2022/09/17 - 2022/09/17
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pedaruさん
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色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからねど締りたれば醜くからず、一つ一つに取たてゝは美人の鑑(かゞみ)に遠けれど、物いふ聲の細く清(すゞし)き、人を見る目の愛敬あふれて、身のこなしの活々したるは快き物なり、柿色に蝶鳥を染めたる大形の裕衣きて、黒襦子と染分絞りの晝夜帶胸だかに、足にはぬり木履(ぼくり)こゝらあたりにも多くは見かけぬ高きをはきて、朝湯の歸りに首筋白々と手拭さげたる立姿を、今三年の後に見たしと廓がへりの若者は申き、大黒屋(だいこくや)の美登利(みどり)とて生國(しやうこく)は紀州、言葉のいさゝか訛(なまれる)も可愛く、第一は切れ離れよき氣象を喜ばぬ人なし、
大人になる前の大黒屋の美登利の姿を余すところなく活写しています。
名作「たけくらべ」の一節です。
参考図書 東京都歴史散歩 山川出版社
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
鷲神社
すべてアスファルトの上に、即席に置かれたかのような鳥居、参道、神殿、アスファルトじゃなくて、石畳とよぶべきか。
此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社の賑ひすさまじく此處をかこつけに檢査場の門より乱れ入る若人達の勢ひとては、天柱くだけ、地維ちいかくるかと思はるゝ笑ひ聲のどよめき、 -
金文字で書かれた鷲神社とても上品とは思えない。
鷲神社は毎年酉の日には大きな熊手が話題になります。
新年の開運招福、商売繁盛を願うお祭りとして親しまれています。 -
奥へ進めど、荘厳さも神聖さも感じられない。
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すべてを認めて都会の神社の生きる道を選びました、という感じ
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こちら本殿は隣の宮と異なりて品良し、色合いも穏やかなり
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一葉記念館の前の公園にはかくなる石碑あり。曰く
「ここは明治文壇の天才樋口一葉旧居の跡なり。一葉この地に住みて「たけくらべ」を書く。明治時代の龍泉寺町の面影永く偲ぶべし。・・・・
菊池寛が書いた碑も太平洋戦争の戦火に溶く。有志一葉のために悲しみ再び碑を建つ。」 小島正次郎 -
一葉記念館前の公園の際には、このような石碑がありました。昭和24年の建設とあります。
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これも一葉女史を偲んで、と書いた石碑が建ちます。
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石碑越しに見える彼岸花
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すっきりデザインの一葉記念館の入り口です。
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中は静かな雰囲気、コロナ禍ゆえ、人影はありません。
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まず目に飛び込んで来るは、一葉愛用の机、端座して原稿に筆を走らせる姿を想像する。
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青海学校小学中等科第一級の卒業証書
一葉はトップで卒業したそうです。でも母親の反対で上級には進めませんでした。女に学問は必要ないと。
父親は娘の才能を認め、中島歌子の「萩の舎」に入塾させる。ここでは和歌の他書や 王朝文学などを学びました。
ここには公家や旧大名の令嬢などが学び、一葉は肩身の狭い思いをしたといいます。新年の発会には晴れ着にみをつつんだ令嬢にまじり、借りた古着で出席し、発会の歌会では最高点を獲得します。 -
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる 清少納言の枕草子
小学生一葉の手習い -
巻紙に書かれた手紙です。文字も見事、手紙というよりは作品と呼びたい。
一両日此方ハ別して大暑に御座候 -
一葉愛用の紅入れ
母子の遊ぶ姿が描かれた可愛い器 -
一葉愛用の一輪挿し 作 奇山 (虎之助)
虎之介は一葉の兄です。 -
本郷菊坂時代
近くの質屋通いする生活苦と戦う一葉でした。
妹のくには蝉表づくりでは一番の上手と言われた。ちなみに蝉表とは
籐で編んだ駒下駄の表です。蝉の羽ににていることからこう呼ばれました。
私も知らなかったなぁ。 -
田中みの子
松江藩士の娘 一葉とは親しく交流しました。
田中みの子も随筆を書き、一葉はその道の大家に紹介したりし、生涯付き合いがありました。晩年は跡見女学校で和歌の指導にありました。 -
葉書は田中みの子からのもの
下谷西黒門町二十番地
樋口夏子君
こんな書き方をしたのですね。 -
伊東夏子
水鳥屋東国屋のぶの娘、日本橋小田原町に生まれる。東国屋は鷹匠のもとじめとして将軍家の鷹のえさを献上していた老舗です。
同じ歳でもあることから生涯仲良く付き合いました。
三年間駿台英和女学校に学んだ熱心なクリスチャンでもありました。 -
伊東夏子からの葉書
十日の小石川のお稽古はお休みになります。
電話かラインで済むものを、はがきで連絡する時代でした。 -
自作の和歌を書いた短冊です。
花かげにねぶるとみつる夢こそは
やがても春のうつつなりけり 夏子 -
「闇桜」
樋口一葉の小説デビュー作
隔ては中垣の建仁寺にゆづりて汲みかわす庭井の水の交わり底きよく深く軒端に
兄妹のように育った男女が、あることをきっかけに意識しだしてしまう様子が描かれています。 -
半井桃水 なからいとうすい
一葉は桃水を師とも兄とも慕う存在であった。と言われていますが、若い一葉が彼に恋心を持たないはずがありません。生活に追われ、肺結核で24歳で清い人生を終えた彼女に哀悼の気持ちでいっぱいです。 -
「闇桜」の挿絵です。浮世絵そのものと言える画調ですね。
-
「五月雨」 「たま襷」
表紙の「むさし野」の題字は一葉自身の筆です。 -
記念館展示室
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下谷 龍泉寺町 一葉の居宅のミニチュアです。
ここで荒物駄菓子屋を営み、商いの仕入れのため方々に出かけたといいます。
このあと私pedaruも旧居跡を訪ねました。 -
下谷龍泉寺町時代に執筆した作品が掲載された文芸誌「文学界」
「文学界12号」に掲載された「琴の音」 -
浅草公園凌雲閣
一葉が18歳の時開業されました。当時日本一の高層建築です。
別名十二階と呼ばれていました。関東大震災でもろくも瓦解しました。
映像で見ると鉄骨も入らないレンガ積みの構造だったようです。 -
新吉原京町一丁目
明治20,30年代 写真は手彩色(モノクロ写真に筆で彩色したもの)です。 -
これも明治時代の吉原の様子です。
3階建ての豪華な建物が連なります。ここで働く遊女の苦しみは顧みられなかった
時代です。 -
一葉が住んでいた町内の模型
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一葉自筆「たけくらべ」未定稿
今の時代でしたらこの原稿では読める編集者はめったにいないでしょうね。 -
館内展示室
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平成14年 樋口一葉の肖像は五千円札に採用されました。
お金に困った一葉が紙幣の肖像になるとは皮肉ですね。
写真のお金は日本銀行の寄贈です。
平成16年11月1日発行 新五千円札 A000002A です。
A000001Aはどこにあるのでしょう?日本銀行かな? -
真多呂人形 一葉(奈津)
-
見終わって出口を間違え、恥ずかしい思いをしました。
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公園に置かれたこの椅子?は人力車と同じサイズだという、やって来たおじさんが座りながら教えてくれました。
腰かけたおじさんに、「顔は出さないから写していいですか?」といってシャッタ―を切りました。 -
何度も行ったり来たりしてやっと探し当てた一葉旧居跡。
-
一葉の住んだ家ととなりの車夫の店、いまは全く違う、スペインの民家という感じの家が建っていました。
-
樋口一葉旧居跡の掲示板がありました。
本郷菊坂よりここ下谷龍泉寺町に越してきました。このあたりを一葉は歌に
よんでいます。
「鶉(うずら)なく聲もきこえて花すすき
まねく野末の夕べさみしも」と詠んでいます。 -
美登利はかの日を始めにして生れかはりし樣の身の振舞、用ある折は廓の姉のもとにこそ通へ、かけても町に遊ぶ事をせず、友達さびしがりて誘ひにと行けば今に今にと空約束はてし無く、さしもに仲良し成けれど正太とさへに親しまず、いつも恥かし氣に顏のみ赤めて
-
道の向うには「土手の伊勢屋」が見えます。
-
廻れば大門おほもんの見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝どぶに燈火ともしびうつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来ゆききに
このあたりに一葉が住んでいて、歩いた跡でもあると思うと、感慨無量です。 -
広重描くところの「浅草田甫酉の町詣」
遊郭の窓から猫が外を見渡しています。鳳神社の酉の市で買った熊手を持った人たちを眺めている猫ちゃんです。 -
三ノ輪の裏町にありそうな錆びた波型トタンの家。
こんな佇まいが大好きです。 -
浄閑寺を見終わった後、尋ねたのは目黄不動尊永久寺です。
モダンなデナイザー建築です。自分的にはがっかりです。 -
百度石がありました。
百度参り
神仏に祈願するために同一の社寺に百度参拝すること
百度参りは、日本の民間信仰で、神仏に祈願するために同一の社寺に百度参拝することです。お百度とも言います。時代劇によく出てきますね。
気休めの行為でとても効果があるとは思えません。 -
永久寺所蔵の文化財
鎌倉時代末期の嘉暦3年(1328)銘板碑
戦国時代初期の享禄2年(1529)銘板碑 -
次に尋ねたのは梅林寺です。
ここには徳川吉宗の治世時代の本草学者阿部友之進照任と俳句の河東碧梧桐の墓があると聞いてきました。 -
ありました、ありました。河東碧梧桐の墓、碧梧桐とだけ独特の書体で書かれた
墓石がありました。 -
阿部友之進照任の墓はこの先にあるらしいのですが、優しい顔ながら番犬らしき犬が
待ち構えていましたので、残念ながら見学を断念いたしました。
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この旅行記へのコメント (16)
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- 旅猫さん 2022/12/03 07:58:38
- 一葉
- pedaruさん、こんにちは。
一葉記念館、訪れたことがあります。
『たけくらべ』は、以前、図書館で借りて読もうとしたのですが、あまりにも今の言葉と違い過ぎて、途中で挫折しました。。。
旧居跡も訪れましたが、あの模型の街並みを想像することは出来ませんね。
菊坂の旧居跡は、戦前の建物が残り、当時の井戸も残っているので、かなり印象が違います。
一葉と言えば、鏑木清方の『一葉女史の墓』が思い浮かびます。
一葉の墓にもたれかかる美登利の姿がとても印象的で、お気に入りの絵です。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2022/12/04 05:34:22
- RE: 一葉
旅猫さん おはようございます
一葉の旧居跡は地図の見方が間違って、やっとたどり着きました。
東京にある、○○跡というのはほとんど、ビルの間だったりして、往時を忍には、難しいですね。最近日本橋を訪れましたが、たくさんの○○跡を見てきました。
私も菊坂に行きましたが、あの辺はまだ面影がありますね。
鏑木清方の絵「一葉女史の墓」は知りませんでした。早速ネットで見ました。
ひとつ知識がふえました、ありがとうございます。
私も旧仮名遣いやら、長いセンテンスが面倒であまり読みませんが、「たけくらべ」はなぜか読んだ記憶でおります。定かではありません。
東京歴史散歩はなんとか続けておりますが、歴史と名がつくので、ある程度調べて書いていますので、進みはのろいです。誤りがあったらご指摘お願いします。
pedaru
-
- yunさん 2022/11/22 17:58:26
- 短くても懸命に
- 最近は電子マネーの活用回数が増え
お財布の中で、一葉さんにお会いする事も減りました。
(本当は、持ち合わせが少ないだけ!)
短期間に多くの作品を世に出した方。
どこかで、人生が長くないことを予感していたのかも知れませんね。
蝉表… 全く存じあげませんでした。
うずらは鳴く… 思わず鳴き声を調べてしまいました。
そして冒頭の「都会の神社の生きる道」の表現にお座布団5枚です。
神社仏閣は、上品に静かであって欲しいな。たとえ都会でも。
yun
- pedaruさん からの返信 2022/11/23 06:19:53
- RE: 短くても懸命に
yunさん おはようございます
五千円札の一葉さんにも間もなくお別れですね。今度は津田梅子さんが登場です。
先日日本橋の貨幣博物館で見てきました。
生活苦のさ中に名作を次々と発表しましたが、こんな生活の苦労がなければもっと長生きしていたでしょうに、気の毒です。私が当時いたならば、月五千円くらいは援助できたのにと、残念です。当時の五千円は大金です。令和の時代のお札では通用しませんね。
蝉表、私も知りませんでした、日本語の良さですね。
最近の神社や仏閣はやたら金箔を使用しています。私に言わせれば、金を使うほど、神聖でなくなる気がします。宗教法人は非課税だとききますが、金箔分は税金をとってもらいたい。初詣のお賽銭はいったいいくらの収入があるのでしょうか?
金儲けに血道をあげる寺社には信仰はありません。廃仏毀釈をすべきです。幕末かっ。
pedaru
-
- rinnmamaさん 2022/11/17 13:52:28
- 土手の伊勢屋・・文学より食い気?
- pedaruさん、こんにちは
何時も書き込みが多いので、遠慮させて頂いておりまして、久々です。
一葉さんの前に「土手の伊勢屋」さんが気になってネットで調べました。
天丼屋さんなんですね。
自宅で天ぷらを揚げなくなった時期に、繁華街に行くと贔屓の天丼など食べていたのですが、胃もたれを感じて立ち寄らなくなり、以後加齢はじわじわと増しています。。
一葉さんの小学生の手習いの書を見ただけで、凡人では無いと思いまし、見入ってしまいました。
それと、お父様が才能を認められていた事は、当時としては素晴らしい事だと思いました。女性は家庭の習い事をする言うのは、私の時代でも未だありましたから、才能を伸ばせる学校へ入塾させてあげる判断が、どれ程凄い事だったかと・・
一葉さんの「紅入れ」外国で豪華な小物入れを見るのも好きですが、こんな瀟洒な小物入れも魅力的。。日本ならではの奥ゆかしさを垣間見れました。
「蝉表」あ~そうなんだと、また一つ賢くなりました^^
peraruさんは文学にも長けていて凄いですね~
rinnmama
- pedaruさん からの返信 2022/11/18 16:53:33
- RE: 土手の伊勢屋・・文学より食い気?
rinnmamaさん こんにちは
樋口一葉はなんども引越ししていますから、旧宅はたくさんありますね。この竜泉の住まいは一年未満だそうですが、ここで名作が生まれたのですね。
生活費を捻出するために、荒物や駄菓子を売ったりしていたそうですから、たいへんですね。仕入れと言っても風呂敷包みを背負って、歩いて遠くまでいったのでしょう。きっと無理がたたって、肺結核で24歳で短い一生を終えたとは悲しいですね。
昔は、石川啄木や沢山の人が、結核で早死にしていますね。私も、18歳のとき結核にかかりました。運よくそのころはストレプトマイシンなどいい薬ができてましたので、生き延びました。何の才能もない男が生き延び、天才が死ぬなんて、無情ですね。
何年も前に文京区の菊坂に行って、一葉の住んでいた所を見たり、よく通ったという質屋さんを見ました。
> peraruさんは文学にも長けていて凄いですね?
とんでもありません、この歳になって、もっと本を読んでおくのだった、と思います。学校で卒業間じかになったころ、「皆さんにお願いがあります、どんな短い時間でも結構です、本を毎日読むようにしてください」と教授が言ってました。
あの時真摯にうけとめ、その言葉を守っていたら、もすこしましな人生を送れたかもしれません。
pedaru
-
- フィーコさん 2022/11/16 14:52:12
- 一葉記念館
- pedaruさま こんにちは~
前回の東京都歴史散歩の時、三ノ輪辺りから吉原 大門跡
私も行った事あったけど、「あしたのジョー」知らないなぁ?
私、何で行ったんだろうと思っておりました。
今回の樋口一葉記念館で思い出しググったところ
4トラに登録する前のお正月
「下谷七福神巡り」をして鶯谷から三ノ輪を歩いてまわったのでした。
「あしたのジョー」は2012年に設置されたようなので私が行った時はまだ無かった(笑)
竜泉の「飛不動尊」は(恵比寿神)なので行ったのですが「鷲神社」スルー。
一葉記念館もお正月で閉まっていて、前で休憩したのでした。
その他のお寺さんも何処も寄らず、お墓も知らずにスタンプラリー(御朱印集め)だけして帰ったのです。
色々歴史があるのですね。
フィーコ
- pedaruさん からの返信 2022/11/17 05:22:46
- RE: 一葉記念館
フィーコさん おはようございます
フィーコさんもあの辺を歩かれたのですね、こんな地味な街歩き、4トラベルで何人か男性が同じように歩いていますが、フィーコさんも渋い趣味ですねぇ(笑)。
あしたのジョーの像は10年前に設置されたのですね。「あしたのジョー」のテレビアニメはずーっと昔に見ましたから、設置が遅いなー、という印象です。
三ノ輪、龍泉、千束など名前は知っていましたが、初めて訪れました。どうということのないどこにでもある街並みですが、樋口一葉が住んでいたというだけで、魅力的な街に思えてくるから不思議です。
当分は東京の旅行記を飽きるまで続ける予定ですので、気が向いたとき覗いてみてくださいね。またよろしくお願いいたします。
pedaru
-
- norisaさん 2022/11/16 05:52:07
- お久しぶりです!
- pedaruさん
おはようございます。
樋口一葉は名前だけは知っていましたが、薄命の天才でしたか。
美人薄命といいますが、彼女も例外ではなかったのですね。
お札になるのもなかなか資格が大変です(苦笑)
河東碧梧桐の墓はずいぶん探すのが大変なようです。
有名ながらお墓は普通で親近感が湧きますーー。
この2ヶ月はずっとご訪問がないのでご体調かPCの調子が悪いのかとーー(苦笑)
またお手すきの時によろしくお願いします。
norisa
- pedaruさん からの返信 2022/11/17 05:04:43
- RE: お久しぶりです!
norisaさん おはようございます
> この2ヶ月はずっとご訪問がないのでご体調かPCの調子が悪いのかとーー(苦笑)
タイムラインに出てきたフォロワーさんの旅行記を見て、親しい人には書き込みをするようにしていますが、ちょっとよそ見をしていると、見落とししてしまいます。
やっと投稿した旅行記が、一人の方の口コミが10個もあると、あっという間に消えてしまいますね。これは何とかならないものかと、思っています。
norisaさんは 今や4トラの重鎮、人気トラベラーですが、たくさんの投稿を見落とすことなく、誠意をもって訪問している姿に、敬意を抱いております。
、
墓の話になりますが、一部をのぞき、墓石の文字だけでは、誰の墓かわからないのがふつうですね。河東碧梧桐の墓のようにわかりやすいのは稀で、ほとんど○○家の墓、とか
戒名だけの墓石も多いです。
たくさん墓地を訪れて気が付くのは、昔の人の墓で、戒名に○○居士、○○大姉とつくのはほとんどありません。大名とか、その奥方くらいなもので、ほとんど○○信士、○○信女です。
ところが今ではお金で戒名のランクが決まるらしく、わが実家でも、両親の戒名は居士、大姉です。兄が無理をしてお布施をはずんだようです(笑)。
薄暗い墓巡り、かたや豪華なホテルステイ、どちらが人気か明白です(笑)。
pedaru
-
- jijidarumaさん 2022/11/15 19:06:37
- 青海(せいかい)<=青梅(おうめ)
- peraduさん、
今晩は。
日本銀行甲府支店も青梅(おうめ)と書いていましたが、
樋口一葉は明治16(1883)年、11歳のときに<私立青海(せいかい)学校>小学中等科第四級を主席で卒業しますが、第三級には進まず退学したとのことです。
私は東京の西の果て、青梅市の出ですので、学校名が気になりました。
明治40年生まれの母の日記で、(この頃、一葉の本を読んだ様子が無く)高山樗牛の「滝口入道」を列車の車中で読んだとありました。
私も一葉は読んだことが無いのですが。
jijidaruma
- pedaruさん からの返信 2022/11/15 21:14:53
- RE: 青海(せいかい)<=青梅(おうめ)
jijidarumaさん こんばんは
朝投稿して仕事から帰ると、すでに私の旅行記は消えていました。そんな儚いタイムラインの中からご覧いただきありがたく思います。
青海学校、全然気が付きませんでした。恥じ入っております。
ご指摘ありがとうございます。
「たけくらべ」は昔読んだことがあります。長いセンテンスの文体は、後の作家に影響を与えている気がします。例えば野坂昭如などに。私見ですので、見当はずれかもしれませんが。
お母さまが日記を書かれていたとは驚きです。私の母は明治44年生まれで、100歳寸前で他界しました。本が好きな人でしたが、一葉を読んだとは聞いておりません。
奇しくも名前は一葉と同じナツ、生涯奈津子でとおしておりました。
気になりましたので、それに一刻も早くお礼を言いたくて、書き込みの返事としては、順番を守らず書きました。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2022/11/15 23:18:03
- Re: 青海(せいかい)<=青梅(おうめ)
- peraduさん、
今晩は。
早々のご返信ありがとうございました。
冒頭の名作「たけくらべ」の一節、名文、名調子ですね。
文学史に残るのも尤もなこと、私は野球小僧で本を読まない子供でした。
お母上は100歳ちかくまでご長寿だった由、素晴らしい事でした。
我が母はそれに比べて39歳の若さでした。それもあって、私、70歳を過ぎてから母が残した日記や手紙類(達筆?で読めない)を解読!し、文章に纏め、友人が主宰する同人誌に載せて頂きました。ちょっぴり母孝行をしました。
母が亡くなった時は3歳で、兄や姉と違って、写真はありますが全く母の記憶がなく、若い頃の7年位の日記類で、何やらその人物像を描いてみました。
お母上より4歳ほど年長の母は静(しず)、同じように普段は静子の名で通していました。XX子というのが、当時、流行りだったのでしょうか。
母の事を思い出させて頂き、ありがとうございました。
尚、ご返信は不要です。
jijidaruma
- pedaruさん からの返信 2022/11/16 05:10:59
- RE: Re: 青海(せいかい)<=青梅(おうめ)
jijidarumaさん おはようございます
返信不要とのことですが・・・、3歳の可愛い盛りの子供を残して、旅立たれるのは、さぞ心残りだったことでしょうね。お母さまの面影を、残された文章から手繰り寄せるjijidarumaさんの心中お察しいたします。
jijjdarumaさんなりのお母さま像を描き、同人誌に掲載されたことは素晴らしいと思います。いい供養になったと思います。
私の母は勉強好きでしたが、尋常小学校から上級に進めませんでした。
幼くして両親を亡くしたため、長男に育てられたため、経済的には問題なかったのに、と
子供の私に言ったことがあります。
そのため、当時巌谷小波などが主催する講義録をとって、勉強していたと聞きました。
父も長生きでしたが、居るのが当然という気持ちが強く、2時間もかからない実家には
年に一度か二度しか会いに行きませんでした。その点では親不孝だったと思います。
私こそ、母のことを思い出させていただきました。ありがとうございました。
pedaru
-
- わんぱく大将さん 2022/11/15 14:43:33
- 五千円札
- peraduさん
今日は仕事は休みで。 本当なら熱が出てうんうん、唸ってトイレ、いや、ベッドでねてたものを、熱は38.8度と低く、解熱剤と冷えピタで朝起きたら下がってました。
昨日は4回目のコロナワクチンの日でした。 今まで打った中で一番下手な看護婦さんちゃうか、と思う位、打たれた時と、今も痛いです。 (看護婦さんすまんね)
さてさて(前置きが長いがな) 樋口一葉さん、姫路で2年前位に文学館で樋口一葉展がありましたね。 ちょうど見に行きましたよ。 なぜか物書きっていう職業に就く人は、お金があって、裕福な令嬢がいらっしゃらないような(例外もあると思いますが)
5千円札の顔に選ばれた時、せめて1万円にしたりいな、お札だけでもと思いましたが、なんか半分で。でも、必要なんですね、海外では1万円出して、1000円分だけ両替えしてと言っても、9千円、日本円のお釣りを出してくれる所なんて、そんなにありませんで。(アジア圏ならあるかも)というか、最近は両替もありませんか? 世界共通のお金にしたら、円高や、ほら、損した得したということもないのでは? と。それにしても達筆ですねえ。 今は手紙なんてもらうことないので、友人の字をみて、これは誰、あの字は彼女、これは、あそこのおっさん、っていうのがないですね。 唯一見れるのは、一杯飲み屋の手書きの黒板。 日本はまだ、読めますが、あちらの国の人の字は個性だらけで。それもいい味がでてますが。日本のように読み書き、しませんからね、書き順を覚えるなんぞ、ないやろな。
大将
- pedaruさん からの返信 2022/11/16 09:16:19
- RE: 五千円札
大将さん おはようございます
樋口一葉が五千円札に
なったのは良い選択だったと思いますが、モロッコの空港の両替では、窓口の男が、こんな札知らない、見たこともない、と両替を断られました。
一万円札以外は知らないようでした。
林芙美子も一葉も、貧乏では双璧です。物を書いてお金にするなんて、昔は難しかったのでしょうね。森鴎外の娘さんも、随筆を書いていましたが、私の感想では、父の自慢ばかりが鼻につきました。これには異論があるでしょうし、叱られそうです。
漱石の娘さんも私にはよい印象はありません。お金に不自由しないで、どうしても自然に自慢がにじみ出てしまうのでしょうね。
文豪の娘さんでは、さすが作品が認められた幸田文は貧乏ではありませんが、立派な方だと思っております。
いつの間にか、変な方向に行ってしまいました。これでまた批判されそうです。いや、批判されるほどの男ではないし、関心も持たれないので、安心です(笑)。
長年国外に住まわれてますから、日本と異なることは多いと思いますが、習字の風習などあるのでしょうか?昔の歴史的人物の手紙などみごとな筆記体ですね。
一葉の手紙など現代人で読める人はわずかしかいないと思いますね。
パソコンに草書がなくてよかったー。
pedaru
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