2022/06/25 - 2022/06/25
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深江文化村はロシアやウクライナからの亡命の人々が集まり住んでいた場所で、以前、当時の建物を探して歩いてみました。
その深江文化村の様々な資料を展示している資料館があると聞いたので見学しました。
土日のみの開館で、ボランティアの方がされているそうです。
指揮者のメッテルなど日本滞在時の写真など貴重な資料をみることができて感謝です。
こちらの資料館は1981年に設立されたそうです。
依松庵は谷崎潤一郎が昭和11年から18年にかけて住んでいた家です。
小説「細雪」を書き始めたのも、こちらに住んでいるときだそうです。
こちらの家での様子が「細雪」の中にも描写されています。
日本建築の細やかさと谷崎潤一郎が実際に使っていた家具などもそのまま展示されています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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神戸深江文化資料館。
深江地域の歴史に関する展示をしています。
土日のみの開館、ボランティアの方の協力での運営と聞きました。 -
入口。
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博物館の説明。
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1階から展示があります。
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昔の漁村の様子。
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漁業が盛んだった土地。
江戸時代から半農半漁だったそうです。 -
昔の農具なども。
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懐かしい昔の生活用具など。
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土器なども展示。
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その中の一角に「深江文化村」の資料が展示されていました。
先日も訪ねていた深江文化村。 -
深江文化村は兵庫県東灘区深江南町にありました。
ロシア革命により日本に逃れてきた人々が住んだ場所。
一角は3000坪、13軒の洋館がありました。そこには9か国13組の家族が住んでいました。
音楽家も多く住んでおり、そこでは日本人との交流も多く生まれました。
山田耕作や諏訪根自子などがいます。
その中に指揮者で有名なメッテルもいました。
朝比奈隆の師です。 -
バイオリニストの貴志康市。
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モギレフスキー、バイオリニストですが、弟子たちと。
バイオリニストの諏訪根自子との写真。 -
イチオシ
ウクライナ出身のメッテル。
和服を着ています。 -
建築家のラデンスキーの写真。
亡命した人々が、この場所で、多くの日本人の音楽家などを育てました。
深江文化村に集った日本人の名前をみえても、その後の活躍がわかります。 -
かつてあった、洋館など。
先日訪ねましたら、いまは2軒ほどしか残っていないそうです。 -
かつては多くの洋館が立ち並び、そこでは文化の交流が盛んであった場所。
亡命という苦しく、悲しい出来事からも、実は多くの音楽家などの日本の文化人を育てたという歴史。 -
イチオシ
メッテル邸にあったブックエンドなど。
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かつての文化村の様子と、今も残っている洋館。
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こちらも大切に今も住まわれている洋館の一つです。
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イチオシ
かつての風景。
美しい洋館が立ち並んでいます。
こんな狭い土地の中で、芸術の交流があったんですね。 -
出土した土器や
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漁業に関するもの、
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玩具や
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おままごと。
なんて、緻密でしょう~。 -
生活用具、かつての電話機など。
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江戸時代のだんじり幕なども展示してありました。
一帯が歴史を持つ街だとわかります。 -
お隣は神社。
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由緒ある神社のようです。
創建は15世紀ころ。 -
またお隣にも小さなお社。
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こちらは農業の神様を祀ったお社。
創建も715年にさかのぼるそうで、こちらも歴史のある神社です。 -
イチオシ
谷崎潤一郎が昭和11年から18年までを過ごした家だったところです。
名作「細雪」を書き始めた場所でもあり、「細雪」の中にもこちらの家が描かれているそうです。 -
石碑がありました。
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イチオシ
庭からみます。
昭和4年の建築。
木造の温かさとところどころにあるお洒落な装飾。 -
イチオシ
窓も可愛いです。
紫陽花と似合って。 -
イチオシ
応接間。
こちらの照明は間接照明。
間接的な証明とは違い、夜などは落ち着ける雰囲気になるはず。 -
カーテンなども一切なく、明るい。
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照明の柔らかい光がわかりました。
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窓が洋風のように感じます。
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玄関、入口。こちらから入ります。
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食堂。
こちらのテーブルとイスも谷崎が実際に使っていたものだそうです。
椅子は1脚のみ、残っていて、あとは復元されたもの。 -
伸縮可能なテーブルで、合理的なもの。
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室内にも展示されている資料、写真。
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手紙なども。
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お写真もたくさん。
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細雪の妙子さんモデルの信子さんの写真。
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蓄音機。
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小さな書棚もお洒落でした。
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古い写真もあちこちに。
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縁側、奥にある小さな戸棚も素敵でした。
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庭には多くの植え込み。
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上にも窓。
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小さな和室。
庭を観ても楽しい、安らぐ場所です。 -
こんな説明がありました。
こちらの家には夫人の松子さんと姉妹のお二人と一緒に住んでいたようです。
この部屋でくつろいでおられたのですね。 -
食堂と応接間の間にも仕切り戸。
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谷崎潤一郎は関西でも他の場所に住んでいます。
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細雪にも出てくるお風呂。
五右衛門風呂。 -
当時のままのトイレの手荒い場所でしょうか。
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御手洗いの窓も可愛いです。
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お庭もちらり。
サボテンと石畳みが可愛い。 -
台所。
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階段。
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合理的な造り。
当時は井戸水を使っていたそうです。 -
階段、けっこう、急でした。
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優雅な雰囲気の和室でした。
生活感がない空間。
ここでも、細雪とのつながり。 -
説明がありました。
「こいさん、たのむわー」で有名なはじまり。 -
イチオシ
谷崎潤一郎夫妻と夫人の姉妹と。
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谷崎潤一郎夫妻。
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二階から。
この美しい装飾の小さなテラス。 -
松も見えます。
この付近の川には松が植えられており、また、奥様の名前が松子さんということもあり、この家の名も「倚松庵」と名付けたそうです。 -
当時使われていた家具でしょうか。。
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当時の家の様子の写真。
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二階も資料が展示しています。
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ここにも書簡など。
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阪神大水害の生々しい記録。
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手紙類。
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こちらにも。
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書斎を建てたことで、家主との問題が起こり、立ち退きの問題も。
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多くの名著を残してきた谷崎潤一郎。
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とても小さな和室もありました。
この部屋から六甲山脈が見えたといいます。 -
説明。
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展示の間にもありましたが、こちらの小さなまどは何でしょう~。
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イチオシ
下に降りてきました。
二階の和風な雰囲気からがらり。
下の階は洋風な雰囲気。
窓の様子も。 -
もう一度応接間へ。暖炉。
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イチオシ
松子夫人と姉妹、松子夫人の長女。
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応接間の説明もありました。
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玄関。
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外へ。
洋風と和風がミックスされた玄関。 -
当時も蔵書がびっしりあったそうです。
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お庭の説明もありました。
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谷崎潤一郎の写真も多く展示。
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本来はこちらが門でしょうか~。
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四季おりおりの風景が楽しめそうなお庭です。
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ところせまく、樹々が。
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とても落ち着けるお庭と家。
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帰り際、もういちど、玄関まわりを。。
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玄関まわり。
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応接間の外からも。
不思議な印象、和風?洋風と思っていましたら、
もともとの家主さんは奥様が日本人、御主人がベルギー人だったそうで、
こんな家の造りになったのだと、あとからわかりました。 -
樹々の配置も微妙に美しい。
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以前に行った、芦屋にある谷崎潤一郎記念館の記憶も出てきました。
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周りの川などの風景とも合っている家の様子でした。
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