2019/09/28 - 2019/09/30
15位(同エリア149件中)
frau.himmelさん
- frau.himmelさんTOP
- 旅行記596冊
- クチコミ0件
- Q&A回答19件
- 1,070,670アクセス
- フォロワー151人
ドイツ連邦共和国歴史博物館には何と5時間滞在しました。
撮った写真も500枚。
これを旅行記に取りまとめるのにまたまた膨大な時間を要すると思いますので、後日ゆっくり楽しみながら作成いたします。
私の旅行後の楽しみは、美術館・博物館で撮りためた写真を見ながら、その背景・歴史などを調べること。
頭の体操にもなりますし、ボケ防止にも繋がっています。
もう齢ですからあと何度海外に旅できるかわかりませんが、楽しみながら旅行記を作成していきたいと思っています。
なんて・・・
実は、2010年2月16日に4トラベルに登録してから早いもので10年が経ちました。その間に467冊の旅行記を書いています。
これも私の拙い旅行記を見てくださる皆様に励まされて10年も続けてこられたのだと思います。
これからも、何よりも自分の楽しみのために旅行記作成は続けていきたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
◆◇
さて、ボンは、ベートーヴェン、シューマンなどお馴染みの音楽家と深いつながりがある町です。
2019年はクララ・シューマンの生誕200年の記念の年、また2020年はベートーヴェン生誕250年とメモリアルイヤーが続きます。
今回は、ベートーヴェンハウスとシューマンハウス、それにシューマンとベートーヴェンの母が眠る旧墓地にいってまいりました。
そして予定外の行動を最も嫌がる夫が、突然行きたいと言い出した地、バート・ゴーデスベルクとは。
-
9月29日、インターシティーホテルの朝食。
やっぱりドイツの朝食っていいわ~。
パリ4泊では、コーヒーとジュースとパンだけのそっけないコンチネンタルブレックファーストと、駅で買ったパンが朝食でしたから。
やっとドイツの朝食にありつける・・・、感激です。 -
ホテル前から604番のバスに乗って、Heerstrasseで降りました。
チケットはホテルでいただいた乗り放題チケット。 -
着いたところはここ、ボンの旧墓地です。
パリのモンマルトル墓地に続いて今回の旅2度目の墓マイラーをいたします。
アルターフリードホフは18世紀に建てられたボンの公共墓地、多くの著名人が眠っています。 -
お墓の地図。
番号が振ってあるところが著名人のお墓らしい。
今回は目標を定めて探すことにします。やみくもに歩き回っても疲れるばかりで、効率が悪いことをモンマルトル墓地で学習しましたから。
探すのは
6)ベートヴェンの母、
71)ロベルト・シューマンとクララ・シューマン夫妻、
80)ヴェーゼンドンク夫妻
とりあえずこの3か所は必須、後は臨機応変に。 -
まだ朝早いせいか、人影がありません。
でも日本のお墓と違って、おどろおどろしい感じは全くありません。 -
寄り道はしない、と言いながらも、あの墓もこの墓もみんな有名な人のお墓のような気がして仕方がない。
ついカメラを向けます。 -
まず見つけました。
え~~、これがベートーヴェンの母親のお墓~?
私の記憶ではもっと立派なお墓だったような・・・。
実は2003年に夫とボンを訪れた際、この墓地は一度訪れているのです。 -
マリア・マグダレーナ・ベートーヴェン。
ベートーヴェンの母親。
40歳で亡くなりました。ベートーヴェンが17歳の時でした。
墓碑には、「私にとって最も愛すべき母親であり、最良の友でした。」とあります。 -
芸術的なお墓。
女性が悲しんでいる姿は絵になります。 -
栗の実に似たマロニエの実があたり一面に落ちて、秋の深まりを教えてくれます。
-
ひときわ目立つお墓が見えてきました。
これがロベルト・シューマンとクララ・シューマンのお墓です。
私が2003年に、ベートーヴェンの母のお墓だとイメージしていたのはこのお墓のことでした。 -
お墓の中心にはロベルト・シューマンの横顔が。
その下には、音楽家のお墓らしく楽器を弾いている天使像。
そして一段下でロベルトの横顔を見つめているのはクララ・シューマン。
ロベルトは精神を病み、1854年にライン川に飛び込み自殺を図りますが漁師に助けられ、ボン郊外にあるサナトリウムに入院します。
そして2年後に亡くなるのです。 -
クララは親友のブラームスに支えられながら、ピアニストとして活躍していましたが、ロベルトの死後40年後の1896年に亡くなりました。
ブラームスはクララの危篤の報を受け取って急いで駆けつけましたが間に合わず、このお墓に埋葬される直前に棺を垣間見ただけでした。 -
目標の最後の一つはオットーとマティルデのヴェーゼンドンク夫妻のお墓。
オットー・ヴェーゼンドンク(1815-1896)は実業家。
作曲家リヒャルド・ヴァーグナーがドイツを追われてスイスに逃亡した際、ヴァーグナーを匿ったパトロンでした。 -
しかしヴァーグナーは恩人の妻であるマティルデと恋人関係になるのです。今で言う不倫関係。
ヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」は夫人との不倫関係の中から生まれた名曲です。
でも今はこうやって夫と同じ墓に眠っているということは・・・。
寛大なのですね。 -
とりあえず目標の3つのお墓はクリアしましたので、気になるお墓をいくつか。
ヴェーゼンドンク夫妻の近くにあったこのお墓は?。
Wilhelm Busch(1826-1881)。
医学者であり、ボン大学の外科医でした。 -
そのお隣はお墓ではなく、普仏戦争で亡くなった戦死した兵士の慰霊碑。
墓碑には
「彼らはみんな祖国のために亡くなった」とあります。 -
このお墓も立派です。さぞかし名のある方のお墓なのでしょうね。
Barthold Georg Niebuhr (1776-1831)、古代歴史家。
なんとこのお墓はかの有名なプロイセンの宮廷建築家、カール・フリードリヒ・シンケルの手になるものだそう。 -
墓マイラーとしては、どれもみんな気になってしようがない。
でもこれはどなたのお墓か調べられませんでした。 -
ゲオルク礼拝堂。
私たちが帰るころには数人の方が出入りしていました。
今日は日曜日ですね。 -
え~~と、この辺にあるはずなんだけど~。
墓地の周りは立派な建物。
ホテルか官公庁か。 -
ありました~!
この真ん中の普通のお墓がそうです。
フランツ・アントン・リース(1795-1870)。
彼はベートーヴェンにヴァイオリンを教えた先生なのです。
墓地の案内で、ベトーヴェンに関連がある説明があったので、探していました。 -
お墓マイラーを終えて、この駅からいったん中央駅に出て、そこからドイツ連邦共和国歴史博物館へ。
「英国EU離脱編」はアップしましたが、その他にも膨大な写真を撮っていますので簡単には纏められそうにありません。
後日、私の勉強のためにアップします。 -
9月28日。
日にちを逆行して、ボン到着早々訪問したベートーヴェンハウスです。
ボンガッセ20番地。
プレートには「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1770年12月17日、この家で生まれた」とあります。 -
入場料を払って中に入ると「写真撮影禁止」と!。
私は近くにいた男性の係員に
「え~っ、私はナネッテ・シュトライヒャーのクラヴィアを見るためにここに来たのに、それも撮れないの~~!?」って思わず食って掛かりました。 -
すると彼は誰もいないのを見計らって、私をこの小さなオルガンの前に連れてきました。
「私は撮っていいと言っていない、でも私は何も見ていない」と言って暗にこれを撮ってもいいよと・・・(笑)。
お言葉に甘えました。
これはベートーヴェンが12,3歳のころ、教会のオルガン奏者として弾いていた小さなコンソールオルガンと言われるもの。
ナネッテ・シュトライヒャーの製作ではありません。 -
ナネッテ・シュトライヒャー(1769-1833)はピアノ製造者。
私はドイツやオーストリアを旅していて、ナネッテ・シュトライヒャーとは不思議と縁がありました。
アウクスブルク→リンツ→ウィーン中央墓地、そしてハイリゲンシュタットの博物館と行く先々でナネッテの足跡に遭遇しておりました。
ボンのベートーヴェンハウスにも彼女の作品があるとかないとか聞いていましたので、今回の訪問になりました。
写真は、ウィーンのハイリゲンシュタットのベートーヴェン博物館で見た、ナネッテのピアノを弾いているベートーヴェンの絵。 -
上の階に行ったらそれらしき古いピアノを見かけました。
もしやこれが・・・?
係の女性に聞きました。
「これはナネッテ・シュトライヒャーのクラヴィアですか?」と。
彼女は、「ここにはナネッテのポートレートはあるけど、クラヴィアはない」と。
これが壁に掲示してあったポートレートと同じもの。
ネットよりお借りしました。 -
この女性係員は下の男性係員のようなユーモアと融通性はなさそうなので、写真は撮らせてくれなさそうです(笑)。
絵葉書を買いました。
1826年とありますからウィーンでベートーヴェンが最後に使用していた楽器だと思われます。
コンラード・グラーフ社製のハンマーフリューゲルとあります。 -
館内で唯一写真撮影OKだったベートーヴェンの肖像画。
彼の手には「ミサ・ソレイニス」の楽譜が。
この絵はヨーゼフ・カール・シュティーラーによって1820年に描かれた絵だそうで、この頃ベートーヴェンは50歳、随分若々しい絵ですね。
実際はもっとヨレヨレのハズなのですが。 -
売店で小冊子と絵葉書を数枚買い求めました。
小冊子はドイツ語も英語も売り切れで、フランス語が1冊残っているだけでした。
さっぱりわかりません。 -
ベートーヴェン自筆の楽譜。
彼の性格を表していますね。
ワインでもこぼしたのでしょうか。 -
ちなみに小冊子に掲載してあるコンラート・グラーフ社製のクラヴィーアはこれ。
-
ベートーヴェンの家族。
左より祖父で同名のルートヴィッヒ、左上:父、右上:母。
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートヴェン(1770-1827)はドイツのボンで生まれました。
祖父も父も宮廷歌手でしたが、父親はアル中でどうしようもない人で、祖父亡き後はベートーヴェンに家族の生活がかかっていたようです。
1787年には母も亡くなり、彼は大黒柱となってアル中の父と幼い弟二人を養います。そしてその厄介者の父が1792年に亡くなると、ベートーヴェンは弟二人を連れてウィーンに移住しました。
そのころのことは下記旅行記で書いています。
https://4travel.jp/travelogue/11495265
2018 三たびで最後のシニア三人旅 ☆充実していたベートーベン博物館、その後ホリイケ?にもモチロン -
中庭に出ました。
ぶどうの木が伸びていい具合に壁を這っています。 -
ベートーヴェンは3階の屋根裏部屋で生まれたということですから、あの一番高い鎧戸が開いている部屋で生まれたのでしょうか。
-
庭の隅にはベートーヴェンの胸像が・・。
とても不機嫌そうな顔です。 -
こちらの隅には、比較的普通の顔をしたベートーヴェンの別の胸像。
-
庭のぶどう棚のぶどうの木には赤いぶどうの実が残っています。
ワインが大好きだったベートヴェンにぴったりの庭でした。 -
べートーヴェンハウスを後にします。
-
ベートーヴェンハウスの近くには、ベートーヴェン関連の図書館や研究センターなどがあります。
-
9月30日
さて、時間は飛んで最終日。
ボンを発つのは午後です。
もう1か所行きたいところがあり、荷物をホテルで預かってもらって出かけます。
シューマンハウスに行くには駅前からバス604,605,606,607のいずれかに乗り、「Alfred-Buchere-strasse」で降りればいいと調べております。
バスの中から見えた立派な建物は、農林組合(?) -
しばらくしてバスはここで停まり、乗客はみんな降りてしまった。
目的の停留所ではないけど、仕方がない私たちも降りる。
シューマンハウスはどこだろう?
地図を見て歩き始める。 -
不安になった夫は、通りかかりの男性に声をかける。
その男性はスマホを見ながら「ここからちょっと歩くよ。途中まで一緒に行ってあげましょう」と。
道々夫とその男性はおしゃべりをしている。
「僕はまだシューマンハウスへ行ったことがないけど、どうして行きたいの?」と男性が聞きます。
夫は「僕の奥さんが音楽が好きで、どうしても行きたいって言うんですよ。今日は休館日なのですけどね」と。
そうなんです。
シューマンハウスは土・日・月の3日間休館なのです。
私たちの滞在中は全て全滅でしたが、せめて外からだけでも見たいと思っていました。 -
ここにきて、バスが迂回した理由がわかりました。
工事中だったのですね。
そういえばバスで何やらアナウンスしていたな~。 -
この小路でその男性は
「この先を右に曲がってしばらくするとシューマンハウスですよ」って。
そして私に向かって「休館にも関わらず遠くからシューマンハウスに来てくれてありがとう」ってお茶目っぽく言って、去っていきました。
こういう親切な出会いがあると、旅をして良かったと思います。 -
あのピンク色の建物がシューマンハウスのようです。
駐車場の入り口に「SCHUMANHAUS」と書かれた立札が立っています。 -
家の前にはシューマンの顔像。
今までのシューマンのイメージとは全く似ていない。
シューマンと言えば、優しい顔でピアノの前に座り「トロイメライ」を弾いている姿がぱっと目に浮かびます。 -
シューマンハウスの説明。
開いているのは火~金まで。月曜日は休みとあります。
今日は月曜日なのです。
そして市図書館も兼ねているようです。 -
シューマンの横顔のプレート。
ロベルト・アレクサンダー・シューマン(1810-1856)。
私は大きな勘違いをしておりました。
この家でロベルトとクララは一緒に住んでいたのかと思っていました。
実はここはロベルトが最後の時まで入院していた精神病院だったのです。 -
1854年、精神を病んだロベルトは、発作的にライン川で投身自殺をはかります。幸い漁師に助けられた彼は、ボン近郊にあるエンデニヒのこの精神病院に入院するのです。
その間クララは、ロベルトの病状悪化を懸念した医師より面会を許されませんでした。クララはまた、その時シューマンの子を身籠っていました。 -
クララがロベルトと再び会うのはそれから2年後、ロベルトの死の3日前でした。クララは、医師からロベルト危篤の報を受け急ぎ駆けました。
そしてロベルト・シューマンは、46歳の生涯を閉じたのでした。
彼の最後の言葉は「・・・僕は知っているよ・・・」だったそうです。
何を知っていたのか・・・?? -
庭には2019年シューマンフェスティバルの幕が。
2019年はクララ・シューマンの生誕200年の年、彼女中心の催しが開かれるようです。
「GELIEBTE CLARA」の映画が上映されるとあります。
これはクララ・シューマンとロベルト・シューマン、そして若き日のヨハネス・ブラームスの三角関係(?)の物語だとか。
ロベルト・シューマンはブラームスを高く評価していました。 -
シューマンハウスを後にします。
中には入れなかったけど、シューマンの苦悩を感じたシューマンハウス訪問でした。
聖マリア・マクダレーナ教会。 -
教会の庭にはマグダラのマリア像。
シューマンは入院中の2年間、時には散歩も許されたそうですから、この教会には何度も立ち寄ったのでしょうね。
そしてこのマリア像に癒されたこともあったでしょうか。 -
美しく紅葉したツタの小路を抜けてホテルに戻ります。
ホテルで荷物を引き取って、ケルンを経由してベルリンに移動します。 -
9月29日
またまた話は昨日に戻ります。
西ドイツ歴史博物館にはなんと5時間も滞在していました。その間には食事もしたとは言え、博物館美術館に入ると時間を忘れてしまう私の悪い癖。
そこで撮った写真が何と500枚。
これをどうやって旅行記に纏めましょう。またまた膨大な時間がかかると思われますので、旅行記は別途ゆっくり楽しみながら作成したいと思います。
とりあえずホテルに帰って、少し休んで、ミュンスター広場の方に出て、昨日時間がなくて中に入らなかったミュンスター教会の内部を見学したり、市庁舎の周りを散策したり、その後適当なレストランを見つけて食事をするつもりでした。 -
部屋のベッドに座ってボンの路線図を見ていた夫が、突然素っ頓狂な声を。
「え~~っ、バートゴーデスベルクってこんなに近かったの!?、これから出かけよう!」と。
夫と言えば無計画が一番嫌いな人、行き当たりばったりが嫌いな人、私と違ってきちんとした性格の夫が、突然、予定になかったことを言い出したのです。 -
夫は遥か昔、数十年以上も前に、ドイツのある大学の名を冠した財団から奨学金をいただき、専門の研究をさせていただいておりました。
その財団の本部がバートゴーデスベルクにあり、そのころ一度行ったことがあったそう。
その地名を見つけて、矢も楯もたまらず行ってみたくなったそうです。
もちろんそんなところを訪れるつもりはありませんでしたから住所など調べておりません。
でも、行ってみればわかるからと。 -
地下鉄16番か63番と言ったら、さっきの西ドイツ歴史博物館と同じ線。
また引き返すのです。
バートゴーデスベルクに行くと判っていたら、そのまま行けば時間の短縮にもなったし、長く滞在もできたのに・・・。 -
バートゴーデスベルク駅を降りて地上に出ます。
夫に、どっちの方向なの?と言っても、さあーどっちだったかな~。
数10年も前のことだから本部がまだここにあるかどうかもわからないし・・・、と頼りない返事。
いつものきちんとした性格の夫からは考えられないいい加減さ。 -
目の前には公園が・・・。
夫は懐かしそうにそっちへ向かいます。
この先かも知れないと。 -
夕暮れの公園は散歩する人や自転車に乗った人を数人見かけるだけ。
夫は遥か昔の記憶を辿るように、公園を見つめています。 -
ほんとに静かな美しい公園です。
ここまで来たら私も夫の希望を応援したくなりました。
「もっと先に行ってみましょうか」と私。 -
しばらくして夫が、「どうもこの辺ではないみたいだ。もういいよ、思いがけなくここに来れただけで満足だ」と。
男のロマンですね。 -
私にしてもそんなことがなかったら知らなかったし、来ることもなかったバートゴーデスベルク。
この地はボンが西ドイツの首都に決まった時より、官公庁や各国の大使館が置かれていた場所だそうです。 -
この大きな建物も、そのころの官公庁だったのでしょうね。
-
Uバーンに乗ってボン中央駅まで引き返します。
もう7時半過ぎ。
レストランに行くのは面倒なので、駅の構内でパンを買って今夜の食事にします。
帰国して調べてみましたら、夫が探していた本部は線路の反対側にありました。
もう訪れることはないでしょうね。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (9)
-
- PuellaApuliaeさん 2020/03/11 22:35:10
- シューマンハウス
- himmelさま、こんばんは。お元気でいらっしゃいますでしょうか。私は不本意ながら帰国しておりますが、来月また渡伊予定です。早く平穏に戻って欲しいものです。
さて久々に旅行記を拝見して、思わず書き込みたくなりました。私は長年のシューマン愛好者なのです。昨年はイタリアでオペラを見るのに忙しくて、せっかくのクララ記念の年なのにライプツィヒに行き損ねてしまいました。
ボンのシューマンのお墓とエンデニヒのこのシューマンハウスは始めてドイツに行った大学生のときに訪問しました。ボン駅から歩いて行ってとても遠かったことを覚えています。お墓のデザインもいいですね。その時とった写真を引き伸ばしていまだに寝室にぶら下げています。
シューマンのピアノ曲が好きなんていうと、今なお青年期?なんて思われるかも知れません(笑)。でもポリーニ師匠の交響的練習曲やピアノソナタ1番は名盤中の名盤と思っておりますので、もし機会がおありでしたら一度聴いてみて下さいませ。
- frau.himmelさん からの返信 2020/03/12 21:06:11
- RE: シューマンハウス
- Fiorenzaさん、お久しぶりでーす!
イタリアのコロナがひどいというニュースを見たものですから、在住のFiorenzaさん、大変な思いをしていらっしゃるのではないだろうかと気になりまして、ちょっと覗きにいって見つかってしまったようですね(笑)。
返信遅くなってごめんなさい。
ありがたいことに、この齢になっても頼りにしてくれるところがありまして(本当は邪魔もの?笑)、週に2回ほど都心に出ています。今日がちょうどその日。
スマホでFiorenzaさんのコメントを拝見して、懐かしくて、早く返信を書きたいなと気は焦っていたのですが、今ちょうど決算期、こんな時間になってしまいました。
帰国していらっしゃったのですね。
イタリアのあの騒ぎで帰国になったのですか?
来月また行かれるとのことですが、本当に早く落ち着いてほしいですね。
今回はいくつも私の拙い旅行記を見ていただいてありがとうございます。
歴史にも文学にも音楽にも語学にも、その上ワインにも専門家以上のFiorenzaさんですもの、恥ずかしい・・・。
シューマンハウスには駅から歩いていらっしゃったのですか!?
それはそれは、遠かったでしょうね。若さゆえ、シューマンさま故、できたことですね。
昨年はオペラ三昧の日々、羨ましいです。
では、また〜〜。
himmel
-
- maayさん 2020/03/08 16:48:14
- ヴェーゼンドンク
- himmelさん
こんにちは!
ベルリンの語学留学の旅行記など、前からとても楽しませていただいております。
娘がドイツに留学していることもあり、このここ数年ドイツを訪れることが楽しみになっています。
そして、今回、ヴェーゼンドンク夫妻のお墓ということで、興味深く拝見させていただきました。
昨年から、ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集をよく聴いていましたので、ついコメント致しました。
マチルダ・ヴェーゼンドンクがワグナーに宛てた手紙の詩に、ワグナーが曲をつけ、本当に美しい歌曲にしていますね。
私はドイツ語は挨拶くらいしかわからないので、身勝手な恋文の内容(笑)が聞き取れず、美しさだけを堪能できるのでいいのかもしれません。
しかし、パトロンのヴェーゼンドンクさんはこの曲を聞いたんでしょうか。詳しくは知らないのですが…。
私もボンのベートーヴェンハウスは、本当に堪能出来ました。シューマンハウスやお墓までは行けませんでしたので、お写真見せていただけて嬉しかったです。
maay
- frau.himmelさん からの返信 2020/03/09 20:23:53
- RE: ヴェーゼンドンク
- maayさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
お嬢様がドイツに留学なさっているのですか、いいですね〜。
私もドイツが大好きですからもの凄く羨ましいです。
maayさんのご旅行記も、普通の旅行者が行かないようなところを取り上げていらっしゃるのも、そういう理由だったのですね。楽しく拝見させていただきました。
ヴェーゼンドンクのことは4トラの会員さんの旅行記で知りました。
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」は知っておりましたが、それよりもヴェーゼンドンクの奥様マチルデとワーグナーの関係に興味を持ちまして・・・。全く動機がミーハーなのです(笑)。
あの時はそれが高じて、二人を追いかけてチューリッヒにも行ってきたのです。彼らの邸宅を訪問する予定でしたが、体調不良で諦めました。
maayさんは音楽がお好きなのですね。
あまり知られていない(私が知らないだけかも?)ヴェーゼンドンク歌曲集を聴いていらっしたなんて。
私も今回ネットで探して歌詞の対訳を見ながら聴きました。
本当にきれいな曲ですね。マチルデの詩も、ワーグナーの曲も。
お嬢様がドイツにいらっしゃる間に、ぜひヴェーゼンドンク夫妻のお墓参りしてください。
立派なお墓でした。
これからも旅行記、楽しみにさせていただきます。
himmel
- maayさん からの返信 2020/03/10 18:06:53
- Re: ヴェーゼンドンク
- frau.himmelさん
返信おそくなり、失礼致しました。
ヴェーゼンドンク、美しい歌曲集ですね。。ピアノも凄いです。
ワグナーは、人間的には色々と思うところが様々ありますが(笑)、美しい特別な音楽を生み出した人ですね。
私は逆に、ヴェーゼンドンク歌曲集から、マチルダ・ヴェーゼンドンクの事を知りました(*´-`)
私はまだ、働く現役ではありますが、定年後は、frau.himmelさんのように、語学留学や、テーマを持っての欧州旅行が夢です。
ケルン大聖堂の次の旅行記も興味深く読ませていただきました。
何度も行きましたのに、知らないことだらけでした!
maay
-
- ベームさん 2020/02/17 13:43:30
- ヴェーゼンドンク夫妻の墓
- ヴェーゼンドンク夫妻の墓がボンにあるのですか。よくご存じでしたね。
真ん中の大きな墓碑はハンス・ヴェーゼンドンクとなっていて、オットーより13歳年上です。となると二人は親子ではなく、兄弟、ハンスが長兄なのかもしれませんね。そして長兄がボンで死して墓があり、したがって弟夫妻の墓も同じところにある、といった推理です。
墓標をよく見るとオットーとマチルデは同じエルバーフェルトの生まれなんですね。
私が2016年スイスに行ったとき、ヴェーゼンドンク夫妻の邸宅と、隣にあるにヴァーグナーの住まいを訪ねました。そしてマチルデ・ヴェーゼンドンクとヴァーグナーの交情に思いをはせました。ゲスの勘ぐりでどちらがどうだったのだろうなんて。
ヴァーグナーのほうが熱烈だったようです。
マチルデを「私の女神」と呼んだり、チューリヒでのヴァーグナーフェスティヴァルのことを友人あての手紙に、「このフェスティヴァルを”美しい夫人の足元に捧げた”」と書いています。なんだか谷崎潤一郎みたいです。
一方マティルデはヴァーグナーの才能と磁力に強く惹かれていたものの、良家の出と著名人の妻という矜持を崩すことはなかったようです。しかし詩を作ってヴァーグナーに送るなど細やかな愛情は示しています。
ついに二人の関係はヴァーグナーの妻ミンナとマチルデの夫オットーの知るところとなり、ヴァーグナーはチューリヒを去ります。オットーにはマティルデを許す包容力があり、数年後ヴァーグナーと夫妻がルツェルンで再会したとき、互いのわだかまりは拭われていました。
ルツェルン郊外のトリプシェンにあるヴァーグナー記念館でマティルデの胸像を見ました。美しい高貴な胸像でした。ヴェーゼンドンク夫妻の墓がボンにあるという驚きから長文になってしまいました。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2020/02/17 16:50:47
- Re: ヴェーゼンドンク夫妻の墓
- ベームさん、こんにちは。
>ヴェーゼンドンク夫妻の墓がボンにあるのですか。よくご存じでしたね。
あれっ、ベームさんの旅行記で教えていただいたのではなかったかしら?
それにしてもなんともお詳しい。
私はそのゲスの勘繰り全開で夫妻の墓マイラーをやっていますが、ベームさんの見方は夫妻に対してとても優しいものが感じられます。
いただいたコメント、いろいろ面白かったです。
チューリッヒの後の夫妻とヴァーグナーの関係など。
やはりオットーは懐が深い人物だったのですね。
ボンのお墓で二人の間に入って邪魔をしている(笑)ハンスさんの存在、私もどなただろうと気になりました。お兄様でしたか。
でも立派なお墓でした。
実はこの時の旅はチューリッヒにも行ったのです。
ベームさんの旅行記で教えていただいたヴェーゼンドンク夫妻とヴァーグナーの住まいを訪れるために。
しかしその時、私が体調を崩しまして山の上の夫妻の邸宅までは行く元気がありませんでした。
あの時は本当に困りました。今なら何とかウィルス感染の疑いで隔離されていたかもしれません。帰って病院に行きましたら帯状疱疹でしたから。
ヴェーゼンドンクのことでそんなことを思い出してしまいました。まだまだチューリッヒ旅行記までかな~~り時間がかかりそうなのでつい暴露してしまいました。
そろそろベームさんのお辛い季節が到来しますね。
どうかお身体大切になさってください。
himmel
- ベームさん からの返信 2020/02/17 20:43:46
- Re: ヴェーゼンドンク夫妻の墓
- himmelさん、
いえ、ヴェーゼンドンクの墓のことは全く知りません。
いま私の旅行記を読み返してみると、タイトルにヴェーゼンドンクの名前がありません。それで表紙の写真とともにタイトルもやや煽情的なものに変えました。
せっかくチューリヒまで行かれたのにそこで体調を崩されたのですか、残念なことです。まだまだお元気なhimmelさんです、ぜひ行かれてヴァーグナーとマチルデのことに思いを馳せらせてください。 ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2020/02/17 21:31:53
- RE: Re: ヴェーゼンドンク夫妻の墓
- ベームさん、
もう一度旅行記拝見させていただきました。
あらほんとですね。ヴェーゼンドンク夫妻のお墓のことは書いていらっしゃいませんね。
きっとボンの旧墓地を調べているときにヴェーゼンドンクの墓が出てきたので、ベームさんの旅行記と重なったのですね。
旅行記再度拝見して、夫妻の邸宅に行かなかったことが非常に悔やまれます。
マチルデさん、美しい人ですね。
ヴァーグナーならずとも・・・(笑)。
もう一度訪れる機会が、いえそれより体力があればいいのですが、自信がなくなりました。
himmel
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
frau.himmelさんの関連旅行記
ボン(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
9
68