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白旗神社に義経が眠っているのを知り、訪れました。<br />文治5年(1189)閏4月30日、源義経公は兄源頼朝から怒りをかい、追い詰められ、奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害されました。その首は奥州から新田冠者高平(にったかじゃたかひら)という者によって鎌倉に送られました。高平が、腰越の宿(鎌倉市)に到着すると、そこで和田義盛・梶原景時によって義経かどうか確認されました。伝承では、弁慶の首も同時に送られ、夜の間に二つの首は、白旗川を上り、この地に辿り着いたといわれています。<br />このことを頼朝に伝えると、白旗が源氏の旗であったことから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示しました。<br />こうして義経公を神様として祀ることとなり、のちに白旗神社と呼ばれるようになりました。弁慶の首は、白旗神社のそばに八王子社として祀られることになりました。<br />近辺には、義経の首を洗った井戸もありました。<br />この時代、魂と体の考え方が現代とは違ったのでしょうね。<br />

「鎌倉殿の13人」~源義経公の眠る白旗神社散策

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2022/03/23 - 2022/03/23

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旅行記グループ 「鎌倉殿の13人」を訪ねて

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mumuさん

白旗神社に義経が眠っているのを知り、訪れました。
文治5年(1189)閏4月30日、源義経公は兄源頼朝から怒りをかい、追い詰められ、奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害されました。その首は奥州から新田冠者高平(にったかじゃたかひら)という者によって鎌倉に送られました。高平が、腰越の宿(鎌倉市)に到着すると、そこで和田義盛・梶原景時によって義経かどうか確認されました。伝承では、弁慶の首も同時に送られ、夜の間に二つの首は、白旗川を上り、この地に辿り着いたといわれています。
このことを頼朝に伝えると、白旗が源氏の旗であったことから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示しました。
こうして義経公を神様として祀ることとなり、のちに白旗神社と呼ばれるようになりました。弁慶の首は、白旗神社のそばに八王子社として祀られることになりました。
近辺には、義経の首を洗った井戸もありました。
この時代、魂と体の考え方が現代とは違ったのでしょうね。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車
  • 源義経伝説の神社を示す幟旗

    源義経伝説の神社を示す幟旗

  • 白旗神社の外観

    白旗神社の外観

    白旗神社 秋祭 湯立神楽 祭り・イベント

  • 白旗神社について書かれています

    白旗神社について書かれています

  • 社務所の前には、義経藤の藤棚があります。

    社務所の前には、義経藤の藤棚があります。

    白旗神社 寺・神社・教会

  • 藤棚と手入れの行き届いた松があります<br />弁慶松でしょうか<br />5月には、藤棚が綺麗に咲き誇っている事でしょう。

    藤棚と手入れの行き届いた松があります
    弁慶松でしょうか
    5月には、藤棚が綺麗に咲き誇っている事でしょう。

    白旗神社 寺・神社・教会

  • その横には、弁慶藤の藤棚がありました<br />こちらは、4月から咲くようです

    その横には、弁慶藤の藤棚がありました
    こちらは、4月から咲くようです

  • 芭蕉の句碑がありました。<br />草臥て宿かる比や藤の花<br />(くたぶれてやどかるころやふ じのはな)<br /><br />1805年(文化2年)、江戸の俳人・以足が建立した碑。<br />背面の 「東路(あずまじ)や華(はな)にくるまる鈴の音」 は以足の句

    芭蕉の句碑がありました。
    草臥て宿かる比や藤の花
    (くたぶれてやどかるころやふ じのはな)

    1805年(文化2年)、江戸の俳人・以足が建立した碑。
    背面の 「東路(あずまじ)や華(はな)にくるまる鈴の音」 は以足の句

  • 弁慶と義経の銅像

    弁慶と義経の銅像

  • 銅像の説明文<br />2019年(令和元年)10月、源義経公没後830年の記念事業の一つとして、境内に源義経と弁慶の銅像が建てられたそうです

    銅像の説明文
    2019年(令和元年)10月、源義経公没後830年の記念事業の一つとして、境内に源義経と弁慶の銅像が建てられたそうです

  • 社務所横の階段を上がります

    社務所横の階段を上がります

  • 白旗神社では、義経公の鎮霊祭が6月13日にあるそうです<br />例大祭は7月15日~21日で、義経と弁慶の神輿が出るようです。

    白旗神社では、義経公の鎮霊祭が6月13日にあるそうです
    例大祭は7月15日~21日で、義経と弁慶の神輿が出るようです。

  • 1999年(平成11年)、源義経没後810年を記念して、宮城県栗原郡栗駒町に葬られた「骸」と、腰越の首実検後この地に葬られた「首」の霊を合わせ祀る御鎮祭が行われ、この鎮霊碑が建立されたとの事です。<br />首と体がようやく一緒に祀られたのですね。

    1999年(平成11年)、源義経没後810年を記念して、宮城県栗原郡栗駒町に葬られた「骸」と、腰越の首実検後この地に葬られた「首」の霊を合わせ祀る御鎮祭が行われ、この鎮霊碑が建立されたとの事です。
    首と体がようやく一緒に祀られたのですね。

  • 本殿<br />白旗神社は、藤沢宿西方面の総鎮守。<br />もとは相模一の宮の寒川神社の寒川比古命の分霊を祀り、寒川神社と呼ばれていたというが、その創建年は不明。<br /><br />のちに、奥州平泉で自刃した源義経を祭神として祀ったことから、白旗神社と呼ばれるようになった。

    本殿
    白旗神社は、藤沢宿西方面の総鎮守。
    もとは相模一の宮の寒川神社の寒川比古命の分霊を祀り、寒川神社と呼ばれていたというが、その創建年は不明。

    のちに、奥州平泉で自刃した源義経を祭神として祀ったことから、白旗神社と呼ばれるようになった。

  • 弁慶の力石<br />昔、神社の西側にあった茶屋に置かれていた石で、この辺の力自慢がこの石を持ち上げて力比べをしたと伝えられている。<br /><br /> 現在は神石として祀られ、この石に触れると健康になり病気をしないといわれている。

    弁慶の力石
    昔、神社の西側にあった茶屋に置かれていた石で、この辺の力自慢がこの石を持ち上げて力比べをしたと伝えられている。

     現在は神石として祀られ、この石に触れると健康になり病気をしないといわれている。

  • 白旗商店街のマップ<br />義経縁の地も記されている

    白旗商店街のマップ
    義経縁の地も記されている

  • 道標も完備

    道標も完備

  • 裏には説明文もある

    裏には説明文もある

  • 『吾妻鏡』によると、1189年(文治5年)閏4月30日、源義経は、源頼朝の圧力に屈した藤原泰衡に攻められ、平泉の衣川館で自刃。<br /><br /> その首は、藤原秀衡の四男・高衡(新田冠者高平)によって腰越の浜まで運ばれ、6月13日、侍所別当の和田義盛と所司の梶原景時が首実検を行った。<br /><br />首は、黒漆の櫃に入れられ、美酒に浸されていたのだという。<br /><br />伝説によると・・・<br /><br />首実検後、義経の首は金色の亀に乗って白旗川を遡り、現在の白旗の地に辿り着き、埋葬されたのだという。

    『吾妻鏡』によると、1189年(文治5年)閏4月30日、源義経は、源頼朝の圧力に屈した藤原泰衡に攻められ、平泉の衣川館で自刃。

     その首は、藤原秀衡の四男・高衡(新田冠者高平)によって腰越の浜まで運ばれ、6月13日、侍所別当の和田義盛と所司の梶原景時が首実検を行った。

    首は、黒漆の櫃に入れられ、美酒に浸されていたのだという。

    伝説によると・・・

    首実検後、義経の首は金色の亀に乗って白旗川を遡り、現在の白旗の地に辿り着き、埋葬されたのだという。

  • 里人が義経の首を洗い清めたという井戸が残され、首塚が建てられている

    里人が義経の首を洗い清めたという井戸が残され、首塚が建てられている

  • 義経公首塚<br />今もお参りする方が絶えない様子

    義経公首塚
    今もお参りする方が絶えない様子

  • 伝承によると、腰越の浜では、義経とともに弁慶の首実検も行われ、常光寺の八王子社に祀られたのだという。<br />そこで、常光寺へ向かいましたが、お寺には辿り着けず、弁慶塚の案内板に従います

    伝承によると、腰越の浜では、義経とともに弁慶の首実検も行われ、常光寺の八王子社に祀られたのだという。
    そこで、常光寺へ向かいましたが、お寺には辿り着けず、弁慶塚の案内板に従います

  • 誰かの塚なのでしょうか。

    誰かの塚なのでしょうか。

  • その向こうに、祠がありました

    その向こうに、祠がありました

  • 弁慶塚<br />かつて、この場所には弁慶を祀る八王子社があって、主君源義経を祀る白旗神社の方に向いて建っていたと伝えられている。

    弁慶塚
    かつて、この場所には弁慶を祀る八王子社があって、主君源義経を祀る白旗神社の方に向いて建っていたと伝えられている。

  • 別の道には石段がありました<br /><br />白旗神社まで、古くからの商店街が続いています。<br />義経のお饅頭も売られていました。

    別の道には石段がありました

    白旗神社まで、古くからの商店街が続いています。
    義経のお饅頭も売られていました。

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