2022/04/15 - 2022/04/17
192位(同エリア285件中)
ちゃおさん
戦後の教育の中で、日本の古代史、国生み、神話、伝承を学ぶ機会が希薄になって、古代の神話を詳しく知る機会も少なくなってきた。日本人なら天照大御神、神武天皇は誰でも知っているが、その神武の祖母が豊玉姫とは余り知られていない。ここ対馬の和多都美神社にはその豊玉姫の墳墓があるのだ。陵墓ではない。国の指定も受けていないし、宮内庁の管理にもなっていない。単に墳墓だ。
神社の裏の原生林のような小径を200m程歩いて行くと、そこに墳墓があった。或いは磐座と言うべきか。小さな鳥居と標識がなければ気付かず通り過ぎてしまうような、自然石を重ねたような小さな石塊で、その前に小さな祭壇とお神酒を入れる瓶子があって、漸くそこが神聖な場所だったと分かるものだった。神武天皇のお祖母ちゃんでも、国の史跡でないと、扱いも実に何の変哲もない石塊だった。そう思うと、何か申し訳ないがオーラも発していないような感じでもあった。それは恰も宮崎高千穂の後ろに祖母山があり、その山頂に樋玉姫を祀る小さな石の祠があったが、何かそんな様な粗末なものだった。
以前その祖母山を登山した帰り、県最南端の都井岬に近い辺りに鵜戸神宮があり、そこまで足を伸ばした。鵜戸神宮は海の際にあり、自然に作られた大きな半洞窟の奥に小さな社があった。半洞窟の中の社。洞窟内は外の外気よりは2‐3度低いのだろう、何か霊気を感じた。鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)。豊玉姫と山幸彦との間に生まれた子だ。山幸彦は鵜の羽根で産屋を作ったが、出来上がる前に子供が産まれてしまった。で、そんなような名前を付けた。実に人間的で、庶民的な神話だ。
その鵜葺草葺不合命の子供が神武天皇であり、その宮崎、日向の地から東征が始まった。半島の向こうからやって来た豊玉姫は、対馬の地で山幸彦と結ばれ、九州南端の鵜戸に至り、そこで神武天皇の親となる鵜葺草(うがや)を産んだのだ。対馬からこの地まで海上を渡ること数年、漸く安息の地を得られ、子を産み、身まかい、亡きがらは神宮直ぐ近くの吾平山上に葬られた。分霊の一つが祖母山上であり、更にその一つがここ和多都美にある。余り変哲もない磐座ではあったが、何か悠久な日本の歴史を感じさせるものもあった。
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