2022/07/16 - 2022/07/19
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chemireさん
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何度も訪れている大阪。いつも『食事』に重きをおいてしまって、大阪城天守閣は上ったことがありません。
2年ぶりに訪ねた今回も、同じパターンになりそうだったので、外観だけでも間近で眺めることにしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2022/07/16 (土)
旅初日
今回の旅は、大阪へ。いつもは関空を利用してましたが、今回は伊丹空港へ降りたちました。
・・・・・・・・・・・
ホテルでチェックインを済ませ、身軽になって出かけます。
以前、名古屋のくれたけインに泊まった時に、ウェルカムドリンク(アルコールもあり)サービスがあったことや部屋の様子も気に入ったので、大阪でも泊まることにしました。
だけど、この時点で16時近く。無料生ビール1杯のために早く戻って来るのもどうかなぁと思いつつ、とにかく行動開始です。くれたけイン大阪堺筋本町 宿・ホテル
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いつだったか忘れたけど、〝4トラ〟で見て気になっていた壁画空間がある「船場センタービル(通称:せんびる)」へ。
「せんびる」は、堺筋線堺筋本町駅を含め4つの駅が直結しています。堺筋本町駅 駅
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せんびる3・4号館を結ぶ連絡通路「SMP・船場ミューラルパーク」。
船場センタービル ショッピングモール
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これは、大阪らしい作品だけど、
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テーマは作者に任せられているようで、難解なものやインパクト大なものetc... 描かれています。
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イスやテーブルが置かれ休憩も可能。
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芸術家24名による壁画を堪能してから夕食の下見にと、せんびる3・4号館の地下食堂街に行ってみたら、ランチタイムを過ぎたのとコロナによる自粛などもあって閑散としていました。
夜に出直して、お店を探そうっと。 -
地下街から移動して大阪城の最寄り駅へ。
大阪には何度も遊びに来ているのに、ご縁がないのか天守閣を間近で見た記憶がありません。
今回も見学する時間が十分に取れないだろうと思って先に「せんびる」に向かったので、天守閣入館はおあずけで外観だけ眺めるつもりです。谷町四丁目駅 駅
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ホームで見つけた広告。入館料など、次回の参考にします。
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駅を出て、すぐにあった難波宮の説明板。跡地の一部は、難波宮跡公園として整備されています。
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難波宮跡の一角にある大阪NHKホールと大阪歴史博物館。ここはスルー。
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博物館前には、鳥が嘴を開けているような茅葺き屋根の高床倉庫1棟が復元されていました。
交通の要所であった難波。その中心地であった法円坂遺跡で、5世紀(古墳時代)の巨大高床倉庫群が見つかったそう。 -
角度を変えてみたら、こんな感じ。こっちが正面かな。悠久の時に思いを馳せてみます。
(でも実は建物より、この前でスケボーに興じていた高校生らしい男子たちが強く印象に残ってしまいました。) -
大手前地区に向かう途中で、横断歩道を渡りながら撮影。素敵な景色がデザインされているのに、ゆっくり眺められなくて残念です。
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いざ、大阪城へ。
ここは、現在の大阪城公園の出発点だそう。 -
南外堀。雲のおかげで暑さは凌げますが、曇天すぎて写真映えしません。
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天守閣に入れない時間帯のせいか、大手門へ向かう人は少ないです。
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重要文化財 大手門。
1628年(寛永5年)徳川幕府による再建時に創建された高麗門型形式・枡形門。 -
内側から見た大手門。高麗門形式とは、扉の上と左右の控え柱の上にも屋根があるものだそう。
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多聞櫓。徳川時代の1628年に建造。大手口枡形の石垣の上に建つ櫓。重要文化財。
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長屋形式の櫓で、現存する多聞櫓の中では最大規模だそうです。
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大手口枡形の巨石。城内には多くの巨石が使われていて、それぞれに見入ってしまいました。
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南仕切門跡・太鼓櫓跡。
二の丸の西と南の区域は、石垣によって仕切られ、通路にあたるこの場所に立っていたのが南仕切門。太鼓櫓と呼ばれる二層の櫓は、1868年(慶応4年=明治元年)明治維新の大火によって消失。 -
豊國神社に参拝してから、本丸へ。
御祭神
豊臣秀吉公・豊臣秀頼公・豊臣秀長卿
明治時代の創建
曇り空で、秀吉公の表情まで暗くなってしまいました。豊國神社 寺・神社・教会
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標識が整理されているので分かりやすいです。
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本丸正門の桜門。
創建は1624年(寛永元年)頃といわれているが確証は無いらしい。明治維新で櫓など全て焼け落ち、現在の桜門は1887年(明治20年)に陸軍によって再建。
重要文化財。 -
本丸御殿跡。
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桜門枡形の巨石。まるでコンクリートで造られた壁のよう。
石の切り出しから運搬・積み上げまでの方法を読んだことがありますが、機械のない時代に、よくこんなものを造ったなと圧倒されるばかり。 -
大阪城天守閣
登録有形文化財
豊臣秀吉は1583年(天正11年)大阪城の建築に着手。完成に約15年を要し、その規模は現在の4~5倍という広大なものだったが、1615年(元和元年)に起こった大阪夏の陣で、豊臣家滅亡とともに大阪城はすべて焼失。徳川幕府により再建された大阪城も、落雷や明治維新(1886年)の動乱で一部を焼失している。
時を経て、1931年(昭和6年)当時の市長の提案と市民の募金により天守閣の再建が行われたが、太平洋戦争によりいくつかの建物を焼失・破損。
戦後の全域の公園化と櫓・蔵などの修復、そして昭和6年当時の天守閣の姿をよみがえらせるため行われた「平成(9年)の大改修」により、今日みられるような姿となった。 -
大きな石が横たわっているので近付いてみると、なにやら説明文が。
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「残念石」と名付けられていました。用材石として念願かなわず・・・
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復興天守41.5m。再建されたお城として1番の高さを誇ります。
やっと間近で眺めることができました。 -
日本で初めて金の鯱を天守閣に乗せたのは、豊臣秀吉で、大阪城が最初とも言われているそうです(織田信長の安土城という説もあり)。
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実は、金の鯱は名古屋城だけにあると思っていました。
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降り注ぐような蝉時雨。
ちょっと分かりにくいですが、天守閣東側の木にセミの脱殻がいっぱい。他にも木は沢山あったけど、ここに集中していました。 -
天守閣を西側から見たり東側から見たり。
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天守上部の伏虎。秀吉の絵師として活躍した狩野山楽の伏虎図をもとに下描きが起こされ、黒壁4面に各2頭ずつ合計8頭の大虎のレリーフが飾られています。
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来たルートを辿って、城外へ。
振り返って見た大手門。幕末までは追手門とも称していたそうで、現在は門を取り囲む土塀二棟とともに重要文化財に指定されています。
ここまでの所要時間は80分。次に訪れる時は3~4時間の余裕を持って、天守閣にも上ってみたいと思います。 -
谷町四丁目駅に向かう途中で見つけたマンホール。「府」に住んだことがないので、つい撮ってしまいました。これが「県警」だったらスルー。
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堺筋本町駅に戻り、せんびるへ。店外のメニューに惹かれて、「天友」へ入店しました。
天友 グルメ・レストラン
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店外。食べたいものがたくさん。
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店内。目移りしてしまいます。
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ウーロン杯と「活はも湯引き」と「水茄子の漬け物」からスタート。美味しい。食べるたびに、大阪か京都に住みたいと思ってしまう関東人です。
でも、牛タンを食べれば宮城県に住みたくなるし、ジンギスカンを食べれば北海道に住みたくなるとも思ってしまうけど(^◇^;) -
どて焼き。この後に、生ビールを飲んだら、大根のおでんと枝豆をサービスでいただきました。みんな美味。
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食欲が止まらず、串カツも注文。予めソースがかかってます。サクッと美味しい。
お腹いっぱいです。ごちそうさまでした。 -
チェックイン時に、20時までのアルコールサービスと21時までならカレーライスもありますと案内されましたが、タイムアウトで間に合わず。
外で飲んで食べて来たので、この日はおとなしく寝ました。くれたけイン大阪堺筋本町 宿・ホテル
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