2022/10/21 - 2022/10/21
227位(同エリア620件中)
薔薇の咲く庭さん
- 薔薇の咲く庭さんTOP
- 旅行記259冊
- クチコミ1135件
- Q&A回答1件
- 541,268アクセス
- フォロワー57人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
息子からLINEで長岡へ行かないかとお誘いのメールが来て、断る理由は無いので即「Yes」。長岡出身の山本五十六記念館、河井継之助記念館を見に行くという。宿泊すれば春日山城へも行くことができるという。彼は仕事の関係で時間が取れず日帰りするが、私たちは越後湯沢の温泉に2泊するようにホテルを予約してくれた。本当に有ることが難しい。ありがたい。
という経緯で息子の案内で旅した長岡を旅行記に書いた。現地へ行ってから、長岡市馬高縄文館と新潟県立博物館が加わり、充実した一日の旅となった。その記録を記す。
10月21日(金) 長岡 長岡市馬高縄文館・新潟県立博物館
河井継之助記念館・山本五十六記念館
10月22日(土) 春日山城
10月23日(日) 富岡製糸場
温泉巡りの旅26 越後湯沢 湯沢グランドホテル 季里の湯
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- タクシー 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
大宮駅で新幹線を待っていると、来たのは「はくたか555号 金沢行」。これでは金沢へ行ってしまします。上越新幹線と北陸新幹線とが同じホームを使っているのに驚きました。日本の鉄道技術は素晴らしい!
大宮駅 駅
-
次に来たのが、
上越新幹線 乗り物
-
間違いなく「とき309 新潟行」。この列車の13号車の指定席で長男と待ち合わせをしています。無事に待ち合わせができました。
-
まずは腹ごしらえ。観光にたっぷり時間を使いたいので移動中に食事を済ませておきます。秋の味覚が少し漂うお弁当です。
-
全国旅行支援の割引が始まった理由でしょうか。満員です。こんなに混んでいる新幹線を何年ぶりかで見ました。
-
長岡駅に着くと上越新幹線の開業40年の軌跡の掲示がされていました。もう開通して40年になるのですね。
長岡駅 駅
-
長岡の優良品がショウケースに並べられています。やはりお酒が多いですね。
-
テニスのラケットが展示されていました。ヨネックスが長岡にあるということを初めて知りました。大坂なおみ選手がラケットを持っている写真が飾られています。
私は今、週3回くらいの割合で球を打ちに行き、テニスにはまっている状態です。私はprinceのラケットを愛用しています。若い頃に使っていたのがprinceなので使いやすいのです。
エックス115 236gの軽量のラケットです。 -
ここで息子が突然「長岡市馬高縄文館と県立博物館へ行く。歴史は縄文時代から始まっているから」と言い出して、驚きましたが、予定変更はよくあることなので即了解。
タクシーをチャーターします。女性の運転手さんでした。 -
大きな川を渡ります。事前の調査が無いのでどの方向に向かっているのかはわかりません。
-
15分ほどタクシーに乗って着きました。玄関の前の庭には小学生たちが見学に来ていて集まっていました。価値のある遺跡なんですね。子供たちに見せたいと思う内容なんでしょう。
長岡市馬高縄文館 火焔土器ミュージアム(馬高遺跡、三十稲場遺跡) 美術館・博物館
-
入り口に入るとすぐ見えたのは大きな焼き物です。
火焔土器と王冠型土器が置かれていました。もちろんこれは本物ではなくて後から作ったものです。 -
中に入ると素晴らしい土器が展示されていました。もちろん本物です。重要文化財。
こんな素敵な土器が縄文時代に作られていたなんて驚きです。
火焔土器とはこの深鉢につけられた愛称です。1936年の大晦日に発見されたました。口縁部の装飾的なな突起が燃え上がる炎をイメージさせることからその名前が生まれました。日本の縄文文化を象徴する存在だそうです。 -
これも火焔土器です。炎が土器から出ているように見えます。
-
これは王冠型と言われる時です。山形のフリルを持っているのが特徴です。
いずれも縄文時代中期の中頃(約5000年前)に作られました。
確かに王冠のように見えます。 -
火焔土器。見事ですね。お土産にレプリカを一つ買ってきました。
その表示には国宝と書かれているレプリカです。
どの火焔土器が国宝になっているのかを見学した時には見つけることができませんでした。
これを5000年前に作ることができた日本人の知恵が素晴らしいです。 -
王冠型土器。デザインはまちまちです。
-
このデザインは面白い。繊細な感じはしませんが、安定感があります。
-
これはかなり浅い形の土器です。深いものと用途が違ったのでしょうか?
-
長岡市内の遺跡で発見された火焔型、王冠型の土器が展示されていました。発見された場所によってそれぞれ形が違うそうです。全部で約30ヶ所で出土しています。
こんなにたくさんの土器が出土されたのですね。 -
とりわけ真中にある火焔土器に目を引かれました。世界遺産ストーンヘンジのビジターセンターで特別展示された火焔土器だそうです。
形がとても整っていて綺麗です。 -
高い場所に写真が掲示されていて、良い写真を撮ることができませんでした。出土されたときの様子です。バラバラに砕けているのを組み立てて、整形しているのです。5000年も経てば崩れるのは当然ですが。
-
火焔土器様式には大まかに3~4段階の変遷が見られます。最初の頃は寸胴でくびれのない形で口縁部の鶏頭冠もあまり発達していません。馬高遺跡は火焔土器の代表とされるように胴部がくびれて装飾的な突起が大きく開く形に変化しています。この土器短期間に花開いて終わったそうです。
-
驚きました。新潟県にはたくさんの火焔土器があるのですね。福島県や長野県にも影響を及ぼしているそうです。
-
火焔土器が出土した遺跡は新潟県内で約150カ所あるそうです。それだけたくさんの集落があったということになります。
-
火焔土器の作り方の表示がありました。粘土紐を輪にして積み上げていく「和積み法」で作られていました。鶏頭冠などの突起部分を最後に取り付けて仕上がります。その後乾燥させて野焼きをして完成です。かなり時間がかかったようです。また土器の色は粘土によって変わることが書かれていました。
-
おこげから土器を火にかけて使った事は確実だそうです。科学的な分析から食材や土器の作り方等を解明することができるんですね。
-
この表を見るとずいぶん詳しく食べ物が分かるのですね。馬高遺跡では澱粉質のものが多かったようです。この頃からジャガイモやクリがすでに存在しています。
-
火焔土器様式全体の中で縄文をつけただけの簡素な土器がほとんどだそうです。確かに簡素なものがたくさん展示されていました。
-
縄文時代晩期の土製品が展示されていました。驚いたことにこの頃からもうすでに耳飾りがあるのですね。右側の小さなのは耳飾りだそうです。まさに装飾品ですね。
-
縄文時代晩期の木製品が残っていて驚きました。木が腐らなかったんでしょう。
これは柱の一部のようです。 -
木工技術が素晴らしかったことがよくわかります。木製の容器です。この中に液体を入れて使った事は確かです。すごいですね。
-
弓矢の先は石で作られていました。鏃(やじり)が矢の先端についています。このようなスタイルで狩猟をしていたんですね。
家族を支えるためにおじさんがんばってますね。 -
ここで馬高ムラと言う言葉が出てきました。様々な道具が作られています。やじり、石槍、砥石、調理用のお皿もあったようです。
-
上の方がライトで明るくなり、よく写っていませんが、矢の先にやじりがついています。これで狩りができたのですね。
-
なるほど石斧はこのような仕組みで出来ていたのですか?
木の棒の先に鋭い石を取り付けてあります。 -
縄文時代の人々の暮らしの知恵が伝わってきそうな絵です。
道具を持ったことが人類の大きな進化になった事は事実です。 -
石斧の作り方も解説されてました。ほんとに器用なんですね。人間は指先がよく効くのです。
縄文人は今の私たちと同じくらい、いえ、私たち以上に指先が効いたのですね。 -
この時代の調理方法を解説していました。調理をするのはやはり女性の役目だったようです。コナラ、トチ、くるみ、栗の種子が確認されています。コナラやトチの実には渋みがあるので手間をかけてアク抜きをしました。
-
馬高遺跡の発掘調査の様子の写真がありました。慎重にやっています。
-
竪穴住居のイメージの図がありました。玄関の入り口にある太い柱は先ほど残っていた柱でしょうか?
-
縄文館の外に出てみると、集落があった場所がそのまま残されていました。Aと呼ばれる場所です。ここに集落がありました。
-
集落があった場所に竪穴住居がありました。復元したものです。中に入ってみましょう。
-
雨風をしのぐことができます。太い柱で梁を通して三角の屋根です。あかりは破風の間から取ったと思われます。
-
壁の下の方には土がつめてあり、雨水が入らないように工夫してありました。
-
この家で何人くらいが暮らしていたのでしょうか?
一家族一軒なのでしょうね。 -
すぐ隣に少し狭いスペースの集落の跡がありました。ここはBと呼ばれています。何らかの理由で馬高遺跡の人々がAからBへ引っ越したそうです。
-
馬高遺跡縄文館を出て新潟県立歴史博物館へと向かいました。歩いて10分ほどの場所にある博物館です。
-
ススキがきれいに咲いていました。もうここはすっかり秋なのです。縄文時代もきっとこのように咲いていたことでしょう。
-
10分ほど歩くと新潟県立歴史博物館につきました。想像していた以上に大きな博物館でした。建物が2つあります。
新潟県立歴史博物館 美術館・博物館
-
常設展の展示室がエレベーターを降りた地下にありました。常設展へと向かう廊下を歩いて行きます。
-
ここにも縄文土器が展示されていました。しかし先ほど見た火焔土器とは違い、ずいぶんシンプルです。
-
展示の仕方が面白いです。それぞれの遺跡で出てきた破片をお店に積み上げたようにして展示しています。
-
その数がおびただしいので驚きます。新潟県内に150カ所の遺跡があることが、これからもよくわかります。
-
ここは歴史博物館なので新潟県の歴史がわかるように690年頃の展示がされていました。中国から文字が伝わってきた時の様子です。越後国と表示されています。
-
690年から702年に越後国と佐渡国が誕生します。702年に大宝律令が完成し阿賀野川よりも南の地域が越後国に入って今の新潟県の形が大体出来上がりました。
京都を中心としているので越前、越中、越後の名称になります。新潟県は越後です。 -
越後、佐渡の中世は関東の武士たちが地頭として乗り込んできたところから始まります。彼らは荘園等を支配して次第にその土地に根付いていきました。
室町時代になると長尾氏が国内政治の実務を行うようになり、その中から上杉謙信が登場して越後の実権を握ります。 -
今大河ドラマで行われている鎌倉殿の13人に出てくる地頭の補任状です。
これは奥山荘に地頭として、相模の国の和田宗実に与えた補任状です。和田宗実は源頼朝の側近で侍所の長官だった和田義盛の弟です。 -
この絵図は、地頭の遺産相続争いの際に証拠資料として作成されたと考えられています。胎内川が平野部に流れている扇状地では流路がしばしば変わるために絵図の川の位置は現在の胎内川の位置とは異なっているそうです。
-
正月元日の食膳だそうです。この頃から丸餅があったんですね。
-
お祝いの席のお膳です。現在とほとんど変わらない食べ物が並んでいます。数の子とイクラはすぐにわかります。1番奥の真ん中はクワイでしょうか?
-
上杉謙信の掛け軸がありました。上杉謙信は新潟県の歴史上最も有名な人物の一人で、数多くの伝説に彩られています。生涯独身であったと言う事は有名ですね。
信じられないかもしれませんがネットの情報で女性ではなかったかと記載がありました。
川中島の戦いで信玄と一騎打ちをしているので、あり得ませんが。 -
上杉謙信画像アラカルトと書かれた掲示物がありました。いろいろな上杉謙信がいるので面白いですね。僧侶であったことは間違いがありません。やはり武将姿が似合うと思いませんか?
-
川中島の合戦の屏風がありました。金箔のかなり華やかな屏風です。
川中島合戦図屏風と書かれていました。 -
川中島合戦の屏風の場面の紹介がありました。このような解説をした屏風は初めてです。興味が湧きます。
-
この場面は必死に防戦をする信玄です。左下のほうに軍配を持った信玄が座っているのが分かります。本当に謙信と一騎打ちをしたのでしょうか?
-
この場面は馬に乗った謙信です。白馬に乗って英雄ですね。
上杉謙信と武田信玄は5回川中島で戦っていますが、これは何回目の戦いの屏風なのでしょう? -
現代に生きる越後・佐渡の産物の展示コーナーがありました。ここは割愛しました。
-
1つだけ割愛できないものがあります。佐渡金銀山の「御金荷の行列」です。江戸幕府の財政を支えていました。船、馬で江戸に向かう行列です。
行列の長さに驚きます。たくさんの金が取れたんですね。 -
新潟県の有名人のコーナーがありました。政治家の田中角栄がいます。
-
文学者が多いのに驚きます。坂口安吾は新潟県の出身だったんですか。
-
この地図を見ると新潟の北東は中国大陸ですね。中国大陸にかなり近いところにあります。当然このことから想像できる事は…
-
日満航路図です。船は中国大陸に向かって出港していくことになります。新潟から満州国へ渡った人がたくさんいたことでしょう。
-
新潟の暮らしの様子がわかる大きなジオラマがありました。実物大です。驚きました。昔からこのように雪かきをしていたんでしょうね。今でもこのように雪かきをしているのをテレビで見ます。
-
新幹線が雪に強い秘密がわかる図がありました。温かい水を線路にかけて、雪が線路に積らないようにしています。新幹線消雪システムです。なるほど、なるほど。
-
次の日にほくほく線で直江津へ行きましたが、このように一階の部分に雪が積もっても、二階と三階で暮らせるような家をたくさん見ることができました。雪深い雪国での生活の知恵です。
-
豪雪地帯では12月から3月に冬季分校を開設しているそうです。確かに大雪の中を子供たちが通うのはとても危険なことだと思います。
-
この方法は今でも使われているのかどうかよく分かりませんが、薪をこのようにして運んでいたことは事実です。
-
これは昔の話だと思います。水を掻き出しています。人力で水を掻き出したので大変だったでしょうね。
西浦原三潟水抜きと表示されていました。コメ作りの過程で必要だったようです。 -
最後のコーナーに「縄文人の世界」がありました。資料で見るよりも実際に人形が動作をしているのを見る方が、ずっとわかりやすく、また迫力があります。
ゴザを広げたところに新鮮な野菜がたくさん並んでいます。こんなに沢山野菜が取れたのでしょうか? -
狩猟の様子です。石のやじりがついた矢を使って動物を仕留めたのでしょう。
チームで捕獲するためには村を作る必要があります。 -
海に近い海岸では魚をとって食べていました。干物を作っています。この頃から干物があったんですね。犬がいます。この頃からもう犬はいたんですね。いずれも驚きです。
-
大きな土器で煮物をしています。煮ることによって様々なバイ菌を殺し、安全に食物をとることができたんでしょう。
-
ここにも竪穴住居がありました。近づいてみると、
-
おばあさんが火焔土器を作っていました。縄文時代中期のようです。かなり大きな火焔土器ですね。年配の老人が作っているのを見ると、かなりキャリアが必要だったんでしょう。
-
ここでは若い女性が大きな土器で煮物をしています。火焔土器は使われていません。普段の生活では火焔土器はあまり使われなかったようです。
-
この女性は布を織っています。材料は何だったんでしょう?
麻紐のようなものが近くに置かれていました。 -
縄文時代の前期、中期、後期の特徴の一覧表が掲示されていました。中期は2200年前。温暖化が進行したようです。後期になると現在と同じような気温になり、集落が減少しています。
-
「火焔土器の世界」と表示されていて、たくさんの火焔土器が並んでいました。
-
このデザインが素敵ですね。鶏頭冠です。鳥の頭の冠。
-
上から見ると、意外と細いです。これではあまりたくさんのものを調理することができないような感じがします。祭事に使ったんでしょうね。
-
縄文時代の女性の顔が展示されていました。現代人とほとんど変わりません。どこかで会ったことがあるような顔の人です。私はネアンデルタール人のようなイメージを縄文人に持っていましたが、ここで完全に覆りました。
新潟県立歴史博物館ではたくさんの学びがありました。このように立派な博物館が新潟県にあることは素晴らしい事だと思います。 -
再びタクシーを呼んで山本五十六記念館へと向かいました。今度も女性ドライバーでした。新潟県には女性ドライバーがたくさんいるのでしょうか?
-
タクシーに20分ほど乗ると、山本五十六記念館につきました。残念ながらここは撮影禁止でした。写真を撮って良いものは入り口のところにある数点の掲示物だけでした。
郷土の方々の山本五十六への深い愛が感じられる by 薔薇の咲く庭さん山本五十六記念館 美術館・博物館
-
道路に面したところにこの表示がありました。郷土の誇りである山本五十六の記念館を作り、激動の世紀にしなやかに強い心で生きた山本五十六の人間性を、21世紀に語り伝えたいと願う意気込みが感じられます。
-
ご挨拶を写真に撮ることができました。
明治17年(1884)、儒学者の家系に生まれた後の五十六、中学の頃からベンジャミンフランクリンを尊敬、猛勉強するなど広い視野を持っていました。文武両道、質実剛健、常在戦場の長岡らしい精神を持っていました。
開戦にはあくまで反対し「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と我が身の危険をかえりみずに、日独伊三国同盟に断固反対した姿勢は、人々を愛し郷土愛し、慈愛の心を強く持っていたからだそうです。
その意に反して連合艦隊司令長官として未曽有の大戦争の指揮を取りました。真珠湾攻撃は彼の作戦です。昭和18年ブーゲンビル島で戦死します。 -
山本五十六の絵がありました。何歳の時でしょうか? 59歳で亡くなっています。
山本五十六はアメリカ駐在武官として渡米し、ハーバード大学に入学して英語習得に励んでいます。欧米諸国をめぐりワシントン軍縮条約後の各国の実態をつぶさに観察しています。日本がアメリカと戦争しても勝つことができないことをよく知っていたのだと思います。 -
俳優の香取慎吾が山本五十六を演じてTVで放映されました。残念ながら私は見ていません。
ここへ来るのがもう少し早かったら、見ていたでしょう。 -
彼のお父さんの直筆だそうです。五十六と言う名前は父親が56歳の時に生まれた子供なので名付けられたそうです。
-
昭和16年秋、山本五十六は太平洋戦争の開戦直前に、戦いに向けて自己の覚悟をこの書に込めています。
「鉄や石のように頑固な精神、どんな障害にもへこたれない強い心をもて」と言う意味です。これは山本五十六が父貞吉から受け継がれている精神だそうです。
連合艦隊司令長官に就任している五十六は、強い心を持って自分の職務を全うしなければならなかったのでしょう。 -
戦略は我が心にありとした箴言です。座右の名だそうです。
山本五十六は幕末の風雲児・河井継之助を大変尊敬していたと記念館の人が教えてくれました。 -
山本五十六が直筆で書いた書の下に解説がありました。ロンドン軍縮予備交渉の日本海軍代表となった山本五十六はこの座右の銘を心に秘して会議の臨み世界平和を目指したそうです。
-
山本五十六記念館から歩いて3 、4分のところに河井継之助記念館がありました。
峠 最後のサムライ by 薔薇の咲く庭さん河井継之助記念館 美術館・博物館
-
ここも残念ながら撮影禁止で、撮影してよいものは5つしかありませんでした。
これはガトリング砲です。
時は幕末、河井継之助は中立を保つために外圧を振り払う自衛の軍備としてフランス式兵法を取り入れました。また横浜にいた外国人貿易商から手動機関銃ガトリング砲を購入しました。長岡藩は74,000石の小藩ながら、国内有数の軍備を持つ藩となったのです。 -
これは軍旗です。
会津の出兵に応じず、武装する長岡藩を新政府は敵とみなしました。継之助はなんとしても開戦を避けたいと和平実現のために、小千谷の慈眼寺へ2名の伴を連れて行きます。「小千谷会談」は決裂しました。時間稼ぎをしているだけだと思われたのです。武装中立が裏目に出ました。
北越戦争が始まります。故郷と自身の正義をかけて戦いますが、戦闘中に、銃弾を足に受け、それがもとで41歳で落命してしまいます。 -
河井継之助の生涯を描いた「峠 最後のサムライ」の映画は長岡市を中心に新潟県内でロケが実施されました。市民エキストラが延べ2000人以上参加して、当地の風景が残る古戦場や豪農の館などで撮影が行われました。
-
俳優の役所広司が山本五十六に続いて河井継之助を演じています。役所広司さんの思い入れがあるのでしょうね。
-
河井継之助の等身大の像がありました。
長岡人の剛健な気風が圧倒的劣勢の中でも新政府に立ち向かった理由だそうです。
負けると分かっていても立ち向かわなければならなかったのは何か切なさを感じさせますが、立場上そうしなければならなかったのでしょう。山本五十六と相通じるものがあります。死して名が残り、後世に伝えようと長岡の人々が思うのは郷土愛が原点だったからだと思います。 -
長岡駅へ向かいます。電柱を見ると「城内町二丁目」の表示。長岡城の本丸は長岡駅の場所にあったのです。それゆえこのような表示があります。
-
長岡駅で新幹線で東京へ向かう息子を見送り、次に入線した新幹線に乗りました。
行先は越後湯沢です。 -
車窓から見える山が綺麗です。新潟に来ているという実感が湧いてきました。
-
越後湯沢駅。たくさんの乗降客がいて、賑やかな駅でした。もうコロナの影響は受けていないような感じです。
越後湯沢駅 駅
-
駅から徒歩3分。坂を上った所に宿泊するホテルがありました。政府観光旅館です。外国の方の受け入れはOKです。しかし、一人もインバウンドの方とは出会いませんでした。
純和風のホテル。広く、ゆったりできる。駅から近くて便利。 by 薔薇の咲く庭さん越後湯沢温泉 湯沢グランドホテル 宿・ホテル
-
和室で、完全な温泉宿という感じの落ち着いた和室。下に越後湯沢の町が見えます。
-
床の間があり、落ち着きます。
-
広縁があり、温泉入浴後にゆったりとできそうです。フロントで最近ハチが出没するようになったと聞き、窓を開けることは考えませんでした。
-
夕食会場は「かすてりあ」? 「かふぇてりあ」では?
名前はとにかくおいしければOKです。 -
ホタテとサザエの壺焼き、ビーフです。美味でした。
-
夕食をたくさん食べ、温泉に入り、ゆったりと過ごしました。
本当に今日はいい旅ができ、いい一日でした。
明日の予定はこれから考えます。のんびりと温泉に浸かるのも良いかも。明日もここに宿泊します。息子のお勧めの春日山城へ行ってみようかしら?
招待してくれた息子に感謝あるのみ!
~旅は続きます~
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
長岡・寺泊(新潟) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
119