2018/08/03 - 2018/08/03
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frau.himmelさん
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一人旅2日目です。
過去何度か訪れたボンなのに、私が今回もボンに来たかった理由が二つあります。
一つは列車の通過で「REMAGEN」という駅名を見て、昔観た映画の題名を思い出したこと。
ー「レマゲン鉄橋」ー
半世紀以上も前の映画ですが、いつかあの地を訪れてみたいと思っていました。
2つ目は「西ドイツ歴史博物館」にもう一度行きたい。
前回訪れた時は写真撮影禁止でしたが、今回は写真撮影OKという情報を見つけました。もう一度、写真を撮りながらじっくりとドイツの歴史を振り返ってみたい。
本当に悲しいことに、齢をとるにつれて、博物館や美術館は観ただけでは理解が付いていかないのです。
今日はこの二つを決行いたします。
◆
2022年5月にこの「レマゲン編」を書いています。戦争映画です。
書いているうちに、今現在起きているプーチンによる人道的に絶対許されないウクライナ戦争とオーバーラップしてしまい、途中で辛くなってしまいました。
早く、ウクライナの人々に平和が戻ってほしいと、強く思いました。
-
ホテルで朝食を摂ってボン中央駅へ。
レマゲン行きの普通列車は1時間に3本も出ています。 -
レマゲンはボン市内ではないので、ホテルでもらった市内乗り放題チケットは使えません。
券売機でボン⇔レマゲンの1日券を購入します。
これでバスにも乗れるし、都度チケットを買わなくて済むのでラクチンです。 -
ボン駅周辺は駅前と言わず駅構内と言わずあちこち工事中。ちょっと鬱陶しい。
しかしさすがにベートーベンの生まれ故郷ボンですね。工事中のフェンスの上から楽聖が顔を覗かせて「ヴィルコメン!(いらっしゃい!)」しています。 -
こちらは私が滞在している「インターシティーホテル」の駅側。
私は今回グレードアップしてもらって反対の街側の部屋です。 -
私が乗った普通列車はしばらくボン市内を走っていましたが、気が付けばライン川沿いを走っている。
映画「レマゲン鉄橋」は、ライン川をめぐる連合軍とドイツ軍の戦いだったなぁ~とそれだけはちらっと思い出す。 -
ボンから20分弱で「レマゲン」駅に到着。
レマゲン駅はドイツ旅行で何度も通過した駅です。
いつかは降り立ってみたいと思っていましたが、ようやくその時がきました。 -
丘の上に大きな教会が見えます。
アポリナス教会です。 -
目的地まで歩いてもそんなに遠くないけど、せっかく1日券を購入したのですから駅前からバスに乗ります。
私のメモ帳には「841,851,852,853番」のいずれかのバスに乗ればいいと書いてあります。
バスの中はガラガラ、「レマゲン鉄橋」を訪れる人は多くないのかしら。 -
しばらくレマゲン市内を。
駅前を出発して、マルクト通りに出て・・・。 -
あっ!あの家の壁に橋の絵が描かれている。
ここで降りるのに違いない、降りよう! -
降りたのは私一人。
まぁ~!バス停のなんて大胆な落書き、これはもう笑うしかない。
バス停横に置かれた美しい植木鉢に癒される。 -
それにしても静かな街、大通りなのに車は数台しか通らない。
やっと道行く女性をつかまえて、「橋はどっちですか?」と聞きました。
この左の道を入ってまっすぐ、と。 -
ありました!
案内板に「古い橋」「レマゲンの橋」とあるし、こっちで間違いないようですね。 -
ここはレマゲンの「ラインハレ」。多目的ホールとして使われているようです。
壁のモニュメントが面白い、何を表しているのかな。 -
更に進むと、川が見えてきました。ライン川です。
そしてずっと先には壊れた橋桁が・・・。 -
これが連合軍とドイツ軍との大激戦で壊れたままになっている「レマゲン(の)橋」です。
-
壊れる前は、レマゲン(左側)とエルペル(右側)を結ぶ美しい鋼製の橋でした。
この橋の名前は実際には「ルーテンドルフ橋」です。
第一次世界大戦で、軍需品や軍隊の移送のために1916年に造られた橋です。当時のルーデンドルフ将軍の名前を取って「ルーデンドルフ橋」と名付けられました。 -
橋の下まで行ってみました。
この橋は2本の鉄道線路と歩行者用歩道で構成されていたそうですが、意外と狭いですね。下を支える鉄骨もチャチだし。
爆撃で焼け残った部分だけが辛うじて残されているのでしょうか。 -
石造りの橋桁(橋頭堡)の部分は堅牢でがっしりししています。
この塔は戦争当時は司令塔や防護壁、兵隊の宿泊所、弾丸貯蔵庫として使われていました。
現在はこの内部は「平和博物館」となっています。 -
向こう側(東側)のエンペル側にも同じような橋桁が残っています。
草木が茂ってよく見えませんが、塔と塔の間にはトンネルの入口があります。 -
エンペルの背後には急峻な崖(エンペル・レイ)。
-
ルーデンドルフ鉄橋の残された橋桁をくぐって・・・。
-
それでは、石の階段を登って塔の中の平和博物館へ入ります。
-
これはまだレマゲンが米軍に攻撃される前の「ルーデンドルフ橋」。
下の写真は、エルペル側から、川向こうのレマゲンを見ています。
それでは、写真を見ながら、レマゲンの戦いを勉強していきたいと思います。
1944年、連合軍の西部戦線はノルマンディー上陸に成功し、バルジの戦いでは手ごわいドイツ軍の抵抗にあったものの、ジークフリート線を突破してライン川に近づきつつありました。 -
しかしナチスドイツは、西の壁(ジークフルート線)は越えてもライン川を容易に越えることはできないだろうと考えていました。
ライン川は強力な自然の防衛線でしたから。 -
米英軍(連合軍)はドイツの各地区への空爆を続けていました。
レマゲンの町でも1944年12月と1945年1月に米英空軍の空爆に遭い、甚大な被害を受けました。 -
米英軍はライン川まで迫っている。一刻の猶予もない。
ドイツ軍はライン川に架かる橋を次々と爆破しました。
3月の初め米軍がケルンに進撃し、ドイツ防衛軍との市街戦の末、ドイツ軍はホーエツォレルン橋を爆破して敗走しました。
(写真は再建されたホーエンツォレルン橋、2010年写す) -
同じころ、デュッセルドルフに架かるオーバーカッセル橋もラインクニー橋も米軍が到着する前に次々とドイツ軍によって爆破されました。(写真は2017年写す)
-
ドイツ軍は数日間でライン川に架かる橋を次々と爆破しました。
(写真はボンにかかる橋。戦後再建されてコンラッドアデナウアー橋と名を変えた。Wiki)より -
連合軍はもはやライン川に橋は残っていないと諦めていました。
かくなる上は船による渡河作戦か、パラシュートによる人海作戦かと思案しておりました。
ところが・・・。
3月7日お昼頃、米軍偵察隊がレマゲンの高台から見下ろすと、なんと完全な橋が残っているではないか!
奇跡が起こったのです。
(1945年2月14日空中撮影写真) -
米軍の中隊と戦車大隊はすぐさま橋へ向かって出発した。
途中の町や村で軽い抵抗を受け乍ら、また白旗が掲げられている家々の間を通り、レマゲンに到着した。 -
ルーデンドルフ鉄橋はライン川で唯一残った橋でした。
両軍により橋をめぐる熾烈な争奪戦が始まった。
米軍戦車は橋の東側(エンペル側)のドイツ軍に向かって攻撃し始めた。
どうにかして橋を渡って東側のドイツ軍に攻め入りたい連合軍、橋を爆破して米軍の進出を防ぎたいドイツ。
ドイツ軍が橋に大量の爆薬を仕掛けているため西側(レマゲン側)にとどまっていた米軍でしたが、ドイツ軍の爆薬は一向に起爆しない。 -
ドイツ軍は、ライン川で唯一残ったルーデンドルフ橋を、向こう側に残されている数万のドイツ兵が撤退できるようにぎりぎりまで爆破しなかった。
しかし間近に連合軍が近づいている。
ドイツ軍は何度も起爆装置を作動させるも、配線の不良から失敗ばかり。戦火の中で修理をせざるを得なかった。
そして間が悪いことに、迎撃してくれるはずのエルペルの丘に設置されている高射砲隊は、前日コブレンツに移動したばかりだった。 -
もっと間が悪いことに、ドイツ軍の指揮官は橋の解体のために600㎏の軍用爆弾を要求していたのでしたが、受け取ったのはその半分の300㎏の威力の弱い工業用爆弾でした。
それでもドイツ軍はルーデンドルフ橋を爆破しました。
爆薬の量が足りずに、歩道側に隙間ができただけでした。
(写真の手前の部分) -
その隙をぬって、第9アメリカ装甲師団の中隊長ティンマーマン少尉と部下の軍曹は、ドイツ軍陣地からの激しい銃撃を受けながらも、爆弾のコードを切断し、設置してある爆薬を橋から蹴り落として必死に橋を駆け抜けました。
-
中隊員らもこれに続いた。
3月7日午後4時、ついにルーテンドルフ橋は米軍が確保した。
写真はカール・ティンマーマン中尉。
テインマーマンは最初にライン川を渡ったアメリカ将校です。映画では彼が主人公です。 -
エンペルのトンネル内にはドイツ兵200人とエルペルの市民100人が避難していたが、投降して捕虜となった。
米軍が確保したルーデンドルフ橋が渡河可能なうちに、できるだけ多くの米兵をライン川を渡らせたい、米軍司令官アイゼンハワーは近くの米兵を急ぎレマゲンに送った。
橋確保から24時間以内に8000人を対岸に送りこみ、橋に並行して浮橋を造らせた。 -
写真はエンペラー・レイの鉄道トンネルを占領した後、アメリカ兵がルーテンドルフ橋を眺めているところ。有名な写真です。
アイゼンハワー将軍は、レマゲン鉄橋の確保を喜び、「レマゲン鉄橋の重さは、金の重さにも相当する」と評した。 -
占領したレマゲンの橋塔堡の上からアポリナス教会を眺めている米兵。
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アメリカの新聞雑誌も、連合軍のルーデンドルフ橋奪取を「レマゲンの奇跡」と書きたてた。
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確保したルーデンドルフ橋を渡って、ライン川を越えている米軍の連隊。雑誌より。
-
橋を修理している米軍の工兵隊。雑誌より
-
さて、方やドイツ側。
連合軍がルーデンドルフ橋を無傷で奪取したことを知ったヒトラーは激怒した。そしてなんとしてでもこの橋を破壊するように命じた。
ドイツ軍はあらゆる手段を講じた。
しかし空軍による爆撃も、砲兵隊による攻撃も、そして潜水夫を潜らせての地雷の仕掛け作戦も全て失敗した。
ついにドイツ軍はV2ロケット11発を橋をめがけて発射した。
ロケットは橋から離れた町や村を襲い多くの建物を破壊し、多くの死者を出したが、橋には命中しなかった。 -
訓練された潜水夫がライン川に潜り、地雷を仕掛けたが失敗した。
-
ヒトラーは橋の爆破に失敗した5人の将校を「緊急軍法会議」にかけ死刑を宣告、4人は直ちに射殺された。
残った一人Willy Bratge(写真上段中央)は、その時アメリカ軍の捕虜になっており処刑を免れた。
後に彼は事件の事実関係を出版した。 -
ティンマーマンらが初めてルーテンドルフ橋を渡ったその10日後、不思議なことが起きた。
ドイツ軍の集中砲火でも、ロケットによる発射でも、地雷でも墜ちなかったルーデンドルフ橋が、3月17日午後3時、突如轟音とともに崩れたのです。
橋はにわかに神話性を帯びます。 -
ドイツ軍の度重なる攻撃に辛うじて耐えていた鉄橋は、橋を修理していた200名の米軍の工兵を道連れに崩壊してしまいました。
死者28名、負傷者93名を出しました。
この出来事は雑誌や新聞の格好の話題となりルーテンドルフ橋は「神話の橋」と呼ばれました。
しかし連合軍にとって幸いだったことには、崩落前に橋頭堡を確保し、橋に平行に浮橋を2本渡していたので、その後の戦車の渡河には影響はありませんでした。 -
そして米英軍は、ライン川を渡って、次々とドイツ各地を占領しながら進軍しました。
ミュンヘン、ハンブルク、ニュルンベルク、ドレスデン、フランクフルト・・・。
追い詰められるドイツ軍。 -
ライン川横断の後、勢いづいた連合軍の進撃とともに、指揮系統を失い戦意喪失したドイツ軍捕虜は日々増加していきました。
数十万という捕虜は各地の捕虜収容所に抑留されましたが、次々と収容所が新設されるも建物など建てる余裕がない。
衛生状態が悪い裸地の屋外に放置され、多くの捕虜が病気や衰弱で死亡しました。 -
寒さや雨から身を守るために捕虜たちが掘った穴から、出土された遺品。
-
その頃、東部戦線ではソ連軍がオーデル・ナイセ川を突破し、ベルリンを目指していました。
戦争の敗北を悟ったヒトラーは4月30日に自決、そして5月2日にベルリンは陥落し、5月9日はヒトラーの遺言で後継者に指名されたカール・デーニッツにより無条件降伏。
いま、プーチンのロシアがナチスドイツに勝利した戦勝記念日としているのはこの日のことを言っているのですね。 -
ルーデンドルフ鉄橋を巡る攻防戦は、「レマゲン(の)鉄橋」としてハリウッドで映画化されました。
監督はジョン・ギラーミン、1969年の作品です。
私も昔むか~~し、この映画を観ました。
中身はすっかり忘れておりましたが、レマゲンという地名だけは妙に頭に残っておりました。それで今回の訪問になったというわけです。 -
主役のティンマーマン中尉(役名はハートマン中尉)はジョージ・シーガル、ドイツ軍の司令官クルーガー少佐はロバート・ヴォーン。懐かしい名前です。
ルーデンドルフ鉄橋は残っていませんから、ロケはチェコのブルタヴァ川にかかる橋が使われました。
また取り壊しの決まったチェコの小さな街で撮影され、戦車での激しい戦闘シーンや街の壮絶な破壊シーンなど、実物を実際に爆破して、リアリティー溢れる映画になりました。 -
アメリカ軍の戦車は実際に戦争で使われた「M24戦車」の同型が登場しています。
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撮影の合間に談笑しているキャストやスタッフたち。
撮影が行われていた1968年のチェコと言ったら「プラハの春」運動が起きていたころ。
撮影の終盤には、ソ連の軍事介入による抑圧で、スタッフとキャストは急遽、タクシーに分乗して国外へ脱出した、というおまけ付き。 -
映画「レマゲン鉄橋」には、ドイツの有名な写真家であり戦争特派員だったヒルマール・パベルも協力していました。
彼は1944/45年のレマゲンの爆撃を記録していました。 -
ヒルマール・パベルのレマゲン記録。
1945年1月2日、レマゲンのヨーゼフ通り、連合国軍から爆撃を受け、家屋が崩壊し65人の市民が死亡した。 -
住民はワイン組合の防空壕に避難したが、28人が死亡した。
なにやら現在のウクライナの悲惨な状況を彷彿とさせます。 -
焼け出されて震えている女性や子供。
こんな写真を見るともう泣きそうになる。
早くウクライナに平和が戻ってほしい。 -
展示の様子
-
窓から外を眺めると、破壊されたルーデンドルフ鉄橋。
橋は再建されず、戦争記念碑として残っています。 -
エルペル側の橋頭堡。
ドイツ軍がここから応戦した。
トンネル内には大勢の避難してきた市民とドイツ兵が残っていた。
ウクライナの兵士や市民たちもあのマリウポリの製鉄所で頑張っていたのですよね。それなのに・・・。 -
そして、その背後は急峻なエンペル・レイ(エンペルの丘)。
頂上には十字架が立っています。レマゲンとエンペルで亡くなった大勢の犠牲者を追悼するものです。
◆
もうダメ!旅行記を書く手が辛くなりました。
何を書いても、今現在起きている独裁者プーチンによる人道的に許されないウクライナ戦争とオーバーラップしてしまいます。
ここで一休みして活力を養って次編へと続きます。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- あの街からさん 2022/06/03 20:37:06
- 「レマゲン鉄橋」観ることができました(⌒▽⌒)
- himmelさん こんばんは。
『レマゲン鉄橋編』先日ちょっとだけ拝見して、
映画「レマゲン鉄橋」のことが出てきて映画ファンとしてはコメントをせねば。と、ところが、私の記憶にも、手持ちの映画誌等にも、ほとんど記述が無かったので、レンタルで観てからしか、コメントできないなぁ。TSUTAYAへ行くも在庫なしとの事。けれど他店に有れば取り寄せてもらえ取り寄せた経験があったので、今回もそれを利用しました。
1945年オーバーカッセ橋。からスタートした映画。
どんな人間ドラマが描かれているのかなぁ。と期待感もあり観す進めました。市街地に銃声が鳴り響く戦闘シーンが続き。あぁ、いつの戦いも前線の兵士は大変。占領地からの掠奪。息子を戦死させた母の嘆き。どうしてもまさに今行われているだろう戦争と重なり合って見え観ているのが辛くなりました。
エンドロールには、連合軍がレマゲン鉄橋を掌握して10日後に崩壊した。と流れて、あぁこの事は、himmelさんの旅行記で神話の橋の逸話として詳しく書いてあるところだ。とわかりました。
戦争映画は描かれる物語が同じ世界大戦でも、製作年で近年になればなる程残虐をリアルに描かれ、
それに伴って音楽もより刺激的な曲調になり武器の破壊力も倍化の迫力。
私が、映画を一番観ていた時期にはベトナム戦争を描いた作品が次々と公開されました。
「ディアハンター」「プラトーン」「地獄の黙示録」等を観て育った自分には、刺激慣れしてしまっている感覚に自分でも驚きました。 この3作品を観て、もう戦争映画はこれで決まったな。と
思っていたところに、1944年6月のノルマンディの戦いを描いた作品を
スピルバーグ監督がトム・ハンクス主演で、「プライベートライアン」を制作
(※アカデミー賞で、監督・脚本の二部門を受賞。)しました。
海上から小さな舟で上陸する直前に兵士たちが、これから自分の身に起ることが怖くて小舟の船上から吐くリアリズムシーンから始まり、延々と20分程目を覆いたくなるエグいシーン戦闘シーンが続き辟易するも、後半は一変して心温まる作品となっていましたが、私は、こうした描き方より、映画の発信力をふるに使い感動をもらったチャップリンの「独裁者」や「殺人者」の台詞の数々をこの先も繰り返して観たいなぁと思います。
himmelさんの旅行記やDVDを見て、兵士が丘の上からライン川を望むシーンでは、
リュウデスハイムで見た風景に似ているなぁ。とか
ドロミテの山深い所で第一次世界大戦の塹壕後を見て驚いたことを思い出しました。
ライン川の流れている風景は和みますねぇ。
それにしても、ヒンメルさんの行動力と探究心には元気をもらえます。
辛い執筆お疲れ様でした。
PS. 「パリは燃えているか?」手元の録画を久しぶりに観たところ、
効果音的音楽は流れますが、メインテーマ風の曲はありませんでした。
一方、私のCD棚にアルバム「image」この中の一曲に、
加古隆の「パリは燃えているか」が入っていました。おっしゃる通り
NHKスペシャル「映像の世紀」のメインテーマ曲として愛されていますよね。
長くなりました。(⌒-⌒; ) あの街から
- frau.himmelさん からの返信 2022/06/03 22:05:36
- RE: 「レマゲン鉄橋」観ることができました(⌒▽⌒)
- あの街さん、こんばんは。
わあ〜びっくり!
今しがた「千と千尋の・・・」の旅行記を拝見させていただいたところでした。
そして、博多、懐かしいなぁ〜、博多座なつかしいなぁ〜と、いつだったか、博多座で大衆演劇を見て、出演していた早乙女太一さんと記念写真を撮ったなぁ〜と、思い出していたところでした。(前回の朝ドラ「カムカム・・・」に出ていましたね)
そして、あの街さんの掲示板を覗かせていただきましたら、エヌエヌさんへの返信に私の名前があり、なんと!「レマゲン鉄橋」のDVDを借りてご覧になったことを知りました。
ツタヤにありましたか!。
私にはもうないと言われたのに。やはり大得意さま(あの街さん)と時々さま(私)の大きな違いですね。
私の子供のころはハリウッドの戦争映画の全盛期でした。
「史上最大の作戦」「「ノルマンディー上陸作戦」「バルジ大作戦」、「北北西に進路をとれ」などなど。内容はみんな戦闘場面で似たり寄ったりですから覚えていませんが、海外旅行をするようになって、地名だけはなぜか、ここがあの映画で出てきた場所かぁ〜と懐かしく思い出していました。
「パリは燃えているか」、メインテーマ曲、やはり加古隆さんの作品が有名になり過ぎて、勘違いしていますね。
でもあの曲いいですね〜。
あの作品もツタヤで借りて観ようと思っていましたが、ここのところ忙しくてまだ観ていません。「レマゲン」の後編をアップしたら・・・、なんてあれから随分経っているのに。
2019年にパリに行った時、パリ解放博物館に時間がなくて行けなかったことが悔やまれます。
いつもながら、あの街さんのコメント、もう凄いです。
これからじっくり拝見します。
ありがとうございました。
himmel
-
- 横浜臨海公園さん 2022/05/25 10:13:11
- レマゲン鉄橋
- frau.himmelさま、こんにちは。
今次大戦末期のドイツを題材にした映画では、レマゲン鉄橋か、パリは燃えているか の2点に尽きると思います。
どちらも描写が鋭く、CGが無い時代なのでリアルな映像が印象的な作品です。
ところで、1968年(昭和43年)のチェコ動乱発生時に、小生、父の転勤でロンドンに居り、毎日のように輸送機に乗せられたチェコ人亡命者の姿がニュースで流れておりましたが、本当に命からがらだったのか、女性子供の多くが裸足だったのを今でも覚えております。
それから今、大学に1人のウクライナ人女子留学生がおり、彼女の姿を見るにつけ半世紀前のチェコ人亡命者の事を思い出しております。
横浜臨海公園
- frau.himmelさん からの返信 2022/05/25 20:16:16
- RE: レマゲン鉄橋
- 横浜臨海公園さま、こんばんは。
いつもありがとうございます。
また今回はコメントをいただき感激です。
「パリは終えているか」、懐かしいです。昔々映画を観ました。
内容はすっかり忘れてしまいましたが、と言うより当時は難し過ぎて理解できなかった、と言う方が正解かもしれません。
今は旅行記を書くために少しずつ勉強しておりますので、横浜臨海公園さまのコメントも理解しながら読ませていただきました。
>毎日のように輸送機に乗せられたチェコ人亡命者の姿がニュースで流れておりましたが、本当に命からがらだったのか、女性子供の多くが裸足だったのを今でも覚えております。
今のウクライナの悲惨な状況と一緒ですね。ニュースを見るたびに胸が痛くなります。これもあれもロシア(ソ連)による軍事介入によるもの。
今回の件で一気に日本を取り巻く環境もキナ臭くなってまいりましたが、これからの世界情勢はどう動くのでしょうか。
ウクライナの女子留学生の方、辛い思いをしていらっしゃいますよね。私たちもできる支援をしたいと思います。
「パリは燃えているか」のテーマ音楽、素晴らしい曲ですね。
NHKのドキュメンタリー番組の主題歌になっていますが、ウクライナのニュースを見るたびに、荘厳だけどなぜだか不安を掻き立てるあの曲が時々聞こえてくるような気がします。
映画の方ももう一度ツタヤで借りてきて観てみたいと思います。
ありがとうございました。
himmel
-
- マーさん 2022/05/22 13:47:19
- お疲れ様です。
- 「レマゲン鉄橋」旅行記 frau.himmelさんらしい力作だと思いました。
この橋について、ここまで詳細にUPして頂けるとは思いませんでした。
まずレマゲン鉄橋跡のバス停の汚い落書きと、側の綺麗な鉢植との対比が
とても印象的でした(^^♪ 映画「レマゲン鉄橋」はワタシも好きな
映画でしてDVDにて所有してます。 しかし、現実はどちらに大儀が
あろうがなかろうが、犠牲になるのは一般市民が大多数なのですよね
それは、frau.himmelさんも書かれてますが 現在のウクライナ侵攻にも
20世紀のヒトラーそして21世紀のプーチンに代表される虐殺者
であるワケで・・・・ロシアはワタシにとっては、初めての海外でして
接してくれた人々は素朴で優しくしてもらった思い出があり
けっして嫌いな国では無かったのですが、狂人プーチンとその取り巻きに
よって、特にキーウ近郊のブチャ住民大虐殺等を知る事になり
許せない国になりつつあります(怒)
長々と書いてしまいましたが、本当にfrau.himmelさんの戦跡やホロコースト
関連の旅行記 その内容が詳細で判りやすくいつも凄いなぁと
思いながら読ませて頂いてます。 ヨーロッパもようやくコロナの
規制緩和進み、渡航出来るようになりましたが、我が家は
ポーランド、ドイツをメインする為 ウクライナ情勢を考えると
当分、渡航する気にはなれません・・・・・・・・
- frau.himmelさん からの返信 2022/05/22 22:19:12
- RE: お疲れ様です。
- マーさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
私の地味〜〜な旅行記に目を止めてくださるなんて、マーさんらしいと思いました。
レマゲン鉄橋のDVDを持っていらっしゃるのですか!?
本格派ですね。
今回レマゲンの旅行記を書くために、もう一度映画を観ておこうとツタヤに行ったら、もう扱っていないと。かと言って何千円も出してDVDを買うのも何だかな〜、あの博物館の展示物で勉強すればいいのよね、と映画の内容は忘れたまま見切り発車してしまいました。
でも、内容を知れば知るほど、今現在のウクライナの悲惨な状況と重なり辛かったです。
もうああなれば、ドイツだロシアだ、ではないのですね。
悪いのは仰るように狂人プーチンや狂人ヒトラーなのですね。
私はまだロシアには行ったことがありませんが、文豪たちの描くロシアは好きでした。一度はエルミタージュ美術館や、エカテリーナ宮殿に行ってみたいと思っておりました。
でも今回のプーチンの取り返しのつかない狂気で、ロシアは遠くなりました。
私のいい加減な旅行記なのに、お誉めの言葉をいただきありがとうございます。
調べることは、私の老化防止のための勉強なのです。
マーさんもどうかお身体大切になさってください。
himmel
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