2022/08/22 - 2022/08/22
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kimi shinさん
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名古屋から高速で2時間30分程、岐阜県大野郡白川村萩町の白川郷を訪れた。
昔は御母衣ダム沿いのくねくね道を延々と走ったものですが、今は東海北陸自動車道が伸び、白川郷ICを降り10分もあれば村営せせらぎ公園駐車場に入れる、9時少し前に到着。
8時頃には入りたかったが、そもそも1時間程寝過ごしてしまったのが大きな誤算だった。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
白川郷は宿泊者以外の見学を8:00~17:00に制限されています。
早めに着いて写真を撮りたかったが、既に多くの人波が出来ていた。
聞いた話では町全体が見学施設の様に思われ、プライベート空間や畑まで立ち入られ困惑しているそうだ。
そうしたこともあり、入口に「立ち入り禁止」表示の看板が立つ光景が目立った。 -
山々に包まれた庄川沿いの僅かに開けた土地に茅葺の合掌造り集落が立ち並ぶ、その光景は日本の原風景そのもの、美しい景観を見せてくれる。
この集落は1976年に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、後の1995年に五箇山と共に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として、ユネスコの世界文化遺産に登録以降、長閑な山村は観光地へ変貌した。
この集落の合掌造り家屋の多くは、概ね江戸時代末期から明治時代末期までに建てられたもので、集落には後に建てられた合掌造り以外の家屋もあります。
街中と違うのは隣家と隔てる壁はない、訪れた者からみると見学施設とプライベートの境界が掴めず、結果的に「立ち入り禁止」看板になるのだろう。
合掌造りの家屋全てが公開されている訳ではなく、住民が生活する家屋である事を忘れたくない。
その昔、富山から五箇山、白川郷の庄川沿いを何度か走ったことがあります。
庄川沿いに作られたくねくね道、そんな光景ばかりが延々と続く。
そんな光景も一気に視界が開け、目の前に現れた朝もやに包まれた合掌集落の光景、今だに記憶に残る。
当時は町内を走るメインストリートはマイカー乗り入れ規制などなかった。
今や高速のトンネルを抜ければそこは白川郷、便利になったものだ。
道路が便利すぎる故に、ドライブの印象は以前の線から点になってしまった気がする。
上のマップは白川郷の観光マップ。
村営せせらぎ公園駐車場から最初の目的地「秋葉神社」を〇で囲んで見ました。 -
村営せせらぎ公園駐車場の東を流れる庄川に架かる「であい橋」
ここを渡った左側に「秋葉神社」が鎮座します、そこから先は合掌集落に繋がります。 -
ここんところ局所的に豪雨が多かったが、当日の庄川は澄み渡り穏やかな表情を見せています。
今は分からないが以前は大きな岩魚が良く釣れた川、相変わらず綺麗な流れです。 -
「であい橋」を渡り切ると左に覆殿と鳥居が見えてきます。
多くの観光客は足を止める事無く、鳥居をくぐり集落に向かう人が大半かも知れない。 -
「であい橋」から秋葉神社覆殿の眺め。
銅板で葺かれた入母屋造で妻入りのもの、集落の火伏を担う神様です。
ここから一旦社頭に向かいそこから参拝する事にします。
右の茅葺屋根の建物の詳細は不明。 -
茅葺屋根の妻切りの合掌造りのこの建物、解説とかはないけれど神社の直ぐ脇に建っている事から、祭礼で使用する祭具の保管庫かもしれない。
こんな小さな建物でも、大きな合掌家屋同様に棟の向きは同じ方向を向き作られている。 -
神社社頭。
石の神明鳥居と常夜灯その先が覆殿。
その先は切れ落ちて下には庄川が流れている。
集落の西外れに鎮座する神社で見据える先は合掌集落。 -
左右の常夜灯とその先の覆殿全景。
せせらぎ公園駐車場から合掌集落を訪れると最初に秋葉神社の社頭を通る事になります。
見向きもされないのは寂しい限り。 -
妻側の軒下に架けられた扁額「秋葉神社」
新たに寄進されたものか質感が新しい。
最新の消化施設が設置されていても、茅葺の集落にとって拠り所になるのはこの神社だ。 -
拝所脇の秋葉神社由来。
「この地区一帯は火災になりやすい茅葺屋根の合掌家屋が点在する世界遺産り萩町合掌集落です。
江戸時代、度重なる火災と特に天明3~7年(1783~1787)の大飢饉のうえ、悪病が流行し、荻町村(萩町合掌集落)で230名もの人々が亡くなりました。
この苦境を乗り超えようと相談の結果、小神堂を建立し、火伏せ神を祀り平和を祈りました。
大正時代に神域を改修し秋葉神社と改め現在に至る」
合掌集落に住む住人からは今も崇敬され続ける秋葉神社です。
萩町 秋葉神社
創建 / 不明
祭神 / 火之迦具土神?
所在地 / 岐阜県大野郡白川村荻町441
駐車場から秋葉神社 / ?徒歩5分程 -
社頭から集落に向け進む。
集落にはこうした水辺が点在し、田畑を潤す水路も張り巡らされ、流れの中をよく見るとそこには悠々と泳ぐ鱒の姿も見られる。綺麗な流れに蓋は不要だね。
周辺にはススキや萩、コスモスも咲き始め、秋が近づいている事を感じさせる。
暑いとはいえ名古屋とは違う暑さだね。 -
「秋葉神社」から東に進み、萩町内を南北に貫くメインストリートを右に進みます。
目指す白川八幡神社はそこから少し先の左側に鎮座します。 -
若かった頃、この白川八幡社には思い出があり、たまたま社頭の前を通りかかった時の事。
小汚い恰好でテントとシュラフを持った見慣れぬ若造に「神酒飲んできな」と声掛けをしてもらい、祭の輪に加わり白濁した酒を振舞ってもらった事は今も忘れられない。
口にしたどぶの味は格別のものだった、それが人生初の「どぶ」との出会い。
以来、白川郷や荘川は自分にとって特別な場所となり足繫く訪れたものです。
始めて毛鉤で岩魚を手にしたのが庄川、カヌーに乗ったのもここだった。
今は自信がないが山菜の事を教えてもらったのもこの地域、何か故郷に来たような親近感を覚える。
メインストリートを右に曲がると大きな杉の木立が見える、そこが白川八幡社社叢。
酷道156号線も随分と楽に走れるようになりました。
当時、車で通れたこの通りは通行規制となり、今は庄川左岸を迂回する様になった。
1995年に世界遺産登録以降訪れる観光客も増え、人の少なかった山間の里は観光地に様相を変えた。
白川八幡社社頭全景。
鳥居を挟む様に杉の巨木が聳え、その先に境内が広がる、右手の樹の陰に自然石から彫られた社号標が立っている。
左に自然石の手水鉢があり、ここで清めます。 -
緑豊かなこの地らしい趣のある鉢。
水は絶え間なく流れ、水は苔を育み鉢全体を包み込む。
そこには次の芽吹きを育む、水はまさに生命の源。 -
白川八幡神社一ノ鳥居。
素木の木造明神鳥居で控え柱の付く両部鳥居。
人を魅了する華やかさはないけれど、変に飾らない姿は日本人の持つ美観の原点だと勝手に決め込んでいる。 -
境内からニノ鳥居と拝殿、右の茅葺屋根は釈迦堂。
どぶろく祭りの時には人で溢れる境内、普段の八幡神社は静かさに包まれ、訪れる観光客も少ないようだ。
境内左手に手水舎、左の建物は「どぶろく祭りの館」
内部は人形や模型が展示され、どぶろく祭を再現する展示施設。
その後方に入母屋妻入りの白川村招魂社が鎮座する。 -
ニノ鳥居は石造の明神鳥居。
拝殿までは常夜灯二対と一対の狛犬が守護する。
伽藍は正面の拝殿と奥に鞘殿、右に茅葺屋根の釈迦堂と神楽殿、拝殿左に白川村招魂社、その前にどぶろく祭りの館が主なもの。
笠木の上に願掛け石は乗せられておらず綺麗なものです、この風習いつ頃から広まったものかずっと気になっています。
おやじの地元でそれすると褒められることは絶対ない。 -
拝殿前を守護する伏せ耳の狛犬。
見事な岩を台座にしたもので、狛犬の足元まで苔が覆い始めている。 -
拝殿は唐破風向拝を持つ入母屋造で。
銅板葺の屋根で、素木と漆喰の木造拝殿、華美な彫飾りや飾り金具のない落ち着いた外観。
軒先には雪囲いのシートを掛けるレールが付けられ、雪深い土地柄ならではの工夫が見られる。 -
社殿全景。
鞘殿は山の傾斜を生かし、拝殿より少し高い位置に建てられている。
雪囲いの白いカーテンは此処に吊られていた。 -
白川八幡神社由緒
「勧請年代は不詳。
口碑に依れば和銅年間(708~715年)の創立と伝わる。
故に境内の老杉を以て推定される。
古代白川郷は43ヵ村あり、その総社として崇敬されてきた。
祭神は応神天皇を奉斎、産土信仰と伴に萩町・戸ヶ野・島集落の氏神として崇敬され今日に至る。
往昔依り秋の豊作を喜び新穀で神酒を造り、神に捧げ神を敬い自然を愛し、人々相互に秋の豊穣を喜び祝い、伝統の獅子舞等により神幸祭が催されます。
例祭、どふろく祭は毎年10月14日、15日両日行われる。」
岐阜県神社庁の解説
「当神社旧位置は北方150間(約270㍍)を離る山越地内なり。
東方山腹険阻にして冬季降雪多く雪崩の為押潰され現位置に移転し、元禄年間(1688~1704)に社僧仙光院を置く。
旧位置は田に変更開墾し、仙光院抱と定む。
隣接地の民家の姓を神田と称し現存す。
神社初代は和銅年間(708年~714年)なりと口碑に傳ふるも其の間の経歴不明なり。
往古白川郷六厩以北越中の国境十九里小白川に至る43ヶ村の大社なり。
明治四年(1872)旧筑摩縣時代に六厩以北中野まで18ヶ村を荘川村と尾神以北小白川まで23ヶ村を白川村と改称せらる。当神社を白川荘川両村の郷社に列せられる」とあった。 -
拝所全景、神社幕の紋は16菊の中に橘が入る。
額は「八幡宮」
由緒と神社庁の由緒から
創立は和銅年間(708~715年)。
祭神は応神天皇。
神社は自然災害で被災し現在地に遷座しており、旧社地は現在の神田家あたりのようだが名残は見られなかった。
寛永12年(1636)には社殿が再建される、以後の補修・再建の履歴は分からなかった。 -
拝殿奥の覆殿。
外見から本殿の様子はさっぱり分からない、雪深い土地柄なのが分かる。
右手の切妻の小さな建物は放水銃が収められ、不測の事態に備えている。 -
白川村招魂社全景。
拝殿同様の雪囲いが付けられている。
額には「白川村 自治功労者 戦没者 白川村招魂社」とある。
護国の英霊、氏子の祖霊をお祀りしたもの。 -
拝殿から右の少し離れた所に入母屋造で茅葺屋根の堂がある。
世界遺産構成要素の建築物の一つで、周囲の景観と茅葺屋根の堂は日本の里山の原風景の趣がある。
こちらの素木の建物は釈迦堂で正面は格子戸になっている、神仏習合の名残を留めるもの。 -
釈迦堂内部。
正面に扉があり、その奥に阿弥陀如来、釈迦如来、日光菩薩、月光菩薩の4体が安置されているようだ。
堂の解説。
「寛永4年(1627)8月12日、萩原町城主「山下氏勝」が病気平癒のお礼に寄進した御堂。
氏勝が徳川家康の命により、名古屋城築城の大役を受けた折、諸国の優れた彫刻家に彫らせた「弥陀、釈迦、日輪、月輪」の4体の仏像を安置する」 -
神楽殿全景。
由緒抜粋。
「 由緒 元禄年間に社僧、仙光院を置き白川八幡神社を守護してきた。
どぶろく祭由来。
昔秘境白川郷は交通の便が悪く、僻地につき娯楽は全くなく、郷民の楽しみとしてどぶろくを自由に造り、これを唯一の楽しみとして男も女も歌ったりさわいだものであります。
時代も変わり明治29年(1896)、酒造法施行に伴い、神社に於てのみ濁り酒の製造が180liter以下に許された。
その後、昭和37年(1962)酒税法の一部改正に伴い石数制限が解かれ今日に至る。
どぶろくの許可については以下の制限がある。
1.祭礼用である事。
2.境台の持ち出し販売はしない事。」
記載にある神仏習合時の別当寺「仙光院」のその後は掴めず、Wiki情報では延享5年(1748)に内ヶ戸から移された明善寺が務めたようだ。
さて、どぶろく祭は白川八幡神社では10月14日・15日ですが、郷内の白川八幡宮(10月14~15日)、鳩谷八幡神社(10月16~17日、飯島八幡神社(10月18~19日)と行われ、郷の五穀豊穰、家内安全、里の平和を山の神に祈願する。
2年続けて神事のみで振る舞いは見送られて来たこの祭り。
今年開催されるのかとても気になる、……飲みに行きたい。
「僻地につき娯楽は全くなく、郷民の楽しみ…」分かるような気がする。 -
神楽殿から釈迦堂、拝殿、鞘殿、白川村招魂社の眺め。
-
狛犬が見守る先のニノ鳥居。
今は静寂に包まれているが、どぶろく祭りが行われれば、境内は振る舞い酒を求める人で賑やかな事だろう。
一ノ鳥居をでて再び萩町の中心に向かおう。
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