2018/08/03 - 2018/08/03
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frau.himmelさん
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実際の旅行は2018年夏のものですが、旅行記は2020年6月に記しています。
ロシアの独裁者プーチンがウクライナに侵攻してから3か月半以上が経過しました。
今私たちは連日テレビで、ロシア軍の攻撃で美しいウクライナの町や村、そして自然が破壊されていく様子や、罪もない大勢の人々が犠牲者になる様子などを目にしない日はありません。本当に胸が潰れる思いで見ています。
それどころか、独裁者の思惑一つで核ミサイルだって発射されても不思議ではない今の状況。
どうしてそんな時代になってしまったのか。
今こそ世界の人々は独裁者を弾劾して、地球の平和・安全を叫ぶ時ではないでしょうか。
2018年夏に訪れた「レマゲンの橋平和博物館」の旅行記を書きながらその思いを強くしました。
一日も早く、ウクライナの人々が日常生活を取り戻すことができますように。
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1965年にレマーゲンの市長に就任したハンス・ペーター・キュルテンによって設立された「レマゲンの橋平和博物館」。
レマーゲンの戦いにより廃墟となったルーテンドルフ橋の橋桁を戦争の戒めの記念として残し、橋塔を利用して戦争と平和を考える博物館が造られました。 -
博物館の前には、冷戦時代のハンガリーの彫刻家によって造られたモニュメント。
何か深い思想をもって造られたものと思われますが、私には???。 -
サイクリング途中の男性が熱心に眺めている先には?
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外壁に嵌め込まれたいくつものプレート。
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これは、ルーデンドルフ橋の説明プレートですね。
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そして一番目立つのは、アメリカ軍第9機甲師団のプレート。
ルーテンドルフ鉄橋を最初に渡った勇敢なツィンマーマン中尉が所属する部隊です。
このプレートは、後に第9師団の退役軍人により、レマゲンの戦いで亡くなった人々を追悼するために寄贈されたものです。 -
第9師団に続いてライン川を渡った米軍第78歩兵師団、第99歩兵師団の碑銘もあります。
右下は連合軍としてアメリカ軍とともに戦ったベルギーの第12フュージリエ大隊の記念プレートです。 -
博物館の外には戦争遺物のようなものが置かれています。
これはなんだかよくわかりませんが、爆弾みたいなものでしょうか。
今回のウクライナ戦争で写真でみた爆弾や、また北朝鮮の軍事パレードで見かける砲弾のようにも見えます。無知ですみません。 -
このおもちゃの家みたいなものは、一人用防空壕だそうです。
これじゃ現在のロシア軍の攻撃の前にはひとたまりもありませんね。 -
さて、「レマゲンの橋平和博物館」の見学を続けます。
天井から下がっているのは星条旗。
アメリカ軍の活躍で無傷の橋を見つけ、大勢の軍隊や戦車がライン川を渡り、それが結果的に戦争の短縮につながった。それにより戦争による犠牲者が少なくなったことを考えると、やはり米軍は功労者と言うべきなのか。 -
勲章や楯関係。
そして、ここにも最初に橋を渡った米軍第9機甲師団のプレートが輝いています。
戦後50年を記念して退役軍人より贈られたもの。 -
米軍第276工兵大隊銘板。
連合軍とドイツ軍の戦闘により損傷したルーデンドルフ橋を繰り返し補修したり、浮橋を造ったりして連合軍の大隊や戦車の渡河を可能にしたのは米軍第276工兵大隊。
しかし3月17日に突如橋が崩落して28名の犠牲者を出した。 -
ベルギー第6大隊の記念の紋章
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そしてこのメダルはなんでしょう。
下のメダルの部分はルーテンドルフ橋塔ですが、上の留め金のリボンにはうっすらと「JAPAN]の文字が見えます。
これは占領軍勲章と言われるもので、連合軍最高司令官であったアイゼンハワー将軍に贈られたものらしい。 -
窓から外を眺めます。
ライン川と橋頭塔が見えます。塔の窓は銃眼として使われていたので、必要最小限の大きさしかありません。
あの塔の上には星条旗がはためいていたのですが、写真には写っていません。 -
渡り廊下を通ってあちらの塔へ移動します。
壁に書かれているのはたぶんレマゲンの戦いで犠牲になった人々の名前では?(確かではありません)。
そしてその奥に見える絵は? -
エルペルの丘からルーテンドルフ橋を見ている二人の男性、影絵風に見えてとても気になる絵です。
いつのものなのか、実在のものなのか、空想によるものなのか、調べたけどわかりませんでした。
手前の無帽の男性の横顔はなんとなくアイゼンハワー将軍に似ているような気もするし、もう一人の双眼鏡の男性はルーデンドルフ将軍?時代が違いますので、二人が並んでいるはずはありませんが。 -
ちなみにルーデンドルフ将軍は右上の人物。
恰幅がいいから影絵の人物とは違いますね。 -
レマーゲンの鉄橋は1912年に計画され、第一次世界大戦で軍需品や軍隊の移送のために1916年に建設されました。
当時のカイザー・ヴィルヘルム2世は、陸軍将軍エーリッヒ・ルーテンドルフに敬意を表して「ルーデンドルフ橋」と名付けました。 -
当時は橋の建設には馬が活躍したのですね。
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館内にはルーデンドルフ橋の模型が。
破壊される前の実物は、長さ325m、高さ14.8m、アーチ高さ29.25mの鋼製の橋でした。
すっきりとした美しいフォルムをしていました。 -
平和の鳩(矢印)に導かれて階段を登ります。
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1965年から1994年までレマーゲン市長を務めたハンス・ピーター・キュルテンは、多くの犠牲者を出したレマーゲンの戦いの記録を残しただけではありません。
平和博物館として平和や反戦を訴える記念館を創ろうと奔走しました。
壊されたルーデンドルフ橋の石から造った証明書付きのペーパーウェイト(文鎮)を売り出して資金を調達しました。 -
この小さな黒いプレート、200枚以上あります。
1945年以降の世界で起きた戦争や紛争を記録して、世界平和や反戦を強く訴えています。
え~~っ!こんなにたくさんの争いがあったのですね。
文字を拾ってみると、イエメン、スーダン、シリア、ウガンダ、アンゴラ、モザンピーク・・・。
発展途上国名が並びます。 -
アルジェリア戦争、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争、クロアチア・セルビア紛争、フォークランド紛争、レバノン戦争・・・、
まだ記憶に新しいものがいくつもあります。 -
もっとも新しい戦争として、ロシアによるウクライナ侵攻も加わることになるのでしょうか。
こんな小さなプレートではなく、この何倍も大きいプレートにして、軍事侵攻をした独裁者プーチンを強く糾弾してほしいものです。 -
第二次世界大戦で亡くなった人々の国別内訳が示してあります。
5000万人から5500万人が犠牲になったと。
主な国を。
・ドイツ 325万人の兵士と325万人の民間人。
・ソ連、1360万人の兵士、700万人の民間人。
この2国はダントツです。
・アメリカ 22万9000人の兵士、本土決戦はないので民間人は0.
・フランス 25万人の兵士、35万人の民間人
・イタリア 33万人の兵士、8万人の民間人
やはり戦場となったヨーロッパの国は戦死者が多いですね。その中でも
・ポーランド 10万人の軍人、570万人の民間人。
民間人が異様に多いのはユダヤ人の虐殺がほとんどを占めているのでしょうね。
・ユーゴスラビアの軍人30万人に対して民間人140万人、
これもヒトラーによるセルビア人虐殺が多数を占めているものと思います。
民間人が多いヨーロッパの国々はユダヤ人ホロコーストの影響かと思われます。
一番下の異常に多い数、軍人760万人、民間人600万人とあるのは日本を含めた東アジアの国々が一緒くたになっているものです。 -
このコーナーはノーベル平和賞のコーナー。
ノーベル賞は皆様ご存じのように、ダイナマイト発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って、1901年から始まった世界的に最も権威のある賞です。
その中でもノーベル平和賞は、「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すべしと明記されています。
上記の言葉は、そっくりそのままロシアのプーチンの目の前にこそ突きつけたいとは思いませんか! -
新しい1970年からのノーベル平和賞の顔ぶれを見てまいりましょう。
1971年 ヴィリー・ブラント、
1979年 マザーテレサ、
1989年 ダライラマ、
1991年 アウン・サン・スーチー
2002年 ジミー・カーター、
2009年 バラク・オバマ・・・
など懐かしい顔ぶれがいっぱいです。 -
日本の佐藤栄作元首相も1974年の平和賞です。
1973年 ヘンリー・キッシンジャー(米)、
レ・ドゥク・ト(ベトナム、しかしまだベトナムに平和は訪れていないと辞退)
1974年 ショーン・マクブライト(アイルランド) -
またノーベル平和賞は、他のノーベル賞と異なり、団体も対象になっています。
1981 国際連合難民高等弁務官事務所
1985 核戦争防止国際医師会議
1988 国際連合平和維持活動
1995 パグウォッシュ会議
1997 地雷禁止国際キャンペーン
1999 国境なき医師団
2001 国際連合
2005 国際原子力機関
2012 欧州連合
2013 化学兵器禁止機関
2017 ICAN 核兵器廃絶国際キャンペーン -
今現在(2022年6月)、最も平和とはかけ離れた破壊行為、侵略行為を続けているかの国からは二人の受賞者がでています
○1975 アンドレイ・サハロフ
授賞理由:人権や軍縮、およびすべての国家間協力のための彼の奮闘に対して。
サハロフ氏は政治家であり物理学者。
ソ連の水素爆弾開発にかかわったが、核実験に生じた汚染を目の当たりにして、自らの良心に基づき核実験の中止を進言する。
1980年のソ連によるアフガニスタン侵攻に反対し当局に逮捕された。
○1990 ミハイル・ゴルバチョフ
授賞理由:冷戦の終結・中距離核戦力全廃条約調印・ペレストロイカによる共産圏の民主化により。
ゴルバチョフ氏はまだ存命で、今回のプーチンによるウクライナ侵攻については一刻も早い戦争停止を求める声明を出した。
今の問題国ロシアにはこの二人のような政治家はいないのだろうか。 -
「橋を架ける 平和へのメッセージ」
著名人の戦争や平和に関するメッセージが記されています。いくつか見て行きましょう。
なお、訳は翻訳ソフトに手伝ってもらいましたので、意味不明なところもあります。ご容赦を。 -
私たちは自分自身をこの小さな惑星の同じ人類家族の一員として見なければなりません。
これを誠実に、そして世界中で行うことができれば、地球上の永続的な平和への希望があります。
(ダライ・ラマ14世)
私は、非暴力は暴力よりも空高く優れている、赦しは報復よりも男性的であると信じています。
(マハトマ・ガンジー) -
戦争をすることは、罪のない人々を殺し、自分自身を無邪気に殺すことを意味します。自立したまともな人がそのようなビジネスに参加できますか?
(アインシュタイン)
平和は理性の傑作です。
(イマヌエル・カント) -
私は、指導的な人々、支配者、資本家だけが戦争の責任を負っているとは思わない。どうやらリトルマンも、さもなければ、人々はそのようには参加しないだろう。
(アンネ・フランク)
あなたが望むなら、戦争は終わった。
(ジョン・レノン) -
私たちは鳥のように飛ぶこと、魚のように泳ぐことを学びましたが、兄弟のように生きるという単純な芸術を忘れてしまいました。
(マーティン・ルーサー・キング)
平和は笑顔から始まります。1日に5回、あなたが微笑みたくない人に群がってください。平和のために、すべての笑いが地上の幸福を増すので、それをしなさい。
(マザーテレサ) -
こちらには壁一面に平和の鳩が飛んでいます。
そして世界中の言葉で平和のメッセージが書かれています。
来館者によって書かれたものです。 -
誰もが思い思いに平和のメッセージを書いて鳩を飛ばすことができるのです。
-
最後にドイツの詩人フリードリヒ・シラーの「地球の分裂」を。
なにやら今の時代を思わせる意味深な詩です。
私が勝手に解釈した詩の一部分を
「地球を奪え!」ゼウスは高みから叫んだ。
地球の住民は我先に地球の一部分を占領します。森・畑・ぶどう畑・市場・・・
王は橋と道路を閉鎖する。
そして、「つま先は私のものだ」と言いました。
シラーの時代には今のような凄惨なウクライナ戦争なんてなかった時代でしたが、シラーは今のロシアによる無秩序な状況を見て何を思っているでしょうか。 -
窓から外を眺める。
壊れかけた橋の傍には若者のグループ。
この子たちに戦争のツケを回してはいけないのですね。 -
はて、これはどこにあった爆弾だろう?
1981年に見つかった1000㎏爆弾の不発弾らしい。
何か生々しいというか、今日のウクライナ戦争でロシアが使っているものや、北朝鮮の頭の足りない将軍様が挑発のために発射しているミサイルなどと比べると、なんと可愛いことか。 -
平和博物館を見学し終って外に出ました。
戦争遺物としての壊れた橋の傍を大きな船が通っています。 -
ライン川の向こうはエルペルの街。
エルペルもまた連合軍とドイツ軍の戦場となり、大きな被害を蒙りましたが、戦後再建されました。
白い壁が印象的な美しい街です。 -
そしてこちらはレマゲン側。
丘の上に見えるのはアポリナス教会。 -
今はライン川沿いをサイクリングしたり、散策したりと平和な時間が流れています。
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まるで踊っているように見えるモニュメント、そしてエルペルの丘には戦争の犠牲者を追悼する十字架が小さく見えます。
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さあ、私もバス停へ急ごう。
後ろを振り返り、もう一度壊れているルーデンドルフ橋を見て、ライン川から離れます。 -
平和な生活が営まれている民家。
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ここは老人ホーム。
レマゲンの町も連合軍の空爆により爆撃を受けた町です。この付近も全て破壊されたのでしょうね。
今、ウクライナではこんな普通の生活がロシア軍の非人道的な攻撃により、一瞬にして壊されているのです。 -
壁にレマゲンの橋の絵が。ここのバス停から駅に向かいます。
レマゲンを訪れたのは2018年でしたから、まさか2022年の今、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発するなんて思ってもいませんでした。
今私たちは毎日、戦争の凄惨な状況を目にしない日はありません。
独裁者の思惑一つで核ミサイルだって発射されてもおかしくない今の世界情勢。なんか狂っている。 -
この大きなバスに乗ってレマゲン駅に着きました。
今回、平和博物館の旅行記を書きながら、平和って何だろう、戦争って何だろうと頭の中でずっと考えていました。 -
レマゲン駅。
これからボン市内でもう1か所、戦争のことについて考える博物館に行きました。
それはまた別編にてアップします。 -
いったんホテルへ戻り、もう一度出かけます。
明日はフランクフルトへ移動しますので、今のうちにボン市内を少し散策したいのです。
まずベートーベンハウスへ向かいます。
ボンガッセと道路標識があるほうに曲がって・・・。 -
通りの奥に見える塔は「ナーメン・イエス教会」。カトリック教会です。
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その先にベートーベンが生まれた家はありました。
もう6時過ぎていますから内部見学はできません。 -
ピンクの壁に深い緑の入り口。
かの偉大なベートーベンはここで生まれたのですね~。 -
残念だけど今日は眺めるだけ。
2019年にリベンジしました。よかったら見てください。
https://4travel.jp/travelogue/11600626
「2019秋旅 旧墓地、ベートーヴェンハウス、シューマンハウス、そして突然夫の思い出の地に」 -
ベートーベンショップ
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近くの通りにベートーベンの顔プレートが。
ボンガッセにはボンに関連する有名人の顔プレートが道路に嵌め込まれています。
他も見て見ましょう。 -
ロベルト・シューマンとクララ・シューマン
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左上:ケルン大司教クレメンス・アウグスト、
右上:アレクサンダー・ケーニッヒ(動物学者)
左下:マリー・ケール 教師、ナチスの抵抗運動家、
右下:エルンスト・アルント(詩人、歴史家) -
この人を忘れてはいけませんね。
ヴィリー・ブラント
ボンに首都が置かれていた西ドイツ時代の首相でしたから。 -
マルクト広場では毎朝市場が開かれていますが、この時間でもまだいくつかの屋台が残っています。
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ボン旧市庁舎。
ファサードの豪華な紋章。
美しく装飾された佇まいをしばし眺めます。 -
ボン旧市庁舎
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マルクト広場のオベリスク
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ボンにはガス灯が良く似合う。
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この立派な建物はボン大学
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レミギウス広場と噴水
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その隣には、私の平凡な頭では理解できない前衛アート。
トニー・クラッグ作「Mean Average(平均平均??)」
この近くからバスに乗りホテルに帰ります。 -
ホテルの2つ3つ手前の停留所近くで見た素敵な建物に引かれて途中下車しました。
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女性の顔の彫像がいくつも壁から出ている建物、ヨーロッパではよく見かけますね。
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こちらはバルコニーを支えている男性の彫像。
こういう優雅な建物を見るのは楽しいです。 -
ここの雰囲気もいいですね~。
街路樹がとってもいいアクセントになっています。
ホテル・モーツアルトの張り出し窓を支えているのはライオンの彫像。
ここモーツアルト通りって言うのですね。 -
そしてここはヴィッテルスバッヒャーリンク。
あのヴィッテルスバッハ家の名前の通りです。 -
なんて、何気に標識を読んでいたら、
あれ!あの青信号は、ベートーベンの顔ではありませんか! -
ホテルのお隣のスーパーマーケットでパンとフルーツを買って、部屋食にしました。
レストランに入っても一人ではつまらない。
明日はフランクフルトに移動します。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- マーさん 2022/06/13 13:48:46
- また、お邪魔させていただきます。
- レマゲン鉄橋平和博物館編 ! とても、判りやすく説明されていて熟読させて
頂きました。 一般的な観光スポット巡りもせっかく海外に来てるのだから
否定する事ではないですが、やはりfrau.himmelさん のテーマを
持って書いていらっしゃる旅行記が大好きです(^^♪
あの平和のメッセージですが、特に「マハトマ・ガンジー」と「アンネフランク」
のメッセージがささりました。 そして、ノーベル平和賞受賞された
人々の展示(個人的には何で ??この人が !?って方もいらっしゃいますが)
これがあるのだったら、逆に世界的な極悪人達の展示があっても
いいのではとも一瞬思いました。近代では、「狂人プーチン」を筆頭に
「北の暴れん坊将軍様」少し遡って「カダフィ大佐」「フセイン大統領」
「アミン大統領」「ポルポト首相」そして「アドルフ・ヒトラー」などetc
ちょっと脱線してしまった感もありますが・・・すみません
ただ、今のウクライナ侵攻にしても 人間ってホントに学ばない生き物
なのかなぁって思ってしまいます。殺し合いして何が残るの !?って
やはり、こういう戦争遺構を見てfrau.himmelさんもおっしゃてる
通り こういう狂人国家元首を出さない国造りを各国の
国民一人ひとりが考えないといけない課題だと改めて思いました。
渾身の旅行記 お疲れさまでした。
- frau.himmelさん からの返信 2022/06/13 22:15:01
- RE: また、お邪魔させていただきます。
- マーさん、こんばんは。
私の、旅行記とも言えないような、華やかさのかけらもない、自己満足だけの旅行記を「熟読」してくださってありがとうございます。
すごいですね、あの文字だけの写真(何を言っているのだか・・・)を見てくださって、ガンジーとアンネ・フランクの言葉が突き刺さった、と。
ガンジーの非暴力は有名ですからなんとなくわかりましたが、翻訳ソフトに頼りっきりのアンネ・フランクの言葉は私には全くの「なぞなぞ」でした。
マーさんにコメントをいただいて、私なりに今のロシアに例えてもう一度考えてみました。
「支配者(プーチン)だけが戦争の責任があるのではないと思う。ロシアの普通の国民にも同じように責任があるのだ。さもなければ国民はそんなものには参加しないでしょうから」。(ってこんな感じでいいのでしょうか。)
そうなんですね。もっと早くロシアの国民がプーチンに反対していたら、こんな戦争は起きなかったかも・・・。
う〜〜ん、そうかな〜。プーチンは極悪独裁者ですからね。
極悪人の展示は大変面白いと思いました。
名前が挙がった顔ぶれをみても、あんなのが並んで展示してあったら、怖くてそそくさと通り過ぎてしまうかも。
その顔ぶれを見る限り、残念ながらアンネ・フランクの言葉通りにはいきそうもないですね。彼らは狂人独裁者、その国家の国民であれば、怖くて従わざるを得ないでしょうから。
本当にマーさんがおっしゃるように、そんな狂人指導者を誕生させない国を、私たち一人ひとりが造らなければならないと思います。
ありがとうございました。
himmel
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