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石橋山の戦いに、酒匂川に阻まれた三浦の軍勢。<br />その後の衣笠城での戦いは、有名です。<br /><br />三浦一族は、頼朝の鎌倉幕府の創立に多大な貢献をしました。<br />その始まりになった横須賀市にある衣笠に行くことにしました。<br />衣笠城趾は、山城なので、ハイキングも兼ねて、衣笠山から行ってみました。<br />その後、咳地蔵、満昌寺、腹切り公園(すごい名前です)と巡って、三浦一族に思いを馳せました。<br /><br />三浦半島に名前が残る三浦氏が鎌倉幕府創立に貢献した事は、この地の誇りである事が窺われました。<br />

「鎌倉殿の13人」三浦氏の軌跡 石橋山の戦い~衣笠城の戦い跡

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2022/02/09 - 2022/02/09

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旅行記グループ 「鎌倉殿の13人」を訪ねて

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26

mumuさん

石橋山の戦いに、酒匂川に阻まれた三浦の軍勢。
その後の衣笠城での戦いは、有名です。

三浦一族は、頼朝の鎌倉幕府の創立に多大な貢献をしました。
その始まりになった横須賀市にある衣笠に行くことにしました。
衣笠城趾は、山城なので、ハイキングも兼ねて、衣笠山から行ってみました。
その後、咳地蔵、満昌寺、腹切り公園(すごい名前です)と巡って、三浦一族に思いを馳せました。

三浦半島に名前が残る三浦氏が鎌倉幕府創立に貢献した事は、この地の誇りである事が窺われました。

  • 最初に、衣笠山公園に行きました。<br />ここから、衣笠城址までの遊歩道があるのです。

    最初に、衣笠山公園に行きました。
    ここから、衣笠城址までの遊歩道があるのです。

  • 山を登ると芭蕉の句碑がありました。<br />「はせを」が芭蕉の事と知りました。

    山を登ると芭蕉の句碑がありました。
    「はせを」が芭蕉の事と知りました。

  • かなり登ってきました。標高134.2m<br />向こうに海も見えます

    かなり登ってきました。標高134.2m
    向こうに海も見えます

  • 展望台がありました。<br />衣笠城の方向は、あまり見晴らしが良くありませんでした。

    展望台がありました。
    衣笠城の方向は、あまり見晴らしが良くありませんでした。

    衣笠山展望台 名所・史跡

  • こちら側は、海の向こうに千葉県富津もすぐそこに見えます。

    こちら側は、海の向こうに千葉県富津もすぐそこに見えます。

  • ここから、衣笠山を降りて行きます。<br />道はできていましたが、かなり急で雨の時は危なそうです。<br />ゆっくり降りたので30分は、ハイキングしました。

    ここから、衣笠山を降りて行きます。
    道はできていましたが、かなり急で雨の時は危なそうです。
    ゆっくり降りたので30分は、ハイキングしました。

  • 衣笠山を降りると突然開けた大きな道路にでました。<br />それを渡って少し歩くと”衣笠城趾追手口遺址”がありました。<br />ここから城だとすると、相当な大きさです。

    衣笠山を降りると突然開けた大きな道路にでました。
    それを渡って少し歩くと”衣笠城趾追手口遺址”がありました。
    ここから城だとすると、相当な大きさです。

  • かなり急な住宅街の坂道を登ると大善寺がありました。

    かなり急な住宅街の坂道を登ると大善寺がありました。

  • その先に”衣笠城趾”の看板がありました。

    その先に”衣笠城趾”の看板がありました。

  • その先に”衣笠城趾”の碑があります。

    その先に”衣笠城趾”の碑があります。

  • 頂上は広場になっていました。<br />ここが、衣笠城最後の戦いの場になったのでしょうか。

    頂上は広場になっていました。
    ここが、衣笠城最後の戦いの場になったのでしょうか。

  • 小学生の遠足の場所になっているのでしょう。<br />説明はわかりやすいです。<br />急な坂道なのは、馬で登れないようにするためだったようです。<br />下は、ずっと楽でした。

    小学生の遠足の場所になっているのでしょう。
    説明はわかりやすいです。
    急な坂道なのは、馬で登れないようにするためだったようです。
    下は、ずっと楽でした。

  • 衣笠城趾の登り口に、咳地蔵があると聞いて探したのですが。<br />これが、そうなのか。今ひとつ不明です。<br />三浦与一が金子与一を組み伏せたが、味方の呼びかけに風邪で喉を害していたので返事ができず、会えなく最期を遂げた場所と言われています。<br />何だか、石橋山の戦いでの与一伝説と似ています。

    衣笠城趾の登り口に、咳地蔵があると聞いて探したのですが。
    これが、そうなのか。今ひとつ不明です。
    三浦与一が金子与一を組み伏せたが、味方の呼びかけに風邪で喉を害していたので返事ができず、会えなく最期を遂げた場所と言われています。
    何だか、石橋山の戦いでの与一伝説と似ています。

  • さらに30分歩いて、衣笠神社にもどってきました。<br />かなりのハイキングになりました。

    さらに30分歩いて、衣笠神社にもどってきました。
    かなりのハイキングになりました。

  • 次に満昌寺に移動しました。<br />頼朝が三浦大介義明の忠魂を弔うために立てたと伝えられています。

    次に満昌寺に移動しました。
    頼朝が三浦大介義明の忠魂を弔うために立てたと伝えられています。

  • 境内の案内図です。

    境内の案内図です。

  • 「三浦義明」の人物説明。<br />「老命を武術に投げうって子孫の勲功に募らん」<br />ひとり衣笠城に残り、息子の義澄(大河では佐藤B作さん)ら一族を送り出したそうです。

    「三浦義明」の人物説明。
    「老命を武術に投げうって子孫の勲功に募らん」
    ひとり衣笠城に残り、息子の義澄(大河では佐藤B作さん)ら一族を送り出したそうです。

  • 頼朝のお手植えのツツジ<br />三浦氏への感謝を込めたもののようです。

    頼朝のお手植えのツツジ
    三浦氏への感謝を込めたもののようです。

  • 三浦義明の坐像が、宝物殿にあります。<br />拝観は事前予約制になっています。

    三浦義明の坐像が、宝物殿にあります。
    拝観は事前予約制になっています。

  • 義明は頼朝と共に戦う決心をしました。<br />三浦氏と源氏は、源平合戦の約100年前からの関係だったそうです。

    義明は頼朝と共に戦う決心をしました。
    三浦氏と源氏は、源平合戦の約100年前からの関係だったそうです。

  • 境内の奥、かなりの階段です。

    境内の奥、かなりの階段です。

  • 石橋山から衣笠城合戦に至るまでの説明<br />台風がなくて、三浦が間に合っていたら、石橋山の結果は変わっていたのでしょうか

    石橋山から衣笠城合戦に至るまでの説明
    台風がなくて、三浦が間に合っていたら、石橋山の結果は変わっていたのでしょうか

  • 三浦氏は、馬術と水軍に精通した戦いに強い一族だったそうです。<br />それで、頼朝も頼りにしていたのでしょうね。

    三浦氏は、馬術と水軍に精通した戦いに強い一族だったそうです。
    それで、頼朝も頼りにしていたのでしょうね。

  • 義明は、衣笠城を最期の地に決めて、一族を逃しました。<br />三浦は安房国で再建を果たす事に。<br />畠山氏も後には頼朝を支える事になっていきます。<br />国指定の重要文化財があり文化庁の看板が多くありました。

    義明は、衣笠城を最期の地に決めて、一族を逃しました。
    三浦は安房国で再建を果たす事に。
    畠山氏も後には頼朝を支える事になっていきます。
    国指定の重要文化財があり文化庁の看板が多くありました。

  • 一番奥の高いところに、三浦大介義明の廟所はありました。<br />なんと通称は「大介の首塚」だそうです。

    一番奥の高いところに、三浦大介義明の廟所はありました。
    なんと通称は「大介の首塚」だそうです。

  • ”腹切松公園” すごい名前の公園です。<br />満昌寺から道を隔てた住宅街の中程にありました。<br />義明は、最期に、大雨の中愛馬に鞭打って城外に出て、清雲寺の先祖の墓に別れを告げ、敵の只中に乗り入れ、笠松の下で切腹したと伝えられています。<br />この松は2代目だそうです。<br />89歳とは思えない行動力です。<br /><br />その後三浦一族は、鎌倉幕府の重要な役割を担っていきました。<br />今回は、衣笠城の戦いまでの旅を記しました。<br />まだまだ、ここ三浦半島には、三浦一族の軌跡があるようです。

    ”腹切松公園” すごい名前の公園です。
    満昌寺から道を隔てた住宅街の中程にありました。
    義明は、最期に、大雨の中愛馬に鞭打って城外に出て、清雲寺の先祖の墓に別れを告げ、敵の只中に乗り入れ、笠松の下で切腹したと伝えられています。
    この松は2代目だそうです。
    89歳とは思えない行動力です。

    その後三浦一族は、鎌倉幕府の重要な役割を担っていきました。
    今回は、衣笠城の戦いまでの旅を記しました。
    まだまだ、ここ三浦半島には、三浦一族の軌跡があるようです。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ねんきん老人さん 2022/02/14 09:32:08
    勉強になりました。
     mumu さん、 初めまして。 千葉県在住のヨボヨボ爺です。
     内容の濃い散策記、じっくり楽しませていただきました。
     昔々、はるか昔のことですが、学生時代に毎年三浦半島でキャンプをしていました。衣笠に友人が住んでいたこともあって、衣笠山にはよく登りましたし、キャンプのときには衣笠山を起点として荒崎海岸まで歩いて、そこでテントを張ったりもしました。
     今回mumu さんの撮られた衣笠公園周辺の写真を拝見して、まったく記憶と重ならないことに愕然としましたが、長い間にすっかり整備されて、見た目も変わっているのだと思います。
     もう一つ、三浦氏にまつわる歴史的な記述を拝読しても、私の知らないことばかりで、これまた忸怩たる思いをしました。
     学生時代に折角その場に行っていながら、何一つ勉強していなかったのだということを今さらながら思い知った次第です。

     mumu さんの旅行記は、単に「行った・食べた」という記録ではなく、その地の歴史を深く掘り下げたもので、読み応えがありますし、私のような浅学の者でも改めてその場に行って歴史の舞台に立ってみたいと思うような、内容のあるものでした。
     久しぶりに少しは勉強してみようかと、老いの頭に刺激を受けた朝でした。
     ありがとうございました。

    ねんきん老人

    mumuさん からの返信 2022/02/14 11:01:13
    RE: 勉強になりました。
    ねんきん老人さま

    丁寧なコメントありがとうございます。

    これまでは、国内旅行は花見で、歴史は海外旅行というイメージでした。
    コロナ禍で旅行制限があったのが、逆に国内の近隣地に目を向ける事になり、新発見が多いこの頃です。
    私も今回初めて三浦一族の歴史を詳しく勉強させて頂き、旅に出ました。

    オミクロンが終息に向かって、自由に旅ができる日が早くきますように!

    mumu

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