりました。 -
明治5年にこのレンガを作ることができる技術を持っていたのは素晴らしいことだと思います。
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工女たちを集めるのに苦労したそうです。それはフランス人が工女の生き血をとって飲むと言う噂が流れたからです。
初代場長の尾高の娘を率先して入場させた結果、官営期間だけで32都道府県から工女が集まったそうです。「晴天を貫け」でその場面が出てきたことを思い出しました。 -
工女の尾高 勇は14歳で入場しています。和田 英は16歳で入場です。
労働条件は1日7時間45分の勤務。休日は日曜日。給料は能力給。宿舎が用意されていたそうです。給与を現在の金額にすると2万円くらいだったそうです。
2万円? ボランティアガイドさんに聞いたところ、3年の契約で入場したそうですが、ほとんどの人は1年未満で辞めてしまったそうです。「なぜ私が働かなきゃならないの?」と疑問を持ったからだそうです。
女性は花嫁修行を結婚までして、働くという風習がなかったからだそうです。 -
富岡製糸場をモデルとして日本全国に製糸場が作られ、生糸の生産が盛んに行われたことがわかります。北海道にも開拓使庁製糸場があったことがわかります。
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食事の献立が展示されていました。芋料理が多かったそうです。
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富岡製糸場は明治24年に官営を廃止しています。初期の目的を果たしたからです。三井銀行が後を引き継ぎました。
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三井は名古屋と四日市に新設した製糸場を合わせた4つの工場で生糸の生産を行い、すべてアメリカ向けに輸出をしました。ますます製糸が盛んになったのですね。
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明治後期の工場内の体操風景。世間では女工哀史が叫ばれていたそうです。健康管理のためにやったそうです。
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優等工女の操糸の様子です。繭を何粒使うかによって糸の太さが決まります。同じ太さにするためには、糸を繋いでいく技術が必要です。それは人の手でするしか方法はないので能力差がでてきます。
ガイドさんの説明では糸10本と言っていました。 -
着物から洋服に工女たちの服装が変わっています。三井が経営していた時代は終わりました。
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三井の時代の次は原の時代です。経営者が変わったのです。生産性の向上が求められました。工女たちが立って仕事をしています。
改良服の名称の洋服を着ています。 -
戦後になると原から片倉へと経営者が変わりました。さらに生産性を高めるために組織は自動操糸器の開発が進められました。糸をつなぐ女工はもういません。
化学繊維と中国からの輸入量に負けてしまうからです。 -
ガラスのショーケースの中に飾ってありました。ユネスコに登録された証明書です。この証明書によって多くの方がここを訪れたことと思います。
ここまでが展示室の内容です。この知識をもとに見学ツアーに参加します。 -
ツアーが始まる11時40分になったので集合場所に行きました。東置繭所を出て、中央の広場に出てきました。
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ここから説明が始まります。かなりご高齢の方が説明をしてくださるので驚きました。お元気ですね。ツアーガイドの仕事は年齢に関係なくすることができるのでいい仕事だと思います。セカンドライフをツアーガイドをする選択もあります。
私もいつかはそのようなチャンスがあるかもしれません。 -
この建物は乾燥場・繭扱場です。カバーがかけてあり工事中でした。老朽化が進み修理をなければならなくなったとの事でした。
建物の向こうに見える煙突は昭和14年に作られた4代目の煙突だそうです。 -
最初に行った所は社宅です。工場が始まった時に、ここで働く人たちの社宅を用意しました。昭和30年代の暮らしや様子を伝える展示があるそうですが中に入ることができませんでした。家族でここに住んでいたそうです。
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東置繭所の壁づたいに歩いて行きます。104メートルあるそうです。レンガ造りの建物が途切れることなく続きます。本当によくこんなに大きな建物を建てたものです。1年に1回しか繭を取ることができないので広い場所に保管しておく必要がありました。生きている繭を殺し、カビや害虫から守るためには細心の注意が必要だそうです。
下のほうは石造りになっています。日本は湿気が多いので床を高くする必要があったそうです。窓は空気の入れ替えのために必要だったとガイドさんが話してくれました。 -
グレーの場所はなんだろうと思いましたが、説明を聞いてわかりました。窓なのです。繭を保管するために窓を開けて換気をする必要がありました。
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この建物は検査人館です。明治6年に建てられました。フランス人の男性技術者のために建てられました。
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この建物は女工館と呼ばれています。明治6年にフランス人の女性教師4名のために建てられたそうです。建物は後に役員用宿舎、娯楽活動の場として使われたそうです。1階は食堂。
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順路の4番目の操糸所にやっと出てきました。ここが見学のメインの操糸所です。ワクワクします。
日本史の教科書に載っていた写真のような風景が見られるでしょうか? -
この表示も明治5年に作られた時のままでしょう。この時は工場と言う名称で表示されています。
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中に足を踏み入れると、広さに驚きます。明治5年がそのまま残っているように感じました。
長さ140m、幅15m、高さ12mです。 -
先へとどんどん進みます。ツアーは時間が限られているのでゆっくりと見るのは難しいようです。
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機械には全てカバーがかけてありました。これが繭の糸の自動操糸器だと思います。
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手前のところに繭が入る浴槽のようなものがありました。
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天井を見ると、トラス構造と呼ばれる構造です。天井の高さ12メートル、換気のために屋根の上に屋根を作ってあります。格子の部分が換気口でしょう。
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西と東にある置繭所から繭が運ばれてきたそうです。金色の籠のようなものがたくさんぶら下がっていました。籠が動いて繭を運んできます。
明治5年には電気がありませんから、全て外からの採光で作業をしていました。大きな窓があります。 -
建物の途中まで行くと行き止まりになっていました。ここから先は入れません。操糸所は140メートルの長さがあるのでこの装置が140メートル先まで続いているのですね。
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自動索緒器と解説に書いてありました。
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これは繭の糸口を見つける装置だと思います。箒のようなものが付いています。この箒のような部分で繭の糸口を見つけるのだと思います。
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こんな感じで箒が糸口を探しています。繭から糸がもつれた状態で出てきている様子です。
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これは糸口が見つかったまゆです。糸口が見つかった繭を自動操糸器に移してまき取をするということがわかります。
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機械化することによって大量生産をすることができるようになったのですね。人の手で探すよりもはるかに効率が良いです。技術革新です。
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色の違う糸を合わせて太い糸にする様子を実演する操糸器がありました。ツアーで行った時は残念ながらこの機械は止まっていました。ガイドさんの話では何粒の繭を使うかによって生糸の太さが決まると言うことを説明してくれました。
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操糸器の実演の様子をビデオで紹介していました。繭から糸を引き出していくと、次第に繭の層が薄くなり、中のさなぎが透けて見えてくるそうです。この時に新しい繭糸を足し、生糸が同じ太さになるようにします。この繭糸を出すことを「接緒」と言うそうです。その瞬間のビデオでした。
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この解説を読んでわかりました。創業当初は接緒を工女がやっていたのです。しかし今ここに置かれている自動操糸器は巻き取り中の糸の太さを感じて、糸が目的の太さに達しないと自動で繭を補充するようになっていました。
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生糸が細くなると真ん中の「接緒かん」が降りてきて新しい繭糸をひっかけるのです。
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時代とともに変化していったのですね。創業当初と現存の設備とではかなり違います。
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黒板に書かれている数字の意味は分かりませんが、異常粒があったようです。数字は機械の番号かもしれません。
さっきまで稼働していたような雰囲気の繰糸所を後にして、次の見学場所へ向かいました。明治5年にタイムスリップしたような歴史の重さを感じました。 -
操糸場を後にして、次に訪れた所は首長館です。重要文化財になっています。フランス人ポール・ブリュナのために建てられた宿舎です。ここで家族とともに任期満了の明治8年12月まで過ごしたそうです。
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ツアーは最後の目的地鏑川までやってきました。富岡製糸場のすぐ脇をこの川が流れています。ここに工場の排水や雨水を流したのだそうです。
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柵がありました。簡単には下りられません。
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川の近くは広場で、モニュメントが立っていました。よく見ると、
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確かに世界遺産のマークです。登録年は2014年。
ここでツアーは解散でした。最後にガイドさんが外国人技術者に大変高いお金を支払っていたことを話してくれました。女工が月2円だとすると、ブリュナは750円の月給をもらっていたそうです。それだけ高い技術を持っていたんですね。ガイドさんにお礼を言って別れました。 -
ツアーが終わってからもう一箇所行ってみたい所に行くことにしました。西置繭所、国宝の建物です。ギャラリーがあります。2階が見学できるようです。
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東と西と両方に置繭所があります。繭は1年に1回しか取れないのでたくさん保存する倉庫が必要だったのですね。
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2階に上がってみて驚きました。明治5年がそのまま残っています。壁の崩れたところからレンガが見えます。
古い窓。よく壊れずに持ちました。ガイドさんに聞いてみると、床はその時のままだそうです。 -
見渡すと、ずっと先まで続いています。本当にたくさんの繭がここに保存されていたんですね。
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面白い解説がありました。西置繭所のレンガには製造者を示す14種類の刻印とヘラが確認されたそうです。瓦職人が瓦とレンガの両方を製造し、自分が作った印を残したのです。深谷でレンガは作られています。
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これも面白い落書きです。壁にそのまま残されていました。
「明治13年7月4人組」と書かれ、4人の名前が壁に書かれていました。
正吉、七蔵・・・。 -
部屋の中は薄暗く、乾燥させた繭をカビや害虫から守り、保存するためには乾燥状態を維持するために細心の注意が必要だったと思います。換気用の窓は全て塞がれていました。
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屋根の模型が置かれていました。漆喰で止めてあるようです。
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ここの壁にも落書きがありました。ローマ字で書かれているので新しいものかもしれません。MAYAMA
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置繭所の模型がありました。一階は仕切り壁のない細長い空間で建設当時は繭の取り扱いと石炭置き場に使われたそうです。二階が繭保管倉庫でした。
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この倉庫の天井も太い梁で作られていました。頑丈に作られています。
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ベランダに出ることができました。窓を開閉するためにはベランダが必要だったのかもしれません。
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ベランダから見える景色です。鉄水溜が見えました。
とてもいい気分です。きっと明治5年にもここに立ってこの景色を眺めていた人がいたに違いありません。歴史を感じます。 -
煙突と蒸気釜所も見えます。繭を煮て殺す熱いお湯を作るためには石炭を燃やす必要があったのですから。
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ベランダの手すりです。木製です。反対側にある東置繭所まで、かなり広いスペースの広場が広がっています。
木製のベランダが新鮮に見えました。 -
最後に1階のギャラリーに行きました。シルクフラワーの作品が何点か展示されていました。生糸から花も作ることができるのですから驚きですね。
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オールドファッションローズ。本物のようなバラの花です。
化学繊維ではない本物の美しさです。 -
今日はかなり歩いて疲れました。上州富岡駅に戻ってきました。
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高崎駅に出て、新幹線で帰路につきます。
息子から長岡に行かないかと誘いを受けて、パートナーと一緒に3日間旅をしてきました。長岡、春日山城、富岡製糸場と充実した旅でした。
日本のよさを再発見した感じです。まだ行っていない所がたくさんあります。
新しい自分に出会える旅を続けていきたいです。
~完~高崎駅 駅
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