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2021年9月6日(月)2時半過ぎ、飾磨津浦手六町の宮町から浜国道を渡って飾磨津の北側を歩く。2019年12月14日にNHK総合で放送されたブラタモリ#151で放送された「姫路城~姫路城で江戸城のロケをするのはあり!?~」の後半でタモリさんが歩いたところ。単純な私はこれを見てここに来ている。逆に云えば、このブラタモリを見なかったら、全く知らなかったので、来てないな。<br /><br />浜国道の宮堀橋と御幸大橋の間、歩道橋があるところで浜街道が浜国道を横切り、街道は国道の少し北から東に続いているが、ここがブラタモリの飾磨津ぶらりのスタートとなったところ。タモリさんらと同じように街道を東に進むとすぐに御幸(ごこう)橋で宮堀川を渡る。985年の花山上皇の1回目の書写山行幸の折にここを通ったことから、橋の東側は御幸町となり、橋は御幸橋となった。<br /><br />御幸町に入ると右手に長谷工発祥之地記念碑公園。マンション建築では業界トップの長谷工コーポレーション所縁の地。1977年に創立40周年を記念して建てられた発祥之地の碑の裏側には1937年に創業者の長谷川武彦氏がここで長谷川工務店を創業したとあるが、ホームページでは創業は尼崎で、戦後の1946年に姫路で株式会社を設立とある。その後、本店は大阪市に、さらに東京に移転している。創業者がこの地の出身とのこと。<br /><br />記念碑公園の先、屋台蔵のある御幸公民館に突き当たったら左折し(下の写真1)、さらに北で知宝寺に突き当たる(下の写真2)。ブラタモリではここは右折して東に進んだが、私は左折して恵美酒宮(えびすのみや)天満神社へ。<br /><br />恵美酒宮天満神社の創立は不詳だが、飾磨津が発祥した頃は魚場の神である戎の神(事代主命)を祀ったので恵美酒宮となった。左遷された菅原道真公がこの港に立ち寄った際に人々が道真公を慕い、後に菅原道真公を祀る天満神社になったと云われている。現在は事代主命と菅原道真が祀られている。<br /><br />この神社の秋祭りは台場練りとして知られている。旧暦の9月9日が収穫に感謝する重陽の節句であることから、この日を中心に祭礼が行われるようになったと云う。1952年に天満神社の認証を兵庫県より受け、現在に至っている。<br /><br />南側に大鳥居と神門。大鳥居は1990年築、神門は1982年築。神門は太鼓屋台が通るので地面から梁までが高い。神門を抜けて左手にある手水舎は1921年(大正10年)に整備されたもの。<br /><br />社殿の創建に関しては、鎌倉時代の弘安の役(1281年)で蒙古を撃退した後に西国、中国の海岸44ヶ所に天神宮を御勅請した中にこの神社も入っている。戦国時代の天正時代(1573年~91年)に秀吉の三木、別所との合戦の際に社殿は焼失。江戸初期の元和年間(1615年~24年)に再建され、1921年(大正10年)は大改築が行われた。<br /><br />現在の社殿は2003年に菅公壱千壱百年記念事業として新しく建立されたもの(下の写真3)。拝殿は木造瓦葺きで正面の扁額には「天満大自在天神」と記されている。本殿は木造銅板葺き。<br /><br />境内には摂社・末社が多い。戎社、住吉神社、神明社、稲荷神社(下の写真4)など。また、一緒に並ぶ狛犬や灯篭、力石などの石造品は江戸時代から残るものが多い(下の写真5)。<br /><br />大鳥居の正面の広場の真ん中に石壁で囲まれたところがあるが、恵美酒宮秋祭りの台場練りが行われる練り場らしい。この練り場の反対側の宮堀川は江戸時代には船溜りとなっていたそうで、対岸には姫路藩の米蔵が建てられ、飾磨津と城下を結ぶ高瀬舟が往来していた。現在はちょっとした公園になっている。明治から昭和に掛けての姫路飾磨出身の詩人で歌人の有本芳水の詩碑が建つ(1966年建立)。<br /><br />知宝寺前に戻り、ブラタモリで辿った道に戻る。知宝寺前から野田川に向かう道は浜街道の続きで、提灯屋があったりして珍しい。そのまま野田川まで進むと野田川防潮水門があり、上を渡ることも出来る。1997年に竣工したもの。<br /><br />浜街道は水門の手前の道を北に続くが、しばらく進むと普通の民家の駐車場の前に有本芳水の生誕地を示す碑がある。1993年に地元の玉地自治会が建てたもの。その先、野田川に架かる向島橋は古くからある橋。現在はコンクリート製の近代橋になっているが、1934年(昭和9年)架橋の旧橋の欄干の一部が橋の袂に残されており、錨をモチーフにした旧飾磨町章が描かれている。<br /><br />橋を渡った先は、今は面影は残ってないが、池田輝政が姫路城下から飾万津に通じる運河(三左衛門堀=外堀川)を開削した時に、その工事で掘り出した土砂を利用して当時入江だった飾万津東部の野田川河口部を埋め立てて造った人工島の向島。南北およそ400m、東西およそ200mあった。なお、運河は播磨灘と外濠とで水位差が10m以上あったため計画は放棄され、単なる流路として残った。運河はその後本多忠政が船場川と宮堀川を用いて実現させた。<br /><br />橋の向島側には屋台蔵のある玉地公民館があるが、ここから川沿いを100mほど南に進むと御船役所跡の碑がある。ブラタモリで紹介していたが、この碑の後ろに続く堀は御屋形船海軍工場跡地。現在この堀の南は十全商会姫路工場となっているが、堀はL字型で御船登せ浜に続いていたそうだ。個人では入れない。<br /><br />御船役所は御船奉行所とも呼ばれ、池田輝政によって創設された水軍基地で、御船手と呼ばれる氏族が常駐し、藩の海事業務を取り扱っていた。最大時には大小合わせて219艘の船(当時の戦艦である安宅船は7艘)を保有していたとも云う。<br /><br />向島橋に戻って東へ進むと玉地のお稲荷さんとして親しまれている稲生社がある。もともと御船役所の鎮守だったものが江戸末期の1859年にこの地に遷座された。境内入ってすぐ右手にある井戸と手水鉢は、その直後の1862年に寄進されたもの。玉垣には御船手組末裔の名前も見受けられる。<br /><br />3時10分過ぎ、山電の飾磨駅に戻り、来た道の逆を辿って自宅に戻った。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8124889594247660&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />飾磨津訪問、以上

兵庫 姫路 飾磨津北(Shikamatsu North,Himeji,Hyogo,Japan)

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2021/09/06 - 2021/09/06

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旅行記グループ 飾磨津

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年9月6日(月)2時半過ぎ、飾磨津浦手六町の宮町から浜国道を渡って飾磨津の北側を歩く。2019年12月14日にNHK総合で放送されたブラタモリ#151で放送された「姫路城~姫路城で江戸城のロケをするのはあり!?~」の後半でタモリさんが歩いたところ。単純な私はこれを見てここに来ている。逆に云えば、このブラタモリを見なかったら、全く知らなかったので、来てないな。

浜国道の宮堀橋と御幸大橋の間、歩道橋があるところで浜街道が浜国道を横切り、街道は国道の少し北から東に続いているが、ここがブラタモリの飾磨津ぶらりのスタートとなったところ。タモリさんらと同じように街道を東に進むとすぐに御幸(ごこう)橋で宮堀川を渡る。985年の花山上皇の1回目の書写山行幸の折にここを通ったことから、橋の東側は御幸町となり、橋は御幸橋となった。

御幸町に入ると右手に長谷工発祥之地記念碑公園。マンション建築では業界トップの長谷工コーポレーション所縁の地。1977年に創立40周年を記念して建てられた発祥之地の碑の裏側には1937年に創業者の長谷川武彦氏がここで長谷川工務店を創業したとあるが、ホームページでは創業は尼崎で、戦後の1946年に姫路で株式会社を設立とある。その後、本店は大阪市に、さらに東京に移転している。創業者がこの地の出身とのこと。

記念碑公園の先、屋台蔵のある御幸公民館に突き当たったら左折し(下の写真1)、さらに北で知宝寺に突き当たる(下の写真2)。ブラタモリではここは右折して東に進んだが、私は左折して恵美酒宮(えびすのみや)天満神社へ。

恵美酒宮天満神社の創立は不詳だが、飾磨津が発祥した頃は魚場の神である戎の神(事代主命)を祀ったので恵美酒宮となった。左遷された菅原道真公がこの港に立ち寄った際に人々が道真公を慕い、後に菅原道真公を祀る天満神社になったと云われている。現在は事代主命と菅原道真が祀られている。

この神社の秋祭りは台場練りとして知られている。旧暦の9月9日が収穫に感謝する重陽の節句であることから、この日を中心に祭礼が行われるようになったと云う。1952年に天満神社の認証を兵庫県より受け、現在に至っている。

南側に大鳥居と神門。大鳥居は1990年築、神門は1982年築。神門は太鼓屋台が通るので地面から梁までが高い。神門を抜けて左手にある手水舎は1921年(大正10年)に整備されたもの。

社殿の創建に関しては、鎌倉時代の弘安の役(1281年)で蒙古を撃退した後に西国、中国の海岸44ヶ所に天神宮を御勅請した中にこの神社も入っている。戦国時代の天正時代(1573年~91年)に秀吉の三木、別所との合戦の際に社殿は焼失。江戸初期の元和年間(1615年~24年)に再建され、1921年(大正10年)は大改築が行われた。

現在の社殿は2003年に菅公壱千壱百年記念事業として新しく建立されたもの(下の写真3)。拝殿は木造瓦葺きで正面の扁額には「天満大自在天神」と記されている。本殿は木造銅板葺き。

境内には摂社・末社が多い。戎社、住吉神社、神明社、稲荷神社(下の写真4)など。また、一緒に並ぶ狛犬や灯篭、力石などの石造品は江戸時代から残るものが多い(下の写真5)。

大鳥居の正面の広場の真ん中に石壁で囲まれたところがあるが、恵美酒宮秋祭りの台場練りが行われる練り場らしい。この練り場の反対側の宮堀川は江戸時代には船溜りとなっていたそうで、対岸には姫路藩の米蔵が建てられ、飾磨津と城下を結ぶ高瀬舟が往来していた。現在はちょっとした公園になっている。明治から昭和に掛けての姫路飾磨出身の詩人で歌人の有本芳水の詩碑が建つ(1966年建立)。

知宝寺前に戻り、ブラタモリで辿った道に戻る。知宝寺前から野田川に向かう道は浜街道の続きで、提灯屋があったりして珍しい。そのまま野田川まで進むと野田川防潮水門があり、上を渡ることも出来る。1997年に竣工したもの。

浜街道は水門の手前の道を北に続くが、しばらく進むと普通の民家の駐車場の前に有本芳水の生誕地を示す碑がある。1993年に地元の玉地自治会が建てたもの。その先、野田川に架かる向島橋は古くからある橋。現在はコンクリート製の近代橋になっているが、1934年(昭和9年)架橋の旧橋の欄干の一部が橋の袂に残されており、錨をモチーフにした旧飾磨町章が描かれている。

橋を渡った先は、今は面影は残ってないが、池田輝政が姫路城下から飾万津に通じる運河(三左衛門堀=外堀川)を開削した時に、その工事で掘り出した土砂を利用して当時入江だった飾万津東部の野田川河口部を埋め立てて造った人工島の向島。南北およそ400m、東西およそ200mあった。なお、運河は播磨灘と外濠とで水位差が10m以上あったため計画は放棄され、単なる流路として残った。運河はその後本多忠政が船場川と宮堀川を用いて実現させた。

橋の向島側には屋台蔵のある玉地公民館があるが、ここから川沿いを100mほど南に進むと御船役所跡の碑がある。ブラタモリで紹介していたが、この碑の後ろに続く堀は御屋形船海軍工場跡地。現在この堀の南は十全商会姫路工場となっているが、堀はL字型で御船登せ浜に続いていたそうだ。個人では入れない。

御船役所は御船奉行所とも呼ばれ、池田輝政によって創設された水軍基地で、御船手と呼ばれる氏族が常駐し、藩の海事業務を取り扱っていた。最大時には大小合わせて219艘の船(当時の戦艦である安宅船は7艘)を保有していたとも云う。

向島橋に戻って東へ進むと玉地のお稲荷さんとして親しまれている稲生社がある。もともと御船役所の鎮守だったものが江戸末期の1859年にこの地に遷座された。境内入ってすぐ右手にある井戸と手水鉢は、その直後の1862年に寄進されたもの。玉垣には御船手組末裔の名前も見受けられる。

3時10分過ぎ、山電の飾磨駅に戻り、来た道の逆を辿って自宅に戻った。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8124889594247660&type=1&l=223fe1adec


飾磨津訪問、以上

  • 写真1 御幸公民館

    写真1 御幸公民館

  • 写真2 知宝寺

    写真2 知宝寺

  • 写真3 恵美酒宮天満神社 菅公壱千壱百年 社殿新築記念碑

    写真3 恵美酒宮天満神社 菅公壱千壱百年 社殿新築記念碑

  • 写真4 恵美酒宮天満神社 稲荷神社

    写真4 恵美酒宮天満神社 稲荷神社

  • 写真5 恵美酒宮天満神社 石造品

    写真5 恵美酒宮天満神社 石造品

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