2022/08/07 - 2022/08/07
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あおしさん
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舞鶴市は主に西舞鶴と東舞鶴に分かれます(JRの駅も西舞鶴駅と東舞鶴駅はありますが、舞鶴駅はありません)
西舞鶴は細川幽斎の居城・田辺城があった元城下町。
東舞鶴は明治海軍の基地となった元軍港の町で、現在も自衛隊海軍基地です。
今回はバスと徒歩で舞鶴の町をまわりました。
https://www.youtube.com/watch?v=-FJGI7ULUOw
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
綾部のホテルで1泊して、翌朝JR舞鶴線で舞鶴へ向かいます。
舞鶴線は綾部駅から西舞鶴駅まで約20分。
新しい電車でした。ビジネスホテル コスモ 宿・ホテル
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まず西舞鶴駅で降ります。
なかなか立派な駅です。
ここにある観光案内所で舞鶴市内の路線バス乗り放題のフリーきっぷ、「かまぼこ手形」1000円を購入。
かまぼこ板ような「きっぷ」です。舞鶴市役所 まいづる観光ステーション 名所・史跡
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まずは西舞鶴駅から歩いて5分ほどのところにある田辺城跡へ。
大手門が復元されています。田辺城跡 公園・植物園
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田辺城は戦国武将・細川幽斎の居城だった城です。
細川幽斎は足利幕府の有力大名だった細川家の分家の生まれ。
足利幕府が没落すると細川一族も没落し、彼も神社から油を盗んで夜読書したとか、生活のために奥さんの髪を売っていたなど極貧に落ちていました。
しかし、その後明智光秀と出会い、その縁で織田信長に仕え、実績を上げて、田辺藩10万石の大名として復活しました。 -
再建された大手門は現在田辺城資料館になっています。
細川幽斎の木造、歴代藩主の説明、田辺城や城下町のジオラマなどがありました。
細川幽斎の田辺城は関ケ原の合戦のときに石田方の数万の大軍に攻め込まれますが、わずか500程度の兵でこれに耐え抜き、その後関ケ原の合戦のとき奮戦した息子の忠興はその功績で小倉藩、さらには熊本藩54万石の大大名になります。
元総理大臣の細川護熙さんは細川幽斎の子孫です。田辺城資料館 美術館・博物館
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田辺城跡は大手門の他、櫓の1つが復元再現されています。
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大手門は平成になって再建されましたが、こちらの櫓は昭和時代前期に復元されました。
内部には細川幽斎の肖像画などが展示されていました。 -
田辺城跡は今は公園として整備さっれていますが、一部幽斎のつくった庭園も復元さえれています。
幽斎は織田信長に認められるほどの武勇、軍略に優れた武将でしたが、一方で、二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させたり、このように美しい庭園をつくるなど文化人としても一流の人でした。舞鶴公園 公園・植物園
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田辺城跡は本丸のあったところは公園として整備されていますが、それ以外の二の丸や三の丸には警察署などがあります。
城内の藩の学校だった明倫館は現在門と塀だけが残り、小学校に使われています。
小学校の名前も明倫小学校です。明倫館正門 名所・史跡
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「かまぼこ手形」で西舞鶴から東舞鶴の駅へ。
さらに東舞鶴駅から舞鶴引揚記念館行のバスの乗り換えます。
引揚記念館方面へのバスは1日4本、観光に使えるのは2本だけ。
小さなバスです。路線バス 舞鶴福知山地区 (京都交通) 乗り物
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東舞鶴駅から約20分で舞鶴引揚記念館へ。
バス代は片道400円、入館料400円ですが、「かまぼこ手形」では無料。
これで1000円の元が取れました。舞鶴引揚記念館 美術館・博物館
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この資料館は太平洋戦争終了後、多くの日本兵がシベリアに抑留されたシベリア抑留についての展示がされています。
これは「ラーゲリ」、ロシア語で収容所の模型です。
極寒の地で、少ない食料を兵士たちが分け合っているところです。 -
シベリア抑留での食料。
朝はおにぎり1つとほとんど具のないスープ、昼は黒いパンを一切れ、夜はやはりおにぎりと具のないスープと粗末な食料だったようです。 -
シベリアの収容所の模型。
極寒の地に建てられていました。 -
収容所の中。
ストーブはあっても極寒の地で寒く、粗末な食事による栄養失調で多くの方がシベリアで亡くなったそうです。
シベリア抑留された日本人は約60万人、そのうち6万人の方がシベリアで亡くなったとされています。 -
昭和22年から10年かけてシベリアで抑留されていた日本人がここ舞鶴港へ復員してきました。
当時の舞鶴港のジオラマ。
港には復員した人のための宿舎もありました。 -
資料館は公園になっていて、登っていくと、かつて復員船が入港した舞鶴港がよく見えます。
復員した人の宿舎は今は工場になっていました。
また眼下には復員船の桟橋も復元されています。引揚記念公園 名所・史跡
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舞鶴湾の方を見ると、「舞鶴クレインブリッジ」が見えました。
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引揚記念館からバスで市内に戻ります。
現在の港沿いにある公園へ。
かつてここでは復員した兵士とその家族が再会を喜んだ場所であり、また復員を待つ「岸壁の母・妻」が集まっていた場所です。 -
港沿いを歩いていくと、やがて軍港に到着します。
東舞鶴は明治海軍の軍港だったところです。
現在も自衛隊の海軍の軍艦などが停泊していました。舞鶴市立赤れんが博物館 美術館・博物館
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当時の弾薬庫だった赤レンガの倉庫。
現在では舞鶴市の博物館やイベント会場、ショップなどに使われています。赤れんが倉庫群 名所・史跡
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博物館などに使われている赤れんが倉庫はリニューアルされて、とても美しい建物です。
舞鶴市政記念館 美術館・博物館
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赤れんが倉庫から港方面を見ると自衛隊の軍艦が見えています。
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舞鶴港では観光クルーズ船が運行されています。
約30分のクルーズ。
コロナだってのに、大入り満員でぎっしり。
詰め込みすぎでしょ。海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 (北吸赤れんが桟橋) 乗り物
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巨大な自衛隊の軍艦のそばをまわる遊覧船。
元海上自衛隊の人がガイドをやっていました。 -
舞鶴海上自衛隊の宿舎が見えます。
ガイドさんもかつてはここで生活、訓練していたそうです。 -
舞鶴港は湾で囲まれていました。
湾への入り口が狭いことから、防衛には有利ということで海軍の基地になったようです。
初代の舞鶴鎮守府長官は、この後連合艦隊長官になり日露戦争で英雄となった東郷平八郎でした。 -
現在も補修の工場もあるようで、修理中の軍艦もありました。
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クルーズ船のあとは再度赤れんが倉庫巡り。
こちらの倉庫は現在は使われておらず、リニューアルもされていません。 -
もっとも長い年月の風雪に耐えた建物はそれはそれで風情を感じました。
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今日は自衛隊基地が一般開放されていました。
軍艦のそばまで行くことができました。
この軍艦は護衛艦「あさぎり」海上自衛隊 舞鶴地方隊 名所・史跡
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こちらは巨大な空母「ひゅうが」。
もっとも専守防衛の我が国では空母は持っていないことになっているので、あくまでこの船も護衛艦です。 -
こちらは補給艦「ましゅう」。
インド洋やオーストラリアまで派遣されている歴戦の補給艦です。 -
東舞鶴観光を終えて、東舞鶴駅へ。
ここから京都へ向かいます。
今度の舞鶴線の電車は旧国鉄時代の電車でした。
懐かしい電車です。東舞鶴駅 駅
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京都に行く前に途中舞鶴線の梅迫駅で途中下車しました。
梅迫駅 駅
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梅迫駅から約1キロのところにある安国寺に寄ります。
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ここは室町幕府初代将軍・足利尊氏の生誕地。
このあたりは公家出身だった幕府の御家人・上杉氏の領地だったところ。
のちに上杉清子は足利貞氏の側室となり、この地で尊氏を生みました。
上杉氏は室町幕府では尊氏の母の実家ということで、尊氏に重用され、のちに東日本を統治した室町幕府の「鎌倉支店」・鎌倉府の関東管領を世襲し栄えました。足利尊氏産湯の井戸 名所・史跡
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安国寺の社殿。
「どっかで見たような?」と思って調べたら、私が子供のころに人気だったアニメ「一休さん」の安国寺のモデルになったそうです。 -
梅迫駅に戻り、舞鶴線で綾部駅に出てここからは特急「きのさき」で京都へ。
コロナ禍ではありましたが、天気のいい日曜日でもあり、さすがにほぼ満席でした。特急 きのさき 乗り物
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