2022/06/13 - 2022/06/13
572位(同エリア3454件中)
愛吉さん
日光街道歩きも最終日を迎えました。
思えば2019-2-12日に東京日本橋を出発、コロナによる長期中断を3回も繰り返し、漸く終点の日光神橋に到着です。
140KM20宿を完歩、3年4ヶ月の長旅でした。
最終日は(2022年6月13日)午前9時20分東武鉄道下今市駅に集合歩き始めます、スタートは前回終点の今市追分地蔵尊。
街中を過ぎると直ぐに杉並木が始まります、大半が歩行者専用ですが後半になると国道119号となり自動車と併用、一気に交通量が増え道端に追い遣られます。
道は緩い登坂が続き、杉並木が途切れるとそこが日光市街地、JR日光駅が直ぐ其処、奥には東武の日光駅、そこからは日光の門前町となり20分程で神橋に到着です、長かった日光街道歩きもここが終点となります。
到着した仲間は日本橋出発時の2/3、長かった道のりを感じさせます。
日光街道は140KM、手頃な長さ、街道自体も宇都宮を過ぎると杉並木が続き、往時の旅人の雰囲気を感じさせて呉れます。
長かった日光街道歩きも今回で終了、お付き合い有難う御座いました。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル
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今市の追分地蔵。
日光街道と例幣使街道の合流点にある地蔵尊、本日の出発点です。
道中の無事を願って出発。 -
先ず訪ねたのが町中にある二宮報徳神社。
二宮尊徳翁はここ日光御神領の今市で農村復興指導中に亡くなります、1856年70才でした。 -
鳥居の前にあるのは報徳来復像。
杉の一木造り、尊徳翁の坐像と立像、チェーンアートだそうです。 -
手水鉢
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拝殿、 薪を背負った小さな二宮金次郎の人形が置かれています。
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尊徳翁墓。
遺体はここに埋葬しました。 -
尊徳翁坐像。
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隣は如来寺。
室町時代中期の創建、東照宮創建時には3代将軍家光の宿所と成る等名門を誇ります。 -
本堂
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観音堂
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鐘楼
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街の中心部に今市宿の標柱が。
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会津西街道との合流地点、今市で三街道が合流、日光街道として日光に向います。
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日光迄8KM,会津若松迄112KMです。
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次はそば食い稲荷。
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そして上町の薬師様、淨泉寺と続きます。
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街道沿いに今宮総鎮守滝尾神社があります。
782年の創建、祭神は大国主命。 -
拝殿。
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拝殿の横にこんな像が、平成天皇即位10年記念です。
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今市の市街を離れると杉並木となります。
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暫く進むと奥にこんな石像が、立寄って見ましょう。
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朝鮮通信使今市客館跡碑でした。
朝鮮通信使用の客館があった場所です。 -
傍には2連の水車も設置され公園になっていました。
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公園脇の道を歩きます。
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杉並木街道に戻ります。
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林の中に高尾神社。
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七本杉の切株。
七本の杉が密着して生えていましたが、今は切株を残すのみです。 -
杉並木の一角に杉並木公園があり、古民家が移築されています。
旧江連家で内部を公開。 -
隣は報徳庵、手打ちの蕎麦うどんを供し、街道歩きの人達のお休み処となっています。
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又暫らく歩くと砲弾打ち込み杉。
戊辰戦争の折官軍の放った砲弾が当たりました。 -
砲弾跡。
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街道脇に野口の薬師堂。
石製の釣鐘が置かれています。 -
境内には石仏が並びます。
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今度は街道脇に常夜灯がありました。
江戸時代を通じ街道を照らし続けた常夜灯です。 -
常夜灯下の切り株にきのこが。
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次は明治天皇御小休処跡が。
明治9年の国内巡行時に立寄った跡です。 -
杉並木の終点、ここから日光市街が始まります。
歩いて来た杉並木を振返ります。 -
JR日光駅は直ぐ。
大正元年築、風格があります、当時は御用邸がありました。 -
日光駅を過ぎると、日光2社1寺の参道となり、色々な店が並びます。
往時を偲ぶ建物も多いです。 -
日光市役所、元ホテルだそうです。
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神橋に到着、日光街道の終点です。
何度も中断を考えながら3年4ヶ月を掛けて到着しました。
人生の良き想い出です。
長い事お付き合い下さり有難う御座いました。
終
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