2022/10/03 - 2022/10/04
5位(同エリア187件中)
Kちゃんさん
東日本大震災で津波被害にあった地域を毎年1回のペースで訪れ定点観測的に復興具合を感じていく旅。 今回で11年目/12回目となりました。
瓦礫が撤去され更地となっていた場所、嵩上げのために高く土の盛られた場所、海岸線や河川の堤防が築かれた場所、なども年月が経る毎に土の上に草が茂り、真新しいコンクリートは落ち着いた色に変わり、と次第に以前からそのような風景だったと思ってしまうようにも見えてきます。 ダンプやブルドーザーが土を運んでいたときには、この街並みをどういう風にしようとしているのかも想像のつかないものでしたが、道が出来て家が建つと新たな街の営みが始まったようにも見えます。 陸前高田や志津川では立派な復興祈念公園が造られ、あの惨劇を後世に伝え残そうとしています。
とはいっても、素人が勝手に見てまわる旅ですから半分は観光がてらですが、そんななかで少しでも経済復興の一助になればと思っています。
さて、これまでは6月~7月に出掛けていましたが今年はこの時期にコロナ感染が拡大していたこともあり躊躇している間に時間が経ってしまいました。
この度、作並温泉近くへ出掛ける用があったこともあり、翌日に一帯を廻ることにしましたが、陸前高田までの往復は少し辛そうでしたので、今回は気仙沼までとさせていただきました。 また脚に使うレンタカーもこの何回かは特徴を持った車を選んでいますが、今回もまた私的に「興味のある」車を選んでみました。
まず、前編の「石巻、志津川」あたりの様子をお伝え致します。
後編の「気仙沼」周辺の様子はコチラから
https://4travel.jp/travelogue/11784240
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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平日、朝一番の東北新幹線「はやぶさ」号です。
結構な乗車率ですね。
東海道新幹線などでも、朝一番の始発近くは博多行きのような最遠駅行きとなりますが、東北新幹線のはやぶさ号函館行きは朝一番というよりも朝2番近い遅めの6時半発です。 -
と言っても、仙台には8時過ぎには到着。
驚いたのは、仙台から乗ってくるお客さんの多いこと。 -
仙山線に乗り換え作並に向かいます。
仙山線というと旧国鉄時代車輛の455系などをイメージしますが、今は新型のE721系に統一されているようです。 -
夕方近くに再び仙台に戻ってきましたが日が暮れるのが早くなりました。
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ホテルへチェックイン
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こういうところはビジネスホテルとは異なります。
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季節ですね。
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お部屋はこんな感じ。
このホテル、いつもはWEB予約しますが今回の予約画面では「シングル」が見つからず「シングル/ダブル」の表示のみ。
シングルは満室かと思いましたが部屋に入ってみればいつもと変わらない部屋ですので呼び名だけ替えたようです。 -
トイレ/洗面
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少し外を歩きます。
駅構内でおなじみ「New Days」の路面店って珍しいですよね。
路面店ですがよく見ればJR東日本関連社屋の敷地内一角に立地しているようです。
他にもこんな例はあるんでしょうか? -
この1年ほどはこの辺りをウロウロしていませんでしたが新しいお店?
ちょっとそそられましたが折角仙台ですから牛タンを目指します。 -
生憎と満席。
お待ちの先客が一人いましたが一緒に待ちます。 -
程なく御案内。
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ビール頂きます。
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牛タン頂きます。
コチラのお店は「何人前」ではなく「何枚」単位での注文。
少なめの「3枚」です。 -
翌朝、ホテルの朝食。
朝食レストランは少しリニューアルされたようで明るい色合いの丁度に変わっています。 -
まあ内容はどのホテルにもあるブッフェ朝食のようですが
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スクランブルエッグにソーセージ
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サラダが嬉しいですね
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パンにシリアル
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御飯のお供
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仙台らしく「笹かま」。
しかし「笹かま」って英語で表現するとこんなですかね? -
牛タンカレーも
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と、なぜか麻婆豆腐。
この理由は後で判りました。 -
りんご酢を一杯つけて頂けました。
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でこんな和洋ぐしゃぐしゃの朝食
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でロビーへ出ると、
10月11日、すでに水際対策が解除され多くの地域から外国人が入国出来るようになりましたが、解除直前のこの時期は限定された団体客のみが少数受け入れられていた時期。
その団体様がお泊まりだったのですね。
で、ホテル心遣いの麻婆豆腐。 -
今回レンタカーで試してみようとする車種はこの緑のレンタカー屋さんの広告でみつけました。
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また駅構内のポスターでは、こちらのレンタカー屋さんも同車種の取扱いを始めたようです。
どちらも同じようなキャンペーン料金で、普通に豪華で大きな同クラスの車を借りるよりも遙かにお安く、コンパクトカー料金に「チョイ足し」程度で借りられます。
緑のお店では「新型」も貸し出しているようですが仙台店では「旧型」だけですので、この意味でもどちらもほぼ同じ条件となります。 -
その「豪華で大きな」レンタカーを借り出して45号線を東に向かいます。
肌寒いくらいの日でしたが、エアコンのスイッチを切ると途端に窓が曇ってしまいます。 エアコンの温度を25度程度にしても結構冷たい空気が出てきて、空調に難儀しながらの出だしとなります。 -
「仙台港北」から仙台東道路へ。
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利府のジャンクションを右に辿れば三陸路です。
天気予報は「曇り/晴れ」ですが雨がポツポツと降り始めます。 -
石巻付近
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「河北」ICで降りて普通の45号線へ。
(三陸道の無料区間にも45号線の表示がついています) -
北上川の堤防上を東に向かいます。
この辺りの川幅は広く、いわゆる河川敷という一帯が無くいきなり堤防ですね。
雨が強くなってきてしまいました。 -
45号線から右折して10kmほど、もう河口というあたりに「大川小学校」があります(ありました)。
以前訪れた時はまだ遺構として整備の途中でしたが、今回訪れた時には既に「石巻市震災遺構大川小学校」として遺されていました。 -
以前は近くの原っぱに車を停めていましたが、今は立派な駐車場が出来ています。
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前回訪れた時は、一時的にこの画面の右側に置かれていた門扉も道路沿いの基の位置にもどされているようです。
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2019
前回訪問時の様子 -
2019
前回訪問時の様子
まだ校舎周辺の瓦礫は片付けられていません。 -
2019
前回訪問時の様子
仮設の献花台。 -
周辺は整備され
ロープや仮囲いで仕切られていた校舎周辺にもフェンスが施されました。 -
震災前の様子を示す碑も綺麗に造られています。
大川小学校のことが多く取り沙汰されますが、この地域の被害は甚大で
当時の小学校の後ろに見える釜谷地区の集落も今は全く無くなってしまいました。 -
2019年
前回訪問時にも写真を使った説明パネルはありましたが、写真をラミネートした手造り的なものでした。 -
当時の津波の様子など
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碑に記された
「大川には 海があり 川があり 山がある
古来より自然とともに生きてきた
いのちをつないできた
ここに暮らし ともに生きた歴史は
わたしたちの心と この大地にしっかりと刻まれています」 -
運動会用の?
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宮沢賢治の話をモチーフとした壁画は以前の卒業生の卒業制作。
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雨に濡れて判りにくいかもしれませんが、
「石巻市立大川小学校閉校の碑」ですね。
現在は他校に併合されているようです。 -
校舎右側(上流側)には伝承館が造られました。
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418名の犠牲になられた方々供養の碑
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そして慰霊碑も、地区のもの、学校のもの、ともまとめられています。
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2019年
前回訪問時の様子ですが、
この「Angel of Hope」の慰霊像も今は他の慰霊碑と並んでおかれています。 -
校舎端に残る校章ですね。
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大川小学校から
志津川へ向かいますが、河北ICの45号線にもどらず、北上川を渡って神割崎をぐるっと廻っていきます。
新北上大橋。
震災時はこの橋も一部で崩落し暫く通行出来なかったようです。 -
というところで、
今回使ったレンタカーの紹介です。
トヨタの「燃料電池車、MIRAI」です。
既に新型がでており旧型車ですが、新旧ともに現実的に日本で買える唯一の
燃料電池車、いわゆる水素自動車です。 -
運転席
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デザインは先進性を意識したのか少し凝ったものです。
まあ、最近のハイブリッド車やEVはこぞって凝ったデザインになっているケースも多いので。
ただ、メーターというか表示パネルの画面は「ただ必用な表示を並べただけ」的でデザインとしては ? ですね。
シフトレバーはEVやハイブリッド車のようなジョイスティック式ですが、最初に走りだしたあとに「P」の表示が消えません。 サイドブレーキの解除が必用なようで一旦停まります。 コンソールの「P」のスイッチを押したり引いたりしても駄目でしたが、そのサイドブレーキを散々に探した挙げ句、やっと判ったのは旧型車に良くある「足踏み式パーキングブレーキ」でした。 先進車に全く似合わないのですが、そうするとコンソールのシフトレバー右側にある「P」のスイッチは何? -
後ろ席はこんなですが、全長4.9mx全幅1.82mの車体からすれば窮屈差を感じますか?
(新型はほぼ全長5mx全幅1.9mと更に大きい) -
後ろ席の中央には大きな仕切りがあり左右が分かれているので4人乗りですね。
¥750万近くしていて、水素ステーションも限られているので個人所有というよりもほとんどの使われ方が役所などでの公用車としてリースだったようですので、運転手付での使われ方ならこれでよかったのでしょうか?
現実的には水素ボンベなどの配置から車内への出っ張りが増えて、こうしか造れなかったのかもしれません。
真っ白な内装は魅力ですが自分の車なら汚れが気になります。 -
トランクも一応の大きさがありますが全長4.9m長の車にしては?ですね。
あちこち出っ張りがあり、案外大きなモノは載せ難いかもしれません。
開口部近くだけは左右に目一杯広げられていてゴルフバッグが納められるようになっています。
残念ながら肝心のボンネットを開け忘れました。 -
新北上大橋を渡りきって右折。
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北上川左岸です、上流に見える渡ってきた新北上大橋ですが、対岸の橋許に大川小学校がありました。
このあたりの45号線を走ると何度も「北上川」に遭遇します。
調べると、この追波湾に注ぐ北上川を「新北上川」、石巻市内を流れるのを「旧北上川」と区別しているようですが、その変遷は良く解りません。 おまけに最近はその石巻市内の部分も「北上川」と呼ぶことにした、とか? 更に混乱ですね。 -
北上川左岸堤防上の道路。
この堤防も震災後改修されたものでしょう。 -
少し走り河口近くに来ました。
旧吉浜小学校跡に建つ閉校記念碑です。
対岸の大川小学校の様子とは異なるものの吉浜地区でも多くの犠牲者が出た模様です。 大川小学校の場合と異なるのはここの校舎が3階建てだったことと地震発生時には既に大半の児童は下校したあとだったようで、場合によってはほんの10分くらいの違いが大きく結果を変えてしまったのかもしれません?
ただし、下校済みだった生徒も含めてこの吉浜小学校に隣接していた市関連施設に避難されていた方々の多くが被災されているようです。 -
震災時は石巻市立でしたが、この地域はもともと北上町であったものが石巻市に併合された経緯があるようです。
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隣に建つ吉浜地区の慰霊碑。
上に掲げられたイヌワシをかたどったモニュメントの羽根の高さまで津波が押し寄せたようです。 -
北上川河口です、追波湾長面浦あたり。
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先に進みます、神割崎あたり
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南三陸町に入り徳倉漁港です。
向こうに見えるのは観洋ホテル。 -
このあたりの高台地区には新たな住宅地が造成されていますが、被災地区からの移住が進んでいるのでしょうか?
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徳倉で旧(普通の)45号線に合流します。
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志津川へ向かいます。
左のトンネルは旧気仙沼線、現在はBRT専用路となっています。 -
志津川地区に入る手前に「吉野会館」跡があります。
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震災時にここでは高齢者が集まっていたそうですが、自宅に帰るのを強制的に留めて結果的に被害を防ぐことにつながったようです。
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現在は「民間震災遺構」として個人的に遺されているようですが、掲げられる写真には当時の様子がみられます。
基本的には「立ち入り禁止」とありますが、このときも「観洋ホテル」さんの語り部ツアーの方々が訪れていて、皆さんヘルメット着用で案内されていました。 -
2013年の様子です。
志津川病院など、被災した建物も大部分は解体が済んだ頃。
防災センター付近から海方向の写真ですが、右奥に残っているのが吉野会館。
まだ嵩上げ工事は全く始まっていません。 -
2015年の様子です。
今では周囲はすっかり嵩上げされたなかに埋まるように残されていますが、この時点では一部嵩上げ工事は始まっているものの現在と様子は全く違います。 -
南三陸さんさん商店街です。
この何年かは(特に平日)訪れる人もまばらだったように記憶していますが、今回訪れてみれば駐車場もほぼいっぱい。 -
修学旅行の生徒達も立ち寄っているようです。
(秋田のバス) -
歩いている方々もそれぞれ手に買い物したものを持って
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志津川名物のモアイ像も設置されていました。
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さんさん商店街から志津川湾方面
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橋を渡ると「祈念公園」です。
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八幡川沿いに造られた防潮堤と遺構として遺された防災センター骨組みの高さが判りますか?
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2012年
まだ大きな建物の解体は進んでいない頃 -
2012年
防災センター跡から八幡川対岸。
鉄骨の骨組みだけ残っていますが、今は嵩上げされ、「さんさん商店街」のあたりでしょうか? -
2015年
周囲の嵩上げ工事が始まったころ。
当時はこの建物を「遺す」「遺さない」で揉めていたように思います。 -
慰霊碑へ登る道筋に地震発生からの出来事が時系列で示されています。
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ここへ来るのは何度目かですが、今まで気が付きませんでしたので新たに設置されたのでしょうか?
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慰霊碑です。
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この高さまで登って志津川駅跡を観ると、新たに「しづがわ」という駅のホーム表示が復活していました。
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上り方向「りくぜん とぐら」、下り方向「しづはま」ですね。
(徳倉は「とくら」だと思っていましたが「とぐら」のようです)
しづがわの駅名の下には「宮城県本吉郡志津川町」とあります。 -
線路跡へ登る遊歩道も準備されつつあります。
今度訪れるときには公園化されているかもしれません。 -
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さんさん商店街の奥にメモリアルホールが造られました。
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なぜかうさぎのモニュメント。
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立派な建物です。
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パネル表示
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時系列で紹介
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志津川をあとにして気仙沼に向かいます。
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途中、45号線の工事通行止めにより迂回ルートを廻りましたが、
迂回路となった高台には新しい街並みが出来ていました。 -
震災祈念公園とか、さんさん商店街などだけが目につきますが、こうした普通の暮らしの復興具合を目にすることが出来た「工事通行止め 迂回」でした。
-2 へ続きます。
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