2022/09/25 - 2022/09/26
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hidemi.yさん
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この旅行記のスケジュール
2022/09/25
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びわ湖プリンスホテル
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三井寺 大門・釈迦堂・金堂・三井の晩鐘・一切経蔵・唐院三重塔・潅頂堂 ・微妙寺・毘沙門堂・観音堂
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石山寺 東大門・多宝塔・観音堂・毘沙門堂・御影堂・月見亭・光堂・紫式部像
この旅行記スケジュールを元に
9月下旬にマイカーを利用して一泊二日で、戦国時代に織田信長によって、一山焼き討ちに遭った比叡山とその周辺の神社仏閣巡りをして来ました。
観光先は、初日に比叡山三塔の内の、第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれた「横川エリア」から順次、釈迦堂を中心とした「西塔エリア」、根本中堂を中心とした「東塔エリア」の各寺院を拝観し、宿泊先のびわ湖プリンスホテルに向かう途中の近江神社を参拝しました。
翌日は遅めのチェックアウトにて、天台寺門宗の総本山で不死鳥の寺と言われる「三井寺」、それに東寺真言宗の大本山の「石山寺」を拝観して帰宅しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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お早うございます。
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比叡山方面の琵琶湖畔の様子です。
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近江大橋方面の景色です。
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朝食は、和洋中ブュッフェのレイクビューダイニング「ビオナ」を利用。
オムレツとベーコンエッグは目の前で焼いてくれます。 -
朝から近江牛の牛丼の具や焼きそばが並んでいました。
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午前11時迄のチェックアウトに合わせ、直前にホテルを出発して 近くの「三井寺」の駐車場に到着。
三井寺は、正式名称を「長等山園城寺」という天台寺門宗の総本山で、平安時代、智証大師円珍和尚により天台別院として興され、以来今日まで続く歴史の中で、源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ち等、幾多の災難に遭遇したが、智証大師の信仰に支えられた人々によって支えられて苦難を乗り越えてきたことで「不死鳥の寺」としても知られるそうです。 -
仁王像が守護する三井寺の玄関、仁王門です。
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「大門」とも呼ばれるこの檜皮葺の二階建ての楼門は、そもそも天台宗の常楽寺にあったものを豊臣秀吉が伏見城に移し、その後に徳川家康が寄進したものとか。
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門の右には室町時代作の阿形像が。
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左側には吽形像の、いずれも迫力のある仁王像が鎮座しています。
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観光地の何処にでもある関所です。
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これは「釈迦堂」です。
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室町初期の建築で中世寺院の様式とか。
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本尊に清涼寺式釈迦如来が祀られています。
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三井寺の本堂「金堂」です。
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桃山時代を代表する名建築で、国宝に指定されています。
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現在の金堂は、豊臣秀吉の正室北政所によって再建されたものとか。
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堂内には、円空仏・尊星王・不動明王など様々な仏さまが祀られ、、本尊・弥勒仏を安置する内陣中央は床を張らず一段下げて土間にするなど伝統的な天台系密教仏堂の形式を伝えているそうです。
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金堂の案内。
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近江八景のひとつとしても名高い「三井の晩鐘」。
16世紀初め梵鐘とともに建立され、その音色の美しさから、「音の三井寺」として「姿の平等院」、「銘の神護寺」と共に天下の三名鐘と呼ばれているそうです。
この鐘は伝説の古鐘「弁慶の引摺り鐘」の跡継ぎとして豊臣家によって鋳造されたもので、古式を継承しつつも除夜の鐘の百八煩悩にちなんで百八個の「乳」を持つ新様式も取り入れた桃山時代を代表する梵鐘だそうです。
冥加料を納めて鐘をつくことも出来ます。 -
石階段の先は「一切経蔵」
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室町初期の建築で、16世紀初め戦国大名、毛利輝元により山口県の国清寺から移築、寄贈されたものとか。
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堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵がありました。
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これは智証大師を祀る三井寺の聖域「唐院三重塔」
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この塔は、奈良吉野の世尊寺から移築された東塔で、15世紀末に豊臣秀吉が伏見城に移していたのを再び移建、16世紀初頭に徳川家康が三井寺に寄進したものとか。
手前の建物は、密教を伝承する道場「潅頂堂」です。 -
非公開寺院の「勧学院」です。
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三井寺の五別所のひとつを移築した「微妙寺」。
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本尊は十一面観音です。
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湖国十一面観音霊場の第一番札所とのこと。
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これは「毘沙門堂」。
16世紀初めの建立で、極彩色の優雅な建築物です。 -
「鐘楼」です。
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内部の様子です。
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「観音堂」に至る石段です。
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ここは西国三十三所観音霊場の第十四番札所の「観音堂」。
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ご本尊の如意輪観音は三十三年に一度ご開扉されるそうです。
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こでは「大悲殿」の御朱印などが頂けます。
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「観音堂」から更に石段を上った先の「展望台」の手前の「百体観音堂」と「観月舞台」です。
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観音様は、もぬけの殻で金堂だったかに出張中だとか。
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堂内の様子。
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観音堂の先の展望台からの大津市街の眺望です。
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「観月舞台」です。
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帰路は往路と同じく長い石段です。
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駐車場に戻る途中に見つけた石橋です。
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その先に三井寺の鎮守社の一つ「護法善神堂」がありました。
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子供の守り神、鬼子母神を祀る17世紀初め頃に再建されたものとか。
三井寺は見どころが沢山で、見逃してしまった仏さまにお供えする聖水をたたえ、天智・天武・持統の三帝が産湯に用いたことから、「三井」寺という名前の由来になったと伝わり神秘的な水音を聞くことができるという「閼伽井屋」。
それに弁慶が三井寺から奪って比叡山まで引き摺り上げたと伝えられる弁慶鐘が安置された「霊鐘堂」等々。
境内が広くて見落としてしまい残念でした。 -
三井寺の観光を終え、石山寺に向かう途中の「瀬田の唐橋」です。
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東寺真言宗の大本山の寺院「石山寺」の玄関口「東大門」です。
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鎌倉時代の建立とされるが、豊臣秀吉の側室、淀君の寄進による伽藍再興の際に大規模な修理が行われたとか。
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運慶とその長男の湛慶が製作した力強さと美しさを備えたという「阿形像」。
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こちらは「吽形像」です。
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天井の様子です。
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参道です。
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参道脇の「大黒天」です
祀られる本尊は、10世紀初め頃、三人の僧の夢のお告げにより、湖水から出現したものとか。 -
関所です。
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岩参道沿いの「くぐり岩」です。
穴をくぐると願い事が叶うパワースポットとか。 -
本堂への石段です。
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石段を登り詰めると、硅灰石の庭の先に「多宝塔」が見える広場に出 ました。
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広場内の「観音堂」です。安置されている観音様は、西国三十三所全ての観音様とのこと。
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同じ広場内の兜跋毘沙門天を祀っている「毘沙門堂」です。
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堂内の様子です。
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広場から奥に入った先にある室町時代の建立の「御影堂」です。
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弘法大師らが祀られている堂内の様子です。
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その先の鐘楼です。多宝塔の後に建てられたとされる源頼朝の寄進とか。
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背面の様子
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広場内の「蓮如堂」です。
元々は三十八社権現の拝殿として建立されたもので、蓮如上人の御影が祀ってあります。 -
10世紀後半に焼失し、その直後に後に再建されたのが本堂です。
石山寺は、奈良時代創建の真言宗の大本山にあたるお寺で山号は石光山、西国三十三所観音霊場の第十三番札所とのこと。 -
本尊は「如意輪観世音菩薩(如意輪観音)」で、安産・福徳・厄除・縁結のご利益があるそうです。
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重要な教典や聖教類が収蔵されていた高床式校倉造りの「経堂」と腰掛けると安産になると言われる「安産の腰掛石」です。
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これは一番目を引く「多宝塔」です。
この多宝塔は、日本最古のもので源頼朝の寄進により建立されたとか。
また、国宝に認定されたことで4円切手のデザインにもなったことで有名とか。 -
塔内の様子です。
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多宝塔から右に折れた先の近江八景で名高い「月見亭」です。
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18世紀、後白河上皇の行幸の際に建立されたと言われ、崖にせり出すように造られており、瀬田川を見下ろす絶好の眺望が見られます。
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月見亭付近からの瀬田川の眺望です。
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百花繚乱といわれる「光堂」です。
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眼下に広がる牡丹園と共に、伝統的建築技法である懸崖造が用いられた風靡な光景だそうですが訪問時は時期外れでした。
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ここ石山寺は、かの紫式部を始め、古来から多くの文学者が訪れたことで「文学の寺」と呼ばれることもあったそうで、「源氏物語」のはじまりの地として有名とのこと。
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二日目の仏閣巡りは、いずれも境内がとても広くて、足はパンパン、膝はガクガクです。
自宅から大津まで僅か130キロ位の距離でしたので頑張って帰宅しました。
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