2021/09/06 - 2021/09/06
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ちふゆさん
2021年9月6日(月)、お昼過ぎの12時45分頃、イオンモール姫路リバーシティーから南に歩き始める。モールの南を東西に走る浜国道、神戸の長田と岡山市を瀬戸内海沿いに結ぶ国道250号沿いに船場川と東の野田川を結ぶ宮堀川が流れているが、この川沿いは遊歩道(緑道)となっており、赤い太鼓橋が2つ架かっている。
飾磨中央公園南西の末広橋の東が了覚寺橋で、西が中の橋(下の写真1)。了覚寺橋の名はは末広橋の南にある了覚寺から来ていると思われるが、なぜ中の橋かは不明。どのような経緯でこんな赤い太鼓橋が架けられたかも不明。なお、宮堀川は1617年に池田家に続いて入封した徳川四天王の一人本多忠勝の子忠政が姫路城から続く船場川から飾磨津(現在の姫路港)に抜けるために開墾したもの。
船場川は播但線の砥堀駅の南にある飾磨樋門で市川から分かれ、市川のやや西側を南西に流れ姫路城の西側を通り、南流して播磨灘へ注いでいる。古代には市川の本流で、現在の市川流路が支流だったとされる。現在の流れに整備したのは姫路藩初代藩主の池田輝政で、水運や流域の灌漑だけでなく、姫路城の防禦にも活用しようとしたものだった。当時は妹背川または三和川と呼ばれており、船場川としたのは、宮堀川を整備した本多忠政。
船場川から宮堀川が分流する浜国道の思案橋のすぐ下流に水門があるが、もともとはこの水門のところには石で造られた亀の甲型の堤「亀の甲」があり、船場川を堰き止めて宮堀川へ水を流していた(下の写真2)。
その水門の下流にある赤い欄干の橋も思案橋と云うが、旧国道だったらしい(下の写真3)。これらの思案橋の由来だが、この辺りは菅原道真公が延喜元年(901年)に九州大宰府に左遷される途中に立ち寄り、船の舫綱に腰を下ろし休憩した津田の細江と称されるところで、ここから陸路にするか、海路にするかを思案したのことからと云う説があるが、真偽不明。津田の細江は「風ふけば 波かたたむと さもらひに 都多のほそ江に 浦かくりをり」と云う山部赤人の歌が万葉集に収録されている。
浜国道の思案橋のすぐ東の天神橋から南に延びる道路は旧飾磨港線跡。正確には播但線の一部で、1986年に廃止されるまで姫路駅と姫路港近くの飾磨港駅までの5.6㎞を結んでいた。開通したのは1895年(明治28年)で姫路港に発着する貨物輸送を目的に建設された。
途中に天神駅(のちの飾磨駅)と亀山駅の2駅があった。一時、姫路駅の300m西に豆腐町駅が置かれ、姫路駅までは徒歩連絡としていた期間もあったが、1925年(大正14年)以降は姫路駅折り返しの支線のような扱いになっていた(ただし1日2往復)。
天神橋のすぐ南で分岐した線もあり、新日本製鐵広畑製鐵所へ続いていた。1941年(昭和16年)に開通した専用鉄道で、日鐵住金広畑製鐵所の製品の発送や岡山県新見市にある鉱山からの生石灰搬入に使用されていた。1986年の飾磨港線廃止まで使われていた。
旧道の思案橋を東に戻ると旧線跡までの間に斜めに横切る空き地が続くが、これがその専用鉄道の跡(下の写真4)。一部道路になっているが、やがてここにも家が建ちそう。
旧線跡の道路に戻り、南に進む。ずっと道路が続いているようにも見えるが、天神橋から500m足らず、浜手緑地の中で行き止まりになっている(下の写真5)。
浜手緑地は1960年代から姫路市が大気汚染や騒音などの公害対策として工場地帯と住宅地域の間に設置した緩衝緑地の総称。ここは細江東地区で、その他に広畑西地区、広畑東地区、構地区、中島地区、妻鹿地区、新開地区など姫路市南部の海岸線にそって、住宅地と工場地帯の間に東西に連なっている。
行き止まりになるので手前の道で左手に折れて東に進むとやがて左手に大きなお寺。救鱗寺と云う浄土宗西山禅林寺派の寺院と云うことくらいしか分からないが、山門も本堂もなかなか立派(下の写真6)。
その救鱗寺の南にあるのが浜の宮天満宮。元々は平安時代、10世紀の終わりにこの辺りの飾磨橋西地区10ヶ町の氏宮としてここより東の野田川沿いの宮町に鎮座されたが、江戸初期の慶長年間(1596~1615年)に池田輝政が藩の米蔵を宮町に建設するためにこの地に移された。
飾磨橋西地区10ヶ町とは、江戸時代の飾磨津浦手六町のうち須加町・宮町・大町(現在は大浜)と岡手五町のうち上町・細江町(共に現在は天神)のことで、船場川と宮堀川、野田川に囲まれた浜国道の南側一帯。ちなみに浦手六町はあと御幸町・東堀町・田町(現在は玉地)、岡手五町は下英加町(現在は栄町)・上英加町(現在は清水)・都倉町があり、御幸町以外は飾磨橋東地区。
当時はこの神社の南は松林ですぐ近くまで海が迫っており、松の緑の色栄える大浜の美しい所を選び、移設し祀られたと云う。榊原政邦の飾磨江亭八景詩の中にも「菅詞青松」と題して詠まれている。江戸末期の1840年の播州名所巡覧図会に「天満宮 浜の天神といふ 飾磨津にあり」とある。
境内には宮町の宮と築屋敷・須加町の西部と東部の4ヶ所にあった恵美酒神社も祀られており、漁業の神としての夷神を祀ったものが浜の宮の祭神で、その上に菅原道真の天神信仰が重なったものが この神社の歴史ではないかと云われている。
南側が正面で大鳥居に楼門が建つ。大鳥居は江戸中期の1760年に、楼門は新しく1924年(大正13年)に建てられたもの。大鳥居に掲げられている神額は2014年に復元新調されたものだが、境内の絵馬堂にはその年の初めに神輿蔵で発見された江戸後期の1800年に制作された神額が飾られていた(下の写真7)。
門前の常夜燈は江戸末期、1866年に生魚中買中や魚売子中などの漁業関係者が奉納したもの。絵馬堂の七福神の絵馬(下の写真8)もポートサービスが奉納したもので、他にも漁業関係者の銘が多く見られる。
楼門を入って右手の手水舎は江戸後期、1798年に造られたもの。隣に台場差しが姫路市重要無形民俗文化財に指定された記念碑があるが、台場差しは毎年10月8、9日の秋季例祭で行われる屋台を差し手が人力で高く差し上げる行事で、幕末の1855年に始まったものと云われる。
社殿は戦災に遭い、創立年代は不詳。拝殿前右側の霊牛は、1878年(明治11年)に越前加賀の北前船の船主たちが奉納したもので、飾磨津が北前船の寄港地であったことを物語る貴重な遺品。
東鳥居は1924年(大正13年)に建てられたもの。境内には詳細は分からないが、沢山の摂社・末社がある。稲荷神社、住吉神社に厳島神社や、ちょっと名前が分からないものも(下の写真9)。拝殿の前のものか、こうした摂社・末社の前のものかは分からないが、江戸中期、元禄年間(1699年)の石燈篭もあるそうだ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8105657482837538&type=1&l=223fe1adec
江戸時代には存在しなかった姫路港に向かうが、続く
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この旅行記へのコメント (1)
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- buenavistaさん 2022/08/19 22:34:40
- 至高レポ
- このあたりで生まれ、育った者です
地元民でも知らない最高レベルの詳細なレポに
ただただ感心するばかり
ぜひまたお越しください
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