石川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
能登半島旅行の三日目に、總持寺祖院、旧角を訪れました。總持寺祖院はさすが曹洞宗の元の本山というだけあって、荘厳でした。旧角海家住宅は北前船で栄えた様子がよくわかりました。

能登半島一周旅⑦

3いいね!

2022/05/24 - 2022/05/24

8036位(同エリア9848件中)

旅行記グループ 能登半島一周旅行

0

23

momo

momoさん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

能登半島旅行の三日目に、總持寺祖院、旧角を訪れました。總持寺祖院はさすが曹洞宗の元の本山というだけあって、荘厳でした。旧角海家住宅は北前船で栄えた様子がよくわかりました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 總持寺祖院の経蔵です。<br /> 経蔵は、加賀前田家より寄進されたものといわれ、お経等が収められています。明治の大火による焼失をまぬがれているので、当時からある貴重な歴史的建造物と言えます。

    總持寺祖院の経蔵です。
     経蔵は、加賀前田家より寄進されたものといわれ、お経等が収められています。明治の大火による焼失をまぬがれているので、当時からある貴重な歴史的建造物と言えます。

  • 總持寺祖院の白字橋と山門です。<br /> 總持寺祖院は、曹洞宗の大本山として瑩山禅師により、1321年に創建されました。1898(明治31)年の大火で境内は焼失し、本山は1910(明治43)年、神奈川県横浜市鶴見に移り祖院となりました。その後の再建で山門、仏殿などがよみがえり、消失を免れた建物とともに、根本道場の威厳を伝え、今も総ケヤキ造りの風格ある山門や仏殿、法堂などが残っています。

    總持寺祖院の白字橋と山門です。
     總持寺祖院は、曹洞宗の大本山として瑩山禅師により、1321年に創建されました。1898(明治31)年の大火で境内は焼失し、本山は1910(明治43)年、神奈川県横浜市鶴見に移り祖院となりました。その後の再建で山門、仏殿などがよみがえり、消失を免れた建物とともに、根本道場の威厳を伝え、今も総ケヤキ造りの風格ある山門や仏殿、法堂などが残っています。

  •  左が總持寺祖院の大祖堂(法堂)、右が仏殿です。<br /> 總持寺は、道元が開いた永平寺と並ぶ日本曹洞宗の二大中心寺の一つとして、全国に末寺1万6千余を数えるまでに繁栄しました。しかし、残念なことに、1898年(明治31年)の大火により、七堂伽藍の大部分を焼失してしまい、横浜市鶴見に移転しました。それ以降こちらは「總持寺祖院」と改称され、別院扱いとなりましたが、今も一大聖地として多くの参詣者を集めています。

     左が總持寺祖院の大祖堂(法堂)、右が仏殿です。
     總持寺は、道元が開いた永平寺と並ぶ日本曹洞宗の二大中心寺の一つとして、全国に末寺1万6千余を数えるまでに繁栄しました。しかし、残念なことに、1898年(明治31年)の大火により、七堂伽藍の大部分を焼失してしまい、横浜市鶴見に移転しました。それ以降こちらは「總持寺祖院」と改称され、別院扱いとなりましたが、今も一大聖地として多くの参詣者を集めています。

  •  仏殿です。<br /> 總持寺は、道元が開いた永平寺と並ぶ日本曹洞宗の二大中心寺の一つとして、全国に末寺1万6千余を数えるまでに繁栄しました。しかし、残念なことに、1898年(明治31年)の大火により、七堂伽藍の大部分を焼失してしまい、横浜市鶴見に移転しました。それ以降こちらは「總持寺祖院」と改称され、別院扱いとなりましたが、今も一大聖地として多くの参詣者を集めています。

     仏殿です。
     總持寺は、道元が開いた永平寺と並ぶ日本曹洞宗の二大中心寺の一つとして、全国に末寺1万6千余を数えるまでに繁栄しました。しかし、残念なことに、1898年(明治31年)の大火により、七堂伽藍の大部分を焼失してしまい、横浜市鶴見に移転しました。それ以降こちらは「總持寺祖院」と改称され、別院扱いとなりましたが、今も一大聖地として多くの参詣者を集めています。

  • 仏殿内部です。

    仏殿内部です。

  • 仏殿から大祖堂に行く廊下です。

    仏殿から大祖堂に行く廊下です。

  • 大祖堂(法堂)内部です。

    大祖堂(法堂)内部です。

  •  放光堂(納骨堂)です。<br /> 法堂の左手に長い廊下を進むと、放光堂(納骨堂)があります。江戸時代に山形鶴岡の総穏寺本堂として建てられたものです。

     放光堂(納骨堂)です。
     法堂の左手に長い廊下を進むと、放光堂(納骨堂)があります。江戸時代に山形鶴岡の総穏寺本堂として建てられたものです。

  • 放光堂(納骨堂)内部です。天井に絵がたくさん飾られていました。

    放光堂(納骨堂)内部です。天井に絵がたくさん飾られていました。

  •  伝燈院です。<br /> 伝燈院は、開祖瑩山禅師の御霊を祀っています。1693年に再建されたもので、二度の災禍にも一部は焼失しましたがほとんど原形を留めている貴重な建物です。

     伝燈院です。
     伝燈院は、開祖瑩山禅師の御霊を祀っています。1693年に再建されたもので、二度の災禍にも一部は焼失しましたがほとんど原形を留めている貴重な建物です。

  •  伝燈院の左奥に慈雲閣があります。

     伝燈院の左奥に慈雲閣があります。

  •  慈雲閣です。<br /> 慈雲閣は、総持寺開基以前から伝わる観音堂で、行基菩薩の建立と伝えられる總持寺最古の建造物で、僧形観世音菩薩が秘仏として安置されています。

     慈雲閣です。
     慈雲閣は、総持寺開基以前から伝わる観音堂で、行基菩薩の建立と伝えられる總持寺最古の建造物で、僧形観世音菩薩が秘仏として安置されています。

  • 白山殿の前には、アンブレラスカイということでカラフルな傘が飾られていました。

    白山殿の前には、アンブレラスカイということでカラフルな傘が飾られていました。

  •  旧角海家住宅<br /> 旧角海家住宅(きゅうかどみけじゅうたく)は、現存する黒島の代表的な廻船問屋住宅です。明治4年(1871)に大火に遭いましたが、地元の名匠・工野藤兵衛により配置や構造は元通りに再建されました。平成19年(2007)の能登半島地震によって大きな被害を受けた後、土地建物ともに輪島市へと寄贈され、同23年(2011)7月に復元工事を終えました。

    旧角海家住宅
    旧角海家住宅(きゅうかどみけじゅうたく)は、現存する黒島の代表的な廻船問屋住宅です。明治4年(1871)に大火に遭いましたが、地元の名匠・工野藤兵衛により配置や構造は元通りに再建されました。平成19年(2007)の能登半島地震によって大きな被害を受けた後、土地建物ともに輪島市へと寄贈され、同23年(2011)7月に復元工事を終えました。

    旧角海家住宅 美術館・博物館

  •  旧角海家住宅玄関です。<br /> 正面には内側に蔀戸(しとみど)、外側に簾虫籠(すむしこ)が入っています。蔀戸は横長の板戸で、上下にスライドし、鴨居上部にしまい込むことができる造りになっています。

    旧角海家住宅玄関です。
    正面には内側に蔀戸(しとみど)、外側に簾虫籠(すむしこ)が入っています。蔀戸は横長の板戸で、上下にスライドし、鴨居上部にしまい込むことができる造りになっています。

  • 簾虫籠は中から外は見やすく、外から中を見えにくくしています。

    簾虫籠は中から外は見やすく、外から中を見えにくくしています。

  • 家の中には隆盛をしのぶ豪華な収蔵品の数々を展示していて、かつての繁栄ぶりを現在に伝えています。

    家の中には隆盛をしのぶ豪華な収蔵品の数々を展示していて、かつての繁栄ぶりを現在に伝えています。

  • 海側には、望楼の間と呼ばれる海を望む望楼が配置されています。ここからは、海の様子がよく見える為、戻ってくる北前船が近づいてきたときはいち早く見つけ、お迎えしたとのことです。

    海側には、望楼の間と呼ばれる海を望む望楼が配置されています。ここからは、海の様子がよく見える為、戻ってくる北前船が近づいてきたときはいち早く見つけ、お迎えしたとのことです。

  • 外から見た望楼の間です。

    外から見た望楼の間です。

  • 江戸時代に北前船で栄えた門前町黒島地区は、1684年に幕府の直轄地(天領)となりました。ここには多くの廻船問屋があり、角海家もその1つでした。幕末から明治中期にかけ7艘の北前船を所有し、北海道から大阪にかけて幅広く活躍しましたが、廻船業が下火になると漁業や金融業に生業をかえて活躍しました

    江戸時代に北前船で栄えた門前町黒島地区は、1684年に幕府の直轄地(天領)となりました。ここには多くの廻船問屋があり、角海家もその1つでした。幕末から明治中期にかけ7艘の北前船を所有し、北海道から大阪にかけて幅広く活躍しましたが、廻船業が下火になると漁業や金融業に生業をかえて活躍しました

  • <br />旧角海家住宅がある黒島地区は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、「黒瓦」「格子」「下見板張り」という共通要素を持つ町並みが保存されています。能登半島の家々の多くは黒い瓦が使われています。これは「能登瓦」とも呼ばれていて、マンガンを主原料とする釉薬が使われているため黒い瓦になっています。寒さや塩害に強いと言われている「能登瓦」は、屋根の上に積もった雪を溶かして滑りやすくしているとも言われ、能登半島の家屋には欠かせない瓦です。


    旧角海家住宅がある黒島地区は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、「黒瓦」「格子」「下見板張り」という共通要素を持つ町並みが保存されています。能登半島の家々の多くは黒い瓦が使われています。これは「能登瓦」とも呼ばれていて、マンガンを主原料とする釉薬が使われているため黒い瓦になっています。寒さや塩害に強いと言われている「能登瓦」は、屋根の上に積もった雪を溶かして滑りやすくしているとも言われ、能登半島の家屋には欠かせない瓦です。

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP