多賀城・塩釜・利府旅行記(ブログ) 一覧に戻る
JR東北本線仙台駅から国府多賀城まで約15分、多賀城は8世紀に創設された支配が希薄な陸奥の朝廷直属の統治機関で、行政とともに軍事力を保有していた最大の拠点でした。<br /><br />今般はるかかなたの30年前以来2度目の訪問となり、巡回しているうちにいくつか記憶が蘇ってきました。<br /><br /><br />「宮城県の歴史散歩」(山川出版社)では次のように紹介されています。<br /><br />『国府多賀城駅の北西約800mにある丘陵一帯が、多賀城(国特別史跡)である。多賀城は、古代陸奥国の国府で、陸奥・出羽両国の行政監督官の按察使も派遣されていた。奈良時代には対蝦夷の軍事の拠点、鎮守府もおかれていた。創建は多賀城碑に「神亀元(724)年」とある。発掘調査の成果からは、721(養老5)年前後から造営が始まり、10世紀墓場ごろにはその機能を失ったと考えられている。遺跡は、江戸時代中期の藩意識が高揚するなかで再認識され、明治時代には絵図が、大正時代には正確な地形図が作成された。「史蹟」には1922(大正11)年、特別史跡には1966(昭和41)年に指定された。<br /><br />発掘調査は、1961(昭和36)年に多賀城跡発掘調査研究所が継続して調査を行なっている。この継続調査によって、多賀城の外郭は、一辺900mほどの不正方形で、南・東・西に門を、中央に政庁、その周囲にか官衙ブロックを配していたことが判明している。遺構は政庁の変遷から4期(1-4)に大別でき、8世紀前半から10世紀半ばまでこの地域の政治と軍事の中心施設として機能していることがわかっている。<br /><br />多賀城政庁は、東西約100m・南北約120mの築地によって区画され、東西南北に門をもつ。内部の中央やや北に正殿、その南西・南東に脇殿と、建物を「コ」の字型に配し、その建物群に囲まれる前庭があった。主要な儀式や蝦夷の饗応は、この場で執り行われていた。<br /><br />政庁1期は724(神亀元)年から762(天平宝字)年までで、建物は掘立柱式である。2期は藤原仲麻呂(恵美押勝)の子朝かりによる762年の修造から、780(宝亀11)年に反乱で焼失するまでである。建物を礎石式に改め、前庭を石敷きとし、南門に翼廊を取り付けるなど、大規模な整備がされた時期である。この2期の整備のあり方は、正殿の東西に桜や北に後殿を設けるなど、3・4期に踏襲されている。3期は780年から869(貞観11)年の陸奥国大地震による被災まで、4期は869年から10世紀半ば頃までである。<br /><br />多賀城の外郭区画施設は築地塀を基本とし、一部に材木塀を採用する。この区画施設は、当初から城の外周を囲うものではなく、政庁2期以降に城を囲う姿に整備され、対蝦夷制作の強化に連動する。<br /><br />城内では、政庁南門と外郭南門を結ぶ南北道路、外郭東門と西門を結ぶ道路、官衙や倉庫の建物群のほか、鍛冶や漆などの工がおかれていた。』<br /><br /><br /><br /><br /><br />更に多賀城のパンフレットにでは次のように説明されています。<br /><br /><br />『 多賀城とは<br /><br />約1300年前の奈良時代に政府の支配が及んでいなかった陸奥国を当地するために設置した役所。神亀元年(724)に大野東人(おおの・あずまびと)が仙台平野を一望できる丘陵上に創建しました。当時の行政組織である”国府”と兵士の駐屯・監督場所である”鎮守府”が置かれ、万葉歌人として有名な大伴家持や征夷大将軍坂上田村麻呂が赴任するなど東方区の政治・軍事・文化の拠点として栄えました。』<br /><br />『 多賀城跡(政庁跡)<br /><br />約900m四方に及ぶ多賀城跡の中央に約100m四方の政庁跡があります。政庁は古代多賀城の重要な政務や儀式が行われた場所でした。陸奥国府も置かれ、平安時代に都の貴族たちはこの地を「みちのく」の名であこがれ、国府の官人だけでなく幾人もの歌人が歌を詠んでいます。』

陸前多賀城 古代陸奥国の国府で政治と軍事の中核として大伴家持や坂上田村麻呂等輩出し建武新政期に陸奥将軍府として南朝拠点となった『多賀城』訪問

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2022/11/05 - 2022/11/05

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR東北本線仙台駅から国府多賀城まで約15分、多賀城は8世紀に創設された支配が希薄な陸奥の朝廷直属の統治機関で、行政とともに軍事力を保有していた最大の拠点でした。

今般はるかかなたの30年前以来2度目の訪問となり、巡回しているうちにいくつか記憶が蘇ってきました。


「宮城県の歴史散歩」(山川出版社)では次のように紹介されています。

『国府多賀城駅の北西約800mにある丘陵一帯が、多賀城(国特別史跡)である。多賀城は、古代陸奥国の国府で、陸奥・出羽両国の行政監督官の按察使も派遣されていた。奈良時代には対蝦夷の軍事の拠点、鎮守府もおかれていた。創建は多賀城碑に「神亀元(724)年」とある。発掘調査の成果からは、721(養老5)年前後から造営が始まり、10世紀墓場ごろにはその機能を失ったと考えられている。遺跡は、江戸時代中期の藩意識が高揚するなかで再認識され、明治時代には絵図が、大正時代には正確な地形図が作成された。「史蹟」には1922(大正11)年、特別史跡には1966(昭和41)年に指定された。

発掘調査は、1961(昭和36)年に多賀城跡発掘調査研究所が継続して調査を行なっている。この継続調査によって、多賀城の外郭は、一辺900mほどの不正方形で、南・東・西に門を、中央に政庁、その周囲にか官衙ブロックを配していたことが判明している。遺構は政庁の変遷から4期(1-4)に大別でき、8世紀前半から10世紀半ばまでこの地域の政治と軍事の中心施設として機能していることがわかっている。

多賀城政庁は、東西約100m・南北約120mの築地によって区画され、東西南北に門をもつ。内部の中央やや北に正殿、その南西・南東に脇殿と、建物を「コ」の字型に配し、その建物群に囲まれる前庭があった。主要な儀式や蝦夷の饗応は、この場で執り行われていた。

政庁1期は724(神亀元)年から762(天平宝字)年までで、建物は掘立柱式である。2期は藤原仲麻呂(恵美押勝)の子朝かりによる762年の修造から、780(宝亀11)年に反乱で焼失するまでである。建物を礎石式に改め、前庭を石敷きとし、南門に翼廊を取り付けるなど、大規模な整備がされた時期である。この2期の整備のあり方は、正殿の東西に桜や北に後殿を設けるなど、3・4期に踏襲されている。3期は780年から869(貞観11)年の陸奥国大地震による被災まで、4期は869年から10世紀半ば頃までである。

多賀城の外郭区画施設は築地塀を基本とし、一部に材木塀を採用する。この区画施設は、当初から城の外周を囲うものではなく、政庁2期以降に城を囲う姿に整備され、対蝦夷制作の強化に連動する。

城内では、政庁南門と外郭南門を結ぶ南北道路、外郭東門と西門を結ぶ道路、官衙や倉庫の建物群のほか、鍛冶や漆などの工がおかれていた。』





更に多賀城のパンフレットにでは次のように説明されています。


『 多賀城とは

約1300年前の奈良時代に政府の支配が及んでいなかった陸奥国を当地するために設置した役所。神亀元年(724)に大野東人(おおの・あずまびと)が仙台平野を一望できる丘陵上に創建しました。当時の行政組織である”国府”と兵士の駐屯・監督場所である”鎮守府”が置かれ、万葉歌人として有名な大伴家持や征夷大将軍坂上田村麻呂が赴任するなど東方区の政治・軍事・文化の拠点として栄えました。』

『 多賀城跡(政庁跡)

約900m四方に及ぶ多賀城跡の中央に約100m四方の政庁跡があります。政庁は古代多賀城の重要な政務や儀式が行われた場所でした。陸奥国府も置かれ、平安時代に都の貴族たちはこの地を「みちのく」の名であこがれ、国府の官人だけでなく幾人もの歌人が歌を詠んでいます。』

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 多賀城外郭南門跡・説明板

    多賀城外郭南門跡・説明板

  • 多賀城全体地図

    多賀城全体地図

  • 多賀城碑覆屋

    多賀城碑覆屋

  • 多賀城碑                                   「宮城県の歴史散歩」(山川出版社)で下記のように説明されています。<br />『多賀城碑(国重文)は、多古碑(群馬県多野郡吉井町)・那須国造碑(栃木県大田原市湯津上)とともに、日本三古碑の1つに数えられる。江戸時代初期に地中から発見され、歌枕の「壺碑」とされたことから、多くの文人の注目を集めた。1689(元禄2)年に碑を訪れた松尾芭蕉は、「涙も落ちるばかり」に感動したと、「奥の細道」に記している。<br /><br />碑は花崗質砂岩製で、高さ2.48m・幅1.03m・厚さ0.74m、推定重量2.8t。碑面の中央上部に「西」の1字、その下は11行17段に割り付けられ、140文字が刻まれている。碑文には、正史である「続日本紀」に記載がない724(神亀元)年に大野朝臣東人が多賀城をおき、762(天平宝字6)年に藤原恵美朝臣朝かりが修造したことが記されている。<br /><br />そのためか、明治時代以降は、偽作説が有力であったが、多賀城跡の発掘調査が始まると、遺構の変遷が碑文の内容と矛盾しないことが明らかとなり、1998(平成10)年に国の重要文化財に指定されている。』<br /><br />

    多賀城碑                                   「宮城県の歴史散歩」(山川出版社)で下記のように説明されています。
    『多賀城碑(国重文)は、多古碑(群馬県多野郡吉井町)・那須国造碑(栃木県大田原市湯津上)とともに、日本三古碑の1つに数えられる。江戸時代初期に地中から発見され、歌枕の「壺碑」とされたことから、多くの文人の注目を集めた。1689(元禄2)年に碑を訪れた松尾芭蕉は、「涙も落ちるばかり」に感動したと、「奥の細道」に記している。

    碑は花崗質砂岩製で、高さ2.48m・幅1.03m・厚さ0.74m、推定重量2.8t。碑面の中央上部に「西」の1字、その下は11行17段に割り付けられ、140文字が刻まれている。碑文には、正史である「続日本紀」に記載がない724(神亀元)年に大野朝臣東人が多賀城をおき、762(天平宝字6)年に藤原恵美朝臣朝かりが修造したことが記されている。

    そのためか、明治時代以降は、偽作説が有力であったが、多賀城跡の発掘調査が始まると、遺構の変遷が碑文の内容と矛盾しないことが明らかとなり、1998(平成10)年に国の重要文化財に指定されている。』

  • 多賀城碑・説明板<br /><br />『 多賀城<br />      京を去ること1500里<br />      蝦夷国の界を去ること120里<br />      常陸国の界を去ること412里<br />      下野国の界を去ること274里<br />      まつかつの国を去ること3000里<br /><br />西 この城は、神亀元年、歳は甲子に次る 按察使兼鎮守将軍・<br />  従四位上 勲四等大野朝臣東人の置く所なり。 天平宝字6年、<br />  歳は壬寅に次る 参議・東海東山節度使・従四位上<br />  仁部省卿兼按察使・鎮守将軍藤原恵美朝臣朝かり、修造<br />  するなり。<br />               天平宝字6年12月1日  』      <br />

    多賀城碑・説明板

    『 多賀城
          京を去ること1500里
          蝦夷国の界を去ること120里
          常陸国の界を去ること412里
          下野国の界を去ること274里
          まつかつの国を去ること3000里

    西 この城は、神亀元年、歳は甲子に次る 按察使兼鎮守将軍・
      従四位上 勲四等大野朝臣東人の置く所なり。 天平宝字6年、
      歳は壬寅に次る 参議・東海東山節度使・従四位上
      仁部省卿兼按察使・鎮守将軍藤原恵美朝臣朝かり、修造
      するなり。
                   天平宝字6年12月1日  』      

  • 多賀城跡・石標<br /><br />『史跡 多賀城跡」と刻されています。

    多賀城跡・石標

    『史跡 多賀城跡」と刻されています。

  • 多賀城・政庁跡方向

    多賀城・政庁跡方向

  • 多賀城・南大路<br /><br />少しずつの登り坂がだんだんきつくなります。

    多賀城・南大路

    少しずつの登り坂がだんだんきつくなります。

  • 多賀城南大路・説明板

    多賀城南大路・説明板

  • 多賀城・政庁跡

    多賀城・政庁跡

  • 多賀城・南大路(振り返り)

    多賀城・南大路(振り返り)

  • 多賀城とその周辺地図

    多賀城とその周辺地図

  • 多賀城・政庁復元模型(全景)

    多賀城・政庁復元模型(全景)

  • 多賀城・政庁復元模型(近景)

    多賀城・政庁復元模型(近景)

  • 多賀城・政庁南門跡

    多賀城・政庁南門跡

  • 多賀城・政庁石敷広場跡

    多賀城・政庁石敷広場跡

  • 多賀城・政庁正殿跡

    多賀城・政庁正殿跡

  • 多賀城・政庁正殿跡説明板

    多賀城・政庁正殿跡説明板

  • 多賀城・政庁正殿跡

    多賀城・政庁正殿跡

  • 多賀城・政庁正殿跡

    多賀城・政庁正殿跡

  • 政庁東殿跡

    政庁東殿跡

  • 政庁東殿跡

    政庁東殿跡

  • 政庁東殿跡・説明板

    政庁東殿跡・説明板

  • 政庁東殿跡・土塁<br />

    政庁東殿跡・土塁

  • 政庁東殿跡・長い土塁

    政庁東殿跡・長い土塁

  • 多賀城・南大路(遠景)

    多賀城・南大路(遠景)

  • 多賀城南門・工事現場

    多賀城南門・工事現場

  • 多賀城南門・工事現場

    多賀城南門・工事現場

  • 多賀城南門完成イメージ図

    多賀城南門完成イメージ図

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