2022/02/03 - 2022/02/03
135位(同エリア193件中)
mumuさん
源頼朝公が伊豆で挙兵後相模国に兵を進めて、陣を構えた石橋山。
そこでの戦いに敗れ、安房に逃れるまでの足跡を辿ってみたく、小田原に行きました。今日は富士山が美しいです。
「石橋山の古戦場」一帯は、今も山深く当時が偲ばれました。
大庭景親率いる平氏方の多勢と石橋山合戦があった場所です。
周りの「佐奈田霊社」「ねじり畑」「文三堂」など石橋山合戦に関する史跡を訪ねました。
敗れた頼朝は、箱根山、湯河原に逃げた後、”工藤実平”の手引きで安房に旅立ちます。その旅立ちの場所真鶴半島へ向かいました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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石橋山古戦場は、神奈川県小田原市になります。 海岸沿いの国道135号線から入った山にありました。
石橋山古戦場 名所・史跡
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眼下に海が見えます。
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少し登った佐奈田霊社の駐車場に停める事ができました。
源頼朝挙兵の地となっています。 -
何はともあれ、霊社に参拝。
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佐奈田霊社は、佐奈田与一義忠を祀っている神仏習合の霊社。
与一は、持病の痰のため、味方からの呼びかけに声が出せず敵に討たれてしまったという伝承から、「のど・声、喘息、気管支炎等」に霊験ありとして知られています。 -
石橋山古戦場と佐奈田霊社の説明
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頼朝の軍勢は、石橋山に三百騎。
向かいの山に大庭軍は三千騎。頼朝背後の山に、伊東祐親が三百騎で控えている。
三浦の軍勢が増水した丸子河で足止めの間に、戦いの火蓋が切られたようです。石橋山古戦場 名所・史跡
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佐奈田与一義忠は『平家物語』や『源平盛衰記』に語られる武勇の士。
老いた郎党の文三家安をお供に、15騎を率いて先陣を切り、命を落としました。 -
境内に与一塚があります。10年程後に頼朝が立ち寄り、涙を流したと伝えられています。
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佐奈田霊社から下におりると、ねじり畑や文三堂がありました。
この辺り一帯が、石橋山古戦場になるようです。 -
佐奈田与一義忠は、敵将の豪傑俣野景久(大将 大庭景親の弟)を組み伏せました。
暗闇の中、組み伏せながら敵の加勢に敗れた事からその場所が「ねじり畑」として残っています。戦いの後、この畑の作物が皆ねじれてしまった事から名付けられたそうです。 -
佐奈田与一義忠の郎党、文三家安は、討たれた義忠に群がる敵方に飛び込んで8騎を倒し討ち死にしました。100m程離れたところに文三を祀る文三堂がありました。
下からの撮影でごめんなさい。 -
与一塚と文三堂の説明文
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石橋山は右手になります。
頼朝軍はこの谷を超えて、左手の椙山に退却して戦ったとなっていました。
北条親子とはここで別れ、さらに北条宗時はひとり別行動をとって、伊東祐親の軍勢に囲まれ、早河で討ちとられたとされています。石橋山古戦場 名所・史跡
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土肥実平の案内でさらに山奥へ、箱根、湯河原と隠れながら、真鶴へと頼朝は逃げます。
「しとどの窟」とは、頼朝がかくれた洞窟のこと。
湯河原にもあるそうですが、今回は断念しました。鵐窟 自然・景勝地
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右奥に真鶴の「しとどの窟」が見えます。
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「しとどの窟」入口です。
かなり奥深かったようです。 -
横に、赤い橋と祠がありました。
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よく読めませんが、頼朝の事が書かれているようでした。
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その先にある貴船神社入口です。
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まずは、神社にお参りしました。
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「頼朝の腰掛け」
随分探しましたが、鳥居から一段上がった右手に、ありました。
ここで、作戦会議をしたのでしょうか。 -
真鶴港より北にある岩海岸から船出したそうです。
頼朝船出の碑がありました。
今は隆起か埋立てがあったのか、陸地になっています。 -
裏側にも石碑がありました。
奥に現在の岩海岸、真鶴大橋がみえます。
今もとても美しい場所です。
ここから漁船で旅立ったのですね。
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