2022/07/13 - 2022/07/13
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Reiseさん
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以前から行ってみたかった揖保郡の斑鳩寺へ行きました。
斑鳩というと、奈良を思い出しますが、兵庫の揖保郡にも斑鳩寺というお寺があります。
聖徳太子が推古天皇の前で勝鬘経を講義し、その講義を喜んだ推古天皇が播磨の国揖保郡の水田百町を聖徳太子に寄進しました。
太子はその地を法隆寺に納め、その出張所としてこの地「斑鳩荘」にお寺を建立、それが、斑鳩寺です。
土地は、法隆寺の荘園として栄えますが、1541年にお寺は火災により焼失。
その後、龍野城主赤松氏などにより再建されます。
聖徳太子が勝鬘経を講義した図や貴重な仏像などが見学できる宝物館があり、事前の予約が必要です。
スタッフの方が説明をしてくださいます。
また境内には聖徳殿前殿は聖徳太子16歳の時の像が安置されており、父親の用明天皇の病気平癒を祈り七日七夜祈り続けた太子の姿で、その髪の毛は太子の髪の毛を植えたものと言われています。
こちらも、スタッフの方が案内してくださり、丁寧な説明を受けました。
従来の太子堂には法隆寺夢殿を模した八角形の中殿が増築され、どこか法隆寺の雰囲気が漂うお寺です。
近くの瓢塚という古墳から下太田廃寺跡へも行きました。瓢塚は全長約100mの古墳時代初期の古墳で、住宅街にあります。
近くに下太田廃寺跡があります。7世紀後半のお寺で、礎石や塔心礎などが残っています。五重塔や講堂などの大きな建物を持ったお寺と推定されています。
太子町立資料館では斑鳩寺をはじめとして、太子町にある文化財、その歴史などを詳しく展示してあり、とても興味深く見学できました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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聖徳太子ゆかりのお寺、播磨の斑鳩寺へ到着。
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1673年のもの。
迫力ある仁王と奉納された大草履が見えます。 -
入ってすぐ右手にそびえたつ、三重の塔。1541年の焼失後、1565年に龍野城赤松氏によって再建。
上品な雰囲気の塔です。 -
斑鳩寺の説明板。
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講堂。
1769年に再再建された建物。薬師如来など三尊が安置。 -
聖徳殿へ。
お寺の中心となるところ。
1665年に建て直されたもの。
欄間なども豪華な彫刻がありました。 -
お札なども納められています。
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境内は静か。
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聖徳殿の後ろに見えるのは、八角円堂。
聖徳太子の 16歳の像があります。火災の時、唯一持ち出せたものだと説明にありました。
像の髪の毛も聖徳太子のものを植えたといわれ、衣も数十年おきに一度慎重されます。ちなみに現在のものは高松の宮より寄進されたもの。 -
高松の宮お手植えの松もありました。皇室とも関わりのあるお寺です。
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聖宝殿。
撮影は禁止です。
事前の予約が必要で、スタッフの方が丁寧に説明をしてくれます。
「聖徳太子勝鬘経講讃図」がありました。
蘇我馬子や小野妹子、太子の息子の山背大兄王らが座っている図。
こちらに展示してあるのは原図で、のちに見学した太子町立資料館には写真パネルが展示されてありました。
そのほか、日光月光菩薩像や十二神将など貴重な仏像が展示されていました。
近隣のお寺からの仏像もお祀りしているそうです。 -
綺麗なお蔵もありました。
樹々にはセミ。久しぶりに聞いた気がします、セミの声。 -
もう一度聖徳殿に戻ります。
こちらの聖徳太子像もスタッフの説明で見学できました。 -
太子像がある八角堂は1914年に建てられたものです。
こちらも太子像の写真は撮影禁止。
下にあるこちらのみ撮影。
太子の像は火災の際に唯一持ち出せたそうです。
太子が16歳の時に、父の用明天皇の病気平癒を祈る姿で、迫力がある像でした。髪の毛も太子の髪の毛を植えたといわれていますが、どことなくリアルな太子像でした。
七日七夜祈り続け、疲れ果てたことでしょう~。
とても親孝行な聖徳太子です。 -
こちらの奥に聖徳太子像が安置されています。
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お寺の地図。
広い境内。
どことなく、奈良の法隆寺を思い起こします。 -
八角堂の建設に貢献された永井氏の石碑。
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イチオシ
奈良の法隆寺の夢殿を模した八角堂。
美しい建物です。 -
後から建てられた違和感がありません。
調和された八角堂のある聖徳殿。 -
聖徳殿、別名太子堂ですが、建物のあちこちに細やかな彫刻などが観られます。窓あたりも。
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イチオシ
聖徳太子への敬愛が感じられるお寺です。
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聖徳太子像。二歳の像だそうです。
わずか二歳、その賢明、信仰深い姿。 -
三重の塔も説明がありました。
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もう一度三重塔。
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下から見てみました。
朱色も綺麗です。 -
鐘楼。
1693年の造りです。
屋根は天正20年当時の瓦が使われています。 -
説明板。
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帰りにももう一度、仁王を。
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今にも動き出しそうです。
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写真にはありませんが、庫裡も歴史のある古い建物で、1649年に建てられたものだそうです。
お庭のさざんかも、古木で樹齢350年。 -
心が落ち着くお寺でした。
近くに休憩所があり、そこで野菜などの直売所もあり、とても新鮮な美味しい野菜を購入できました。 -
瓢塚へ。古墳時代初期の前方後円墳です。
全長100m、畿内の大和の大王の墓とも似ているので、大和政権とつながりのある人物が被葬者ではないかと言われています。
住宅地にあります。 -
下太田廃寺跡に来ました。
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今は小さなお堂と礎石などが残るのみ。
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説明板もありますが、当時は地域が東西117m、南北130m以上もあり、
塔や金堂、講堂が一直線に並ぶ四天王寺式、7世紀後半に創建と言われています。 -
今はその面影もなく静か。
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礎石などが残っています。
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塔の跡など。
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9世紀後半以降には衰退したと考えられています。
今は周り、のどかな田園風景が広がっています。 -
太子町立資料館へ来ました。
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特別展の案内。
几帳をして、館内撮影は可能でした。 -
建物の坂を上って展示室へ。
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太子町の歴史絵巻の展示。
わかりやすいです。 -
天井も八角形。
斑鳩寺の八角堂とのつながり。
お洒落です。 -
展示室へ。
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イチオシ
斑鳩寺でも見学しました。
「聖徳太子勝鬘経講讃図」。
原寸大のパネルで展示。 -
説明にもありますが、微妙な色使い、静かな講義の様子が見えます。
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人物の配置図でよりわかりやすく。
高僧などの姿も。 -
旧石器時代から縄文時代など、発掘の出土品など。
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このような出土品も。
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出土された土器など。
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斑鳩の荘園、広い土地です。
鵤荘と言います。
現在も鵤という地名があります。 -
イチオシ
条里制による碁盤の目のような地割。
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奈良時代の文献など。
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鵤の荘園の図。
斑鳩寺でも観ました。 -
水の貴重な土地だったようです。
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農業にはなくてはならない貴重な水。
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水をめぐる訴状など。
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聖徳太子に対しての篤い信仰があります。
その中心は、斑鳩寺。
そのほか、
荘園の周りの10カ所に置かれていたという「ぼうじ石」など、自然石を利用したものがあるそうですが、見てみたい、、です。 -
木造の弁天座像。
小さいですが、とても柔和な顔。 -
宿もあったのですね。
いつか、歩いてみたいです。 -
鵤宿として本陣が置かれ、街道沿いの街として栄えています。
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江戸時代の遺物も。
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本陣で出された食事。
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イチオシ
シーボルトもかつて、この地を旅したことがあるそうです。
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伊能忠敬も全国を測量し、鵤の地にも。
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特別展。
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十二天画像。
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1577年に奈良の法隆寺から斑鳩寺に寄付された12幅の掛け軸。
火災で焼失してしまった斑鳩寺の復興を支援したものでしょうか。 -
細やかで美しい掛け軸でした。
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絵馬が素晴らしいです。
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居心地の良い資料館でした。
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外にでましたら、このような碑。
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パステルの紫陽花が庭に。
もうじき、紫陽花も終わりかも。。
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