2022/06/16 - 2022/06/16
809位(同エリア4464件中)
Bachさん
先月「京都トレイル西山コース」を歩いた時に、苔寺と鈴虫寺をスルーしてしまったので、梅雨入り6/14直後絶好の苔日和に、あらためて「西山コース・続編」として歩いてきました。(行程)阪急四条河原町~上桂~10:00苔寺~11:40ランチ~12:00鈴虫寺~13:00喫茶休憩~14:30竹の寺~15:30上桂
「苔寺」は事前申込みが必要なのでなかなか行く機会が無く、今回やっと2回目の訪問でしたが、前回は申込み制が始まった1977年以前だったので、参拝料が4,000円になっていたことにビックリ。また「鈴虫寺」も2回目ですが、前回と違って長い待ち行列が出来る程の人気ぶりにもビックリ、「竹の寺」も寺ピアノなどいろいろ趣向を凝らしているようで、本来の目的の庭園鑑賞に加え、お寺の集客努力にも関心を寄せられた1日でした。
「苔寺」は、もともと2つのお寺を「夢想礎石」が禅の思想で1つにまとめたもので、庭園は上段の「枯山水庭園」と下段の「浄土式庭園」があり、下段は池があって蓬莱島や鶴亀の石組、平橋、反橋などある一般的な「池泉庭園」で、これが歴史と自然の経過に晒されて120種もの苔に覆われ、結果的に「苔」が人気の庭園になりましたが、上段は池泉庭園が主流だった時に、夢想礎石が自分自身の「悟り」そのものを表し禅の修行の場として作庭したという日本最古の「枯山水庭園」で、庭園家の解説ではそれまでの優雅な貴族好みの「池泉庭園」と、力強い石組の武士好みの「枯山水庭園」を、まず「苔寺」で上下2段構えで実現し、さらに足利尊氏開基の天龍寺曹源池で全く一つの庭園として融合し、武士にも喜ばれる禅宗庭園を完成したとあります。
庭園愛好家としてはこれをぜひ見たかったのですが、非公開になっていて残念! 高額な参拝料をとるんだからぜひ入れて欲しいところです。
「鈴虫寺」は、創建は江戸時代ですが、有名になったのは先々代8代目住職が鈴虫の音色に禅の悟りを覚え鈴虫を飼い出してからで、1年中一定の温度にした本堂で「鈴虫説法」なる軽妙な説法を拝聴する。現在は10代目の住職になっており、話は30分でユーモアの効いた飽きさせない話しっぷりだが内容は今一つだったものの、鈴虫の音を聞きながら「唯我自分に与えられた生を生きる」ことを悟った次第。庭園は歴史の臭いもなく付け足し程度。
「竹の寺」は、有名な二つの寺に隠れて穴場的なスポットになっていますが、「夢想礎石」開山、「一休和尚」生誕地、「細川家」菩提寺、末裔「細川護煕」の書や襖絵、枯山水庭園「十六羅漢の庭」など錚々たる歴史があり、竹林と青もみじとさらに苔まで含めて美しいお寺で、誰もいない方丈の縁に腰かけて庭園を見ながら静寂を楽しめる私好みのお寺です。
今回久しぶりに3つのお寺を訪問して時代の変遷を感じたのは、お寺の集客力の重要性が高まってきて、WebサイトやSNSを活用するのは勿論、さまざまな方法で企業努力をしていることが伺えることです。「苔寺」は事前申込制にして4,000円(ハガキの場合3,000円)の高額でも多くの人が集まり、「鈴虫寺」は鈴虫説法を強みに時間制にして500円でも行列が出来る程の人を集めることに成功し、「竹の寺」も演奏会などいろいろなイベントで人を集める努力をしているようで、勝手に計算するならば、「苔寺」は1日200人、月4,000人、年間40,000人として×4,000=1.6億円、「鈴虫寺」は説法1回100人、1日10数回で1,000人、月20,000人、年間200,000人として×(500円+願い札300円)=1.6億円となり、先日奈良「法隆寺」が参拝客の減少で境内の整備費用をクラウドファンディングで募ったら目標の2,000万円が半日で集まったというニュースがあったので、お寺の整備費用を差し引いても相当な利益になります。
ところが、参拝客としては歴史を感じながら静かに庭園を鑑賞したいところで、あまりにも観光ズレしてしまうとせっかくの歴史ある名刹が台無しになってしまいます。最後に「竹の寺」に行って爽やかな気持ちになって癒されたことが何よりの収穫でした。
*表紙写真は下段の池泉庭園から上段の枯山水庭園に入る「向上関」で現在立ち入り禁止
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「苔寺」(こけでら)洪隠山西芳寺(こういんざんさいほうじ)
飛鳥時代聖徳太子の別荘があった土地に、奈良時代行基(ぎょうき)が開山し以後、法相宗から、平安時代「空海」の真言宗、鎌倉時代「法然」の浄土宗、南北朝時代「夢想礎石」の臨済宗と変遷。
室町時代の戦乱により廃れてしまい、南北朝時代に松尾大社の宮司藤原親秀氏が夢窓疎石(当時65歳)を招き、荒れていた寺を再興(中興開山)し、「西芳寺」と改めた。 -
往復ハガキで申し込んで「参拝証」が必要
昭和52年(1977)より観光公害のため事前申込制になり2ヶ月前予約1週間前必着、往復ハガキで3,000円で、昨年2021.6からネットで前日予約も可能になり4,000円(宮内庁管轄の京都御所、修学院離宮、桂離宮でも当日受付可能になっているのに) -
受付を済ませてまず「写経」(筆ペン持参)
以前はお坊さんの読経もあり、写経も「般若心経」で278文字あったが、現在は最も短いお経の「延命十句観音経」で50文字だから大分簡素化したらしい、書き上げたら持ち帰るか、本堂ご仏前に奉納
「延命十句観音経」(えんめいじっくかんのんきょう)
常・楽・我・浄の四徳をいただけますように(無常、苦楽、自利他利、慈悲)は、延命、健康に功徳がある -
「西芳寺」全体図(9,000坪の広さ)
もともと法然が再興した上段の「穢土寺」(えどじ)と、下段の「西方寺」の2つのお寺を「夢窓疎石」が1つに統合し「西芳寺」とした。
日本庭園の全ての要素を備え、後世の庭園に限りない影響を与えたといわれる。 -
「総門」(普段は閉ざされたまま)
高浜虚子の歌碑がある「禅寺の苔をついばむ小鳥かな」 -
「大歇橋」(だいけつきょう)(大歇は一休みする)
苔寺誕生の重要な役割を担う「西芳寺川」に架かる
西芳寺川は桂川に合流する -
通用門前は「邀月橋」(ようげつきょう) (邀月は月を迎える)
既に10数人の人が開門を待っている -
通用門は「衆妙門」(しゅうみょうもん)
(全てのものが生まれ出るとされる門) -
10:00ジャストに開門
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入り口で参拝料を支払い入場
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入口に大仏次郎作、川端康成書の石碑がある
「帰郷」過去の章より -
「帰郷」過去の章(戦後S24年作品)
日本人がその時々に築き上げて遺したものを今の若い人たちがどんな風に見ているのか尋ねたい。亡びたものをただ美的な興味で眺めているのか、それともこう乱雑になった世の中にも、自分たちの生活や血につながりのあるものとして懐かしみを受け取ろうとする心が残っているのか確かめてみたい。 -
「本堂」(西来堂)1969年に再建
本尊の阿弥陀如来は西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教祖であることから「西来堂」と呼ばれ、堂本印象(どうもといんしょう)の襖絵104面がある(撮影禁止)堂本印象1891-1975作品は、東福寺、東寺、醍醐寺、智積院、法然院、高野山、大阪聖マリア大聖堂など多数 -
蓮池の「大賀ハス」(おおがはす)の開花はもう少し
大賀ハスは2000年以上前の実から発芽させた古代蓮 -
写経の行われる本堂
撮影禁止だが、平日にもかかわらず100人くらいは入っているのでビックリ! -
庭園アプローチ参道
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120種の苔に覆われているが苔の種類は難解
苔は茎と葉が一体で光合成を行うので水さえあれば繁殖するという植物界の両生類 -
中門から入る本来の参道
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庫裡
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庭園入口
苔だけでなく「青もみじ」も素晴らしい絶好の時期 -
庭門
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苔寺の「苔」は戦乱と西芳寺川氾濫がもたらした肥沃な土地と、湿度の高い谷間という地理的要因で「苔」がはびこり、これを大事に育てて今の姿になった。
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観音堂前の「皇后陛下(美智子様)記念樹」
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「観音堂」聖観音菩薩像を安置
現在の本堂が出来るまでは本堂だった -
「西芳寺庭園」は、もともと2つのお寺の庭園を夢想礎石が、下段を浄土式池泉庭園、上段を当時は画期的だった枯山水庭園にして統合し、浄土と現世を対比させるという禅の思想で作庭、金閣寺や銀閣寺をはじめとする後世の庭園に大きな影響を与え、日本の庭園史上重要な位置を占める。
「夢窓疎石」(無窓国師)1275-1351は、鎌倉南北朝時代の禅僧でありながら、勅撰和歌集にも載る五山文学の漢詩人、歌人、作庭家というスーパーマンで、後醍醐天皇、足利尊氏からも認められ、天皇死後天龍寺を開山(開基は足利尊氏)し、天龍寺や南禅寺をはじめ鎌倉にもたくさんの庭園を手掛けた。 -
観音堂左手は「金剛池」、右手は本池の「黄金池」
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「金剛池」には大小16個の石が整列するが、これは蓬莱へ向かう船が夜停泊している姿を表現した「夜泊石」(よどまりいし)と言われる
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別説では、かつて「瑠璃殿」という二層の楼閣があり、本堂(今の観音堂)とを繋ぐ回廊の礎石との説もある。回廊は同じ夢想礎石作庭の岐阜多治見「虎渓山永保寺」と同じ反橋だったといわれるから豪華!
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重森美鈴は大小の石が一定の大きさでないことから「夜泊石」と解釈しているという
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「金剛池」に注ぎ込むのは湧水「夕日の清水」(玄関前にある井戸)
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二層の楼閣の「瑠璃殿」は金閣寺と銀閣寺のモデルといわれる
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「向上関」(こうじょうかん)
下段の池泉式庭園と上段の枯山水式庭園の境界にあたる -
この門の先には「通宵路」(つうしょうろ)と呼ばれる49段の石段があり、山上には座禅石もあって、険しい山道を一段、一段登ることで悟りの世界へ近づいていくという禅の修行場になっている
「指東庵」(しとうあん)という開山堂があり、行基菩薩位牌、真如法親王位牌、夢想国師位牌と木像、藤原親秀夫妻の木像が祀られている。 -
枯山水庭園は、室町時代に夢窓疎石が作庭した日本最古の「枯山水」で、夢窓疎石の禅の思想を造形化したものといわれる石組みは、当時池泉庭園が主流だったころには非常に革新的で、枯山水庭園の最高峰と評される。
この後作庭した天龍寺「曹源池」では、池泉式庭園の中に枯山水の龍門瀑(りゅうもんばく)を融合しているのは面白い。 -
「向上関」にこだわっていたら、見学コースとは逆回りに行ってしまう
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「潭北亭北庭」は竹林を背景にした枯山水
「昭和の小堀遠州」といわれる作庭家「中根金作」が発掘したという
歴史に残る作庭家:夢想礎石(鎌倉室町)→小堀遠州(安土桃山)→植治7代目小川治兵衛(江戸)→重森美鈴(明治)→中根金作(大正) -
北側は竹林になっている
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木の根っこから上までモスグリーンが美しい
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落ち葉を取らないと下の苔が枯れてしまうので手入れは欠かせない
手製の竹ぼうきは、苔の種類によって掃き加減の強弱をつけ、だんだん硬くなると石畳用に使い、最後は自然に返すという。 -
この辺から「黄金池」が見えてくる
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対岸に船が見える
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この舟は、足利義満や義政たちが舟から庭を眺めた名残りらしい
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船の脇には、作庭に参加した7人の労をねぎらって夢想礎石が植えたという「七本竹」がある
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池の向こうの夕日ケ島に「鎮守堂」
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苔は120種類もあるから良く分からない、
植物園のように名札を立ててもらいたい。 -
これは分かり易い
まんじゅうのようだから「マンジュウゴケ」 -
乾燥すると白くなり、湿気が多いと濃い緑色になるという
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下段にある3つの茶室の一つ「潭北亭」が見えてくる
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「潭北亭」(たんほくてい)
1928年、陶芸家の真清水蔵六(ましみずぞうろく)寄進の茶室
明治の京都の陶芸家で、青磁,染め付けを得意とし、妙法院宮教仁親王より真清水の姓をあたえられ、千宗室に茶をまなび「宗缶」の号をえた。 -
内壁には陶板作品が貼られており、円窓が美しい
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「潭北亭」から対岸を望む
正面観音堂、左に夕日ヶ島の「鎮守堂」 -
夕日ヶ島の左手、朝日ヶ島手前に「鶴島」
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長島(霞島)の右手に「鶴島」
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「鶴島」花ショウブが鶴の羽根か?
鶴亀の区別は難しいが、鶴は羽に特徴があり、亀は頭に特徴があるので、頭のような石があったら亀島
解説書によると、鶴亀島は夢想礎石が最初に作ったが、天龍寺などでも見分けが難しい、雪舟の東福寺芬蛇院や小堀遠州の曼殊院などでは鶴は石を立て、亀は寝かせているので分かり易い -
「鶴島」の左手が「蓬莱島」、右手が「舟石」か?
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「苔の花」のように見える。
苔は胞子が成熟して花粉のように散布され繁殖し、種類によって春か秋か異なるというが、春から初夏によく見られるという。 -
向こう岸の苔は又趣が違う
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長島(霞島)に架かる橋
曲線が素晴らしい -
橋から続く通りの苔が剥がれているのが気になる
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クチナシとサツキとコケと
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2つの橋が架けられた長島(霞島)
左手が橋でつながった朝日ヶ島、その奥が夕日ヶ島 -
「長島」には少し目立つ「三尊石」がある
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「三尊石」は中央の石が立石ではないので分かりにくい
一般的な三尊石では中央の主石(中尊石)は、縦長の石であることが多い。 -
左手の石垣の上には、かつて方丈が建てられていたらしい。
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今では苔むして美しい
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「亀島」が見えてくる
手前は長島、右奥が朝日ヶ島 -
「亀島」カエデの木が鶴の羽みたいだが?
よく見たら亀の頭にも見えなくはない -
亀島の右手に気になる石組みがあったが?
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カモが来たのでシャッターをバシャリ
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コイもいたが撮れず
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サツキも共存共栄
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自然な感じがいい
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土塀はビジュアル的にもいいが、苔にとっては重要な役割をする
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もともと苔寺は山に囲まれた谷あいで小さな盆地になっており、自然に湿度を保って苔のために適した環境となっているが、土塀と周りの樹木と豊富な地下水と池が重要なポイント
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土塀は、風通しを制限し塀の高さより下の空気は入れ替わりにくいので苔に適した湿度を保つ
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周りの樹木は、直射日光が当る時間を加減し苔の繁殖に最適な環境となる
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豊富な地下水はコケの乾燥を防ぎ、池から発生する水蒸気は繁殖を助ける
苔寺の水源は、玄関前にある「夕日の清水」と「湘南亭」近くの「朝日の清水」と西芳寺川の清流の他、随所から水が染み出ている -
これを見ているだけでも飽きない
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苔は湿気さえあれば光合成して栄養を作るから、岩やコンクリートでも場所を選ばず繁殖するので生命力が凄い
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苔庭の中に「湘南亭」が見える
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茶室「湘南亭」(しょうなんてい)
千利休の娘婿「千少庵」(せんのしょうあん)1546~1614年が再建
千少庵は三千家の祖・千宗旦(せんのそうたん)の父
杮葺(こけらぶき)、L字形の間取りで、待合が繋がっている -
黄金池の方に張り出した月見台が大きな特徴
月見台を備えた茶室は全国でも少ない -
飛び石の露地がある
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千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられた時、一時的に隠れ家として利用していたといわれている。又、明治維新に岩倉具視が幕府の難から逃れるためにかくまわれていた。
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「相生(あいおい)杉」 (夫婦杉)
同じ根から生えた二本の杉で、「縁結び又は夫婦共に長生き」として信仰を集める -
枯滝石組みのような石組みがある
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石組みの中に注連縄(しめなわ)のかかった石がある
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「影向石」(ようごうせき)
近くの松尾大社の神が下りてきたものとされ、正月に張り替えられる
石が特殊なのか、これだけは苔がついていない -
少庵堂側から見た「潭北亭」
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「少庵堂」側から左手に鎮守堂
左に夕日ヶ島、右に朝日ヶ島、その奥に長島があって8つの橋でつなぐ -
「少庵堂」が見える
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「少庵堂」
大正時代に建てられた新しい茶室で「千少庵」の木像を祀る -
「少庵堂」脇から流れ込んでいる「夕日の清水」が、ここで金剛池方面と黄金池方面へ分かれている
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しっぽが出ているようなヒノキゴケは小川周辺のような湿度の高いところに生えやすいという
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スナゴケかスギゴケか?
スナゴケは黄緑色の明るい色で小さ目で柔らかい、スギゴケは深い緑色で大きめで硬い。120種もあるから分からないが、最も目につくのはオオスギゴケとヒノキゴケだという -
小川は黄金池に流れこむ
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苔だらけの庭を堪能したが、秋の紅葉も見てみたい気持ちにさせられる
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一周してスタート地点の観音堂に到着
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次の鈴虫寺まで「苔の茶屋」でランチ
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店主がいろいろ説明してくれ、鈴虫説法の時間調整までしてくれた
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「鈴虫寺」妙徳山華厳寺(みょうとくさんけごんじ)
江戸時代中期(1723)、華厳宗再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)が創立、現在は臨済宗禅寺で、本尊の大日如来のほかに地蔵菩薩も安置し、入学・開運・良縁など叶える -
先月のゴールデンウイークは西芳寺川のところまで並んでいたが、今日はスムーズ、それでも入口は帰る人との入れ替えで混雑
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受付
並ばなかったが、本堂はほぼ満杯でさすがの人気ぶり -
「鈴虫説法」は撮影禁止のため「寿々むし」の茶菓子のみ撮影
今回の説法の内容は「慈粛陽静」(じしゅくようせい)
こういうご時世だから、「慈悲」の心で(思いやりを持って)、「粛々と」(心を引き締めて、うやうやしく、礼儀正しく)、「陽気に」(明るく)、「平静に」(自我を見つめ)て過ごしましょう -
終わってから内部の様子を撮影
鈴虫は1万匹もいて1年中鳴かせているそうだが、先々代の住職からのノウハウ引き継ぎは「巧みな説法」よりも「鈴虫の飼育」の方が大変そう
調べると、鈴虫の寿命は4ヶ月しかないのでつきっきりの世話が必要で、堂内を1年中一定の温度に保つエアコンだけでなく、キュウリやナスなどのエサやり、給水、土の交換、死骸の始末など飼育は簡単ではない -
鈴虫のメスが死んだオスを食べるのは、卵を成熟させるために食べるのでおかしなことではないそう
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庭園はあるが比較的新しそう
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意味不明
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苔寺を見たあとでは苔も珍しくない
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丁寧に整備されているので美しい
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四角や三角など珍しい竹が特徴
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「亀甲竹」(キッコウチク)
根元付近の節が亀甲状 -
「黒竹」(クロチク)
釣り竿や家具の装飾に使われる -
「三角竹」(サンカクチク)断面が三角形
他にも、業平竹(姿形が良い)、矢竹(矢のよう)、四方竹(断面が四角形)、布袋竹(ほていさんのよう)、金明竹(黄金色) -
鈴虫説法で、ぜひ香りを嗅いで下さいと言われた「クチナシ」
ジンチョウゲ、キンモクセイと並んで三大芳香花
香りはいいが、ムシがつくので手入れは大変 -
石組みみたいだが?
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帰りにわらじを履いた「幸福地蔵」にお参り
黄色い「幸福御守」(300円)に一つだけ願いを書いて祈願し、これを身に着けていると、わらじを履いた「幸福地蔵」が願いを叶えに来てくださる、ポイントは、願いは一つだけしか出来ないので、これが叶ったらお礼参りと次の願いのために再度参拝するリピート客が増えること -
やっぱりここの売りは「鈴虫説法」と「幸福地蔵」
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「竹の寺」は15:30から撮影okということだったので、近くの喫茶店で休憩
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「苔寺」からは10分程度で到着
苔寺と同じく夢想礎石開山の臨済宗寺院(鈴虫寺も臨済宗) -
「竹の寺」境内案内図
総門から参道正面に本堂、鎮守堂、右手正面に中門、弁天堂、庫裡、方丈と庭園、裏山は鎌倉時代・衣笠内大臣藤原家良の山荘があったことから衣笠山(いりゅうざん)と称される -
「竹の寺」総門
参道をはじめ境内は美しい竹林に囲まれ「竹の寺」と呼ばれる
(京都には大将軍の地にも「椿寺」と呼ばれる「地蔵院」があり、豊臣秀吉が寄進したという「五色八重散椿」が有名) -
「竹の寺」衣笠山地蔵院(いりゅうざんじぞういん)
鎌倉時代歌人の藤原家良の山荘に、南北朝時代1367武将・細川頼之(ほそかわ よりゆき)が帰依した碧潭周皎(へきたんしゅうこう)宗鏡禅師が開山し、恩師の夢想礎石が勧請開山、その後応仁の乱で荒廃したが江戸中期に細川家の支援を受けて再建。又、室町時代に一休禅師が誕生したゆかりの寺でもあり、細川家菩提寺であることから末裔・細川護煕の書や襖絵があることでも知られる。 -
竹林と青もみじが美しい
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「細川頼之の碑」(1891年に建立)
細川頼之は1329年三河国に生まれ、足利義満の後見人として管領に任命され成人まで育て上げ足利幕府の繁栄に貢献、政治の合間に宗鏡禅師に参禅し地蔵院を建立。後に南北朝の和合にも尽力し64歳で死去 -
本堂(地蔵堂)
現在の本堂は1935年再建 -
「本堂」(地蔵堂)
伝教大師最澄作の本尊「延命安産地蔵菩薩」と千手観音菩薩像、夢窓国師、宗鏡禅師、細川頼之の木像が安置され、延命安産の信仰を集める -
「一休禅師母子像」2017年建立
南北朝の戦いの中で後小松天皇の側室である母親がひそかに地蔵院に隠れ生誕したのが一休宗純で、6歳出家するまで過ごした
その後一休禅師は、22歳で大徳寺に入り、63歳で京田辺で「一休寺」と呼ばれる「酬恩庵」(しゅうおんあん)を創建、81歳で大徳寺の住持となってからも亡くなる87歳まで酬恩庵で過ごした。後小松天皇の皇子となることから、墓は「慈揚塔」と呼ばれ宮内庁管理になっており門扉にも菊花の門がある -
左奥には細川頼之と宗鏡禅師の墓が二基ならんでいる
2018年の台風21号により大木が倒壊した
2020年に頼之公の墓所復興を願い細川護煕元首相が「枝垂れ桜」を寄贈 -
「中門」方面参道
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本堂横の「鎮守堂」
開福稲荷大明神を祀る -
地蔵堂から方丈への参道
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参道の苔も素晴らしい
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中門・方丈庭園入口
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方丈入口
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「方丈」玄関
方丈は1935年再建 -
「十六羅漢の庭」宗鏡禅師作庭
池や築山などない平らな平庭式で石と苔の枯山水庭園
一面の苔の中に修行する羅漢に見立てたた20数個の小岩が配されているので「十六羅漢の庭」と言われる -
京都市名勝庭園
当日は我々2人だけで、特に撮影禁止の張り紙もなかったので、非公開の襖絵以外は一通り撮影させて頂きました。 -
五葉松や椿の他にも千両やツツジなど美しい
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入口すぐの所に五葉松の古木
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五葉松
松葉が5本で一房になっていることから五葉松、常緑樹で冬も緑の葉を茂らせることから不老長寿の象徴
御用を待つ、仕事を待つことから良い仕事が舞い込みますようにという願いを込めて縁起がよい樹木とされる -
主木は「胡蝶侘助」(こちょうわびすけ)
花は紅色に白斑模様 -
開花は3月頃
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羅漢さんは修行中で、石清水八幡宮に願をかけておられる姿だという
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石清水八幡宮に願をかけているのは、
細川氏が源氏とのゆかりが深く石清水八幡宮を篤く信仰していたから -
16個の石は確認出来なかったが、
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南東方向(左手後方)に傾いている
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京都市名勝庭園「十六羅漢の庭」
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京都市有形文化財「方丈」
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肥後細川家の家紋「九曜紋」(くようもん)
真ん中が太陽で周りの8つの星は太陽系を巡る惑星
太陽や月、星は古代から信仰の対象 -
方丈は江戸時代1686年の再建で、2018年に解体修理が行われた
その際に、細川護熙元首相から襖絵「瀟湘八景の図」(しょうしょうはっけいのず)が奉納されたが、通常非公開 -
「海南行」(かいなんこう)
細川頼之の有名な漢詩で管領職を解任されたときに詠まれたという
「人生五十愧無功、花木春過夏已中、満室蒼蝿掃難去、起尋禅榻臥清風」
人生五十 功無きを愧(はじ)ず、花木春過ぎて 夏已に中ばなり、満室の蒼蝿(あおばえ)掃えども去り難し、起って禅榻(ぜんとう)を尋ねて 清風に臥せん
(蒼蝿:へつらう者のたとえ、禅榻:座禅に用いる腰掛け) -
「海南行」(かいなんこう)細川護熙元総理大臣揮毫
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「細川護熙」は、細川家18代当主、55歳で総理大臣、1998年還暦を迎え政界を引退、翌年から陶器の制作、2009年には油絵、2012年には襖絵を始め、2012年地蔵院に瀟湘八景図襖絵8面をはじめ多くの襖絵を奉納してきた。2014年建仁寺に四季山水図襖絵24面、2018年奈良東大寺に白文華厳経唯心偈6曲2双屏風、2019年奈良薬師寺慈恩殿に東と西の融合障壁画66面、2021年建仁寺に瀟湘八景図襖絵24面
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毘沙門天像が祀られている
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「細川ガラシャ殉節之経」
洋画家・幸野義画伯が奉納 -
「猪目窓」(いのめまど)のある茶室
「猪目」は、猪(いのしし)の目に似ているところからこの名があり、古来からお寺や神社などの建築装飾として使われている日本伝統文様の一つ -
「猪目」はお札にもなっている
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「猪目窓」は完全なハート形よりも
この方が古風でいい -
季節ごとに見てみたい
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方丈で毎週日曜日、毘沙門天さまにピアノ演奏を奉納出来ます、とある。
(10分500円、30分1,000円)
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