2025/10/17 - 2025/10/17
330位(同エリア1889件中)
杏仁豆腐さん
伝馬町牢屋敷は、2,600坪を超える幕府最大規模の牢屋でした。
常盤橋門外に置かれたのが最初で、慶長年間(1596~1615)この地に移され江戸町奉行の支配となりました。
明治8年(1875)市ヶ谷囚獄ができて廃止され、牢屋敷跡は十思公園・十思スクエア(旧十思小学校)・大安楽寺・身延別院などになっています。
蔦屋重三郎の足跡も辿りながら、小伝馬町界隈を巡りました。
この日の一番の目的は、伊勢銃重ですき焼きをいただくこと。
個室で、炭火で焼く、すき焼きは老舗ならではの味わいでした。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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小伝馬町駅から歩いて、椙森神社に来ました。
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藤原秀郷が平将門の乱鎮定のため戦勝祈願し、戦後白銀の狐像を奉納したとされています。
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江戸時代には江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ、庶民だけでなく松平信綱や松平頼隆といった諸大名からも崇敬を集めるようになりました。
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翌日は、べったら市です。
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お参りを済ませ、椙森神社を後にします。
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田源に来ました。
織物中央通りにある呉服問屋『イチマス田源』です。 -
イチマス田源 呉服問屋ミュージアム
店内のまちかど展示館スペースにて、「耕書堂」を再現・無料公開しています。 -
「耕書堂」があった場所は、イチマス田源のすぐそばです。
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当時の浮世絵をたよりに、見よう見まねで再現したそうです。
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イチマス田源は文政元年(1818年)に近江愛知川(滋賀県愛知郡)で創業しました。
田源が江戸方面に進出したのは嘉永年間(1848~1854年)です。 -
「蚊帳仲間連盟帳」
幕末に入り、行商の旅が安全に行えるようと作ったのが「蚊帳仲間連名組」だそうです。 -
江戸時代を中心に田源の歴史を物語る数々の書類などが展示されています。
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大正時代の算盤は、平成10年ぐらいまで使用されていたそうです。
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明治12年(1879)のもの
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江戸時代に建てられた旧京都店の蔵の鬼瓦
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小さな博物館です
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和綴じの本も展示されていて、手に取り見ることができます。
「金々先生栄花夢」があります。 -
首都圏ネットワークの「しゅと犬くん」も来ました。
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蔦屋重三郎「耕書堂」跡
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この周辺は日本橋通油町と呼ばれていました。「油町」はもともと灯油を商う店が多かったことからついた名です。
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BONMAX本社ビルでは、蔦重通油町ギャラリーを開催中
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大安楽寺に来ました。
大安楽寺は、高野山真言宗のお寺です。
建立に際して、大倉財閥創業者の大倉喜八郎と安田財閥の創業者安田善次郎が資金を出したことから、二人の名前をとって大安楽寺と名づけたと言われています。 -
延命地蔵菩薩像です。
このお地蔵様が立っている場所で、死刑の人たちが処刑されたそうです。
延命地蔵菩薩像は、ここでなくなった人たちを供養するために建立されました。 -
江戸八臂弁財天
江島弁財天と一緒に造られた弁財天三体の内の一つとされています。 -
この弁財天は、北条政子の発願で作られたそうです。
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お百度石
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「江戸伝馬町牢御椓場跡」の石柱
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身延別院
明治16年(1883年)に、伝馬町牢屋敷跡に獄死者・刑死者の供養のために創建されました。日蓮宗の寺院で、身延山久遠寺の東京別院です。 -
江戸伝馬町処刑場跡の石碑
現在の大安楽寺、身延別院、村雲別院、十思スクエア(旧十思小学校)、十思公園を含む一帯が牢屋敷跡となります。 -
光明稲荷大明神
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浄行菩薩
水のように清める力を持っていて、煩悩の汚れを洗い流してくれる「水徳」を持っているそうです。 -
油かけ大黒天神
昔、京都の伏見にて油を売る商人が間違って道端のお地蔵様に油をかけてしまいました。すると、その商人は商売が大繁盛したとか。
京都から、全国に広がった「油かけ大黒天」。東京で唯一まつられているのが、身延別院です。 -
十思スクエア別館です。
2階には、銭湯「十思湯」があります。 -
小伝馬町牢屋敷展示館となっています。
牢屋敷の内部の模型が展示されています。
牢屋奉行と同心のミニチュア人形。 -
「伝馬町牢屋敷」は現在の中央区日本橋小伝馬町3~5番を占めていました。面積は2,618坪(8,637平方メートル)。
表門には、牢屋下男(門番)、唐丸籠のミニチュア人形。 -
西二間牢の囚人
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牢屋敷の獄舎は身分によって区分けされていました。大牢と二間牢は庶民、揚屋(あがりや)はお目見以下の幕臣、大名の陪臣、僧侶、医師。牢屋敷は現在でいえば未決囚の収容所で一時的に留置しておくためのものでした。
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周囲に土手を築いて堀を巡らし、土塀に囲まれていました。
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下男二人が囚人を拷問しています。
石抱きです。 -
模型で当時の伝馬町牢屋敷の様子がわかります。
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伝馬町牢屋敷平面図
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ミニチュア人形を探してみよう!
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隣の十思スクエアです。
中央区の公共複合施設(地元還元施設)です。 -
十思スクエア本館2階校友会室に『十思スクエア蔦重ギャラリー』を開設中です。
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1928年(昭和3年)に竣工した旧中央区立十思小学校の校舎を再利用しています。
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関東大震災の後に建設された復興小学校のです。
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東京都選定歴史的建造物に2004年度に指定されています。
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とてもおしゃれな建物です。
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旧十思小学校の校名は、中国の歴史書『資治通鑑』に収録されている唐の政治家、魏徴の言葉「十思之疏(じっしのそ、(天子がわきまえるべき十か条の戒め)」の「十思」と、小学校の開校時の所在区画の「十四」が同音好字であることにちなんでつけられたそうです。
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地元の町会が中心となり、有志を募って立ち上げた “蔦重日本橋プロジェクト” の一環として行われています。
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ギャラリーとなっている校友会室はもともと音楽室だったそうです。
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当時三美人
1973年(寛政5年)
喜多川歌麿
右から、難波屋おきた、富本豊ひな、高島屋おひさ -
三代目大谷鬼次の江戸兵衛
1794年(寛政6年)
東洲斎写楽 -
市川男女蔵の奴一平
1794年(寛政6年)
東洲斎写楽 -
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二世瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木
1794年(寛政6年)
東洲斎写楽 -
婦女人相十品
ビードロを吹く娘
1792-93年(寛政4-5年)
喜多川歌麿 -
黄表紙(復刻版)も展示してあります。手に取って見ることができます。
金々先生栄花夢
1775年(安永4年)
恋川春町 -
江戸生艶気樺焼
1785年(天明5年)
山東京伝 -
大安楽寺の前が、十思(じっし)公園です。
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ここもかつての牢屋敷の敷地の一部でした。
公園の中に、石町時の鐘(こくちょうときのかね)があります。 -
江戸時代には鐘をついて人々に時刻を報せていました。
この鐘は、石町(現在の日本橋室町4丁目付近)にあったもので、近くに長崎屋があったため、「石町の鐘はオランダまで聞こえ」の川柳があります。宝永8年(1711年)に鋳直したもので、(徳川家宣時代)高さ1.7メートル、口径93センチの和鐘です。 -
上水井戸と上水木樋(じょうすいもくひ)
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地下に眠る牢屋敷の設備を足元のガラス越しに見ることが出来ます。
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伝馬町牢屋敷跡遺跡として東京都の文化財(旧跡)に指定され、十思スクエアには石垣の一部が移築復元されています。
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発掘された石垣が出土したそのままの状態で移築復元されています。牢屋敷は高さ2.4mもの高い塀で囲まれていたといいます。
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吉田松陰縁の石碑
吉田松陰は、小伝馬牢屋敷に2度収容されました。
1度目は安政元年(1854)、再航した下田沖の停泊中のぺりー艦隊に乗船、密航の企てが失敗して収監され、長州の野山獄送りになっています。
2度目の安政の大獄での収容で、小伝馬町牢屋敷が最期の地となりました。 -
杵屋勝三郎歴代記念碑
江戸長唄三味線の家名「杵屋」 -
友人と落ちあって、伊勢重ですき焼きをいただきます。
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明治2年に日本橋の小伝馬町ですき焼き屋を始めた伊勢重。
よく吟味されたA5等級の黒毛和牛、和牛の美味しさをさらに引き出す伝統の手切り技です。 -
すき焼きBセットをいただきます。
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リブロースやウチモモ・シンタマなどの部位が中心。ロースと赤身の割合が半々で非常にバランスの取れたすき焼き。
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長葱、焼き豆腐、白滝、春菊
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炭火でいただくすき焼き。
仲居さんが、てきぱきと作ってくれます。 -
まずは、肉が焼かれます。これぞ、すき焼きの醍醐味。割下の香りも食欲をそそります。秘伝の割下です。
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よく溶いた卵を絡めていただきます。旨い!!!
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野菜も投入され、すき焼きを楽しみます。
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野菜も美味しいです。
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伝統の炭火と火鉢
炭火の香りや風情もごちそうです。 -
最後は、うどんにしてもらいました。
味の沁みたうどんもいいものです。
赤だしも付きます。 -
部屋には、牛をデザインした皿が飾ってありました。
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お土産に牛佃煮を購入。
原材料は国産牛・醤油・生姜のみで、旨味ある辛口の仕上がりです。常温で3ヶ月間日持ちします。添加物や保存料は使っていません。 -
白滝も購入。
細くて腰があり、美味しい白滝です。
創業大正元年の大原の白滝です。
大原は台東区にあります。 -
小伝馬町駅近くの華月
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炭火焙煎珈琲が美味しい喫茶店です。
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100種類以上のティーカップが並んでいます。
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珈琲とレアチーズをいただきました。
しっとりと滑らかな口溶けのレアチーズケーキ。 -
梅花亭に寄りました。
本店は、霊岸島(新川)にあります。
徳川家康について御用御金(札差し)として江戸に入府し、菓子匠梅花亭としては嘉永3年(1850)大伝馬町で創業しました。 -
どら焼きを購入しました。
明治時代に始めた一枚皮の「どら焼」です。 -
1951年(昭和26年)に作られた、佛蘭西饅頭をおまけでいただきました。
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どら焼きについて
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