2022/05/12 - 2022/05/12
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norio2boさん
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久しぶりに皇居を歩きました。
皇居東御苑の一般公開されているエリアを1時間半くらいかけて参観しました
東御苑大手門
三の丸尚蔵館
同心番所
百人番所
大番所
富士見櫓
本丸天守台
都道府県の木
諏訪の茶屋
大手門
写真は本丸天守台の石垣の見事な石積の様子です
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
-
出発は東京駅から
辰野金吾(1854~1919)の設計で1914年に建設された
正式名称は東京駅丸の内駅舎
最新技術で耐震化され、伴い美しくリニューアルされている東京駅 駅
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煌めく八角形の天井
創建当時の姿に復元されている
東京ステーションギャラリーには東京駅の歴史の展示がある
辰野金吾の設計には
日銀本店
大阪市中央公会堂
奈良ホテル
がある -
東京駅の丸の内側は三菱のエリア
三菱関連の超高層ビルが立ち並んでいます東京駅丸の内駅前広場 名所・史跡
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中央郵便局にも寄ってみた
中央郵便局は各都道府県庁所在地にある
切手蒐集がブームの時代があってあの頃中央郵便局に通っていた東京中央郵便局 名所・史跡
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シンプルなレイアウトで整備された窓口
コロナ対応の手順はどこでも共通 -
和田倉門の前を通過
右に見えているのはパレスホテル
このまま日比谷通りを進み大手町交差点を左折すると大手門 -
お堀沿いの内堀通りを渡ると
大手門に到着
江戸城の正面玄関大手町駅 (東京都) 駅
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左側に看板がある
皇居東御苑
皇室のお庭
入園無料大手門 名所・史跡
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入口にあった皇居のレイアウトの看板
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大手門には皇宮警察が入門チェックを行なっている
皇族の護衛、皇居、御所の警備が皇宮警察の仕事
そういえば桂離宮のガイドツアーの時も皇宮警察官がガイドツアーの列の最後尾に帯同していた
この日は皇居周辺の不審者の監視も厳重で、頻繁にトランシーバーで確認していた -
大手門
石垣の石の寸法の大きさに徳川幕府の権勢を思う -
門を入ると
守衛所がある
ここはあいさつして通るだけ -
右側にトイレ
-
振り返って
奥に見える高層ビルは大手門タワーENEOSビル(三菱地所) -
三の丸尚蔵館は新施設への移行準備のため令和5年秋まで休館中
ここには皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類に加え,故秩父宮妃のご遺贈品,香淳皇后のご遺品,故高松宮妃のご遺贈品,三笠宮家のご寄贈品が加わり,現在約9,800点の美術品類を収蔵している
と説明されている
写真の左側の建物が新たな三の丸尚蔵館三の丸尚蔵館 美術館・博物館
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「宮内庁参観音声ガイド」というスマホ用アプリが無料で宮内庁公式アプリとして公開されています
これを見ながら聞きながら歩かれると良いと思います
各所の撮影には解説の看板も入れました
ご参考に解説文を解説)として書き起こしておきます
まずは
同心番所
解説)番所とは、警備の詰所のことで、百人番所、大番所とこの同心番所の3つが残っています。城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。ここには同心が詰め、主として、登城する大名の供の監視に当っていました。同心番所 名所・史跡
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百人番所
解説)本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所です。鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました。各組には同心が100人ずつ配属されていました。百人番所 名所・史跡
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大番所
解説)江戸城本丸への最後の番所であり、警備上の役割はきわめて重要であったと考えられています。大番所 名所・史跡
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江戸城中雀門
石垣と石垣なの間に壮大な門があった -
中雀門跡の表示
解説)本丸・表御殿の玄関口(正門)にあたる中雀門は、幕末の1863(文久3)年の火災で本丸御殿が焼失した際に類焼し、石垣の表面は、熱により黒く焦げてかなり劣化しています。 -
富士見櫓
解説)往時には江戸城には19の櫓(やぐら)を構えていましたが現存するのは、伏見櫓、桜田巽櫓(さくらだたつみやぐら)、富士見櫓の3ヶ所だけ。
江戸時代中期以降、お茶壺道中(宇治採茶使=幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて江戸まで運ぶ行事)で運ばれた宇治茶は富士見櫓に収められています富士見櫓 名所・史跡
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富士見櫓の手前には広場が出来て近くまで見学できるようになった
内部は公開されていない
解説)富士見櫓の上からは、その名の通り富士山をはじめ、秩父連山や筑波山、江戸湾(品川沖など=現在の東京港)、さらには将軍は両国の花火などを眺望したのです。
富士見櫓が建つ場所は、天守台(標高30mほど)についで高い場所(標高23mほど)に位置し、眺望的には江戸城のなかでも一等地で、徳川家康の江戸城築城以前、太田道潅の築城した望楼式の「静勝軒」があったのは、この富士見櫓の場所ではないかと推定されています富士見櫓 名所・史跡
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富士見櫓の前の広場
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松の大廊下跡
今では看板があるだけ
解説) 江戸城本丸の表御殿大広間から白書院に続いていたのが有名な松之大廊下(松之廊下)
江戸城で2番目に長い廊下で、襖戸に松並木と千鳥が描かれていました
1701(元禄14)年、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)に対し起こした刃傷(にんじょう)事件の現場として有名 -
富士見多聞
解説)多聞とは,城郭の石垣上に建てられた長屋で,城壁よりも強固な防御施設
江戸時代の江戸城本丸には,このような多聞が,各所に築かれていましたが,現存するのは,この富士見多聞だけ
今は見られませんが,かつては,この富士見多聞から,実際に富士山を望むことができたと考えられます -
富士見多聞の内部
強固な防御施設であったことが偲ばれた -
天守台
天守閣は残っていない
解説) 寛永の天守は、明暦3年(1657)の火災で焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれます
これが現在残る天守台ですが、四代将軍家綱の叔父である保科正之の戦国の世の象徴である天守閣は時代遅れであり、城下の復興を優先すべきであるとの提言により、以後天守閣は再建されることはありませんでした
現在、東西約41m、南北約45m、高さ11mの石積みが残っています -
天守台の広さが往時の天守閣の大きさを偲ばせる
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天守台への坂道
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天守台正面の見事な石積み
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天守台右側の石垣
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天守台右側の奥の石垣
こちらは往時の石積みが残されている -
案内看板
都道府県の木
諏訪の茶屋
を抜けて
大手門へ向かう -
都道府県の木
解説) 都道府県の木は、昭和43(1968)年に各都道府県から寄贈された木の植樹により開設
約50年が経過し、大きくなり過ぎたり、衰弱した木が増えてきたため、苑路も含め全面的に再整備都道府県の木 公園・植物園
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諏訪の茶屋
解説)皇居東御苑内、二の丸庭園にある風雅な茶室
火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の時に創建
かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にあったが昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築
建物は、明治45年に再建されたもので茶室としての利用はできない -
諏訪の茶屋
解説)明治期の茶室風の建物として優雅な外観を誇る諏訪の茶屋ですが、外観のみ見学が可能
諏訪の茶屋が建っていた吹上御苑は江戸時代当初は御三家などの宅地でしたが、明暦の大火などの類焼があったことなどから5代将軍・徳川綱吉の時代に苑地となり、その後は、歴代の将軍が庭園として整備しています -
1時間半の見学でした
大手門から入り
同じ大手門から退出しました
手前に桔梗濠
雨の予想の日でしたが
快晴のなか少し汗ばむ散策でした大手門 名所・史跡
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