
2022/09/22 - 2022/09/22
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norio2boさん
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この旅行記スケジュールを元に
アーティゾン美術館
特別展
生誕140年ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎
2022年5月に来た時この特別展のことを知った
青木繁の迫力ある画面に
高校時代に憧れていた
坂本繁二郎は白を混ぜた中間色の画家
眠い画面の作品に
若かったあの頃は
響くものを感じられなかった
2人は
同じ福岡県の久留米で
同じ1882年に生まれ
同じ学校、
同じ美術学校(森三美洋画塾)で学び
先に上京した青木が坂本を東京へ呼び寄せている関係
上京後は上野の芸大で学び
人気作家になり
稲妻のように28歳(1911年)の人生を通り抜けていった青木繁
かたや、地味に着実に美術界での地位を確立し
1956年文化勲章を受章
87歳(1969年)まで活躍し
天寿をまっとうした坂本繁二郎
絵画鑑賞以上に
2人の過ごした人生を振り返る展示
この展示にはもう1人の
久留米生まれがいる
石橋正二郎(1889~1976)
家業の仕立て屋を
足袋屋へ
更に、
世界のブリヂストンタイヤに育て上げた
天才的経営者
戦後間もない1952年ブリヂストン美術館を自費でオープン
石橋正二郎は
青木、坂本と同じ久留米高等小学校を卒業
図画の代用教員だった坂本繁二郎の授業を受けている
その後、坂本から青木繁の作品を知り
「海の幸」
「わだつみのいろこの宮」
などなどを収集したのが
ブリヂストン美術館オープンに繋がっていく
石橋正二郎の言葉
「好きな絵を選んで買うのが何よりも楽しみであるが、もとよりこのような名品は個人で秘蔵すべきでなく、美術館を設け、文化の向上に寄与することがかねての念願であった」
石橋正二郎はその後。1969年には
竹橋の東京国立近代美術館の建物代を
国に寄付している
当時の金額で12億円
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
PR
-
アーティゾンの
最寄り駅は東京駅八重洲口
あの時は
地下鉄宝町から歩いて来た宝町駅 (東京都) 駅
-
案内図
奥に明治屋のビルが見える
まわりに高層ビルが次々と建設され
明治屋が小さなビルになってしまっているのがわかる。
この辺りはフリーWiFiエリア明治屋ワイン亭 グルメ・レストラン
-
コートヤードバイマリオットホテルが出来ていた。
コートヤード・バイ・マリオット東京ステーション 宿・ホテル
-
その奥には
三井ガーデンホテル三井ガーデンホテル京橋 宿・ホテル
-
アーティゾン美術館の予約は1時
ランチ500円の移動販売荷車が出ていたiPhoneの撮影記録によると11:57 -
アーティゾン美術館の施工は戸田建設
隣には
戸田建設の新社屋ビルが建設中
これが出来上がる2024年3月には
アートを中心にした
新しい空間が出来上がる構想 -
となりのアーティゾン美術館
奥に今回の特別展
生誕140年ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎
のパネルが見える
入場は送られてきたメールでQRコードをスマホに表示して読み取りし入場する
QRコードは
別名
2次元バーコード
スマホの普及に合わせて
急速に利用拡大、普及している
あまり知られていないが
QRコードは
日本のデンソーが発明した技術
特許を無料にしたのが普及につながった
利点のひとつに
30パーセントが失われても復元して読み取れる機能があるアーティゾン美術館 美術館・博物館
-
スマホ対応オーディオガイドの説明パネル
特別展に新しく展示される作品の
レアでディープな解説
が楽しめのではという甘い期待は裏切られ、、、
アーティゾン美術館のデータに既に収録されている代表作品を聞くことが出来る仕組み -
オーディオは
アーティゾン美術館内に飛んでるWi-Fiで通信する仕組みになっている
美術館内のWi-Fiを
チェックしてみた
合格点のスピード
都内のフリーWi-Fi接続には
変なメールが来るが
アーティゾンはセキュリティも合格 -
特別展
生誕140年ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎
入り口のパネル
2022年7月30日ー10月16日
主催 公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館
パネルには
青木繁の「わだつみのいろこの宮」
坂本繁二郎の「放牧三馬」
が使われている -
最初の展示は2人が学んだ
久留米の森三美洋画塾時代
関連作品が並ぶ
奥に見えるのは
初めは日本画を描いていた頃の
坂本繁二郎15歳の時の水墨画
「立石谷」
143.5x82.8cm 1897年頃
絹本墨画
久留米市美術館蔵
あと
森三美先生と生徒の坂本繁二郎が
同じ西洋画を模写した同サイズの絵
「河岸放牛図」というのが並んでいた
生徒の方が先生より数段上手だった
画塾で坂本は神童と呼ばれていた -
「車中風景」
青木繁
1902年(上京し東京芸大に入学した頃)の小さな水彩スケッチ
14.4x19cmx2枚(左右見開き)
紙に鉛筆に水彩彩色
スケッチブックに
ベンチ型車両に並ぶ乗客を描いたもの
アーティゾン美術館蔵
青木繁は1899年16歳で上京
文京区本郷にあった
不同舎で学び
1900年に東京美術学校(現東京芸大)に入学
1893年フランスから帰国した黒田清輝(1866年鹿児島~1924年没東京)から指導を受けている。 -
青木繁
妙義山でのスケッチ旅行
えんぴつスケッチに
淡く透明水彩で色づけされている
「妙義山金洞第一石門」
1902年
19x14.5cm 2枚
久留米市美術館
群馬県の妙義山は一般道を行けば危険はないが金洞山ルートは難所続きになる
醍醐味は石門巡り
1902年秋から1903正月
久留米から上京した坂本繁二郎たちと
群馬県の妙義山~長野県小諸を旅し
多くのスケッチを残している -
青木繁の巻紙の手紙
1902年12月14日付
「坂本繁二郎宛書簡」
個人蔵
小諸の鶴屋旅館から中ノ岳社務所にいる
坂本に宛てたもの
残してきた荷物の保管と
東京の下宿の引き払いを託したいという内容
20歳の青木繁の流れるような筆文字
久留米藩の下級武士だったという青木家の厳格な文化レベルの高さを思わせる
父は繁のアートに対し無理解だった
宛名が君になっているが気になった
普通なら様か兄を使うべきだと思う -
青木繁の描いた「お面」のスケッチ
「行道面」1900~1903
紙に鉛筆に水彩
29.2x19cm
アーティゾン美術館蔵
行道面
寺院の儀礼でつかわれる仮面
練り歩きに使われるので
行道の名前がある
菩薩、八部衆、十二天など -
青木繁
お面のスケッチ
「能楽面」1990~1903
紙に鉛筆に水彩
29.2x18.9cm
アーティゾン美術館蔵
能で使用される面 -
青木繁
お面のスケッチ
「舞楽面」1900~1903
28.6x19cm
紙に鉛筆に水彩
アーティゾン美術館蔵
どれも
解説と色指定が書き込まれている
描画、鉛筆文字共に力強い -
青木繁
「闍威弥尼(じゃいみに)」
1903年
板に油彩14.7x10.3cm
アーティゾン美術館蔵
闍威弥尼は紀元前2世紀~4世紀にかけて活躍した
インドの哲学者
青木繁の古代への強い関心と博識が偲ばれる
東京芸大で黒田清輝(1866鹿児島~1924)の指導を受けていた頃の作品
芸大に近い上野の図書館
(たぶん今の国立国会図書館子ども図書館だと思う)に通い
ヨーロッパ
日本
の神話の世界関連の書籍を読み漁っている
(国立国会図書館子ども図書館の
手前に黒田記念館がある
代表作の「湖畔」1897年作重要文化財がある)
青木繁の言葉が残されている
「人生とは何ぞや
我は男子として如何に我を発揮すべきや
学者、政治、軍人、、、。哲学、宗教、文学、、、
われは丹青の技によって、歴山帝(アレクサンダー大王)若しくはそれ以上の高傑な偉大な真実な、そして情操を偽らざる天真流露、玉の如き男子となり得るのだ」
この「大志」が
迫力のある絵が描けた背景にあると思う
チーム青木繁と呼ぶような人気も得た
人生に不器用、人間関係に無関心な彼をサポート出来る人がいなかったのを残念に思う -
青木繁
「輪転」1903年
キャンバスに油彩
26.8x37.8cm
アーティゾン美術館蔵
古事記の記述をテーマに描かれた作品
青木繁が在学した上野の東京芸大西洋画科教授の黒田清輝は
絵画は単なるスケッチではなく
構想を備えたコンポジション(構成画)でなければならないとした
画風では黒田を真似る事はなかったが構想画の概念は吸収した -
青木繁
海景(布良の海)1904年
キャンバスに油彩
36.5x73cm
アーティゾン美術館蔵
1904年芸大を卒業した青木繁は
坂本繁二郎、不同舎の後輩の福田たね(1885~1968)たち
チーム青木で合宿
千葉県房総半島の最南部の布良(めら)で制作を行なっている
アーティゾン美術館の収蔵作品に
クロードモネ
「雨のベリエール」1886年
キャンバスに油彩
がある
1904年に「布良の海」を描いた青木繁は
「雨のベリエール」を見たのだろうか? -
クロードモネ(1840~1926)
「雨のベリエール」
キャンバスに油彩
アーティゾン美術館蔵 -
青木繁
「海」1904年
板に油彩
10.3x14.7cm
アーティゾン美術館蔵 -
青木繁
「男の肖像」1904年
紙に鉛筆13.3x11cm
アーティゾン美術館蔵 -
青木繁
「顔」1903~1904年
紙に色鉛筆に水彩
14.8x16.1cm
アーティゾン美術館
自画像だろうか?
色鉛筆の色の組み合わせで
奥深い空間を作っている -
青木繁
「水浴」1904年
紙に水彩 19x34.2cm
アーティゾン美術館蔵
古事記の世界を描いている
不透明水彩を厚塗りで油彩のような表現をしている
曼珠沙華のような青木繁独特の赤が効果を出している -
これは坂本繁二郎
「房州風景」1904年
紙に水彩18.3x28.6cm
個人蔵
右上には獲れた収穫を取り囲み作業している
漁民たち7人の集団が描かれ
左下には潮汲みを担ぐ人物と布良の海景が描かれている
青木繁の「海の幸」は
布良への旅の2ヵ月の間に描かれている
滞在中
坂本繁二郎は布良海岸で目にした大漁の様子を
青木繁に話します
それにインスパイアされた青木繁は
自分の研究テーマ
古事記の「海幸彦、山幸彦」に昇華させ
「海の幸」を1週間で描き上げます
布良は多くの神話が伝えられているエリア
古事記や万葉集に没入して来た青木繁にとって布良は特別に選ばれた場所だった -
青木繁
「わだつみのいろこの宮」1907年
キャンバスに油彩 180x68.3cm
アーティゾン美術館蔵
重要文化財
大評判となった「海の幸」1903年の後
青木繁は布良の海で得たものを
構想4年
古事記の海幸彦山幸彦の物語に結実させた
3枚の下絵で
構成の工夫のプロセスを知ることが出来た -
青木繁
「わだつみのいろこの宮」1907年
見つめる人
夏目漱石は小説「それから」の中で
日々の生活、人生に悩む主人公代助を通じて
感想を語らせている
引用しておきます
「代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持に出来ていると思った。つまり自分もああいう沈んだ落ち付いた情調に居りたかったからである」
青木繁没後の1912年に上野で開催された遺作展にも夏目漱石は足を運んでいます
「この人は天才だ。惜しい人を亡くした」 -
青木繁
「わだつみのいろこの宮」1907年
アーティゾン美術館蔵 重要文化財
兄の海幸彦から借りた釣り針をなくした
山幸彦は海底に行きます
この瞬間を画像にした
画面左が豊玉姫(福田たねがモデル)
山幸彦と豊玉姫の間に生まれた子孫が
天皇家となってゆく
潜水して見上げる水面の美しさを
布良の海で体験したのだろうか?
豊玉姫神社と山幸彦を祀る加茂神社はツインで「夫婦の神社」 -
青木繁
「わだつみのいろこの宮」1907年
同じ作品を見ても
思うこと
感じることは
人それぞれ
作品と鑑賞者の共鳴 -
青木繁
「男の顔」1904年
キャンバスに油彩 81x61cm
大原美術館 -
青木繁
坂本繁二郎宛書簡
1909年4月6日付(亡くなる2年前)
個人蔵
今度の宛名は様になっている -
久留米から東京の坂本繁二郎宛
自らの不運を嘆き
上京して絵の勉強に専心したい
と書いている -
青木繁
「月下滞船図」1908年
キャンバスに油彩 42.5x60cm
アーティゾン美術館蔵
往時の神話的な構想は影を潜めた
そのほかに
九州放浪中の作品には
陸軍大尉を描いた肖像画があった -
坂本繁二郎
「市川高麗蔵の姉輪平次」1911年
(草画舞台姿原図より)
紙に鉛筆と水彩
アーティゾン美術館蔵 -
坂本繁二郎
「青木繁加筆文字図案」1948年
紙に墨
アーティゾン美術館蔵
久留米市の兜山(通称けしけし山)
山頂に立つ青木繁之碑は
青木の遺言にある願いに答え
坂本繁二郎が中心に建立した
碑文(青木の望郷歌)は坂本自身が揮毫した。
わがくには
つくしのくにや
しらひわけ
ははいますくに
はじおおきくに
(しらひわけは古事記に出てくる神のこと
イザナギとイザナミによる国生みで
四番目に生まれた大八嶋国(おおやしまのくに)の一柱ツクシノシマにあったとされる四つの顔の一つで、筑紫国にあたる) -
青木繁
「女の顔」1904年
羽子板に油彩 33x9.5cm
アーティゾン美術館蔵
羽子板に描くのは
面白い試みだと思う
熟成したら展開があったと思った -
青木繁
「木立(森の暮色」1904年
板に油彩 33x23cm
アーティゾン美術館蔵 -
関連する品々のショーケース
1913年刊行の「青木繁画集」政教社
遺作展の1年後坂本繁二郎、正宗徳三郎、蒲原有朋によって出版された画集
1939年刊行「青木繁遺作展覧会図録」青樹社
この展覧会に展示された
梅野満雄保管の青木繁遺作は
石橋正二郎をはじめ複数のコレクターに渡った -
坂本繁二郎
青木繁之碑建設の辞 1948年
久留米市美術館蔵
除幕式で
坂本繁二郎が読み上げた自筆原稿
建設の苦労
地元の人々への感謝
が綴られている -
坂本繁二郎の
青木繁に対する尊敬の気持ちが
こもったスピーチ原稿
読み上げる為の原稿ということもあるが
謹厳実直で素直な
坂本繁二郎の筆文字に
思うものがあった。 -
青木繁
「海の幸」1904年
キャンバスに油彩 70.2x182cm
アーティゾン美術館蔵
坂本繁二郎が布良の海岸で
目撃した大漁に沸く漁師たちの光景
その話しに青木繁は触発され
古事記の世界を想起して
描き上げた作品
こちらを見ている白い顔の人物は
福田たね
文京区にあった画塾
不同舎の後輩
青木繁の一目惚れだった
たねと繁の間に生まれた子ども幸彦が
後の福田蘭童
その子どもがクレイジーキャッツの
石橋エータロー -
青木繁と坂本繁二郎の略年譜
幸彦を抱く和服姿の青木繁の写真もあった -
青木繁
「大穴牟知命」 1905年
キャンバスに油彩 75.5x127cm
アーティゾン美術館蔵
古事記のストーリーが主題
大穴牟知命(おおなむちのみこと)とは
大国主命(おおくにぬしのみこと)のこと
右の女性も福田たね -
2人の自画像
左は坂本繁二郎
「自画鏡像」 1929年
紙に油彩 45.5x37.5cm
右が青木繁
「自画像」 1903年
キャンバスに油彩 80.5x60.5cm
いずれもアーティゾン美術館 -
別々に撮影した
坂本繁二郎
「自画鏡像」 1929年
紙に油彩 45.5x37.5cm
鏡と付けたところに
坂本繁二郎らしいこだわりがある
と解説にはあった
英文ではどちらも同じSelf-Portrait -
青木繁
「自画像」 1903年
キャンバスに油彩 80.5x60.5cm
坂本繁二郎は
この自画像を
「海の幸」よりも青木繁の代表作だとしていた
並んで展示されている
2人の自画像
自分の見つめ方の違い
画風の違い
人生の違い -
6階から5階へ移動
坂本繁二郎の1912年以降の作品が並ぶ -
坂本繁二郎
「自像」1923~1930年
キャンバスに油彩 52.5x45cm
アーティゾン美術館蔵
垢抜けたデフォルメしている
坂本繁二郎は
1921年から3年間フランスで学んでいる
フランスで得たもの
パリの香りがある
帰国後は郷里に戻り
東京には戻らず
久留米で制作を続けた -
坂本繁二郎
「母の像」 1927年
キャンバスに油彩 52.9x45.8cm
個人蔵
モノクロに近い表現 -
坂本繁二郎
「放水路の雲」1924年
キャンバスに油彩 31.6x41.5cm
久留米市美術館蔵 -
坂本繁二郎
「放牧三馬」 1932年
キャンバスに油彩 79.6x99cm
アーティゾン美術館蔵
坂本繁二郎の代表作
子供の頃から馬好きだった坂本繁二郎
落ち着いた心象の画面構成
フランスから帰国後久留米から
1931年には八女にアトリエを移し
制作の拠点とした -
坂本繁二郎
「水より上がる馬」1935年
紙に水彩 15.8x21.4cm
アーティゾン美術館蔵 -
次のブースにはまた2人の作品が並ぶ
青木繁
「天平時代」1904年
キャンバスに油彩 45.3x75.4cm
アーティゾン美術館蔵 -
青木繁
「光明皇后」1906年
キャンバスに油彩 37.6x71cm
アーティゾン美術館蔵 -
奥に青木繁の
「漁夫晩帰」1908年
キャンバスに油彩 118x182cm
この頃
久留米を離れ天草や佐賀を放浪
飲酒と不規則な生活
持病の肺結核は悪化していく -
青木繁絶筆
「朝日」1910年(亡くなる前年)
キャンバスに油彩 72.5x115cm
佐賀県立小城高等学校同窓会黄城会蔵
1910年11月の姉と妹に宛てた手紙が
残された遺書とされている
面々と病苦を語り
自己の不幸を綴っている
4000g喀血がある
痩身貧血死の近くあるのを実感している
火葬料は枕の下にある
遺灰は高良山の松の木の根に埋めてほしい
思い出多き筑紫平野を眺めて
怨恨と憤懣と呪詛を捨て
静かに永遠の平安なる眠りにつきたい
見舞いには来ないでほしい -
アーティゾン美術館には
インフォルームという空間がある
パソコンも置かれデータベースを参照出来る
壁には
ブリヂストン美術館時代からの
特別展のポスターが一面に
貼られていた
赤いベースカラーに「わだつみのいろこの宮」を使ったポスターが目に入った
50年前の特別展
天才画家の全貌
青木繁展
生誕90年記念
ブリヂストン美術館開館20周年記念
1972年4月22日~6月4日
主催
ブリジストン美術館/石橋美術館/日本経済新聞社
入場料
大人300円 高大生200円 中小生100円 -
ミュージアムタワー京橋ビル
全景
アーティゾン美術館は
右のガラス張りの部分の6階までの部分アーティゾン美術館 美術館・博物館
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