
2022/05/22 - 2022/05/22
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まほうのべるさん
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日本一の大地主・本間さま。
このワードから『東北の三大地主』という言葉が目に入ります。
『東北の三大地主』って、一人目は酒田の本間家で、二人目は秋田県池田家、なんと三人目は宮城県にいたよ!石巻市の斎藤家。庭園は近代の庭園のうちでも特色の合うものとして学術上の価値が高く評価され、2005年に国指定名勝に指定されたんだって。
灯台下暗しっていうけど、まさにこのことなんだ。
さあ行ってみようと思ったときに『3月の地震でお休みをする』という告知が目に入る。しばらくすると公開再開の告知が。
お天気は雨空だから遠出はしたくない。でもお出かけはしたいよ。
石巻へいざ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
知らなかった!
日本一の大地主・本間家を検索中に見つけた東北の三大地主に、なんと宮城県の斎藤家が入っていたなんて。 -
じゃあ、行こうと思った時、3月の地震の被害で非公開になっていました。
しばらくすると再び公開になったことを知り、小雨降る午後に車を走らせます。 -
庭園入口の向かいに数台分の駐車スペースがあり、1台駐車していたのでその隣に車を停めます。入口を入って右側に広い駐車場があり、受付は左側です。通常は入場料は有料ですが、地震の影響で無料になっています。
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木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
受付でパンフレットをいただき、木小屋内の宝ケ峯縄文記念館から見学していきましょう。 -
庭には白いつつじが咲いてい、てとてもキレイです。
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木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
1865(慶応元)年以前建築。
1984(昭和58)年に解体・修築していて、その際、西に約5m移設しました。 -
木小屋(宝ヶ峯縄文記念館)
宝ケ峯遺跡から発掘された縄文時代後期の土器などを保存・展示しています。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
宝ケ峯遺跡は明治43年斎藤家別荘への通路開削中に発見されました。昭和2年まで発見された縄文時代の土器・土偶・石器・骨角器など全国的にみても珍しい貴重な遺物も展示しています。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
須恵器
市内河南町須江地区で掘り出されたものと思われ、この甕は朝鮮半島から伝えられた『上り窯』の技法で焼き上げられたもので、奈良・平安時代を中心に盛んに生産されました。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
里浜貝塚台地区の貝層断面
鳴瀬町の宮戸島にある里浜貝塚は日本で最も大きな貝塚の一つです。
貝層の断面図って初めて見たかな? -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
里浜貝塚台地区の貝層断面
この断面は縄文時代後期(およそ3300年前)のもので、貝はアサリが多い。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
動物土偶(猿)
君は猿なの?お猿さんに見えないんだけどな? -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
深谷遺跡出土の石包丁
善右衛門さんが発見した石包丁が展示されています。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
沼津貝塚出土の土偶
土偶は完璧な形が見たかったな。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
宝ケ峯縄文遺跡は全国に先駆けて分層的発掘を試みた所として知られ、遺跡名は『瓦礫も学びの道の宝』ということから名付けられました。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
斎藤家は中世、当地を支配していた葛西家の家臣で(葛西家は当時、石巻城を居住としていた)、武家の家柄でしたが、1590(天正18)年の小田原の陣で葛西氏が参陣出来なかった事から、その後の奥州仕置きにより改易となり、斎藤家は帰農する道を選びました。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
本家斎藤家7代目の弟である善九郎が分家して、当家の初代当主になると次第に発展し2代善兵衛は享保年間(1716~1735)年から酒造業を創業しました。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
4代善治右衛門は深谷の大肝入り、6代善右衛門は永大大肝入格、7代善治右衛門で現在地に屋敷を構え発展の基礎を固めています。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
6代善右衛門のときに飢餓の際の救済図業の功績により、郷土格及び4貫175文(40石一斗7升5合)の知行を与えられました。 -
木小屋(宝ケ峯縄文記念館)
その後、仙台藩領内屈指の富豪となり、8代善治右衛門は戊辰戦争に従軍して戦死しました。 -
9代善右衛門は、酒造業をやめ、莫大な資産を背景に会社を設立し、文化発展に尽くしました。
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中門
1865(慶応元)年以前建築。
当初は中門として現在地の北西脇に南北棟として設置されていました。本宅売却を契機に現在地に移設・改装して、斎藤地所株式会社前谷地連絡所として使用していました。 -
広い池があり鯉が気持ちよさそうに泳いでいます。
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令和4年3月福島県沖地震で倒れたそうです。
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地震の影響でしばらく公開NGとなっていて、4月20日より再開となりました。
東日本大震災の時もかなり被害があったそうです。 -
新緑がとても美しく、雨も上がりとても気持ちが良いです。
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鯉何匹いるんだ。
健康優良児で大きいよ。
(おいしそうだから食べたいよって言わないね) -
斎藤家は酒田・本間家に次ぐ日本で第2位の地主となったこともあり、明治時代から第二世界大戦後の農地改革まで宮城県の政治・経済・文化に大きな功績を残しています。
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住宅
斎藤氏庭園は、斎藤氏第9代当主善右衛門により明治後期に造られた庭園です。 -
複数の池泉回遊式庭園や茅葺屋根の建物、一部は江戸時代から残る土蔵。
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地元の人もあまり知らない場所。
見学者は2名みかけただけ。これって多いのか少ないのかわからない。
斎藤氏庭園を知っている人は地元でもなかなかいないかな? -
後土蔵・みそ蔵
1865(慶応源)年以前建築。 -
跡倉庫から住宅の後ろ側にまわります、
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ちょと変わった仕組みだんね。
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住宅
瓦屋根も美しいね。 -
金名水
庭園の片隅には湧水が沸いていました。
東日本大震災時にはこの湧水を近所の人達が利用したそうです。 -
宝泉窟
金名水の横には洞窟があり、昔は天然の冷蔵庫として使われ、戦時中には防空壕の役割を果たしてきました。 -
広間
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イチオシ
広間
1865(慶応元)年以前建築。
さんまの座敷からなり、慶応元年製家相図には『小座敷』と記されている。1891(明治24)年の写真では北側の座敷上の屋根は瓦葺きでしたが、1909(明治42)年の写真では現在と同じ茅葺になっています。 -
イチオシ
広間
本邸部分に所在する庭園は、急流の斜面を背に資して広間建物を景観の中心に置き、その周囲に平庭、園池を配しています。邸宅だけでなく、背後の丘陵地帯を一体の空間として構成されています。 -
広間
広間だけを写そうといろいろの角度から挑戦しますが、木々が入り込み建物だけを撮ることはできませんでした。 -
住宅
近代の庭園のうちでも特色あるものとして学術上の価値が高く評価され、2005(平成17)年名勝に指定されました。 -
春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と四季を通じて景色を楽しむことが駅枡。
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前土蔵
1865(慶応元)年に建築
昭和50年代に斎藤養之助が2階部分をサロン風に改装しています。 -
前土蔵
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住宅
1921(大正10)年建築。
当初は使用人のための居住棟として木小屋の南側に設置された建物です。
それまでの本宅を売却・撤去した跡地(現在地)に移設しました。 -
斎藤家第9代当主善右衛門は、『財産は神仏より供託物にして私有物に非ず』という信念から、学術研究のために私財300万円を投じ斎藤報恩会を設立しました。
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斎藤報恩会は、後に設立される三井報恩会や服部報恩会に大きな影響を与えたと言われています。
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八木アンテナで知られる旧東北帝国大学工学部電気工学部の八木教授など、多くの研究活動が財団の支援を受けています。
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第二次世界大戦後の激しいインフレでは報恩会にもその学術研究支援のための基金が大幅に目減りしてしまいます。
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基金の目減り分を貸しビル業の事業などを展開し、目減りした基金の利子を補填してきましたが、その後低金利の影響で財団の運営が厳しくなり、平成18(2006)年斎藤報恩会の土地建物を売却、事業を学術振興に絞りました。
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前倉庫
1865(慶応元)年以前の建築。
1889(明治22)年以前は酒蔵蔵として使用されました。 -
前倉庫
斎藤家は1890(明治23)年に遠田郡小牛田町の会社の資産を買い受けて、一躍1120町歩の巨大地主になりました。 -
前倉庫
斎藤家では旧来の人格的上下秩序に依拠する小作関係ではなく、対等の契約に基づく、小作経営関係を先取りしていました。 -
前倉庫
1892(明治25)年の斎藤家の『地所管理心得所』には、家族的な親愛と尊敬の関係は時代遅れの考えであるとされています。 -
前倉庫
小作人の土地使用は権利なのでその収穫は当然小作人のものであり、小作に利益がなければ地所を返付する自由があることなどが記されています。 -
前倉庫
小作人が契約を守らなければ取り上げ、争議化すれば裁判医訴えるのが斎藤家のやりかたでした。家族的関係ではなく、契約に依拠したものなんです。 -
前倉庫
明治後期の凶作続きで小作人の夜逃げが続出しました。 -
前倉庫
しかし小作人も逃げるのではなく、闘うことを決意した農民たちもでてきて、小作騒動も頻繁におきました。 -
前倉庫
日本で最も小作騒動が起きたのは、なんと宮城県だったそうです。
宮城県では小作人同盟という組織があり、小作人が合同で地主に対抗し小作料引き下げを認めさせました。 -
前倉庫
地主も地主会を組織し、組織と組織の対抗となり、各地で争議がおきました。 -
前倉庫
各地の争議の中で最大のものは、1908(明治41)年の『桃生牡鹿連合小作人同盟』で、同盟会のリーダーは小作人ではなく村長や県会議員を経験した小地主でした。 -
前倉庫
彼らは小作人の窮状を理解し、村の発展に尽くそうとし、村ぐるみで地主に対抗しました。 -
前倉庫
小作人同盟会の組織は長続きせず、村ぐるみの運動は徐々に崩れ、近代的な階級闘争に代わっていきます。 -
前倉庫
見学を終え出ようとしたところ、急に強い雨が降り出してきました。
傘は車の中、駐車場までちょっと距離があるけどどうしよう?
走っていくしかないな。 -
前倉庫
車まで入ろうと思たとき、スタッフの方がビニール傘を持ってきてくれ『どうぞ使ってください。帰りに受付に置いて行ってください。』と言って立ち去りました。
広い庭園のなか探してくれたのかな?心温まる瞬間でした。
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