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アーティゾン美術館<br />特別展<br />生誕140年ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎<br /><br />2022年5月に来た時この特別展のことを知った<br /><br />青木繁の迫力ある画面に<br />高校時代に憧れていた<br />坂本繁二郎は白を混ぜた中間色の画家<br />眠い画面の作品に<br />若かったあの頃は<br />響くものを感じられなかった<br /><br />2人は<br />同じ福岡県の久留米で<br />同じ1882年に生まれ<br />同じ学校、<br />同じ美術学校(森三美洋画塾)で学び<br />先に上京した青木が坂本を東京へ呼び寄せている関係<br /><br />上京後は上野の芸大で学び<br />人気作家になり<br />稲妻のように28歳(1911年)の人生を通り抜けていった青木繁<br /><br />かたや、地味に着実に美術界での地位を確立し<br />1956年文化勲章を受章<br />87歳(1969年)まで活躍し<br />天寿をまっとうした坂本繁二郎<br /><br />絵画鑑賞以上に<br />2人の過ごした人生を振り返る展示<br /><br />この展示にはもう1人の<br />久留米生まれがいる<br /><br />石橋正二郎(1889~1976)<br />家業の仕立て屋を<br />足袋屋へ<br />更に、<br />世界のブリヂストンタイヤに育て上げた<br />天才的経営者<br /><br />戦後間もない1952年ブリヂストン美術館を自費でオープン<br /><br />石橋正二郎は<br />青木、坂本と同じ久留米高等小学校を卒業<br />図画の代用教員だった坂本繁二郎の授業を受けている<br />その後、坂本から青木繁の作品を知り<br />「海の幸」<br />「わだつみのいろこの宮」<br />などなどを収集したのが<br />ブリヂストン美術館オープンに繋がっていく<br /><br />石橋正二郎の言葉<br />「好きな絵を選んで買うのが何よりも楽しみであるが、もとよりこのような名品は個人で秘蔵すべきでなく、美術館を設け、文化の向上に寄与することがかねての念願であった」<br /><br />石橋正二郎はその後。1969年には<br />竹橋の東京国立近代美術館の建物代を<br />国に寄付している<br />当時の金額で12億円

アーティゾン美術館20220929~生誕140年ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎

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2022/09/22 - 2022/09/22

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旅行記グループ アーティゾン美術館

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norio2bo

norio2boさん

この旅行記スケジュールを元に

アーティゾン美術館
特別展
生誕140年ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎

2022年5月に来た時この特別展のことを知った

青木繁の迫力ある画面に
高校時代に憧れていた
坂本繁二郎は白を混ぜた中間色の画家
眠い画面の作品に
若かったあの頃は
響くものを感じられなかった

2人は
同じ福岡県の久留米で
同じ1882年に生まれ
同じ学校、
同じ美術学校(森三美洋画塾)で学び
先に上京した青木が坂本を東京へ呼び寄せている関係

上京後は上野の芸大で学び
人気作家になり
稲妻のように28歳(1911年)の人生を通り抜けていった青木繁

かたや、地味に着実に美術界での地位を確立し
1956年文化勲章を受章
87歳(1969年)まで活躍し
天寿をまっとうした坂本繁二郎

絵画鑑賞以上に
2人の過ごした人生を振り返る展示

この展示にはもう1人の
久留米生まれがいる

石橋正二郎(1889~1976)
家業の仕立て屋を
足袋屋へ
更に、
世界のブリヂストンタイヤに育て上げた
天才的経営者

戦後間もない1952年ブリヂストン美術館を自費でオープン

石橋正二郎は
青木、坂本と同じ久留米高等小学校を卒業
図画の代用教員だった坂本繁二郎の授業を受けている
その後、坂本から青木繁の作品を知り
「海の幸」
「わだつみのいろこの宮」
などなどを収集したのが
ブリヂストン美術館オープンに繋がっていく

石橋正二郎の言葉
「好きな絵を選んで買うのが何よりも楽しみであるが、もとよりこのような名品は個人で秘蔵すべきでなく、美術館を設け、文化の向上に寄与することがかねての念願であった」

石橋正二郎はその後。1969年には
竹橋の東京国立近代美術館の建物代を
国に寄付している
当時の金額で12億円

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩

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  • アーティゾンの<br />最寄り駅は東京駅八重洲口<br /><br />あの時は<br />地下鉄宝町から歩いて来た

    アーティゾンの
    最寄り駅は東京駅八重洲口

    あの時は
    地下鉄宝町から歩いて来た

    宝町駅 (東京都)

  • 案内図<br />奥に明治屋のビルが見える<br />まわりに高層ビルが次々と建設され<br />明治屋が小さなビルになってしまっているのがわかる。<br /><br />この辺りはフリーWiFiエリア

    案内図
    奥に明治屋のビルが見える
    まわりに高層ビルが次々と建設され
    明治屋が小さなビルになってしまっているのがわかる。

    この辺りはフリーWiFiエリア

    明治屋ワイン亭 グルメ・レストラン

  • コートヤードバイマリオットホテルが出来ていた。

    コートヤードバイマリオットホテルが出来ていた。

    コートヤード・バイ・マリオット東京ステーション 宿・ホテル

  • その奥には<br />三井ガーデンホテル

    その奥には
    三井ガーデンホテル

    三井ガーデンホテル京橋 宿・ホテル

  • アーティゾン美術館の予約は1時<br /><br />ランチ500円の移動販売荷車が出ていたiPhoneの撮影記録によると11:57

    アーティゾン美術館の予約は1時

    ランチ500円の移動販売荷車が出ていたiPhoneの撮影記録によると11:57

  • アーティゾン美術館の施工は戸田建設<br /><br />隣には<br />戸田建設の新社屋ビルが建設中<br />これが出来上がる2024年3月には<br />アートを中心にした<br />新しい空間が出来上がる構想

    アーティゾン美術館の施工は戸田建設

    隣には
    戸田建設の新社屋ビルが建設中
    これが出来上がる2024年3月には
    アートを中心にした
    新しい空間が出来上がる構想

  • となりのアーティゾン美術館<br /><br />奥に今回の特別展<br />生誕140年ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎<br />のパネルが見える<br /><br />入場は送られてきたメールでQRコードをスマホに表示して読み取りし入場する<br /><br />QRコードは<br />別名<br />2次元バーコード<br />スマホの普及に合わせて<br />急速に利用拡大、普及している<br />あまり知られていないが<br />QRコードは<br />日本のデンソーが発明した技術<br />特許を無料にしたのが普及につながった<br /><br />利点のひとつに<br />30パーセントが失われても復元して読み取れる機能がある

    となりのアーティゾン美術館

    奥に今回の特別展
    生誕140年ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎
    のパネルが見える

    入場は送られてきたメールでQRコードをスマホに表示して読み取りし入場する

    QRコードは
    別名
    2次元バーコード
    スマホの普及に合わせて
    急速に利用拡大、普及している
    あまり知られていないが
    QRコードは
    日本のデンソーが発明した技術
    特許を無料にしたのが普及につながった

    利点のひとつに
    30パーセントが失われても復元して読み取れる機能がある

    アーティゾン美術館 美術館・博物館

    アーティゾン美術館 by norio2boさん
  • スマホ対応オーディオガイドの説明パネル<br /><br />特別展に新しく展示される作品の<br />レアでディープな解説<br />が楽しめのではという甘い期待は裏切られ、、、<br /><br />アーティゾン美術館のデータに既に収録されている代表作品を聞くことが出来る仕組み

    スマホ対応オーディオガイドの説明パネル

    特別展に新しく展示される作品の
    レアでディープな解説
    が楽しめのではという甘い期待は裏切られ、、、

    アーティゾン美術館のデータに既に収録されている代表作品を聞くことが出来る仕組み

  • オーディオは<br />アーティゾン美術館内に飛んでるWi-Fiで通信する仕組みになっている<br /><br />美術館内のWi-Fiを<br />チェックしてみた<br />合格点のスピード<br />都内のフリーWi-Fi接続には<br />変なメールが来るが<br />アーティゾンはセキュリティも合格

    オーディオは
    アーティゾン美術館内に飛んでるWi-Fiで通信する仕組みになっている

    美術館内のWi-Fiを
    チェックしてみた
    合格点のスピード
    都内のフリーWi-Fi接続には
    変なメールが来るが
    アーティゾンはセキュリティも合格

  • 特別展<br />生誕140年ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎<br />入り口のパネル<br /><br />2022年7月30日ー10月16日<br />主催 公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館<br /><br />パネルには<br />青木繁の「わだつみのいろこの宮」<br />坂本繁二郎の「放牧三馬」<br />が使われている

    特別展
    生誕140年ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎
    入り口のパネル

    2022年7月30日ー10月16日
    主催 公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館

    パネルには
    青木繁の「わだつみのいろこの宮」
    坂本繁二郎の「放牧三馬」
    が使われている

  • 最初の展示は2人が学んだ<br />久留米の森三美洋画塾時代<br />関連作品が並ぶ<br /><br />奥に見えるのは<br />初めは日本画を描いていた頃の<br />坂本繁二郎15歳の時の水墨画<br />「立石谷」<br />143.5x82.8cm 1897年頃<br />絹本墨画<br />久留米市美術館蔵<br /><br />あと<br />森三美先生と生徒の坂本繁二郎が<br />同じ西洋画を模写した同サイズの絵<br />「河岸放牛図」というのが並んでいた<br /><br />生徒の方が先生より数段上手だった<br />画塾で坂本は神童と呼ばれていた

    最初の展示は2人が学んだ
    久留米の森三美洋画塾時代
    関連作品が並ぶ

    奥に見えるのは
    初めは日本画を描いていた頃の
    坂本繁二郎15歳の時の水墨画
    「立石谷」
    143.5x82.8cm 1897年頃
    絹本墨画
    久留米市美術館蔵

    あと
    森三美先生と生徒の坂本繁二郎が
    同じ西洋画を模写した同サイズの絵
    「河岸放牛図」というのが並んでいた

    生徒の方が先生より数段上手だった
    画塾で坂本は神童と呼ばれていた

  • 「車中風景」<br /><br />青木繁<br />1902年(上京し東京芸大に入学した頃)の小さな水彩スケッチ<br />14.4x19cmx2枚(左右見開き)<br />紙に鉛筆に水彩彩色<br />スケッチブックに<br />ベンチ型車両に並ぶ乗客を描いたもの<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />青木繁は1899年16歳で上京<br />文京区本郷にあった<br />不同舎で学び<br />1900年に東京美術学校(現東京芸大)に入学<br />1893年フランスから帰国した黒田清輝(1866年鹿児島~1924年没東京)から指導を受けている。

    「車中風景」

    青木繁
    1902年(上京し東京芸大に入学した頃)の小さな水彩スケッチ
    14.4x19cmx2枚(左右見開き)
    紙に鉛筆に水彩彩色
    スケッチブックに
    ベンチ型車両に並ぶ乗客を描いたもの
    アーティゾン美術館蔵

    青木繁は1899年16歳で上京
    文京区本郷にあった
    不同舎で学び
    1900年に東京美術学校(現東京芸大)に入学
    1893年フランスから帰国した黒田清輝(1866年鹿児島~1924年没東京)から指導を受けている。

  • 青木繁<br />妙義山でのスケッチ旅行<br />えんぴつスケッチに<br />淡く透明水彩で色づけされている<br />「妙義山金洞第一石門」<br />1902年<br />19x14.5cm 2枚<br />久留米市美術館<br /><br />群馬県の妙義山は一般道を行けば危険はないが金洞山ルートは難所続きになる<br />醍醐味は石門巡り<br /><br />1902年秋から1903正月<br />久留米から上京した坂本繁二郎たちと<br />群馬県の妙義山~長野県小諸を旅し<br />多くのスケッチを残している

    青木繁
    妙義山でのスケッチ旅行
    えんぴつスケッチに
    淡く透明水彩で色づけされている
    「妙義山金洞第一石門」
    1902年
    19x14.5cm 2枚
    久留米市美術館

    群馬県の妙義山は一般道を行けば危険はないが金洞山ルートは難所続きになる
    醍醐味は石門巡り

    1902年秋から1903正月
    久留米から上京した坂本繁二郎たちと
    群馬県の妙義山~長野県小諸を旅し
    多くのスケッチを残している

  • 青木繁の巻紙の手紙<br /><br />1902年12月14日付<br />「坂本繁二郎宛書簡」<br />個人蔵<br /><br />小諸の鶴屋旅館から中ノ岳社務所にいる<br />坂本に宛てたもの<br />残してきた荷物の保管と<br />東京の下宿の引き払いを託したいという内容<br /><br />20歳の青木繁の流れるような筆文字<br />久留米藩の下級武士だったという青木家の厳格な文化レベルの高さを思わせる<br />父は繁のアートに対し無理解だった<br /><br />宛名が君になっているが気になった<br />普通なら様か兄を使うべきだと思う

    青木繁の巻紙の手紙

    1902年12月14日付
    「坂本繁二郎宛書簡」
    個人蔵

    小諸の鶴屋旅館から中ノ岳社務所にいる
    坂本に宛てたもの
    残してきた荷物の保管と
    東京の下宿の引き払いを託したいという内容

    20歳の青木繁の流れるような筆文字
    久留米藩の下級武士だったという青木家の厳格な文化レベルの高さを思わせる
    父は繁のアートに対し無理解だった

    宛名が君になっているが気になった
    普通なら様か兄を使うべきだと思う

  • 青木繁の描いた「お面」のスケッチ<br />「行道面」1900~1903<br />紙に鉛筆に水彩<br />29.2x19cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />行道面<br />寺院の儀礼でつかわれる仮面<br />練り歩きに使われるので<br />行道の名前がある<br />菩薩、八部衆、十二天など

    青木繁の描いた「お面」のスケッチ
    「行道面」1900~1903
    紙に鉛筆に水彩
    29.2x19cm
    アーティゾン美術館蔵

    行道面
    寺院の儀礼でつかわれる仮面
    練り歩きに使われるので
    行道の名前がある
    菩薩、八部衆、十二天など

  • 青木繁<br />お面のスケッチ<br />「能楽面」1990~1903<br />紙に鉛筆に水彩<br />29.2x18.9cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />能で使用される面

    青木繁
    お面のスケッチ
    「能楽面」1990~1903
    紙に鉛筆に水彩
    29.2x18.9cm
    アーティゾン美術館蔵

    能で使用される面

  • 青木繁<br />お面のスケッチ<br />「舞楽面」1900~1903<br />28.6x19cm<br />紙に鉛筆に水彩<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />どれも<br />解説と色指定が書き込まれている<br />描画、鉛筆文字共に力強い

    青木繁
    お面のスケッチ
    「舞楽面」1900~1903
    28.6x19cm
    紙に鉛筆に水彩
    アーティゾン美術館蔵

    どれも
    解説と色指定が書き込まれている
    描画、鉛筆文字共に力強い

  • 青木繁<br />「闍威弥尼(じゃいみに)」<br />1903年<br />板に油彩14.7x10.3cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />闍威弥尼は紀元前2世紀~4世紀にかけて活躍した<br />インドの哲学者<br />青木繁の古代への強い関心と博識が偲ばれる<br /><br />東京芸大で黒田清輝(1866鹿児島~1924)の指導を受けていた頃の作品<br /><br />芸大に近い上野の図書館<br />(たぶん今の国立国会図書館子ども図書館だと思う)に通い<br />ヨーロッパ<br />日本<br />の神話の世界関連の書籍を読み漁っている<br /><br />(国立国会図書館子ども図書館の<br />手前に黒田記念館がある<br />代表作の「湖畔」1897年作重要文化財がある)<br /><br />青木繁の言葉が残されている<br />「人生とは何ぞや<br />我は男子として如何に我を発揮すべきや<br />学者、政治、軍人、、、。哲学、宗教、文学、、、<br />われは丹青の技によって、歴山帝(アレクサンダー大王)若しくはそれ以上の高傑な偉大な真実な、そして情操を偽らざる天真流露、玉の如き男子となり得るのだ」<br /><br />この「大志」が<br />迫力のある絵が描けた背景にあると思う<br />チーム青木繁と呼ぶような人気も得た<br /><br />人生に不器用、人間関係に無関心な彼をサポート出来る人がいなかったのを残念に思う

    青木繁
    「闍威弥尼(じゃいみに)」
    1903年
    板に油彩14.7x10.3cm
    アーティゾン美術館蔵

    闍威弥尼は紀元前2世紀~4世紀にかけて活躍した
    インドの哲学者
    青木繁の古代への強い関心と博識が偲ばれる

    東京芸大で黒田清輝(1866鹿児島~1924)の指導を受けていた頃の作品

    芸大に近い上野の図書館
    (たぶん今の国立国会図書館子ども図書館だと思う)に通い
    ヨーロッパ
    日本
    の神話の世界関連の書籍を読み漁っている

    (国立国会図書館子ども図書館の
    手前に黒田記念館がある
    代表作の「湖畔」1897年作重要文化財がある)

    青木繁の言葉が残されている
    「人生とは何ぞや
    我は男子として如何に我を発揮すべきや
    学者、政治、軍人、、、。哲学、宗教、文学、、、
    われは丹青の技によって、歴山帝(アレクサンダー大王)若しくはそれ以上の高傑な偉大な真実な、そして情操を偽らざる天真流露、玉の如き男子となり得るのだ」

    この「大志」が
    迫力のある絵が描けた背景にあると思う
    チーム青木繁と呼ぶような人気も得た

    人生に不器用、人間関係に無関心な彼をサポート出来る人がいなかったのを残念に思う

  • 青木繁<br />「輪転」1903年<br />キャンバスに油彩<br />26.8x37.8cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />古事記の記述をテーマに描かれた作品<br /><br />青木繁が在学した上野の東京芸大西洋画科教授の黒田清輝は<br />絵画は単なるスケッチではなく<br />構想を備えたコンポジション(構成画)でなければならないとした<br /><br />画風では黒田を真似る事はなかったが構想画の概念は吸収した

    青木繁
    「輪転」1903年
    キャンバスに油彩
    26.8x37.8cm
    アーティゾン美術館蔵

    古事記の記述をテーマに描かれた作品

    青木繁が在学した上野の東京芸大西洋画科教授の黒田清輝は
    絵画は単なるスケッチではなく
    構想を備えたコンポジション(構成画)でなければならないとした

    画風では黒田を真似る事はなかったが構想画の概念は吸収した

  • 青木繁<br />海景(布良の海)1904年<br />キャンバスに油彩<br />36.5x73cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />1904年芸大を卒業した青木繁は<br />坂本繁二郎、不同舎の後輩の福田たね(1885~1968)たち<br />チーム青木で合宿<br />千葉県房総半島の最南部の布良(めら)で制作を行なっている<br /><br />アーティゾン美術館の収蔵作品に<br />クロードモネ<br />「雨のベリエール」1886年<br />キャンバスに油彩<br />がある<br /><br />1904年に「布良の海」を描いた青木繁は<br />「雨のベリエール」を見たのだろうか?

    青木繁
    海景(布良の海)1904年
    キャンバスに油彩
    36.5x73cm
    アーティゾン美術館蔵

    1904年芸大を卒業した青木繁は
    坂本繁二郎、不同舎の後輩の福田たね(1885~1968)たち
    チーム青木で合宿
    千葉県房総半島の最南部の布良(めら)で制作を行なっている

    アーティゾン美術館の収蔵作品に
    クロードモネ
    「雨のベリエール」1886年
    キャンバスに油彩
    がある

    1904年に「布良の海」を描いた青木繁は
    「雨のベリエール」を見たのだろうか?

  • クロードモネ(1840~1926)<br />「雨のベリエール」<br />キャンバスに油彩<br />アーティゾン美術館蔵

    クロードモネ(1840~1926)
    「雨のベリエール」
    キャンバスに油彩
    アーティゾン美術館蔵

  • 青木繁<br />「海」1904年<br />板に油彩<br />10.3x14.7cm<br />アーティゾン美術館蔵

    青木繁
    「海」1904年
    板に油彩
    10.3x14.7cm
    アーティゾン美術館蔵

  • 青木繁<br />「男の肖像」1904年<br />紙に鉛筆13.3x11cm<br />アーティゾン美術館蔵

    青木繁
    「男の肖像」1904年
    紙に鉛筆13.3x11cm
    アーティゾン美術館蔵

  • 青木繁<br />「顔」1903~1904年<br />紙に色鉛筆に水彩<br />14.8x16.1cm<br />アーティゾン美術館<br /><br />自画像だろうか?<br />色鉛筆の色の組み合わせで<br />奥深い空間を作っている

    青木繁
    「顔」1903~1904年
    紙に色鉛筆に水彩
    14.8x16.1cm
    アーティゾン美術館

    自画像だろうか?
    色鉛筆の色の組み合わせで
    奥深い空間を作っている

  • 青木繁<br />「水浴」1904年<br />紙に水彩 19x34.2cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />古事記の世界を描いている<br />不透明水彩を厚塗りで油彩のような表現をしている<br />曼珠沙華のような青木繁独特の赤が効果を出している

    青木繁
    「水浴」1904年
    紙に水彩 19x34.2cm
    アーティゾン美術館蔵

    古事記の世界を描いている
    不透明水彩を厚塗りで油彩のような表現をしている
    曼珠沙華のような青木繁独特の赤が効果を出している

  • これは坂本繁二郎<br />「房州風景」1904年<br />紙に水彩18.3x28.6cm<br />個人蔵<br /><br />右上には獲れた収穫を取り囲み作業している<br />漁民たち7人の集団が描かれ<br />左下には潮汲みを担ぐ人物と布良の海景が描かれている<br /><br />青木繁の「海の幸」は<br />布良への旅の2ヵ月の間に描かれている<br /><br />滞在中<br />坂本繁二郎は布良海岸で目にした大漁の様子を<br />青木繁に話します<br />それにインスパイアされた青木繁は<br />自分の研究テーマ<br />古事記の「海幸彦、山幸彦」に昇華させ<br />「海の幸」を1週間で描き上げます<br /><br />布良は多くの神話が伝えられているエリア<br />古事記や万葉集に没入して来た青木繁にとって布良は特別に選ばれた場所だった

    これは坂本繁二郎
    「房州風景」1904年
    紙に水彩18.3x28.6cm
    個人蔵

    右上には獲れた収穫を取り囲み作業している
    漁民たち7人の集団が描かれ
    左下には潮汲みを担ぐ人物と布良の海景が描かれている

    青木繁の「海の幸」は
    布良への旅の2ヵ月の間に描かれている

    滞在中
    坂本繁二郎は布良海岸で目にした大漁の様子を
    青木繁に話します
    それにインスパイアされた青木繁は
    自分の研究テーマ
    古事記の「海幸彦、山幸彦」に昇華させ
    「海の幸」を1週間で描き上げます

    布良は多くの神話が伝えられているエリア
    古事記や万葉集に没入して来た青木繁にとって布良は特別に選ばれた場所だった

  • 青木繁 <br />「わだつみのいろこの宮」1907年<br />キャンバスに油彩 180x68.3cm<br />アーティゾン美術館蔵 <br />重要文化財<br /><br />大評判となった「海の幸」1903年の後<br />青木繁は布良の海で得たものを<br />構想4年<br />古事記の海幸彦山幸彦の物語に結実させた<br /><br />3枚の下絵で<br />構成の工夫のプロセスを知ることが出来た

    青木繁
    「わだつみのいろこの宮」1907年
    キャンバスに油彩 180x68.3cm
    アーティゾン美術館蔵 
    重要文化財

    大評判となった「海の幸」1903年の後
    青木繁は布良の海で得たものを
    構想4年
    古事記の海幸彦山幸彦の物語に結実させた

    3枚の下絵で
    構成の工夫のプロセスを知ることが出来た

  • 青木繁<br />「わだつみのいろこの宮」1907年  <br />見つめる人<br /><br />夏目漱石は小説「それから」の中で<br />日々の生活、人生に悩む主人公代助を通じて<br />感想を語らせている<br /><br />引用しておきます<br />「代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持に出来ていると思った。つまり自分もああいう沈んだ落ち付いた情調に居りたかったからである」<br /><br />青木繁没後の1912年に上野で開催された遺作展にも夏目漱石は足を運んでいます<br />「この人は天才だ。惜しい人を亡くした」

    青木繁
    「わだつみのいろこの宮」1907年 
    見つめる人

    夏目漱石は小説「それから」の中で
    日々の生活、人生に悩む主人公代助を通じて
    感想を語らせている

    引用しておきます
    「代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持に出来ていると思った。つまり自分もああいう沈んだ落ち付いた情調に居りたかったからである」

    青木繁没後の1912年に上野で開催された遺作展にも夏目漱石は足を運んでいます
    「この人は天才だ。惜しい人を亡くした」

  • 青木繁<br />「わだつみのいろこの宮」1907年 <br />アーティゾン美術館蔵 重要文化財<br /><br />兄の海幸彦から借りた釣り針をなくした<br />山幸彦は海底に行きます<br />この瞬間を画像にした<br />画面左が豊玉姫(福田たねがモデル)<br />山幸彦と豊玉姫の間に生まれた子孫が<br />天皇家となってゆく<br /><br />潜水して見上げる水面の美しさを<br />布良の海で体験したのだろうか?<br /><br />豊玉姫神社と山幸彦を祀る加茂神社はツインで「夫婦の神社」

    青木繁
    「わだつみのいろこの宮」1907年 
    アーティゾン美術館蔵 重要文化財

    兄の海幸彦から借りた釣り針をなくした
    山幸彦は海底に行きます
    この瞬間を画像にした
    画面左が豊玉姫(福田たねがモデル)
    山幸彦と豊玉姫の間に生まれた子孫が
    天皇家となってゆく

    潜水して見上げる水面の美しさを
    布良の海で体験したのだろうか?

    豊玉姫神社と山幸彦を祀る加茂神社はツインで「夫婦の神社」

  • 青木繁<br />「わだつみのいろこの宮」1907年 <br /><br />同じ作品を見ても<br />思うこと<br />感じることは<br />人それぞれ<br />作品と鑑賞者の共鳴

    青木繁
    「わだつみのいろこの宮」1907年 

    同じ作品を見ても
    思うこと
    感じることは
    人それぞれ
    作品と鑑賞者の共鳴

  • 青木繁<br />「男の顔」1904年<br />キャンバスに油彩 81x61cm<br />大原美術館

    青木繁
    「男の顔」1904年
    キャンバスに油彩 81x61cm
    大原美術館

  • 青木繁<br />坂本繁二郎宛書簡<br />1909年4月6日付(亡くなる2年前)<br />個人蔵<br /><br />今度の宛名は様になっている

    青木繁
    坂本繁二郎宛書簡
    1909年4月6日付(亡くなる2年前)
    個人蔵

    今度の宛名は様になっている

  • 久留米から東京の坂本繁二郎宛<br /><br />自らの不運を嘆き<br />上京して絵の勉強に専心したい<br />と書いている

    久留米から東京の坂本繁二郎宛

    自らの不運を嘆き
    上京して絵の勉強に専心したい
    と書いている

  • 青木繁<br />「月下滞船図」1908年<br />キャンバスに油彩 42.5x60cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />往時の神話的な構想は影を潜めた<br /><br />そのほかに<br />九州放浪中の作品には<br />陸軍大尉を描いた肖像画があった

    青木繁
    「月下滞船図」1908年
    キャンバスに油彩 42.5x60cm
    アーティゾン美術館蔵

    往時の神話的な構想は影を潜めた

    そのほかに
    九州放浪中の作品には
    陸軍大尉を描いた肖像画があった

  • 坂本繁二郎<br />「市川高麗蔵の姉輪平次」1911年<br />(草画舞台姿原図より)<br />紙に鉛筆と水彩<br />アーティゾン美術館蔵

    坂本繁二郎
    「市川高麗蔵の姉輪平次」1911年
    (草画舞台姿原図より)
    紙に鉛筆と水彩
    アーティゾン美術館蔵

  • 坂本繁二郎<br />「青木繁加筆文字図案」1948年<br />紙に墨<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />久留米市の兜山(通称けしけし山)<br />山頂に立つ青木繁之碑は<br />青木の遺言にある願いに答え<br />坂本繁二郎が中心に建立した<br /><br />碑文(青木の望郷歌)は坂本自身が揮毫した。<br />わがくには<br />つくしのくにや<br />しらひわけ<br />ははいますくに<br />はじおおきくに<br /><br />(しらひわけは古事記に出てくる神のこと<br />イザナギとイザナミによる国生みで<br />四番目に生まれた大八嶋国(おおやしまのくに)の一柱ツクシノシマにあったとされる四つの顔の一つで、筑紫国にあたる)

    坂本繁二郎
    「青木繁加筆文字図案」1948年
    紙に墨
    アーティゾン美術館蔵

    久留米市の兜山(通称けしけし山)
    山頂に立つ青木繁之碑は
    青木の遺言にある願いに答え
    坂本繁二郎が中心に建立した

    碑文(青木の望郷歌)は坂本自身が揮毫した。
    わがくには
    つくしのくにや
    しらひわけ
    ははいますくに
    はじおおきくに

    (しらひわけは古事記に出てくる神のこと
    イザナギとイザナミによる国生みで
    四番目に生まれた大八嶋国(おおやしまのくに)の一柱ツクシノシマにあったとされる四つの顔の一つで、筑紫国にあたる)

  • 青木繁<br />「女の顔」1904年<br />羽子板に油彩 33x9.5cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />羽子板に描くのは<br />面白い試みだと思う<br />熟成したら展開があったと思った

    青木繁
    「女の顔」1904年
    羽子板に油彩 33x9.5cm
    アーティゾン美術館蔵

    羽子板に描くのは
    面白い試みだと思う
    熟成したら展開があったと思った

  • 青木繁<br />「木立(森の暮色」1904年<br />板に油彩 33x23cm<br />アーティゾン美術館蔵

    青木繁
    「木立(森の暮色」1904年
    板に油彩 33x23cm
    アーティゾン美術館蔵

  • 関連する品々のショーケース<br /><br />1913年刊行の「青木繁画集」政教社<br />遺作展の1年後坂本繁二郎、正宗徳三郎、蒲原有朋によって出版された画集<br /><br />1939年刊行「青木繁遺作展覧会図録」青樹社<br />この展覧会に展示された<br />梅野満雄保管の青木繁遺作は<br />石橋正二郎をはじめ複数のコレクターに渡った

    関連する品々のショーケース

    1913年刊行の「青木繁画集」政教社
    遺作展の1年後坂本繁二郎、正宗徳三郎、蒲原有朋によって出版された画集

    1939年刊行「青木繁遺作展覧会図録」青樹社
    この展覧会に展示された
    梅野満雄保管の青木繁遺作は
    石橋正二郎をはじめ複数のコレクターに渡った

  • 坂本繁二郎<br />青木繁之碑建設の辞 1948年<br />久留米市美術館蔵<br /><br />除幕式で<br />坂本繁二郎が読み上げた自筆原稿<br /><br />建設の苦労<br />地元の人々への感謝<br />が綴られている

    坂本繁二郎
    青木繁之碑建設の辞 1948年
    久留米市美術館蔵

    除幕式で
    坂本繁二郎が読み上げた自筆原稿

    建設の苦労
    地元の人々への感謝
    が綴られている

  • 坂本繁二郎の<br />青木繁に対する尊敬の気持ちが<br />こもったスピーチ原稿<br /><br />読み上げる為の原稿ということもあるが<br />謹厳実直で素直な<br />坂本繁二郎の筆文字に<br />思うものがあった。

    坂本繁二郎の
    青木繁に対する尊敬の気持ちが
    こもったスピーチ原稿

    読み上げる為の原稿ということもあるが
    謹厳実直で素直な
    坂本繁二郎の筆文字に
    思うものがあった。

  • 青木繁<br />「海の幸」1904年<br />キャンバスに油彩 70.2x182cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />坂本繁二郎が布良の海岸で<br />目撃した大漁に沸く漁師たちの光景<br />その話しに青木繁は触発され<br />古事記の世界を想起して<br />描き上げた作品<br /><br />こちらを見ている白い顔の人物は<br />福田たね<br />文京区にあった画塾<br />不同舎の後輩<br />青木繁の一目惚れだった<br /><br />たねと繁の間に生まれた子ども幸彦が<br />後の福田蘭童<br />その子どもがクレイジーキャッツの<br />石橋エータロー

    青木繁
    「海の幸」1904年
    キャンバスに油彩 70.2x182cm
    アーティゾン美術館蔵

    坂本繁二郎が布良の海岸で
    目撃した大漁に沸く漁師たちの光景
    その話しに青木繁は触発され
    古事記の世界を想起して
    描き上げた作品

    こちらを見ている白い顔の人物は
    福田たね
    文京区にあった画塾
    不同舎の後輩
    青木繁の一目惚れだった

    たねと繁の間に生まれた子ども幸彦が
    後の福田蘭童
    その子どもがクレイジーキャッツの
    石橋エータロー

  • 青木繁と坂本繁二郎の略年譜<br /><br />幸彦を抱く和服姿の青木繁の写真もあった

    青木繁と坂本繁二郎の略年譜

    幸彦を抱く和服姿の青木繁の写真もあった

  • 青木繁<br />「大穴牟知命」 1905年<br />キャンバスに油彩 75.5x127cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />古事記のストーリーが主題<br />大穴牟知命(おおなむちのみこと)とは<br />大国主命(おおくにぬしのみこと)のこと<br /><br />右の女性も福田たね

    青木繁
    「大穴牟知命」 1905年
    キャンバスに油彩 75.5x127cm
    アーティゾン美術館蔵

    古事記のストーリーが主題
    大穴牟知命(おおなむちのみこと)とは
    大国主命(おおくにぬしのみこと)のこと

    右の女性も福田たね

  • 2人の自画像<br />左は坂本繁二郎 <br />「自画鏡像」 1929年<br />紙に油彩 45.5x37.5cm<br /><br />右が青木繁 <br />「自画像」 1903年<br />キャンバスに油彩 80.5x60.5cm<br /><br />いずれもアーティゾン美術館

    2人の自画像
    左は坂本繁二郎 
    「自画鏡像」 1929年
    紙に油彩 45.5x37.5cm

    右が青木繁 
    「自画像」 1903年
    キャンバスに油彩 80.5x60.5cm

    いずれもアーティゾン美術館

  • 別々に撮影した<br /><br />坂本繁二郎 <br />「自画鏡像」 1929年<br />紙に油彩 45.5x37.5cm<br /><br />鏡と付けたところに<br />坂本繁二郎らしいこだわりがある<br />と解説にはあった<br /><br />英文ではどちらも同じSelf-Portrait

    別々に撮影した

    坂本繁二郎 
    「自画鏡像」 1929年
    紙に油彩 45.5x37.5cm

    鏡と付けたところに
    坂本繁二郎らしいこだわりがある
    と解説にはあった

    英文ではどちらも同じSelf-Portrait

  • 青木繁 <br />「自画像」 1903年<br />キャンバスに油彩 80.5x60.5cm<br /><br />坂本繁二郎は<br />この自画像を<br />「海の幸」よりも青木繁の代表作だとしていた<br /><br />並んで展示されている<br />2人の自画像<br />自分の見つめ方の違い<br />画風の違い<br />人生の違い

    青木繁 
    「自画像」 1903年
    キャンバスに油彩 80.5x60.5cm

    坂本繁二郎は
    この自画像を
    「海の幸」よりも青木繁の代表作だとしていた

    並んで展示されている
    2人の自画像
    自分の見つめ方の違い
    画風の違い
    人生の違い

  • 6階から5階へ移動<br /><br />坂本繁二郎の1912年以降の作品が並ぶ

    6階から5階へ移動

    坂本繁二郎の1912年以降の作品が並ぶ

  • 坂本繁二郎<br />「自像」1923~1930年<br />キャンバスに油彩 52.5x45cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />垢抜けたデフォルメしている<br />坂本繁二郎は<br />1921年から3年間フランスで学んでいる<br /><br />フランスで得たもの<br />パリの香りがある<br /><br />帰国後は郷里に戻り<br />東京には戻らず<br />久留米で制作を続けた

    坂本繁二郎
    「自像」1923~1930年
    キャンバスに油彩 52.5x45cm
    アーティゾン美術館蔵

    垢抜けたデフォルメしている
    坂本繁二郎は
    1921年から3年間フランスで学んでいる

    フランスで得たもの
    パリの香りがある

    帰国後は郷里に戻り
    東京には戻らず
    久留米で制作を続けた

  • 坂本繁二郎<br />「母の像」 1927年<br />キャンバスに油彩 52.9x45.8cm<br />個人蔵<br /><br />モノクロに近い表現

    坂本繁二郎
    「母の像」 1927年
    キャンバスに油彩 52.9x45.8cm
    個人蔵

    モノクロに近い表現

  • 坂本繁二郎<br />「放水路の雲」1924年<br />キャンバスに油彩 31.6x41.5cm<br />久留米市美術館蔵

    坂本繁二郎
    「放水路の雲」1924年
    キャンバスに油彩 31.6x41.5cm
    久留米市美術館蔵

  • 坂本繁二郎<br />「放牧三馬」 1932年<br />キャンバスに油彩 79.6x99cm<br />アーティゾン美術館蔵<br /><br />坂本繁二郎の代表作<br /><br />子供の頃から馬好きだった坂本繁二郎<br />落ち着いた心象の画面構成<br /><br />フランスから帰国後久留米から<br />1931年には八女にアトリエを移し<br />制作の拠点とした

    坂本繁二郎
    「放牧三馬」 1932年
    キャンバスに油彩 79.6x99cm
    アーティゾン美術館蔵

    坂本繁二郎の代表作

    子供の頃から馬好きだった坂本繁二郎
    落ち着いた心象の画面構成

    フランスから帰国後久留米から
    1931年には八女にアトリエを移し
    制作の拠点とした

  • 坂本繁二郎<br />「水より上がる馬」1935年<br />紙に水彩 15.8x21.4cm<br />アーティゾン美術館蔵

    坂本繁二郎
    「水より上がる馬」1935年
    紙に水彩 15.8x21.4cm
    アーティゾン美術館蔵

  • 次のブースにはまた2人の作品が並ぶ<br /><br />青木繁<br />「天平時代」1904年<br />キャンバスに油彩 45.3x75.4cm<br />アーティゾン美術館蔵

    次のブースにはまた2人の作品が並ぶ

    青木繁
    「天平時代」1904年
    キャンバスに油彩 45.3x75.4cm
    アーティゾン美術館蔵

  • 青木繁<br />「光明皇后」1906年<br />キャンバスに油彩 37.6x71cm<br />アーティゾン美術館蔵

    青木繁
    「光明皇后」1906年
    キャンバスに油彩 37.6x71cm
    アーティゾン美術館蔵

  • 奥に青木繁の<br />「漁夫晩帰」1908年<br />キャンバスに油彩 118x182cm<br /><br />この頃<br />久留米を離れ天草や佐賀を放浪<br />飲酒と不規則な生活<br />持病の肺結核は悪化していく

    奥に青木繁の
    「漁夫晩帰」1908年
    キャンバスに油彩 118x182cm

    この頃
    久留米を離れ天草や佐賀を放浪
    飲酒と不規則な生活
    持病の肺結核は悪化していく

  • 青木繁絶筆<br />「朝日」1910年(亡くなる前年)<br />キャンバスに油彩 72.5x115cm<br />佐賀県立小城高等学校同窓会黄城会蔵<br /><br />1910年11月の姉と妹に宛てた手紙が<br />残された遺書とされている<br /><br />面々と病苦を語り<br />自己の不幸を綴っている<br />4000g喀血がある<br />痩身貧血死の近くあるのを実感している<br />火葬料は枕の下にある<br />遺灰は高良山の松の木の根に埋めてほしい<br />思い出多き筑紫平野を眺めて<br />怨恨と憤懣と呪詛を捨て<br />静かに永遠の平安なる眠りにつきたい<br />見舞いには来ないでほしい

    青木繁絶筆
    「朝日」1910年(亡くなる前年)
    キャンバスに油彩 72.5x115cm
    佐賀県立小城高等学校同窓会黄城会蔵

    1910年11月の姉と妹に宛てた手紙が
    残された遺書とされている

    面々と病苦を語り
    自己の不幸を綴っている
    4000g喀血がある
    痩身貧血死の近くあるのを実感している
    火葬料は枕の下にある
    遺灰は高良山の松の木の根に埋めてほしい
    思い出多き筑紫平野を眺めて
    怨恨と憤懣と呪詛を捨て
    静かに永遠の平安なる眠りにつきたい
    見舞いには来ないでほしい

  • アーティゾン美術館には<br />インフォルームという空間がある<br />パソコンも置かれデータベースを参照出来る<br /><br />壁には<br />ブリヂストン美術館時代からの<br />特別展のポスターが一面に<br />貼られていた<br /><br />赤いベースカラーに「わだつみのいろこの宮」を使ったポスターが目に入った<br /><br />50年前の特別展<br /><br />天才画家の全貌<br />青木繁展<br />生誕90年記念<br />ブリヂストン美術館開館20周年記念<br />1972年4月22日~6月4日<br />主催<br />ブリジストン美術館/石橋美術館/日本経済新聞社<br />入場料<br />大人300円 高大生200円 中小生100円

    アーティゾン美術館には
    インフォルームという空間がある
    パソコンも置かれデータベースを参照出来る

    壁には
    ブリヂストン美術館時代からの
    特別展のポスターが一面に
    貼られていた

    赤いベースカラーに「わだつみのいろこの宮」を使ったポスターが目に入った

    50年前の特別展

    天才画家の全貌
    青木繁展
    生誕90年記念
    ブリヂストン美術館開館20周年記念
    1972年4月22日~6月4日
    主催
    ブリジストン美術館/石橋美術館/日本経済新聞社
    入場料
    大人300円 高大生200円 中小生100円

  • ミュージアムタワー京橋ビル<br />全景<br /><br />アーティゾン美術館は<br />右のガラス張りの部分の6階までの部分

    ミュージアムタワー京橋ビル
    全景

    アーティゾン美術館は
    右のガラス張りの部分の6階までの部分

    アーティゾン美術館 美術館・博物館

    アーティゾン美術館 by norio2boさん
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