2022/09/17 - 2022/09/17
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pedaruさん
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明暦の大火(1657年)後、遊郭は今の人形町付近から新吉原に移転した。総面積6,8万㎡の町に、多いときには3000人をこえる遊女と、それに倍する商人、職人、芸人たちが生活していた。
遊女の年齢は10代後半から20代前半で、その多くは借金を背負って苦界に身を投じたものであった。
飢饉に見舞われた地方の農村などから、家族の飢えをしのぐため売られてきた娘たちも多くを占めていたらしい。
川柳の「大門を そっと覗いて娑婆を見る」は、郭の外に出ることを許されなかった遊女の気持ちを詠んだものである。
新吉原の郭内は逃亡と犯罪者の侵入を防ぐために、そのまわりには大溝(おおどぶ)俗にお歯黒どぶと呼ばれた堀があった。
参考図書 東京都歴史散歩 山川出版
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- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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- 個別手配
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随分様変わりしたものです。この絵は新吉原に続く日本堤の土手です。
今はまったく面影はありません。 -
その日本堤につながる山谷堀ですが、今は暗渠になっていて、公園になっております。都会のすくない緑地です。
ここは山谷堀橋です。
https://youtu.be/qjHyiQHrZVM -
山谷堀にはいくつかの橋がかかっていました。
隅田川に流れ込むところの今戸橋に始まり、聖天橋、山谷堀橋、紙洗橋、地方橋(ぢかたばし)などがあります。 -
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見るからに時代を感じさせる店です。
伊勢屋という天ぷらの店です。明治22年創業、木造二階建ての家は昭和初期の建築だそうです。「土手の伊勢屋」と言われるのは、店の前が日本堤の土手になっていたからだと言われています。
客が並ぶ老舗で、味も評判が良いとのこと。 -
隣も同年代の建築、「中江の桜肉鍋」
建物は登録文化財に認定されています。 -
伊勢屋と中江の登録有形文化財のプレート
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バス停の名前は「吉原大門」この辺に吉原の大門があったことをうかがわせます。
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広重の描く、吉原大門
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近所には準登録文化財級の家が散見されます。
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裏道を少し回ってみました。道の向こうに東京スカイツリーが見えました。
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道の脇に立っていたのは、当地三ノ輪のヒーロー「矢吹ジョー」でした。
何年たっても若々しい体型ですねー。 -
土手通りの向かい側の狭い道を入ると、ド派手な宮殿風の意匠の店がありました。
遊郭の名残の雰囲気です。 -
まだ朝早いので静かな佇まいですが、よく見るとどの建物も歓楽街の様子を呈しています。
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こちらを見ても、そんな雰囲気、夜は男を引き寄せる、巨大歓楽街と変身します。
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こちらも
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吉原神社というのがありました。
古くから家内安全・商売繁盛の神様として信仰されています。さらに当社の倉稲魂命(うがのみたまのみこと)はかつて吉原遊郭の遊女等による信仰を集めたことから現在でも女性の様々な願いを叶えてくださることで知られています。 -
この「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が存在しました。吉原の入口である大門(おおもん)の手前に「玄徳(よしとく)稲荷社(吉徳稲荷社)」、さらに廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていました。
その後明治14年に、これら五つの稲荷社が合祀され、総称して吉原神社と名付けられました。
吉原神社ホームページより -
東京大空襲の結果社殿は全焼し、現在の社は昭和43年に再建されました。
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コミュニティバスめぐりんがきました。大人も小人も100円です。
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やって来たのは吉原弁財天です。赤い幟がにぎやかにはためいています。
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境内の建物の壁には、昔日の吉原遊郭や、東京大空襲の焦土、関東大震災などの写真が展示してあります。
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弁財天の鳥居をくぐります。弁天様の絵などがあります。
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吉原観音 どうも雑然とした雰囲気です。高級感はありません、宗教的な荘厳さもありません。
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しかし、庶民の素朴な信仰の雰囲気は感じられます。温かさを感じます。
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花吉原名残の碑
「男女の恋愛の道が開け、日本国はわが世の春となりました。遊郭は江戸文化の華となり、吉原を知らざる人は人にあらずとまでいわれました。震災、戦災にも微動にもしなかった、遊郭も昭和33年、売春防止法の施行により、一夜にして消滅しました。これは非常に残念なことです。」と遊郭の廃止を嘆いて述べています。
若き女性を苦界にとどめ、人権蹂躙も甚だしい制度を美化した呆れかえることを書いた碑です。 -
関東大震災百周年忌碑
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池は花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正12年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠附近の築山に建つ大きな観音様は、溺死した人々の供養のため大正15年に造立されたものである。昭和34年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。(台東区教育委員会掲示より)
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吉原電話局 花園池を埋めたててこのビルが建っています。
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吉原遊郭で遊んだ客が吉原大門を出て、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから「見返り柳」と呼ばれていたといいます。
面白いけど、呆れた話ですね。 -
「浄閑寺」
江戸時代、吉原で死んだ遊女たちは、この寺に送られて埋葬されたので、投げ込み寺と呼ばれていました。この寺に埋葬された遊女の数は2万人を超え、過去帳によると遊女の死亡平均年齢は21,7歳であったといいます。
過去の日本ではこのような残酷なことが普通に行われていたのですね。 -
門前にはお地蔵様が立っておられます。人々の犯した罪をどのように思われ、
どのように許されるのか伺いたいところです。 -
古びた山門をくぐります。
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そして遊女が投げ込まれ、埋葬された墓所へと向かいます。
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由緒ありそうな井戸です。墓地を歩いて見つけました。
傍らに「首洗い井戸」という説明板がたっていました。それによると・・・
父の仇である平井権八を討ち果たそうとした助七と助八の兄弟でしたが、兄助七は吉原田んぼで権八に返り討ちにされ、弟の助八はこの井戸で兄の首を洗っているところを、無残にも権八に襲われて討ち果たされたということです。 -
遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れています。「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに建てられたものだそうです。
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「ひまわり地蔵尊」 創作者 倉田辰彦 (群馬県出身)
山谷には、労働に生き労働に老いて一人寂しく人生を終わる人が数多くいます。
山谷老友会は、孤独の壁をこえて連帯し、はげましあい、またささえあってきましたが、死後の安心なしには、真の生活の安らぎがないところから、ひまわり地蔵尊の建立を思い立ちました。ひまわりの花は、太陽の下で一生を働きぬいてきた日雇い労働者のシンボルと言えます。(後略)
いいお話ですね。 -
悲しい運命に翻弄された遊女たちを慰霊する塔です。
献花が絶えません。 -
この女性もお参りにみえました。
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次のコメントは読むだけでも胸が悪くなる話なので、楽しい旅行記に慣れ親しんだ方々にはなじみません。スルーしてくださいね。
「売女」の戒名は、「心中」「枕荒らし」「起請文乱発」「足抜け」「廓内での密通」「阿片喫引」など吉原の掟を破った者に限られていることが最近の研究で明らかになっている。この場合素裸にされた上に荒菰(あらごも)に包まれ、寺に投げ込まれた。「人間として葬ると後に祟るので、犬や猫なみに扱って畜生道に落とす」という考えによったとものとされている。 ウィキペディアより -
春慶院というお寺にきました。吉原で名妓といわれた花魁の墓があると聞いたからです。
新吉原の三浦屋の遊女で、仙台藩主伊達綱宗の身請け話を断り、隅田川の舟遊び中に斬られたといわれる2代目高尾太夫(万治高尾・仙台高尾ともいう)の墓があります。 -
四面塔造の笠石塔婆で、戒名と命日の「万治二年十月五日」のほか、辞世の句
「寒風に もろくもくつる 紅葉かな」が刻まれています。
墓の傍らには台東区の説明板がありますが、・・・・
「巷説に、仙台藩の大名伊達綱宗とのロマンスがあり、高尾の綱宗に宛てた手紙の
一節に「忘れねばこそ、思い出さず候」「君はいま駒形あたりほととぎす」の句が
伝えられている。この墓は仙台候の内命によって建てられたといわれる。」
真実はどこにあるのか、彼らは愛し合っていたのか、斬られたのは本当か、ロマンスはあったのか、・・・・ -
キツネのお母さんとネコの子供らしき石像がありました。
捨てネコをキツネが育てたという心温まるお話だと思いたい。だって、我が家のネコも、捨てられたネコで、顔が似ているものですから・・・
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この旅行記へのコメント (14)
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- 旅猫さん 2022/11/24 12:08:10
- 高尾大夫
- pedaruさん、こんにちは。
新吉原に関係する街歩きですね。
この界隈は、私も以前歩きました。
日本堤のあった場所も通り、伊勢屋と中江の写真も撮りました。
新吉原は、今でも夜の街ですね。
昼間に歩いても、ちょっと怖そうな方たちの視線を感じました。
お歯黒どぶの石垣の跡も見つけましたよ。
浄閑寺にもお参りしました。
悲しい歴史を伝えるな所ですね。
高尾太夫ですが、今年の1月に高尾稲荷神社を参拝しました。
御神体は、高尾太夫の頭蓋骨と云われているものです。
高尾太夫と伊達綱宗の話は諸説あるようですが。
春慶院のお墓も、しっかりお参りしています。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2022/11/25 05:00:27
- RE: 高尾大夫
旅猫さん おはようございます
高尾太夫の話は、どれが本当かわかりませんが、綱宗に句を贈ったことは、証拠として
残っていますが、身請けを断ったというのも、本当かもしれませんね。
怒った殿様が、船の上で逆さづりにしたうえ、切り殺したという説もあるようですが、
軍艦や松前船ならともかく、隅田川に浮かぶ、屋形船では吊るすところなんて、ありません。
春慶院の墓は綱宗が建てたといいますから、少なくとも、哀惜の念があったのでしょうね。これが愛情からか、後悔からかはわかりませんが。
下町の街歩きはでたらめなことは書けません。旅猫さんがすでに歩いていて、検証しているからです。今後もよろしくお願いします。
pedaru
-
- yamayuri2001さん 2022/11/21 14:08:32
- 吉原・・・
- pedaruさん、こんにちは。
軽やかに巡られた山谷堀公園・・・
この一帯が、昭和の初めまで、女性にはとても悲しい場所だった・・・
昭和30年代でも、まだまだ女性は虐げられていたような気がします。
ここまで、自己主張できるようになったのは、ウーマンリブと言う
70年代の運動によって、少しづつ権利が
認められてきた歴史があると思います。
今の時代に生きて良かったと思うのですが、
時代を選んで生まれること等、出来ませんね・・・
様々な病に苦しめられ、最後はムシロにくるまれて
井戸に投げ込まれる・・・
考えただけで、涙が出ます。
私が女に生まれて良かったなと思えた瞬間!
それは、この世に生命を産み落とした時です。
これは、男性には出来ません。
その愛おしさ、幸福感は、今でも覚えています。
現代は、性別が自分に合わないと思う人にも
人権を損なわないように配慮する時代になりました。
この時代からすると、夢のようですね。
この先、AI 時代になって、人間が選別されかねない時代になりました・・・
時代の変化は、加速度的で、思い描けませんが、
pedaruさんが いつもご紹介くださる
昔の日本に思いを馳せるのは、とても大切なことだと思っています。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2022/11/22 06:29:57
- RE: 吉原・・・
yamayuriさん おはようございます
吉原で意に反して働かざるを得ない女性たち、この時代は女性の人権はかなり無視されていたようですね。浅草の12階、ここの一階は売春の巣窟でした。と聞いています。この場所の女性も、大震災で犠牲になりましたね。
日本に限らず、西洋でも女性は男性の下に置かれ、悲惨な状態だったと歴史は物語っております。
私も古い人間で、男女同権と頭で思いながら、昔を振り返ると、妻に申し訳ないほど、古い考えにとらわれていたようです。しかし、徐々に形勢は変化し、ついに最近では逆転しました。(笑)自分が食べた茶碗は自分で洗う、買い物も手伝う、意見が合わないときはとりあえず妻に従う。なさけなやー。
母となった瞬間の幸せ感、この気持ちは分かりません。私なら、お産の恐怖で頭が狂うでしょう、父になった実感はなかなか生まれてきませんでした。
世の中どんなに進歩?しても男女同権は変わらないと信じています。いままですみませんでした、女性の方々、男を代表して謝罪いたします(笑)。
pedaru
-
- Decoさん 2022/11/05 20:28:33
- 哀しい現実も
- pedaruさん、こんばんは。
吉原や遊女、小説や映画でいろいろ取り上げられますが、実際はここでPedaruさんが書かれたことのようだったのでしょうね。
平均年齢が22歳にも行かない…どんなに過酷な生活だったことか。名を成して不幸でない後半生を送った人もいたかも知れませんが、それはほんの一握りだったのでしょうね。
現代も悲しい出来事はたくさんありますが…時代は少しずれるかも知れませんが、遊女だけでなく、女工哀史だとか、貧富の差が大きかった昔はもっと多かったのでしょうね。
私はつらいこと、悲しいこともそのまま取り上げる旅行記に心を動かされます。人生には嬉しいこともあれば悲しいこともあって、両方があっての人間の生活だから。それに悲しい出来事を避けていては、事実を知ることはできませんし。
これからもpedaruさんの旅行記を楽しみにしています。
Deco
- pedaruさん からの返信 2022/11/08 04:38:58
- RE: 哀しい現実も
Decoさん おはようございます
Decoさんの優しい気持ちが伝わってきました。
今の日本は、格差があるにしても、最低の生活はいじされますが、昔は酷かったのですね。
飢饉が来れば人が死ぬし、娘を売るなんてことが、行われていたのですね。
貧すれば鈍する、ということでしょうか。
確かに女工哀史、蟹工船など、日本の恥部ですね。
自分だけ良ければ、という気持ちでは、精神的には幸せにはなれませんね。
またよろしくお願いいたします。
pedaru
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- 前日光さん 2022/11/05 00:05:54
- はかないですね
- 師匠、こんばんは。
遊女とか花魁とか、華やかで美しいイメージと共に、その裏側の陰惨、無残といった陰の部分が同時に湧いてきます。
「。。。太夫」と刻まれた供養塔とか墓碑などを、私もよく目にすることがあります。
しかし、荒菰に包まれて寺に投げ込まれ、人間として葬ると後に祟るので、犬や猫なみに扱って畜生道に落とすという考えによったものとは!
人権の侵害などという以前の問題ですね!
時代劇を見ていると、よく「吉原」という地名が出て来ますが、その実態たるや壮絶なものがあったのですねぇ。
それだけにキツネのお母さんとネコの子どもの像にはホッとさせられます(~o~)
わが家の梵ちゃんも、お寺に捨てられていましたので「梵」と名付けました。
今では大きな顔をしていますが、生い立ちには同情する部分があります。
現代の人やネコもいろいろと大変ですが、吉原の遊女の儚い人生よりはマシ!
そう思って、日々生きて行きましょう(^^)/
前日光
- pedaruさん からの返信 2022/11/08 04:29:19
- RE: はかないですね
前日光さん おはようございます
梵ちゃんはお元気ですか?我が家では妻が猫を溺愛しているので、そのとばっちりが来て
閉口しています。少しでもおとなしいと、具合が悪いのかしら?日向につないでおくと、熱中症になったかしら?とか、たいしたことないのに病院に連れて行って、といつも喧嘩です。
最近の獣医は値段が高いんですよね。レントゲンだけでなくエコーをかけたり、血液検査をしたり、お金がかかるようになっています。
吉原にいた女郎衆に比べたら大変な違いです。
金で女性を売り買いして何の疑問を持たない時代だったのですね。政府もそれを認め、必要悪なんて言ってたようです。
多少は世の中進歩したのでしょうか?私たちの知らないひどい世界はまだまだあるかもしれませんが。
春慶院にある高尾太夫の墓、別の説によると、身請け話を断ったために船の上で逆さづりにされ、切り殺されたという話があります。しかし、この寺の説明では二人は愛し合っていた、ということです。世情、面白おかしく噂するのが世の常、いまの週刊誌並みの取り上げ方ですね。
pedaru
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- mistralさん 2022/11/04 20:13:50
- 歴史散歩の意義。
- pedaruさん
こんばんは。
実は私も以前、この辺りを歩き回ったことがありました。
「吉原大門」という標識を見て、こんな所にまさに遊郭があったことを実感しました。
pedaruさんの東京歴史散歩が、いずれは吉原を取り上げられるんだろうなあ、
と予想もしていました。
負の歴史にも、陽の当たらない暗い部分にも目を向けなくてはいけませんものね。
その歴史を辿るために、今となってはきれいに整備された暗渠の上を
pedaru さんの電動チャリが軽快に走る音が動画からうかがえました。
登録有形文化財の天麩羅やさん、矢吹ジョーの立像など見せていただきながら
やがて浄閑寺境内へ。
ここに眠る遊女の数は2万人!驚くべき数ですね。
それぞれに人生があったことを思うと、あまりに酷いことと思いました。
それでもこのお寺には過去帳が残されていることがせめてもの救いのように思いました。
慰霊の塔には献花が絶えない、とのコメントにも救われた想いでした。
最後の石像のきつねと子猫、pedaruさんちのネコちゃんにお顔が似ていたとのこと、
上品なお顔だちの子猫でした。
mistral
- pedaruさん からの返信 2022/11/06 07:00:23
- RE: 歴史散歩の意義。
mistralさん おはようございます
昨日は錦糸町や本所松坂町など相変わらず下町に行ってきました。目玉になるものがなくて、早々に帰ってきました。
ところで新吉原のこと、うわべだけですが、現地に行って考えてみました。
知れば知るほど理不尽でかなしい時代だったと感じます。
親に売られても、親孝行をするのだからと、自分が犠牲になるのが美談だったりしたのですね。今なら親をはりとばしますね。
落語でも郭の話はよく出てきます。欠かせない話題ですが、面白おかしく遊んでいるのはいい大人で、陰の部分は無視されています。男社会の代表のようなものです。
こんな暗い話を読んでくださってありがとうございました。
pedaru
-
- 万歩計さん 2022/11/04 14:57:51
- 浄閑寺
- Pedaruさん、こんにちわ。
遊女の話し、悲しいですね。親の借金のカタに身を売られ、二十余年の生涯を閉じる。このようなことが昭和の初めまであったのですね。
前にも少し触れましたが浅田次郎の「天切り松闇かたり 闇の花道」にも、遊女の悲しい話が出てきます。
義賊に引き取られ部屋住み修行中の主人公の松蔵(当時12歳)が、親の借金で苦界に身を沈めた姉(17歳)と5年ぶりに再会します。親分や兄貴たちの力で苦界から救い出す目鼻が付いた時、姉は死の病に侵され最後は松蔵の背中で息を引き取ります。
背中で冷たくなった姉に呆然と立ちすくむ松蔵に、知り合いの永井荷風(永井先生)が諭します。
永井先生「三ノ輪の高架線の下に浄閑寺という寺がある。そこに行けばねんごろに供養して、手厚く葬ってくれる。」
松蔵「おいら、銭がねえんだけど。」
永井先生「そんなものは要らない。もし坊さんに尋ねられたら、永井荷風の知り合いだと言いなさい。」
松蔵「そこ、投げ込み寺なんか。」
永井先生「そんなことはどうでもいいじゃないか。生まれては苦界、死しては浄閑寺。べつにお女郎じゃなくても、人はみな似たようなもんだよ。つまらないことにこだわってはいけない。さあ、行きなさい。」
最後は長々と小説の一部を引用して失礼しました。
万歩計
- pedaruさん からの返信 2022/11/04 16:24:18
- RE: 浄閑寺
万歩計さん こんにちは
永井荷風は晩年を市川ですごし、終の棲家でなくなりましたが、ちょうど知り合いの家の裏が荷風が住んでいた家ですので、よく話題にのぼります。
昔のことですが、回覧板などを持っていったという話です。
私は、荷風の美文が好きで、ときどき本を覗いています。当時は遊郭などは当たり前の時代でしたが、いつも反権力、反体制の荷風でしたから、同情と、怒りを感じていたのだと思います。
浅田次郎の小説のこと前にも聞きました。こんな悲しい物語があったのですね。
浄閑寺は案内本を見るまで知りませんでした。地味ですが、東京のお寺にはなにかしら、歴史がありますね。読んでくれる人は少ないですが、なんとか続けていきたいと思っております。浅田次郎の小説を垣間見ることができてありがとうございました。
pedaru
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- norisaさん 2022/11/04 14:16:48
- 人権蹂躙も甚だしい制度
- pedaru師匠
こんにちは。
東京散歩ももうそんな数になりましたか!
いつも教えて頂きありがとうございました。
それにしても吉原、何とも人権蹂躙も甚だしい制度の中心地だったのですね。
21.7歳で寿命!
確かにキレイな年齢の真っ只中でしょうが、あまりにも残酷ですね。
黒歴史の最たるものの一つですねーー。
娘がいるので余計同情します。
norisa
- pedaruさん からの返信 2022/11/04 16:02:09
- RE: 人権蹂躙も甚だしい制度
norisaさん こんにちは
曲がりなりにも歴史旅と題する以上、私にしては文字数が多くなってしまうので、
おのずと敬遠されそうな旅行記です。しかも今回のように、胸の悪くなるような歴史があると、いよいよ暗く、憂鬱になってしまいます。
しかし、避けて通ってはいけないような気になってしまいますので、文字を読むのが苦手な方でも、読んでいただける方法はないかと模索しております。
ま、もともと少ないフォロワーさんですので、開き直って書きたいことを書いております笑い。
今回はお二人とも男の人がコメントをくださいました。内容がそうさせたのかなと、思って降ります。
同情と、怒りが混じったような心境です。貧しいと言うことは罪をつくるのですねー。貧しい日本に里帰りしてはいけませんね。
pedaru
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