
2022/06/13 - 2022/06/13
21位(同エリア121件中)
愛吉さん
日光街道も無事歩き終え、神橋の袂で祝杯散会。
その後私はバスで同じ日光市内の産業遺産足尾銅山跡に向います。
400年の歴史を誇り、かっては日本一の鉱都と呼ばれた足尾銅山、又日本最初の公害、足尾鉱毒事件、田中正造の直訴を生んだ場所でもあります。
JR日光駅前からバスで1時間、山の中、昭和48年に閉山し周りには何もありません、日本近代化を支えた鉱都も廃墟と化しつつあります。
表紙は足尾銅山坑道内部
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
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JR日光駅からバスで1時間、足尾銅山入口に到着しました。
江戸時代から続いた足尾銅山、昭和48年に400年の歴史に幕を閉じ完全閉山。
今は観光施設として息を繋いでおります。
ここは鉱山観光の入口。 -
切符を買って入場すると待合室。
そこには抗夫のマネキンが展示されています。 -
このトロッコに乗って鉱洞見学出発です。
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鉱洞坑入口。
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トロッコの終点。坑道はこの先総延長1234KM続きますが、観光は手前700Mのみ、ここから歩いて回ります。
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江戸時代の掘削状況。
明かりは燈明一つ、タガネを使った手掘りです。 -
負夫、原石を背負って鉱外に運び出す人。
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水替え人足、鉱内の湧水を汲み出す人。
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昭和に入りました。
鉱脈調査。 -
ハッパを掛けます。
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坑内に電動車が走るようになります。
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立坑にもトロッコが入ります。
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坑内に祀る山の神。
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工夫の昼食、坑内でとります。
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鉱石は電動車で鉱外へ
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鉱石選別、大きな原石は小さく割ります。
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銅を取り出します。
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鋳銭座、寛永通宝が出来るまでを再現した資料館。
(江戸時代はこの現場で寛永通宝を鋳造していました) -
鋳銭座の様子が人形で解説されています。
中門改め、何しろ銭を造る処ですからね。 -
鉱石を熱し銅を取り出す。
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一両は四千文、寛永通宝で揃えると重さは何と12KG。
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鉱洞の入口にある通洞鉱山神社。
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鉱山の真上に通洞大橋、鉱山閉山後観光地に変身させるべく昭和55年に県が造りました。
果たして思惑通り進んでいるのでしょうか。 -
尚鉱山活動中、この付近の山は精錬工場の煙突から排出される亜硫酸ガスにより禿山化していましたが、その後植樹が進みここ迄回復しました。
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本山精錬所跡と古河橋。前に建つ三角屋根は公衆トイレ。
人の気配は全くありません、廃墟化が進行中です。
尚古河橋は明治22年製の道路用鉄橋で重文。
公害問題も全面解決には至らず、野積みの鉱山廃棄物、坑道よりの湧水等問題が残ります、近年でも水害で廃棄物の土石流が発生、流域に鉱害が広がり、大きな社会問題となりました。
社会科勉強はこれで終了、日光に戻りす。
終
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